about him

俳優・勝地涼くんのこと。

『ムサシ』(2)-6(注・ネタバレしてます)

2016-10-16 12:06:38 | ムサシ
・舞台下手の階段を降りて二人が去ったあと、そちらを窺いながら武蔵が両手に刀を持って登場。寝ている小次郎の部屋に入ると刀を部屋の隅に置き、胸から扇子を取り出して警戒しながらそっと突きを入れぱっと身を引く。
寝ているとはいえ、いや寝てるときだからこそ、天才剣士小次郎にうかつに近づけば一瞬で反撃をくらいかねない。それを警戒してるのはわかりますが、恐る恐る近づく→ぱっと突いてぱっと引く動きが何度も繰り返されるのでつい笑ってしまう。
同時に、素早く安定した動きに藤原くんの運動能力を感じてちょっと感心してしまいました。

・繰り返し突かれても無反応だった小次郎が、三度目に突かれる直前にがばと起き上がる。「第十八位」と低い声で一言告げる小次郎。なんか心なし威厳が備わってきたような(笑)。妙にいい声だしなあ。

・「おぬしには、そのようなもったいない血は流れておらぬ」と言っても、「鏡が合って第十八位」と動ぜずに無表情に言う小次郎。このとき鏡合わせるジェスチャーをしてるのがちょっと面白いです。

・鏡の謎はまだ解けていないが、自分たちは何か途方もないものの罠にはまっている、そいつらの正体をつきとめれば鏡の謎もおのずから解けると武蔵が懸命に説いても、「解けないうちは第十八位」と全く声の乱れない小次郎。腕も無防備に投げ出したまま。
何か巨大な敵が身に迫っているという話なのにこの無感動ぶり。それ以前に宿敵武蔵の前でこうも無防備でいるというのがありえない。そもそも自分に話しかけているのが武蔵だと言うことさえ認識できているのだろうか?
単に皇位継承権第十八位に目がくらんでるだけでなく、魂抜かれてでもいるんじゃないかと疑いたくなります。武蔵が脱力するのも無理からぬところ。

・「庫裡の唐櫃から太刀を持ってきてやったぞ」と両刀を小次郎のそばに置いて、いつでも抜けるように持っておけと言う武蔵。
剣客が明日の朝斬り合おうという相手に別の敵を倒すためとはいえ刀を渡してやるとは。自分たちの他は皆その「途方もない者」の一味らしい状況にあって、武蔵の中で小次郎が〈同志〉のポジションになっているのがわかります。
しかし「いつでも抜けるように」なんて言わでもがなの忠告までされてる小次郎が情けないったら。

・武蔵の言葉にまるで反応せず、小次郎は左右をゆったり見回し「母上は、いづこか」と惚けた顔でいう。何となく貴族的鷹揚さを思わせる雰囲気。
それにしても小次郎が母親のことに言及したのはここが初めてなのである。これまでずっと第十八位第十八位ばっかりで。一応「母上」「いづこにおわすか」と丁寧な言葉を使ってはいるけれど、母そのものへの敬意、恋しさより、自分の血筋を保証してくれる存在として大事に思ってるみたいに感じるんだよなあ。

・「すっかり魂を抜かれてしまったな」と言いつつ、武蔵は扇子をとって小次郎を叩き、ぱっと身構えるが小次郎は惚けたまま無抵抗。ふだんのおぬしであれば、こう打ち込まれれば素早く打ち返してくるはず、それがどうした隙だらけではないかと言いながら言葉の間で膝や肩や頭も打つ。
「母上はいづこにおわすか」と凛とした声で聞いてくる小次郎の頭をまた打つ。打たれ放題なのに妙に態度だけは堂々としてるんだよなあ。すっかり剣客じゃなくて第十八位の親王になりきっちゃってるような感じです。

・「あのまいという女はおぬしの母ではな・い!」。「な」の後と「い」の後で扇子で一度ずつばしばし叩く。
「まったく打ち放題、打たれ放題ではないか。かつての佐々木小次郎はどこへ行ってしまった」と叩きまくりながら言う武蔵。「かつての佐々木小次郎」の方はともかく、少し前の「ふだんのおぬしであれば~打ち返してくるはず」という台詞には〈普段の小次郎を語れるほど小次郎のこと知らないでしょうが〉とツッコんでみたくなる。
彼らは六年ぶりに再会したばかり、しかも3日ばかり一緒にいたに過ぎない。にもかかわらず〈普段はこう〉だと口にしてしまうところに、自分は小次郎のことを(そして小次郎も自分のことを)よく理解している、同じ剣客として通じ合っているという確信、親近感が窺えて、なんだか微笑ましくなります。

・胸をおさえて「あ、鏡がない」と緊迫感のない声で言う小次郎の頭をさらに打つ。「鏡のことは忘れろ」と、手さぐりで布団まわりを探そうとする小次郎を両脇に手を入れて引きずり起こすと、ついでに掛け布団もさっと畳んでスペースを開ける。
さらに小次郎の肩を後ろから引き寄せて半ば向かい合った体勢になると、ため息をつきながら緩んでいた懐を合わせてやる。もはや小次郎の保護者というより母親のよう(笑)。
もっとしゃきっとしろ、という意味合いなのはわかるんですが。武蔵を見つめる小次郎の目も子供のような無防備さです。

・「小次郎、よいか、よく聞くのだぞ。あの女に、さきほどこっちから罠をかけてやった」と言いながら扇子でばしっと背を打つ。
小次郎は気のない様子で視線を流してしまうが、やがてまたぼんやりと武蔵に視線を戻す。そうした仕草もどこか子供じみていて、ばしばし叩かれてるにもかかわらず、武蔵を自分の味方として認識してるように思えます。
懐を合わせてくれたのも抵抗せず受け入れていたし、むしろ敵として認識していないからこそ平気で叩かれるままにしているというか。武蔵の方も「よいか、よく聞くのだぞ」という口調がもう、子供に言い聞かせるような調子になっています。

・まいの芸名の変遷を具体的に上げる武蔵。一つ言うごとに小次郎の胸を扇子で打つが小次郎は無反応。しかし「仙台で笹阿弥」のくだりで、ふいに目に生気が戻り武蔵の顔を扇子で打ち返す。
いててと額を押さえて離れながらも「しかしうれしい。やっと、ふだんの小次郎に戻ってくれたな」と武蔵は言う。その言葉通り、いつもの顔に返った小次郎はいぶかしげな表情を浮かべている。
何がきっかけで正気に返ったのかはわかりませんが、まさに夢から醒めたがごとくで、自分が今どこで何をやってるんだかとっさに呑み込めてないんでしょうね。ともあれ小次郎の剣客の本能に賭けて攻撃しつづけた武蔵の粘りが報われました。

・続く「常陸で水戸阿弥」のくだりでは、小次郎の方から扇子で打ち込むのを武蔵が扇子でぱっと受ける。「銚子で沖阿弥」で武蔵は防戦の構えになるが小次郎は呆然とした表情で打ちこまず。武蔵が姿勢を戻しながら「九つ、浅草で海苔阿弥」と言うと、小次郎が「最後にこの鎌倉で舞阿弥」と引き取る。
小次郎が少しずついつもの自分を取り戻してゆくのをユーモラスに見せています。最後小次郎が心なし面映そうな表情になるのも、さっきまでの自分の体たらくを思い出して恥じ入ってる感があり、彼が本当に正気に返ったのだと感じさせます。
しかし小次郎が打ち返して以降の二人の攻防の何やら楽しげなこと。何だかじゃれあってるみたいにも見えます。

・「おぬしが皇位継承順位第十八位で逆上あがって失神したあと」、今の中の三つをわざと抜かしてあの女にこう聞いた、「「巡業先は七つで、名前の阿弥号も七つですね」とな」。
小次郎はっとした表情で「それで!母上の答えは!」。武蔵は小次郎の額を扇子で打って、「しっかりしろ。あの女はおぬしの母ではなく、ウソつき女なのだよ」「わしの、わざとまちがえた問いに、あの女は「うん」と大きくうなづいたのだ。どういうことかわかるな」「・・・・・・わが子と泣いて別れた、悲しい、つらい旅、その最初の巡業地を忘れるのはおかしい!」小次郎は最初は考え込みながら、最後には武蔵の方を振り向いて力強く言い切る。
途中ではまだまいを「母上」と呼ぶなど完全には幻惑から抜けていなかった小次郎が、武蔵に促されてとはいえ彼女の話がおかしいことをはっきりと指摘した。小次郎が自分の意志をはっきり取り戻したのがわかります。
しかし「皇位継承順位第十八位で逆上あがって失神した」って、改めて言われると何か情けないなあ・・・。

・「六つ目は仙台の笹阿弥。これはどうだ」「仙台は大当たりを出したところ。ひと月も日延べをしたと言っていたはず」「それほどありがたい土地を抜かしても、気がつかなかったのだぜ」「なるほど、少しは読めてきた」「あの女は、自分で云った旅はしていない、その場の思いつきを並べていただけだ」。
途中で庭に下りて稽古を始めたりしてたくせに、二人とも実によく話を記憶してるものだ。口にしたまい本人ですらちゃんと覚えてなかったというのに。
・・・幽霊になる前の本業も白拍子だったまいが本当に少し前に口にしたばかりの台詞を忘れるものだろうか?後に乙女が今回の芝居の筋書きを書いたのは自分だと明かしているし、小次郎との母子関係の証明となる鏡の残り半分を事前に(鏡の存在がわかった第一夜の時点から)あつらえてるくらいだから、「偽の母子ご体面」はその場の思いつきで仕組まれたものではない。
十分な練習時間があったとまではいえないし、巡業地と阿弥号だけまいのアドリブということも考えられはするが、もしかすると武蔵に罠を仕掛けられたとき、わざと嘘を見抜かれるように謀った可能性もあるのかも?

・「この三日のうちにおきたことを、一つ一つ、思い返してみた。すると・・・・・・、」と話す武蔵を「待て!」と小次郎が遮ると刀を手に取り、一本は差し一本は手に掴む。そして「足を結び合っていれば、おのずと友情が芽生えるという柳生宗矩どののお策、あれはおかしい」と強い口調で言う。
武蔵も「あんな馬鹿げた策が柳生新陰流にあるはずがない」。乙女が父の仇討ちをやめたのも「ああ、(と思い当たった明るい表情で)あれはわしらにうらみの鎖を断ち切れと云っていたのだな」。沢庵の大構想も「わしら二人に、刀を抜くなと諭していたのさ」。平心坊の法話も「わしら二人に(中略)友達になれと、そう説いていたんだな」。「仕上げが偽の母子ご対面よ」。
口々に二人は参籠禅のメンバーの行動の裏を言い当てていく。宗矩の「柳生新陰流両固め」の奇妙さを武蔵をさえぎってまず小次郎が指摘するあたり、先に武蔵の示唆でまいの嘘を悟ったのを皮切りに、彼の頭が冷静に回転し出したのがわかる。同時に刀を手にして臨戦態勢を取ったことで、彼の内でこんな大がかりな罠を仕掛けた〈敵〉への警戒心が強まってるのも伝わってきます。
そして「あんな馬鹿げた策が柳生新陰流にあるはずがない」のくだりで客席から笑いが。改めて言われるとつくづく馬鹿げてますもんね。

・「おぬしを雲の上の、そのまた雲の上の貴い御方に仕立てあげて、わしに切らせぬよう企んだ」と武蔵が言うのを受けて「皇位継承順位第十八位か」と小次郎は憎々しげに言う。
見事に騙された、それも名誉欲─虚栄心の強さとその背後にある出自へのコンプレックスに付け込まれた結果ですからね。恥ずかしくもあり憎らしくもあって当然でしょう。

・これを企んだのは狐稲荷や狸のような、そんな一通りの代物ではないという武蔵に、しばし考えたのち小次郎は「わかった。これは大公儀の企みだ」「将軍家の政治顧問柳生宗矩とその禅の師沢庵が加わっているのが、なによりの証拠よ」と勢いづくが、武蔵は「わからぬ」と沈鬱に答える。「大公儀の企みだ」の後で小次郎が武蔵の方をぱっと見たのに武蔵は反対を向いてしまったのも、武蔵が小次郎説に納得してないからでしょう。
小次郎も「だが佐々木小次郎と宮本武蔵の試合を止めて、大公儀にどんな得がある!」と力強く続けてるくらいで、肝心の部分を説明できない大公儀犯人説に彼自身満足していない。武蔵は腕組みして「わからぬ」。
「いったいだれが、ぜんたいなんのために、われらに切り合いをやめさせようとしているのか」「わからぬ」。ただ「わからぬ」ばかり繰り返す武蔵に「・・・わからぬわからぬといっているばかりでは、なにもわからぬではないか」とついに小次郎が怒る。まあ、真面目に考えろと叱りつけたくなるような応えではあります。

・「だが、一つ、わかっていることがある。」「戦うのだよ小次郎」と武蔵は突然たすきをかけ始める。
「わからぬ」の連続からいきなり「戦うのだ」と続くこの急な態度の転換に小次郎のみならず観客も戸惑わされる。そうして一瞬戸惑わせてから、自分と小次郎が戦えば自分たちの戦いを止めようとしてきた連中の仕掛けを潰すことになるからだと武蔵に説明させて腑に落ちるよう仕向ける。ミステリー的な効果が効いています。
そしてあれこれ考えるより、実際に戦うことで敵をあぶり出そうとする武蔵は、知性派に見えても結局は脳筋というか根っからの剣客なんですねえ。
武蔵の真意がわからぬうちから「まず、わしとおぬしが戦うのよ。時刻は少し早いが、いま、果し合おう」と言われて「望むところだ」と受けてしまう小次郎も、謎の敵のことを一瞬忘れて武蔵と戦えることを喜んでしまってるあたり、これまた根っからの剣客っぷり。「いま、果し合おう」と言われた直後に「いま」と繰り返しつつ不敵な笑みを浮かべるあたり、本当に嬉しそうでしたし。

・自分たちが刃を交えたとたん、やつらの仕掛けは全て水の泡になる、「したがって、われらが戦うことがそのまま、やつらをやっつけることに通じる」と説明する武蔵に、鉢巻きをしながら小次郎は「あいかわらず戦略に長けているなあ」と応じる。
揶揄する感じでなく素直に称賛してるような声色。「そこだけは小次郎の及ばぬところよ」も本気で感心してるような響きです。

・「やつら、果たし合いの最中に現れて、止めに入るかもしれぬな。そのときこそ、やつらの正体がわかる!」と意気込んで武蔵を見る小次郎。こちらも鉢巻きをした武蔵は無言で受けて刀を取り、小次郎もまた刀を取る。
ここで武蔵が「われらの勝負は早い。おそらく一太刀で決まるだろう。勝ち残った者がやつらの正体を見破ることができよう」と驚くべきことを言う。予定を繰り上げて小次郎と戦おうと言い出したのは、〈敵〉の企みを潰すため、連中を引っ張りだすための方便で、いざ切り合うと見せて敵が現れたら二人してそちらに立ち向かうのかと思いきや、本気で小次郎と切り合うつもりらしい。
それも「勝ち残った者がやつらの正体を見破ることができる」、つまり負けた方はやつらの正体を見破れない(切られて死んでいるはずだから)ということで、真剣で勝負する以上当然とはいえ、どちらかが死ぬのを前提としているのだ。何だかんだ言ってもこれだけ仲良くなったのに、いまだ殺し合う気満々なのである。
しかも「だがそんなことはもはやどうでもよい。いまはおぬしと素晴らしい試合がしたいだけよ」。今この場で果し合う原因となった敵のことさえ、最高のライバル小次郎との試合の前には「そんなこと」扱い。本末転倒というべきか、もともと小次郎と仕合うつもりだったのだから初志貫徹というべきなのか。
先に敵をあぶり出す目的にもせよ武蔵と戦えるのをまず喜んだ小次郎の方も「おぬしと二度にわたって立ち合うことができるとは、この小次郎も仕合わせ者だな」。・・・なんかもう、二人ともこんなに幸せそうなんだから好きなように戦わせてやればいいじゃないかと言いたくなってきます。





ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 『ムサシ』(2)-5(注・... | トップ | 『ムサシ』(2)-7(注・... »

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL