川西町の吐田(はんだ)。
大和郡山市との境界は大和川。
板屋ケ瀬橋を渡ると吐田である。
今では大和中央道が南北に貫く道路。
そこに架かっている橋が板屋ケ瀬橋であるが、かつての橋は西に数百メートル向こうだった。
安堵町の安土墓地から南下して堤防に近くで東に曲がる。
大和郡山市と安堵町の境界がその道だった。
その先にあった板屋ケ瀬橋。
今ではその面影は見られないが、小字に板屋が残っている。
その地から西方のことだ。
かつての大和川はうねうねと大きく蛇行していた。
その痕跡は小字データベースで確認できる。
その痕跡は保田まで続く。
それが安堵町窪田と川西町保田の境界線。
大きな氾濫があったと予想される境界線だ。
それはともかく、橋を渡って南下すればかの有名な油掛け地蔵がある。
そこでは7月23日に地蔵盆が行われている。
昨年に聞いた吐田のダイジングサン。
吐田には大神宮の石塔があり、そこで祭りをしていると話していた。
その場所を確かめたくて吐田にやってきた。
東のほうに鎮座する春日神社がある。
その付近だと思い込んでいた。
たしかに高い石塔がある。
刻印には「大神宮」が見られない。
違ったのだ。
その付近で梅の木を剪定伐採している男性に尋ねてみたが、そのような祭りは聞いたことがないという。
仕方なく神社境内を探してみた。
あるにはあった大神宮の石塔。
その男性の話ではここら辺りの集落が上吐田。
尼講が営んでいる地蔵さんがあるという。
北吐田の人たちが集まる油掛地蔵盆と同じ日にしているという。
堤防のほうにあるという。
それほど広くない上吐田。
ぐるりと周回してみたが見つからない。
散歩されていた高齢の男性に尋ねた結果はどこか。
見過ごして通り抜けていたのだ。
垣根に囲まれていた上吐田の地蔵さんがそこにあった。
そこには一人の婦人が掃除をされていた。
当番やからと奇麗にされていたのだ。
ここの地蔵さんは大きい。
およそ2メートルもある舟形光背をもつ地蔵さんだ。
名前はないという。
夕方になれば尼講がやってくる。
集落にある金福寺住職の法要に続いて尼講たちが西国三十三番のご詠歌を唱えるという。
ちなみに北吐田の大神宮はどこにあったのか。
祭礼のときに世話になったH家に寄ってみた。
奥さんの話ではそこを行ったところにあるという。
確かにあった大神宮。
ようやく辿りついたのであった。
こうした下見は観光ではなく、いつも旅のように感じる。
村人と出合い話を伺う。
資料化されていない村に伝わることを教わる。
ぶらり旅の一期一会は、下見とは関係しない行事に出合える。
それは度々のことだ。
梅の木を剪定していた男性の話。
北吐田の旧家が60戸の集落。
7~8軒ぐらいで纏まった伊勢講があるという。
なんでも10組あるというからほぼ全戸数で営まれる伊勢講だ。
それぞれの組ごとに集まる12月の伊勢講。
ヤドでアマテラスの掛軸を掲げているそうだ。
伊勢講といえば大神宮の石塔。
お伊勢参りにはそこで参ってから道中にでたという話があちこちにある。
上吐田はどうしていたのか聞きそびれた。
(H24. 7.15 SB932SH撮影)
大和郡山市との境界は大和川。
板屋ケ瀬橋を渡ると吐田である。
今では大和中央道が南北に貫く道路。
そこに架かっている橋が板屋ケ瀬橋であるが、かつての橋は西に数百メートル向こうだった。
安堵町の安土墓地から南下して堤防に近くで東に曲がる。
大和郡山市と安堵町の境界がその道だった。
その先にあった板屋ケ瀬橋。
今ではその面影は見られないが、小字に板屋が残っている。
その地から西方のことだ。
かつての大和川はうねうねと大きく蛇行していた。
その痕跡は小字データベースで確認できる。
その痕跡は保田まで続く。
それが安堵町窪田と川西町保田の境界線。
大きな氾濫があったと予想される境界線だ。
それはともかく、橋を渡って南下すればかの有名な油掛け地蔵がある。
そこでは7月23日に地蔵盆が行われている。
昨年に聞いた吐田のダイジングサン。
吐田には大神宮の石塔があり、そこで祭りをしていると話していた。
その場所を確かめたくて吐田にやってきた。
東のほうに鎮座する春日神社がある。
その付近だと思い込んでいた。
たしかに高い石塔がある。
刻印には「大神宮」が見られない。
違ったのだ。
その付近で梅の木を剪定伐採している男性に尋ねてみたが、そのような祭りは聞いたことがないという。
仕方なく神社境内を探してみた。
あるにはあった大神宮の石塔。
その男性の話ではここら辺りの集落が上吐田。
尼講が営んでいる地蔵さんがあるという。
北吐田の人たちが集まる油掛地蔵盆と同じ日にしているという。
堤防のほうにあるという。
それほど広くない上吐田。
ぐるりと周回してみたが見つからない。
散歩されていた高齢の男性に尋ねた結果はどこか。
見過ごして通り抜けていたのだ。
垣根に囲まれていた上吐田の地蔵さんがそこにあった。
そこには一人の婦人が掃除をされていた。
当番やからと奇麗にされていたのだ。
ここの地蔵さんは大きい。
およそ2メートルもある舟形光背をもつ地蔵さんだ。
名前はないという。
夕方になれば尼講がやってくる。
集落にある金福寺住職の法要に続いて尼講たちが西国三十三番のご詠歌を唱えるという。
ちなみに北吐田の大神宮はどこにあったのか。
祭礼のときに世話になったH家に寄ってみた。
奥さんの話ではそこを行ったところにあるという。
確かにあった大神宮。
ようやく辿りついたのであった。
こうした下見は観光ではなく、いつも旅のように感じる。
村人と出合い話を伺う。
資料化されていない村に伝わることを教わる。
ぶらり旅の一期一会は、下見とは関係しない行事に出合える。
それは度々のことだ。
梅の木を剪定していた男性の話。
北吐田の旧家が60戸の集落。
7~8軒ぐらいで纏まった伊勢講があるという。
なんでも10組あるというからほぼ全戸数で営まれる伊勢講だ。
それぞれの組ごとに集まる12月の伊勢講。
ヤドでアマテラスの掛軸を掲げているそうだ。
伊勢講といえば大神宮の石塔。
お伊勢参りにはそこで参ってから道中にでたという話があちこちにある。
上吐田はどうしていたのか聞きそびれた。
(H24. 7.15 SB932SH撮影)