about him

俳優・勝地涼くんのこと。

『ムサシ』(3)-7(注・ネタバレしてます)

2016-12-13 20:30:41 | ムサシ
ついで宗矩と沢庵による「侍どもに刀を抜かせない妙案」。
先に乙女の仇討ちを止めようとした際に沢庵は「殺生はいかん」、宗矩は「争いごとはいけませんよ」という言い方で反対を唱えているので、つい彼らが平和主義、ヒューマニズムから刀を抜かせまいとしているかに思ってしまうが、(2)-4で突っ込んだように、彼らが、というか将軍家の兵法指南役兼政治顧問である宗矩が侍に刀を抜かせまいとするのは幕府を安泰に保つため、要は自分が所属している組織の権益を守りたいがゆえなのである。
当然それは将軍家、秀忠と家光の切望するところでもある。むしろ能を隠れ蓑に家光と政治についての相談をしているのだという宗矩の言葉からすれば、沢庵に「侍に刀を抜かせない妙案」を尋ねること自体家光の依頼かもしれない。
自身が地方の一領主から国の頂点に成り上がるまでは武力を存分に用いておきながら、いざトップに立つと真逆のことを始める。宗矩が最初に「侍どもに刀を抜かせない妙案」を沢庵に相談したさいに太閤秀吉の刀狩り令に触れているが、自分の地位を脅かしかねない他人に武力を持たせておくのは脅威であるという心情が最高権力者に共通のものであることを端的に表している。

しかしこの「侍どもに刀を抜かせない妙案」に比べて、妙案を提供する交換条件のはずの〈大徳寺住持選定に対する幕閣の差出口を封じる〉についてはあまりクローズアップされない。宗矩による活人剣の何たるかの説明のあとにそれを応用しての「侍に刀を抜かせぬ策」を沢庵が披露したさいに「大徳寺の件、なにとぞよろしく」「心得た」という会話が交わされるのみである。
この一連の流れについて、武蔵は翌日「侍に刀を抜かせてはならぬという沢庵大和尚の大構想も、わしら二人に、刀を抜くなと諭していたのさ」と総括しているが、それを言いたいだけなら宗矩が沢庵に一方的に「刀を抜かせぬ策」を相談した設定でもよかったのである。なぜわざわざ大徳寺の件などに言及する必要があったのか。
(3)-4で書いたように天皇家の権威をかさにきる滑稽さを表したかったというのもあるかもしれないが、沢庵の方も交換条件を持ちかけている設定によって、将軍家と天皇家にそれぞれ近しく発言力も大きい二人がこっそり幕府と禁中の先行きに関わる取引を行っているという秘密会合の雰囲気が醸しだされている。
実際宗矩は「その妙案を聞き出そうとおもって、この参籠禅に加わっている」と言い、沢庵も「(大徳寺の件について)秀忠さまや家光さまに、さようお取りなしいただきたいのだよ。宗矩どのをこの宝蓮寺にお誘いしたのも、それがあってのこと」と話している。
上で引いたように宗矩と家光は「お能を政治の隠れ蓑」にしているそうだが、ここでは参籠禅もまた政治の隠れ蓑として利用されている。参籠禅の最中にもかかわらず仇討ちの相談を始める乙女たちを「これが座禅か!」と叱りつけた沢庵だが、自分だって禅を政治に利用しておいて言えた立場かというものだ。こんなところで密やかに国の行く末は決定されているわけである。

ところでこの「能を隠れ蓑に政治に相談をしている」という話のすぐ前で、宗矩は『孝行狸』の筋は家光の発案によるものだと明かしている。
具体的に引用すると「泥舟で沈められたあの古狸に、親に煮似ぬ孝行息子があったとせよ。その孝行子狸の仇討が舞狂言にならないだろうか。宗矩、考えてまいれ」。
なぜ家光はこんな題材で狂言を作ることを宗矩に命じたのか。普通に考えればこれは儒教的な孝の精神を、新作能を通して鼓舞しようとしたものだろう。つまり家光は、子が親の仇を討つことは孝心の証として推奨されるべき事柄だと捉えているのである。
江戸時代は仇討ちが公式に認められていて(武家の場合だが)、むしろ親を殺された犯人が逃亡した場合それを見つけ出して仇を討たなければならない社会的圧力さえあった。
幕府としては別段仇討ちを奨励していたわけではなく、仇討ちを免許制にしたのも逆恨みなどによる不当な復讐を防ぐためだったと思われるが((2)-※18で井上さんも幕府の〈できるだけ刀を抜かせないようにする〉政策の一つとして「仇討ちが免許制になった」ことを挙げている)、一方で乙女のように子が親の、忠助のように家来が主人の仇を討つのは正義の行いであるとする庶民感情は強く、幕府もこれを無視できなかった。というより次代の将軍自身も(朱子学を通して?)忠孝の精神の発露である仇討ちを〈正義が悪をくじく〉勧善懲悪のドラマと見なしていたんじゃないか。
その家光の意を受けて仇討ちがテーマの能を製作中の宗矩が「争いごとはいけませんよ」と乙女の仇討ちを止めようとするのだから、いわば二枚舌である。

二枚舌といえば活人剣自体もそうである。「一人を殺すことで万人が救われるときは、殺すのが正義としている」というのが活人剣の定義であり、活人剣を振るうときは己の内の「三毒」を断つことが必須だと宗矩は説明するが、(3)-3で書いたように本気で三毒を断とうとすればノイローゼに陥るわけで、そうなれば結局活人剣を行使することはできない。
万人を救おうと志を立てても剣を抜く前の段階で躓いてしまい、結局万人を見殺しにするほかはない。柳生新陰流の秘伝中の秘伝と言いつつ、つまるところ活人剣とは幻にすぎないのではないか。
宗矩の話を聞いた沢庵が「侍に刀を抜かせぬ策」として「刀を抜くことができるのは、心に三毒を持たない者だけ」とすればいいと提案したさいに「しかし、そんな完璧な人間は、だれ一人としておらぬぞ」と答えたのなどまさに語るに落ちたというべきか、活人剣の奥義に従うのなら「だれ一人として」─つまりは宗矩であってさえ刀を抜くことはできない、それでは活人剣とは存在しないも同然であろう。
要するに『ムサシ』を見るかぎり「活人剣」は存在そのものに無理があるのである。

(ちなみに「そんな完璧な人間は、だれ一人としておらぬぞ」発言のほんの直前では、この朝の仇討ちのさい自分自身に刀を向けた乙女に向かって「そのうちに柳生新陰流のうちの活人剣の免状を贈ろう」などと言っている。
乙女を〈三毒を断った〉と認めたそばから三毒を持たない、断つことのできる人間は「だれ一人としておらぬぞ」とは矛盾も甚だしい。(3)-6で書いたように刀を振るった後になって三毒を断った乙女が活人剣の免状に値するとは思えないので、リップサービスと思って流しておくのが妥当なんだろか)

刀剣はいまや美術品のカテゴリーだが、もともとは人切り包丁である。殺人兵器を携行することは認めておいてしかし使用することは認めないというのは筋が通らない。
「なぜ、武士に太刀を帯びることを許しておいでなのですか」「それはつまり、万一の場合には、抜いてもよいということではありませんか」という武蔵と小次郎の言い分の方がよほど筋が通っている。
それこそ(3)-3でも書いたように刀そのものを取り上げてしまった方がよほどすっきりするし、〈全国諸藩三百万の侍どもが江戸城に押し寄せてくる〉心配などしなくて済むようになるだろう。
秀吉時代に刀狩り例によって民百姓から刀を取り上げ、彼らが一揆や謀叛を企てることができなくした(実際にはそれほど徹底したものではなかったらしいが)事に言及しておきながら、宗矩は武士階級に対して同じことをしようとはしない。あくまで刀を抜かせぬ工夫、武士に刀を帯びさせたままそれを実戦に使わせない形にこだわるのは何故なのか。

その理由は「四海波静かにて・・・・・・という新しいご時勢が、わが柳生新陰流の「争いごと無用」を選んだわけだ。」「その名、天下に隠れもなき二大剣客のご両人、剣を振り回せばことがすむ時代は終わりました」という言葉に総括されているように思える。
戦乱の世が終われば刀の出番はなくなる。のみならず既得権益を維持したい支配階級にとって刀、剣術は自分の足下を脅かしかねない存在として弾圧の対象にすらなりかねない。
宗矩は将軍家の政治顧問であり、大名の国替えなどにも関わっていると自ら明かしていたくらいで辣腕の政治家としての側面を持っていたが、やはり第一に彼は剣客であって、親から受け継いだ柳生新陰流を守っていこうとする立場にあった。
泰平の世で新陰流が、剣術が生き残っていくにはどうすればいいのか。その手段として彼は新陰流がもともと持っていた「争いごと無用」の精神をなお押し進め、活人剣は人を救うための剣、新陰流は泰平の世を治めるための思想と位置づけることによって、新陰流、ひいては剣そのものの生き残りを謀ったのではないだろうか。
本来人を殺すための道具を人を救うための道具だと言い立てるのだから無理矛盾が生じるのは当然のことだ。それを何とか力業でごまかし将軍家を丸めこむことで、泰平の世に剣術を残すことに成功した。
諸般三百万の侍から刀そのものを取り上げなかったのも、宗矩が新陰流だけでなく剣術全般を守ろうと考えていたからだろう。新陰流の安泰を願うだけなら、現代において基本警官と自衛隊員にのみ武器の携行が許されているのと同様に〈旗本御家人など幕臣のみ帯刀を許可する〉という形にしてもよかったはずだ。将軍家に剣術指南役として仕えつつ、こうした幕臣たちを門下生とすれば柳生新陰流の繁栄は約束されそうなものだ。
そうすれば諸般三百万の侍の反乱を気にしなくてもよくなっただろうに。そうしなかったのは、他の流派も含めて剣術そのものが生き残れるよう配慮していたからではないかと思うのである。
もっともその場合新陰流を学んだところで刀の腕を活かした就職口は激減するわけだから、結局は門下生が減ることになってしまうか・・・そういう計算もあったのかもしれない。
ともあれ人切り包丁を人助けの道具と無理やりこじつけて、平和な世の中に剣術を残そうと奮闘している宗矩から見れば、剣術の将来などまるで念頭になく、昔ながらの流儀で刀を振り回し勝敗優劣を競うことしか頭にない武蔵と小次郎は、年下ながら考えの古い、頭の固い人間と思えたことだろう。

つまるところ、「活人剣」──振るい所のない人を活かす剣とは、『ムサシ』の世界においては宗矩本人も実用性を信じていない、〈平和な時代に適した剣法〉の看板を掲げるための方便だった。
そして活人剣を振るうに足る聖人君子が存在しないように、あらゆる侍が処罰怖さではなく良心のゆえに自主的に刀を抜くことを放棄することも──それこそ日本中の侍がノイローゼに陥りでもしない限り─起こり得ない。
これは「アラーの神を信じる人びとに、イスラム世界といえど、その他の世界に背を向けては生きて行けないことを知ってもらう」「アメリカにはその独歩主義を改めてもらう」((3)-※24参照)より以上の難題、というか完全に不可能だろう。人は正気のままでは争いを起こさずにいることができない、という実に悲観的な結論がここには表れている。
そもそも争いごとを起こすまいと思う動機が将軍家においては自身の地位を安泰に保つため、宗矩においてはそんな将軍家の方針下で「争いごと無用」の看板を武器に生き残るためであり、その一方で孝行のための仇討ちはむしろ美談として歓迎する有様である(この点においては宗矩は微妙だが)。子が親の仇討ちを行う分には幕府の足下が脅かされることがないからだろう。
脅威となりうる侍たちをこぞって禅病─ノイローゼにしてしまおうというのも幕府の(つまりは自分たちの)安寧のため──。一見平和主義、ヒューマニズムと見えるものが、実際には多くの場合において権力者の都合でしかないという身もフタもない事実がこのエピソードには読み込まれているのである。
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