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私的間主観性

木村敏先生による『からだ・こころ・生命』(講談社学術文庫)の中でインパクトがあったのは、「間主観性」という概念。

個人の見方や感じ方を主観性と呼ぶが、この主観性は人によって違う。しかし、ある現象の見方・感じ方が人によってバラバラだと、集団や組織の活動が不可能になる。木村先生は次のように述べている。

「それぞれの個人が周囲の人たちからかけ離れた自分だけの独善的な「主観」を振り回していたら、科学的な真理の認識はおろか、個人どうしの相互理解も不可能になるでしょう。また、めいめいの「主体的」な行動がどこかで共通の志向性によって統一されているのでなかったら、社会の秩序などは成立しません。わたしたちがそれぞれの個性をもった個人でありながら、認識の面でも行動の面でも他人たちと共通の基盤に立ちうるのは、めいめいの主観/主体をひとつにまとめて客観性を保証する「間主観性」のおかげだ、というわけです」(p.24)

ちなみに、この間主観性には、「公共的」なものと「私的」なものの2種類あるという。

公共的間主観性とは、一定の教育や訓練を受ければ、その一員になれる公共的な認識や行動であるのに対し、私的間主観性は、親密な関係性にある者同士が感じる主観性である。

「たとえば痛みの感覚、喜びや悲しみの感情などはとりあえず純粋にその当人だけにしか感じられない、私的な主観的体験ですが、これがごく親密な―「共生的な」―関係にある人どうしのあいだでは完全に共有されることがあります。子どもの怪我を目撃した母親が自身激しい痛みを感じるとか、親しい人たちのあいだでは喜びや悲しみが「伝染」するということは、だれでも知っている事実です」(p.24-25)

いわゆる「共感」は、私的間主観性が存在するがゆえに可能になるのだろう。

チームや組織を強くする上で、私的間主観性を育てることが欠かせない、といえるかもしれない。


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