マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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地蔵盆巡り

2010年09月03日 07時17分50秒 | 大和郡山市へ
仕事を終えて帰り道すがら。

7月に行われている大和郡山市内の地蔵盆を巡ってきた。

広島池はかつての外堀。

風情がある地だ。

広島池の地蔵盆は7月と8月の2回。

一つの地蔵尊を広島町と西観音寺町で営んできた。

23日は早朝から提灯をぶら下げ、午後には子どもたちもやってきて数珠繰りが行われる。

以前は僧侶の法要もあったが今は主催者の婦人たちだけだ。

覚えた般若心経を唱えている。

その間に数珠繰りがされる。

心経は鉦を叩いている。

鉦は始まる前に町内を一周するとき子供が鉦を叩いて触れ回る。

いわゆる呼び出しの鉦だ。

集まりが悪いときはもういっぺん鉦を叩いて回るそうだ。

100回の数珠繰り回数はマッチ棒だった。

今はカウントを取ることもなくなり「ヘロヘロや、もぅえーかー」と言って終わっている。

数珠繰りをするのは旧広島町のご婦人。

同じ地蔵さんを8月には西観音寺町がしていたが止めて広島町に移管されたという。

奈良口町の地蔵のお供えは一風変わっている。

始めて拝見したときは驚きだった。

半切りしたカボチャに野菜を串挿ししたのが三本。



向かい側にある無縁地蔵さんにも供えている。

外堀が造られた時代といえば今から400年も前。

秋篠川を付け替えしたときに出没した地蔵を祀ったと伝わっている。

大神宮の傍らの地蔵祠に納めている。

小高いからここを「ヤマ」と呼んでいる。

だからヤマの地蔵さんという。

大神宮には石段がある。

灯明に火を点ける階段である。

ここでの行事ごとは特にないという。

町の守り神でもある延命地蔵尊の法要は23日の朝9時から。

同町の願正寺の住職が法要をするという。

お供えは同町の10班自治会。

所狭しに積み上げられている。

今まではお下がりをここで分けていたが班の人が持ち帰り班で分けている。

雑穀町の地蔵さんはK病院の家で祀っている。



スーパーサンコー横にある九条平野の地蔵さん。

九条町は郡山の本村。

平城京内にあって八条の地だが、郡山城ができたときに追いやられてこの地に移った。

移ったが元々は九条村。

今では九条町に住居表示になったが由緒があるのだと話す人たち。

先ほど終えた地蔵盆の片付けをしている。

祠には郡山としては珍しい2体が彫られた地蔵さんがある。



その前にゴザを敷いて提灯を連ねていた。

光傳寺の住職が法要を営み数珠繰りをしていたそうだ。

10人ほどの子どもたち。

だんだん少なくなって大人が目立つようになったそうだ。

この場は九条村の集会所。

会所の中には旧植槻寺で祀られていた不動尊、郡山街道にあった愛染さんが納められているという。

九条の本村24、5軒で祀っているという。

T氏はマンション833の所有者。

大阪生まれ。親父が末永先生と同級生だった関係で大事にされた。

だから考古学には興味が強い。

マンションを建てるとき発掘調査がされた。

文化庁が出さんもんやから自前で金を出して発掘した。

2個の柱石が出た。

それはマンションの玄関に置いている。

家には先祖代々の過去帳がある。

一番古いのは元禄5年(1693)5月3日に日付。

これが先祖さんの命日だという。

(H22. 7.23 SB932SH撮影)