マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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惣谷天神社神事初めの正月狂言

2010年02月25日 07時54分57秒 | 五條市へ
長らく中断されていた伝統行事である大塔の惣谷狂言が復活を遂げるまで人と人による運命的な出合いがあった。

昭和32年、大塔村史編纂調査に訪れた当時郡山農業高校の教諭である保仙純剛氏。

吉野西奥民俗探訪録に「狂言あり」と極めて短い報告を頼りに足を運ばれた。

手紙などのやりとりなど度々の往来で復活への道を歩み出した。

狂言保存会を立ち上げ、抜群の記憶力を発揮して中断されていた狂言をひとつひとつ思い起こされた故辻本可也氏を中心に若い人も集まり、一曲、一曲と上演可能への尽力が続けられ七曲が完成したという。

もともと惣谷と篠原の両地区に伝わり上演されていた狂言。

いつしか篠原は篠原踊りだけが残されて狂言は絶えてしまった。

惣谷は大正天皇御大典祝賀に演じられたのが最後になった。

そのとき少年だった方は老境に入っていた。

惣谷の狂言は廃絶一歩手前で奇跡的に復活したのである。

吉野西奥民俗探訪録に残した人、それを拝見して調査に踏み込んだ保仙氏。

そしてわずかに記憶を残していた辻本可也氏。

この出合いがなければ私たちは今でも見ることができなかったのである。

記録と記憶の出合いがまさに結合した。

これを奇跡と呼べないはずはない。

当時に復活した狂言は万才(平成21年上演)、鬼狂言(平成15年)、鐘引、かな法師(平成22年)、つぼ負(平成16年)、鳥刺し(平成15、19年)、狐釣り(平成16年)の七曲。他に田植狂言、豆いり狂言、舟こぎ狂言(平成18、20年)、いもあらい狂言、米搗き狂言、花折狂言などがあったそうだ。

狂言が演じられる日は旧暦正月25日の神事初めである。

このころの奉納神事はお宮さんで梅の古木、宝踊、花しうての式三番を踊りお寺に移った。

そこでも同様に式三番を踊って狂言を上演。

囃子の笛、太鼓、胡弓が用いられ踊りと狂言が交互に演じられたそうだ。

昭和15年以降に途絶えて今日では踊りが見られないが、復活された狂言を一曲(または二曲)が演じられており、今年はかなぼうし狂言が奉納された。



演場の傍には出合いの氏の一人である保仙氏も参列されている。

集まった狂言観覧者はおよそ50人。

奇跡的な出合いにありがたく感謝して拝見する。

かなぼうし狂言は、お寺を譲られて喜ぶ小僧が教えられた借り物の断り方の順番を間違って、ちぐはぐな応対をする話で、登場人物は住職、小僧と村人の六べえ、七べえ、八べえの五人。



主題のおかしさは、昔話の典型例の粗忽な「一つ覚え」にある。

「かなぼうし」の「かな」は「かなし」で「愛し」。

「ぼうし」は「法師」で愛しい可愛いお寺の子供法師。

配られた保存会解説資料に、金法師、仮名法師などの当て字がされていると記されているが、愛しいお寺の小僧のことだからおそらく鐘法師であろう。

余談になるが、会津地方の郷土玩具に見られる「起き上がりこぼし」の「こぼし」は「こぼうし」であって、当てる字は小坊師。しかしながら小坊師姿の民芸品はあまり見られない。

※ 昭和34年6月大和タイムス社発刊の「大和の民俗」を参照する。

(H22. 1.25 Kiss Digtal N撮影)
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