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リフレクション手段としての坐禅

ふたたび横尾さんの本から。

松原哲明老師との対話の中で、横尾さんは次のように語っている。

「松原:横尾さんの場合は今のところ坐禅を選んでらっしゃるわけだけれど、坐禅をする前とした後でいちばん感じることは何ですか。

横尾:それまでは自分が欲望を持ちすぎていたということですね。自分が自分がっていう第一人称が先に立って、相手の尊敬や人格を無視して、自分の損得を考えていた。そのためにそれが満たされないと腹が立つ。そこに気がついてきたんですね。」

この体験があれば、たとえ悟ることができなくとも、坐禅の意味があるように思う。

坐禅は優れたリフレクションの手段であると感じた。

出所:横尾忠則『坐禅は心の安楽死:ぼくの坐禅修行記』平凡社
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