about him

俳優・勝地涼くんのこと。

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『ムサシ』(3)-15(注・ネタバレしてます)

2017-03-15 19:01:42 | ムサシ
話がいいかげん広がり過ぎたのでここらへんでまとめると、井上さんと蜷川さんは批評に対し戦う姿勢、反骨精神、新劇に対する愛憎半ばする思いなど多分に似た資質を持っていながら、井上さんの方は蜷川さんが初期戯曲ばかりを高く評価することやその「いちばん新劇的」な要素に反発したい気持ちも抱いていた、それが初めて新作戯曲を託すにあたって、〈武蔵と小次郎以外の全キャラクターは実は死者〉という重要情報をあえて伏せる、しかも完成稿を初日の2日前にようやく渡すという蜷川さんへの嫌がらせに近いような挑戦に繋がったのではないかというのがここまでの主旨である。

ところで近年やはり「嫌がらせに近いような挑戦」を蜷川さんに挑んだのが、小説家の古川日出男さんだった。初の戯曲『冬眠する熊に添い寝してごらん』(初演2014年)を蜷川さんの依頼で書き下ろすにあたって古川さんは、「蜷川さんへの挑戦状のつもりで書きました」と製作発表で語ったという(※149)
また初日直前に書かれたエッセイでは「対決などという大それたことをするつもりはなかった。対峙しようと決めていただけだ」「できあがった戯曲は、どうやら蜷川さんを本気で困惑させている。つまりここに“本気”対“本気”がある。」(※150)と記していて、実際蜷川さんも「やりにくいものが来ることを期待して古川さんにお願いしたんですが、想像以上にやりにくい。まだ僕らが理解しえていない部分も何カ所かあって、初日までに解けるといいなってところです。三割くらい謎が残ってる。」「とにかく整理無視、ルール無視のホンですね。 だから裏方も苦労しています。」(※151)と大分苦しんだらしい。
膨大なト書きを適当に取捨選択すれば大分楽になったのだろうが、蜷川さんはいかなる時も台詞やト書きをいじらずその通りやるのが信条の人である(※140参照)(※152)。もちろん古川さんもそれを承知のうえで〈ト書きが異様に長い台本〉という挑戦状を用意したのだ。

といっても古川さんは悪意をもってそうしたわけではなく「あのニナガワに戯曲を依頼されたのだから、一〇〇パーセント本気で書こう」(※150参照)とした結果だった。そして「やりにくいものが来ることを期待して」とあるように、蜷川さんにとってこの困難は自ら買って出たものだった。晩年にあって自己のスタイルの解体・再構築を目指し続けた蜷川さんにとっては『冬眠する~』のような今までの方法論が通用しない戯曲はむしろ望ましかった。
となれば、井上さんの初期戯曲を高く評価する蜷川さんにとって近年の、というより最新の戯曲である『ムサシ』は、自分の好みに合わないことが想定されるがゆえにかえってやり甲斐のある作品だったのではないか。噂に聞く井上さんの大遅筆による迷惑をついに正面から被るに違いないことも、かえって燃える要因になったことだろう。

前回名前を挙げた清水邦夫さんも遅筆で知られた方だが、蜷川さん演出の『血の婚礼』(1986年初演)を執筆したさい、初日一週間前になっても全く台本ができていない状態にもかかわらず蜷川さんが先にセットを作り、それにインスパイアされた清水さんが10枚ほど書き、その10枚分の稽古の様子を見てまた触発されて書き・・・を繰り返して無事完成した(!)そうだが、蜷川さん曰く「ライブみたいなもんで、そういうときの清水の作品って、すごくいいんですよ」「“現在”というものが刻印されている気がして、ライブ感覚がすごくいい。言葉のライブ感覚。」(※153)
脚本家の遅筆ゆえに苦労を背負いこみながら、演出(セットの設定、稽古)・役者(稽古場での演技)・脚本が相互作用しながら作品が仕上がっていく過程を「ライブ感覚」として逆に楽しめる感性と強靱な精神力。近年の蜷川さんが即興的な演出を行うようになった(※151参照)のも「ライブ感覚」を重視する気持ちの表れなのではないか。
蜷川さんにとっては井上さんの遅筆に伴うさまざまな面倒事も、結果いい脚本が仕上がってくるなら、むしろ好ましい困難ですらあったかもしれない。井上さんも『ムサシ』執筆中に蜷川さん及び役者陣の訪問を受けて、生の藤原くんと小栗くんのやりとりに触れたことで筆が進んだ(※92参照)(※154)というが、これもまさに「ライブ感覚」の所以であろう。

井上さんの遅筆を「好ましい困難」と捉えたのは蜷川さんばかりではない。井上作品を数多く演出してきた鵜山仁さんは※153のトークショーの中で「僕なんかは「これからどうなるんですか」と伺うと、「いや、わかりませんよ」と言って、よーいドンなんで気楽なんですよね。」「(俳優から)「どうしたらいいんですか」と言われて「僕はわかりません」なんて言うと普通演出家としては具合が悪いんですけど、井上さんの現場は「いやあ、わかりません」と苦笑まじりに言っておけば、よーいドンで同じ目線で仕事ができる」(※155)と語っている。
同じく井上作品を多く演出した栗山民也さんも「井上さんはよく遅筆が話題になるけど、演出家の立場からすると、今の現代演劇の書き手から一年前につまらない台本をもらうよりも、井上さんの稽古場のほうが、より芳醇な時間を過ごすことができた。人生なんて結局、ラストシーンがあって、そこへたどる伏線を張って、それでこの人はどういう人だったのかなんて考えませんよ。その瞬間を必死に生きて、会話を交わす。どこへ行っちゃうのかなんてわからない。僕は、芝居はそういった瞬間の連続で作られていくのが一番面白いと思う。」(※156)と言う。

井上さんと親交のあった作家たちがその遅筆に苦言を呈している(※157)(※158)一方で、直接迷惑をかけられたはずの演出家たちが井上さんの遅筆ぶりを好意的に見ているのが面白いが(※Ⅹ)、考えてみれば栗山さんのいう通り、いかに時間的にはゆとりがあろうと、どう演出しても面白くなりそうもない箸にも棒にもかからないような作品を渡されるより、初日ぎりぎりの綱渡りであろうと演出し甲斐のある(役者にとっては演じ甲斐のある)名作を渡されたほうがどれだけいいかしれない。
そして「その瞬間を必死に生きて、会話を交わす。(中略)芝居はそういった瞬間の連続で作られていくのが一番面白い」とは蜷川さんの「ライブ感覚がすごくいい」に等しい見解であろう。ギリギリのスケジュールの中で演出家も役者も全身全霊をかけて奮闘することによって、かえってリアルな息吹のこもった芝居が生まれてくる。それはまぎれもなく「芳醇な時間」に違いない。
もっとも※153のトークショーの中には〈今回新国立劇場で連続上演した「夢三部作」は台本がぎりぎりだった初演に比べて「全然違うなぁと思うくらい、出来がいい〉」(※159)という話も出てくる・・・まあ確かにしっかり稽古する時間があった方がより完成度の高い作品になるのが普通だよなあ。

ちなみに井上さん自身は『代役』という短編小説(今村忠純さんはこの作品を「台本、演出、俳優、裏方たちへの、小説のかたちをかりた井上演劇論」と評している(※160))の中で、「その俳優が持っているものは初日の舞台にすべて発現される。もっていないものは出ない。それだけのことである。もしも台本がはやく上ればもっといい演技ができたのにという俳優がいるなら、彼はシェイクスピアの作品で名演技を示してくれなければならない。だが、決してそうはならない。」(※161)との見解を述べている。
これはさすがにちょっとヒドいというか議論のすり替えめいたものを感じる。役者にも向き不向きがあるわけで、シェイクスピアの舞台で名演技を示せない役者でも井上作品の再演─つまり台本が稽古初めから出来上がってる状態─では初演時よりいい演技をするかもしれない。俳優が無理に無理を重ねてかろうじて芝居として成立させたもの(「かろうじて」なので※159にあるように微妙な出来ばえだったりする)を〈実力のある俳優ならそれくらい出来て当然〉とばかりに開き直られると・・・。
さらに井上作品の多くはミュージカル仕立て、つまり歌があり、方言のある芝居も多い。歌も方言も通常の芝居以上に練習時間を必要とする。これを初日まで残り数日という状況で覚えろ、お金をとって観客に見せられるレベルに仕上げろというのだから無茶ぶりもいいところだ。

しかしこまつ座唯一の専属俳優として多くの井上作品に出演している辻萬長さんが〈井上さんの作品には多くの「責め」があるが、それをちゃんとやるとお客さんの拍手があるのが一番の喜び〉と語っている(※162)ように、その「無茶ぶり」は演じ手に俳優冥利に尽きる喜びを与えてもくれるものだった。
ぎりぎりに届く台本に四苦八苦し、そもそもちゃんと初日の幕が開けられるかどうかの不安にいらいらし続け──それでも井上さんの芝居に出ようという役者が引きもきらないのは、出来あがった台本が面白いからであり、難しいけれど演じ甲斐のある、役者を喜ばせるような仕掛けが用意されているからなのだ。

この無茶ぶり、難しいけれどやり甲斐のある仕掛けは演出家に対してもまた用意されている。蜷川さんは井上さんとの対談の中で、初めて井上戯曲を演出した『天保十二年のシェイクスピア』の時の経験を、「「ロミオ、ふわりと上へ上がる」なんてト書きがあると、どうやったらいいんだろう、と頭を抱えて悩むわけです。でもそこをリアルに変更してしまうよりも、工夫して本当に「ふわりと」ロミオが飛ぶと、客席からは大喝采が起きるんですよ。」と述べている(※163)
苦しいが、そこを抜けた先には喝采が待っている。そして苦しんだ分、自身も一つステップアップできる。苦しみと背中合わせのそんな喜びが俳優や演出家を井上作品へと惹きつけるのだろう。

(ちなみに舞台美術の大御所で蜷川作品も多く手がけている朝倉摂さんは、おそらくは蜷川さんを念頭において「あたしの場合は、演出家はわがままなことを言うほどいいと思ってるわけ。とんでもないようなこと、とてもできないようなことを言ってくれた方が、できることに近づき得るわけです」とインタビューで発言している(※164)。蜷川さん自身もスタッフに無茶ぶりし、その無茶ぶりをかえって慕われ望ましく思われているわけだ)

また※163の対談で蜷川さんは「僕は、何が嬉しかったかというと、生き返ったんです。井上さんの戯曲の言葉で。僕自身が蘇生した。井上さんはどうしてこんなに美しい言葉を書けるんだろう、どうやったら、こんなことが舞台の上で成り立つんだろう。この人の言葉を何とか自分のものにしたい……。三島由紀夫に対しても、寺山修司に対してもそうですが、その思いが、僕を芝居へと駆り立てているんだと思います。」とも述べている。
無茶な指定のト書きに挑むことのみならず、井上戯曲の言葉の魅力もまた蜷川さんの演出意欲を駆り立てるものだった。蜷川さんは「再生」という言葉を使っているが、上で書いたように自身の解体・再構築を目指していた蜷川さんにとって自分を「再生」させてくれる井上作品との出会いが実に大きかったのがわかる。

一方の井上さんも同対談で『天保~』の導入部について長かったト書きを削りに削って「「農民合唱隊が歌う」とそっけなく始め」たところが、「蜷川さんの手にかかると、皆が半裸で肥桶を担いで、とどろくような大合唱に生まれ変わっていた。稽古場で最初のシーンを見たときは、驚いて、面白くて、腰を抜かしそうになりました」「次々に繰り出されてくる色彩の組み合わせの面白さとか、役者さんたちの色気や熱気とか、大道具の出てくるスピードとか、芝居10本分くらいの手が使われていて、気がついたら4時間たっていました。自分の作品を通して、蜷川さんというのはすごい人なんだと改めて実感しました。」と興奮を表明している(※165)
ト書きでごく細かいところまで指定されていて演出の自由度の低い井上戯曲について、「演出家としては、こんなにうまく書きやがってもうやることないじゃないか、という思いもあるんですが、逆に敵愾心というか自尊心が湧くということもあるのです」(木村光一さん談、※86参照)、「木村光一さんが「(井上さんの作品は)僕がやっても君がやっても同じだね」と乱暴なことをおっしゃったことがあります。それだけ井上さんの戯曲は井上さんの色が濃いので」(鵜山仁さん談、※166)と演出家から冗談交じりの不満の声が上がる中、蜷川さんも「演出家の俺は、どこにやるべきことが存在しているのだろうかと思うのね。」と言いつつも、「ぼくはそういうとき、井上さんの本の中に生々しいものをちょっと入れたくなる。(中略)きっちり井上さんが計算して作ったものを、ちょっと亀裂を入れたくなるんだよ。」(※85参照)と独自の仕掛けを投げ込んできた。井上さんを驚嘆させた『天保~』の大合唱がいい例だろう。ト書きの指定は厳密に実行し台詞には一切手を加えない、元の戯曲を徹底して尊重しながら、井上さんの色に拮抗できる蜷川色を打ち出してきた。

井上さんは、その遅筆にめげることなくぎりぎりで届いた戯曲を一定以上の完成度を持った芝居に仕立ててくれる優れたパートナーとしての演出家たちと長く仕事をしてきたが、晩年に至って下手をすると自分の色を消されかねないような好敵手としての演出家と出会うことになった。
ただこれまではすでに台本の存在する既存の作品、演出プランに時間をかけることのできる状況があったが、新作ならばどうか。台本がぎりぎりに届くような状況でも蜷川さんはこれまでのように自分の色、独自の演出を入れ込んでくることが可能だろうか。
台本そのものはぎりぎりになろうとも、「演出家にどっさりと考える時間をさしあげなければならない」からと、「演出家に「世界」解読の鍵を呈上するため」に事前に長いプロットを書いて渡すことにしている(※167。もっともこのプロットも大分遅れがちではある)井上さんが、〈武蔵と小次郎以外は全員死者〉という根幹的設定をぎりぎりまで演出家にさえ洩らさなかったのは、『ムサシ』という作品を通して蜷川さんに勝負を挑んでいたからではないかという気もするのである。



※149-「製作発表で古川は「僕の初めての戯曲は、ト書き(登場人物に対するせりふ以外の動作や行動の指示)が異様に長く、蜷川さんへの挑戦状のつもりで書きました」。蜷川は「古川さんの小説は、現代の捉え方に劇作家と違う、独特の疾走感があって、ぜひ戯曲を演出したいとお願いしました。ただ、台本をもらって『えっ、古川さん、これどうやって演出すればいいの?』と思うことが次々と出てくる。でも、舞台化のハードルが高いことは、演出家として燃えます。もっと上に行ける可能性が生まれますから」と答えていた。」(高橋豊「舞台 冬眠する熊に添い寝してごらん 蜷川幸雄が燃えた古川日出男の挑戦状」、『週刊エコノミスト』2014年12月31日・1月7日合併号)

※150-「対決などという大それたことをするつもりはなかった。対峙しようと決めていただけだ。あのニナガワに戯曲を依頼されたのだから、一〇〇パーセント本気で書こう、と。差し向かいになり、「おれは一人の小説家として、曝されている」と感じながら筆を執りつづけようと。そして、そうした。できあがった戯曲は、どうやら蜷川さんを本気で困惑させている。つまりここに“本気”対“本気”がある。」(古川日出男「舞台初日三時間前のメッセージ」、『波』2014年2月号)

※151-「奔放な戯曲なので演出は全部難しいですよ。もちろんやりにくいものが来ることを期待して古川さんにお願いしたんですが、想像以上にやりにくい。まだ僕らが理解しえていない部分も何カ所かあって、初日までに解けるといいなってところです。三割くらい謎が残ってる。(中略)とにかく整理無視、ルール無視のホンですね。 だから裏方も苦労しています。最近の僕はやりながら作っていくから、その日その場で演出していく。はじめから全部プランがあって、建築のように構造的なものを作るわけじゃない。熊の穴をちゃんと寝られるようにとか、堤防作ってとか、大仏の扉は観音開きがいいとか、ほぼ即興演出です。スタッフは意地でしょうね。僕を喜ばせたい、古川さんを驚かせたい、そういう気持ちでやってるんじゃないかな。」(蜷川幸雄「舞台初日三週間前のインタビュー ─古川日出男『冬眠する熊に添い寝してごらん』」、『波』2014年2月号)

※152-「(唐十郎作の83年の舞台『黒いチューリップ』について)僕は演出家として、戯曲の台詞を変えず、ト書きを守るのを原則としています。唐さんは、ト書きの中で文学的に問い掛けてきて、僕はそれに対して演劇的に応えたつもりです。ト書きに書いてあることはすべてやりました。」(インタビュー・構成 高橋豊「蜷川幸雄インタビュー ファッショナブルな街にノイズを」(扇田昭彦ラ長谷部浩ラパルコ劇場『パルコ劇場30周年記念の本 プロデュース!』、株式会社パルコエンタテインメント事業局、2003年)

※153-「清水「『血の婚礼』って作品では、きみに迷惑かけたけど、今考えると、不思議な稽古だったね。まるでおくれちゃって、一週間前になっても台本ができない。ところが本がゼロなのに、「セットつくったぞ」って連れていかれて、セットを見ながら書き出した。書き出したって、一日十枚ぐらいできればいいところで、その十枚で稽古するわけなんだ。それを見て、ぼくがまた次を書いてくる。 蜷川「清水に体力があれば、そういうやり方をしたときの清水の芝居って、ぼくは好きなんです。『血の婚礼』がぜんぜんできなくて、ぼくがコインランドリーとビデオショップのセットをつくって、稽古場で遊んでいたんです。それがおもしろいんで、清水に「ちょっと見に来い、見に来い」って、ベニサン・ピットに来てもらったの。そうしたら清水が見て「あっおもしろい、書く」ってすぐ帰って、翌日十枚ぐらいくれた。それをもらって、みんな初見で稽古していく。清水はこっち側で見てて帰る。すると、次が出てくる。それをもってくると、またみんながやりながら、清水は見ている。で、また帰って書く。その繰り返しを一週間ぐらいやってできた本なんです。ライブみたいなもんで、そういうときの清水の作品って、すごくいいんですよ。そういうきみの芝居がぼくは好きなの。(中略)文学的に言ったらいろいろな問題はあるのかもしれないですけど、なまの演劇として、パフォーマンスとして、すごく生き生きとしてておもしろいんです。“現在”というものが刻印されている気がして、ライブ感覚がすごくいい。言葉のライブ感覚。」(清水邦夫ラ蜷川幸雄「ぼくたちの青春 ぼくたちの演劇」、『KAWADE夢ムック 文藝別冊 蜷川幸雄 世界で闘い続けた演出家』(河出書房新社、2016年)収録、初出1995年)

※154-「びっくりしたのは、『ムサシ』という新作をやったとき。僕らこまつ座のときの新作は大事に鎌倉の自宅で書いてらっしゃるから、絶対に邪魔しないようにということで、ひたすら待つだけだったんですが、『ムサシ』のときは井上さんのところに陣中見舞いに行こうということになって、そんなことしたらと僕は内心思っていたんですが、実はそれが大成功で、藤原竜也と小栗旬が出ていて、彼らは若いから井上さんもあまりご存じないふうでしたが、井上さんの自宅にみんなで行った次の日に出てきた原稿がすごかった。まさに当て書きの、若い2人のキャラクターを生かしたすごい台詞が出てきて、そのときは新作で苦闘しているときでも井上さんのところに行ったほうがいいんだと思いました。」(「「東京裁判三部作」新国立スペシャル・トーク ─井上ひさしの現場─」(出席者 辻萬長・鵜山仁、聞き手・大笹吉雄、http://www.nntt.jac.go.jp/library/library/theater_talk07_03.html)より辻さん発言。

※155-「僕なんかは「これからどうなるんですか」と伺うと、「いや、わかりませんよ」と言って、よーいドンなんで気楽なんですよね。」「(俳優から)「どうしたらいいんですか」と言われて「僕はわかりません」なんて言うと普通演出家としては具合が悪いんですけど、井上さんの現場は「いやあ、わかりません」と苦笑まじりに言っておけば、よーいドンで同じ目線で仕事ができるんで、新作をやらせていただくときは妙に気楽に入っていけたというか、実はそういう感じでした。」(「「東京裁判三部作」新国立スペシャル・トーク ─井上ひさしの現場─」(出席者 辻萬長・鵜山仁、聞き手・大笹吉雄、http://www.nntt.jac.go.jp/library/library/theater_talk07_02.html)より鵜山さん発言。

※156-「井上さんはよく遅筆が話題になるけど、演出家の立場からすると、今の現代演劇の書き手から一年前につまらない台本をもらうよりも、井上さんの稽古場のほうが、より芳醇な時間を過ごすことができた。人生なんて結局、ラストシーンがあって、そこへたどる伏線を張って、それでこの人はどういう人だったのかなんて考えませんよ。その瞬間を必死に生きて、会話を交わす。どこへ行っちゃうのかなんてわからない。僕は、芝居はそういった瞬間の連続で作られていくのが一番面白いと思う。」(井上麻矢・栗山民也・辻萬長「追悼 こまつ座が見た井上ひさし 待たされた、ダマされた──だけど楽しかった」、『文藝春秋』2010年6月号)

※157-「永六輔は、ひさしについて話をすることについて、これだけは書いてくれないと、と条件を提示した。筆者も約束を違えるわけにはいかないのでここに紹介しておこう。 「ひさしさんはすごい人ですけれども、台本が遅れるのは許しません。遅れても本が良ければ許されるというのは、一回二回限りです。慣例になってしまってはいけません。俳優というのは弱い立場にいるのです。立場の弱い役者をいじめちゃいけません。初日に緞帳を上げられなくては劇作家とはいえません。天才ですから、彼の周囲には累々と仲間がころがるのは仕方がないことことかもしれませんけれども、それを見ているのは、正直いってつらいです。」(桐原良光『井上ひさし伝』(白水社、2001年)

※158-「井上さんは一〇回、舞台の幕が開かなかったことがあるんです。心のやさしい、いい人なのにどうして、芝居の初日までに台本が届かないということが演者や演出家、劇場の経営者にとってつらいことかわからないんだろう。わからんはずがないと思うんだけど、そこだけはどうにもならないところがありましてね。幕が開かなかったことが一〇回で、開かなくなりそうなことは、そのまた三倍くらいはあったんじゃないかと思いますけどね。」(阿刀田高「小説の書き手として、読み手として」、菅野昭正編『ことばの魔術師 井上ひさし』、岩波書店、2013年)

※Ⅹ-ちなみに井上さんの遅筆のためにおそらくは最大の被害を被ったと思われる人物──(3)-13で触れた公演中止になった舞台『パズル』のプロデューサーだった本田延三郎さんの娘である青木笙子さんは「パズル事件」に関してこう書いている。「八十三年一月十二日から三十一日に西武劇場で予定されていた「パズル」が、公演間近になって中止になった。それまではぎりぎり公演に間に合った。だから今度もそうなるにちがいないと、本田は踏んでいただろう。しかし、間に合わなかった。 中止と決断するに至るまでの、井上ひさしの苦闘がどんなものか、とうていわかるものではない。なんとか完成させねばという焦りといらだちが極限に達し、それでも書けないとわかったときの無念さ。すでに公演日程も決まり、それに向けて関係者は動いている。それでもどうすることもできない。書けない。中止だ。そう決意するまでの長い時間、地獄を見た思いであったろう。」「スタジオジブリ発行の「熱風」(二〇〇五年五月号)には、特集記事として「僕が演劇を続けてこられたわけ」というテーマで、四人の演劇関係者が文章を寄せている。そのなかの一人、渡辺さん(管理人注・こまつ座の渡辺昭夫氏)は「早送り “私”のこまつ座二十年」という題で書いている。(中略)「天才とただの男が仕事をするということはどういうことだろう。理屈抜きに感じていた恐怖があった。自己の存在にかかわることだった。」 この部分を読んだとき、本田の姿が重なった。父も同じ思いではなかったかと。渡辺昭夫はそれを知っていた。だからこそ、同じ制作者という立場以上のものを本田に感じていたのだろう。井上ひさしの恐ろしいほどの才能、そして温かい人柄は誰もが魅せられる。一緒に仕事をする人間は心酔しきってしまうのではないか。それがどういう結果をもたらすか。それが「理屈抜きに感じていた恐怖」という言葉になって出てきたような気がする。 「天才とただの男が仕事をするということ」の怖さを、渡辺昭夫は「パズル事件」にも見たにちがいない。(中略)井上ひさしの原稿の仕上がりに本田はこれまでも何度もはらはらしてきたが、それでも結果として間に合った。今度も大丈夫だ、そう信じていたのだろう。でも、間に合わなかった。どの世界にだってそんなことはいくらでもある。誰が悪いのでもない。今回はうまくいかなかった、それだけのことだ、本田はそう思っていたにちがいない。 誰かに、何かに賭ける──それは本田にとって幸せなことだった。「才能」に賭ける──渡辺昭夫もそうだったのではないか。でもその結果、何かが見えなくなる、見えなくさせられてしまう。その何かがわからないから、「恐怖」という言葉になって出てきたのだろう」(青木笙子『沈黙の川 本田延三郎 点綴』(河出書房新社、2011年))。この事件のせいで相当の迷惑を被ったはずなのに、井上さんに恨み言を述べずかえって彼の苦しみを思いやる青木さんの寛容さには驚くが、本田さんが井上さんの遅筆にさんざん振り回されながらも幸せだったはずという確信があればこそなのだろう。ちなみに本田さんは戦前プロレタリア演劇同盟の中核人物だったためにたびたび検挙され、ゆえに「小林多喜二の検挙・虐殺は本田の「自白」に基づくものではないか」との不名誉な疑いを長らくかけられていたが、井上さんは遺作となった戯曲『組曲虐殺』の中で多喜二逮捕をお膳立てしたのが特高警察のスパイだった三船留吉であったことをはっきり描いている。この作品の取材のために青木さんからご両親の日記を借り出したりもしていて、執筆の動機のうちには、かつて大迷惑をかけた罪滅ぼしのために本田さんの無実を作品を通して世に知らせようという意図もあったのかなと思ったりします。(「渡辺さんからお願いしたいことがあると電話を受けたのは、二〇〇九年の初夏だ。井上ひさしが『組曲虐殺』を書くにあたって、小林多喜二と同時期に築地警察署にいたわたしの父の何か資料でもあればという話だった。直接当時のことと関係はないが、父の日記と母の日記が手元にあったので、それでよければと、その日に持参した。(中略)しばらくして本田の日記が戻ってきたときに添えられていた手紙には、丁寧なお礼の言葉とともに「本田延三郎様が、あの時代に生き抜くことのできなかった(官憲の拷問などによって)方々の生命を受けついでこられた!それはプロデュースされた演劇作品になって結実していると思います。本田さんの生命も、本田さんが手がけた井上作品を上演することで、私たちも引きつがせていただいているとも感じております。八月三日」と書かれてあった。」「昭和八年二月二十日正午、小林多喜二は同志今村恒夫とともに赤坂溜池付近で拘束され、その夜京橋区(現・中央区)築地警察署で、特高刑事によって拷問の果てに殺された。 その一週間前、二月十三日、父本田延三郎は検挙され、同じ築地警察署に留置、取り調べを受けていた。 このことが本田にとって、のちに決定的な「烙印」を焼き付けられることになる。小林多喜二の検挙、虐殺は本田の「自白」に基づくものではないか、ということが、当時もまた後にも囁かれもし書かれもした。 本田は終生、これについて自ら何の弁解もしなかった。ただ戦後、「五月舎」を立ち上げたとき、劇作家の井上ひさしにだけは、事実の一部を伝えていたようである。井上は最晩年「組曲虐殺」の構想に際して、この歴史的事実を徹底的に検証していった。井上の取材に全面協力した渡辺昭夫から、一冊の資料を手渡された。司法省調査部作製の極秘資料「司法研究」報告書二十八輯九「プロレタリア運動に就ての研究」(昭和十五年三月)というものだった。これを読むと運動に携わってきた人たちの動向を司法局は同時点で完全に把握していたということがわかる。」(青木前掲書)。余談ながらこの『沈黙の川』には蜷川さんの舅にあたる生江健次氏((3)-※39参照。共産党員で小林多喜二とも本田さんともプロレタリア運動に関して直接接触があった)も登場している。井上さんも当然生江氏のことは知っていたでしょうが、蜷川さんの身内だと気づいていただろうか。

※159-「大笹「この夢シリーズも初演はたいへんだったようですが。」  鵜山「僕は現場にいなかったんですが、3本ともそれぞれぎりぎりでしたね。」 大笹「だから、というとちょっとおかしな言い方になるんですけど、今回の連続上演は初演とは全然違うなぁと思うくらい、出来がいいんですよね。」(「「東京裁判三部作」新国立スペシャル・トーク ─井上ひさしの現場─」(出席者 辻萬長・鵜山仁、聞き手・大笹吉雄、http://www.nntt.jac.go.jp/library/library/theater_talk07_02.html)より大笹さんと鵜山さん発言。

※160-今村忠純「解題」、『井上ひさし短編小説集成第7巻』(岩波書店、2015年)

※161-「読者のなかの、さらに心ある方々はこうおっしゃるかもしれない。「いくら創作劇だからといっても、やはり台本は早く上るにこしたことはないではないか。仕上りのおそい役者は、台本がおくれると困るだろう。彼らに発酵する時間を与えなさい」と。 一理はある。とくに台本の最後の一枚が舞台稽古の三日前にようやくできあがったというような忌わしい前歴をもつぼくには、これは恐しい批判である。しかしあえて強弁すれば、俳優の演技に、おそい仕上りだの、はやい仕上りだのというものはない。その俳優が持っているものは初日の舞台にすべて発現される。もっていないものは出ない。それだけのことである。もしも台本がはやく上ればもっといい演技ができたのにという俳優がいるなら、彼はシェイクスピアの作品で名演技を示してくれなければならない。だが、決してそうはならない。」(井上ひさし『代役』、『井上ひさし短編小説集成第7巻』(岩波書店、2015年)収録、初出1985年)

※162-「大笹「書き手としては、役者を責めているというとおかしな言い方だけれど、苦しませたあげくに花を咲かせる仕掛けがありますね。」 辻「井上さんの芝居をやっていていちばんの喜びというのは、いまおっしゃったようにいろんな責めがあるんですよ。なんでこんなことやらなくちゃいけないんだと思うんですけど、それをやるとちゃんとお客さんの拍手がある、ご褒美が待っている、これがいちばんいいですね。」 大笹「いわゆる「かせ」というんでしょうか、それが何重にもあって、「かせ」が重くかかってくればくるほど、芝居としてもおもしろい。俳優としてもやりがいがあるわけでしょ。そして、それを抜けたらお客さんの拍手が待っていると、それこそ私は俳優の経験がないので味わったことがないけれども、うまくいったらこれは俳優冥利につきると思いますね。」 辻「『雨』で最後に白装束をおたかが着せるじゃないですか、やっぱり着せるというのは実はすごい技術なんですよ、しかも着せながら山形弁でしゃべる。それをやるとお客さんがわぁとくるから、それが井上さんの舞台をやっていちばんの喜びですね。」(「東京裁判三部作」新国立スペシャル・トーク ─井上ひさしの現場─」(出席者 辻萬長・鵜山仁、聞き手・大笹吉雄、http://www.nntt.jac.go.jp/library/library/theater_talk07_04.html)より大笹さんと辻さんの発言。

※163-「あと、僕の場合は何とかして戯曲の「言葉」に拮抗したいなあと思っている。今回も、印刷された上演台本のほかに、井上さんの手書きの修正が入った原稿をテーブルの上に置いているわけです。どこをどう直したか、たとえば「ね」を消して「と」にしたとか、そういうのがヒントになる。僕は台本の言葉は変えないで一字一句そのままやりたいので、役者にもすぐ「語尾を変えるな!」って言うし、飛躍しているところ、よくわからない部分はパズルを解いているみたいな感じです。たとえば井上さんの「ロミオ、ふわりと上へ上がる」なんてト書きがあると、どうやったらいいんだろう、と頭を抱えて悩むわけです。でもそこをリアルに変更してしまうよりも、工夫して本当に「ふわりと」ロミオが飛ぶと、客席からは大喝采が起きるんですよ。」(「演劇界の両雄、初顔合わせ 「リア王」よりも「怒れるジジイ」でいたい 井上ひさしラ蜷川幸雄」、http://hon.bunshun.jp/articles/-/4861、初出『オール讀物』2006年1月号)

※164-「強固な美意識をもち、鮮烈で躍動的な動きを重視する蜷川幸雄演出と組むことで、朝倉摂の世界はそれまで以上に躍動的になり、重層的になり、視覚性も強くなった。 雑誌『新劇』(白水社)一九八〇年五月号に掲載された座談会「舞台空間の可能性」で朝倉摂さんはこう語っている。 「あたしの場合は、演出家はわがままなことを言うほどいいと思ってるわけ。とんでもないようなこと、とてもできないようなことを言ってくれた方が、できることに近づき得るわけです」 要するに、常識を破り、舞台美術家に難しい課題を突きつける「とんでもない」演出家のほうがスリリングで好ましいというのである。具体名は出していないが、「とんでもないようなことを言う」演出家として朝倉さんが蜷川幸雄をイメージしていたのは確かだろう。」(扇田昭彦「きっぱりとした国際派─朝倉 摂」、扇田昭彦『才能の森 現代演劇の創り手たち』(朝日新聞社、2005年)収録、初出2000年)

※165-「削りに削って「農民合唱隊が歌う」とそっけなく始めました。あとはすべて蜷川さんにお任せしようと……。それが蜷川さんの手にかかると、皆が半裸で肥桶を担いで、とどろくような大合唱に生まれ変わっていた。稽古場で最初のシーンを見たときは、驚いて、面白くて、腰を抜かしそうになりました。あの通し稽古はすごかったですね。自分が作者であることも忘れて唖然として観ていました」「次々に繰り出されてくる色彩の組み合わせの面白さとか、役者さんたちの色気や熱気とか、大道具の出てくるスピードとか、芝居10本分くらいの手が使われていて、気がついたら4時間たっていました。自分の作品を通して、蜷川さんというのはすごい人なんだと改めて実感しました。」(「演劇界の両雄、初顔合わせ 「リア王」よりも「怒れるジジイ」でいたい 井上ひさしラ蜷川幸雄」、http://hon.bunshun.jp/articles/-/4861、初出『オール讀物』2006年1月号)

※166-「木村光一さんが「(井上さんの作品は)僕がやっても君がやっても同じだね」と乱暴なことをおっしゃったことがあります。それだけ井上さんの戯曲は井上さんの色が濃いので、「あれは僕だっけ、君だっけ」みたいに、(笑)とぼけた言い方をされることがあるくらいで、つまり強力な井上さんの世界があるものですから、それを変にゆがめるとか、趣向の変わった演出でどうのこうのというのを考えるより先に、まず台本がないですからね。(笑)それ、戦略じゃないかと思うくらいですけど。」(「東京裁判三部作」新国立スペシャル・トーク ─井上ひさしの現場─」(出席者 辻萬長・鵜山仁、聞き手・大笹吉雄、http://www.nntt.jac.go.jp/library/library/theater_talk07_02.html)より鵜山さんの発言。

※167-「俳優が生きなければならぬ「世界」を解読するのは演出家の仕事だ。この仕事がうまく行われると、どこのどんな台詞がどんな意味をもち、どんなふうに云われなければいならないかが明らかになる、仕草にしても同じことだ。演出家は自分が解読したことを正確に俳優へ伝え、俳優はその指示を己が肉体へ取り込む。つまり俳優の肉体のなかに演出家が移り住むのである。(中略)したがって俳優と演出家とのもっとも仕合せな関係は、演出家のもろもろの指示を俳優が充分に吸収しつくして、ついには演出家の存在がまったく俳優の肉体のなかに溶けて消えてしまうことにあるといっていい。こうなるためには演出家にどっさりと考える時間をさしあげなければならない。ぼくが百枚以上も筋立(プロット)を書くのは、演出家に「世界」解読の鍵を呈上するためである。」(井上ひさし『代役』、『井上ひさし短編小説集成第7巻』(岩波書店、2015年)収録、初出1985年)
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