ぎょうりやま

かいちょうさんの日記

変わらぬものとは

2017年04月01日 | 日記
信者さんが高齢化する
一人いなくなる
また、一人いなくなる

若い世代の丹精が行き届かない
若い世代が道につかない

教会に人が居なくなる
月次祭を会長家族だけで勤める
この先、どうなってしまうのだろう
不安が心をよぎる

だが、良く思案すれば
所詮、万分の一として始まった道

天理教会と言うて、国々所々印を下ろしたる。年限経つばかりでは楽しみ無いから、一時道を始め付けたる。神一条の道からは、万分の一の道を付けたのやで……明治30年7月14日「おさしづ」

眼前の姿に捉われていては真の活路は見いだせない
神の道はいついかなる時も不変不動の道

教会の再生と神の道とは別問題

変わらぬものとは

神の道
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14 コメント

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意識は変わらない (大和川)
2017-04-04 11:31:58
神の道は放って置いても良いのではないのでしょうか。それは自動的に成ってくるでしょう。問題は教会、真実の親を広める人が居ないと、どうにもならない、真実の親を広める力が教会ではないのですか。今では真実の親は、ようぼくの意識(心)を使ってしか表現出来ないと思うし…
お道と天理教の違い (さざ波)
2017-04-04 18:20:20
お道は絶対不変の真理。
天理教は流動的な組織。時代の変化により組織形態も変革しなければ淘汰される。天理教には変革(イノベーション)する意識が低い。いずれ衰退・消滅するだろう。これも成ってくる理だろうか?神のみぞ知る。
さざ波さん (大和川)
2017-04-05 07:27:14
意識には高いも低いもありません。組織にも意識はありません。意識は個々の心の奥にあるのです。意識から立ち現れる自我の心の力がすべてを成していくのです。私は天理教を諦めていません。勇気を力に変えて真実の親を広めます。
大和川さんへ (さざ波)
2017-04-05 11:57:46
天理教は組織・団体名です。期待したり諦めたりする対象ではありません。人間(ようぼく)の集合体です。個々の意識改革があればすぐにでも変化します。心の持ちようです。意識が低いというよりも、無関心な人が多いのかもしれません。真実の親などと抽象論では何も変わらないでしょう。
Unknown (こせつ)
2017-04-05 16:58:06
天理教は不滅です^^

ただし
多くの教会がなくなると思います

それは
神の道が分かっていないからです
楽しみとしてやる (大和川)
2017-04-05 20:27:50
天理教=だめのおしえです。組織のことを言っているのではありません。
広めることが是とわかっていながらしないという選択をするのであれば、ゼロに何を掛けてもゼロという答えが待っていますが、やると言っているのですからゼロには物理的にならないのです。
抽象的な神様は (大和川)
2017-04-06 12:46:54
たすけをせきこんでおられるが、変革はせきこんでおられない。それを言うのは誰でしょうか、それを言う人にさせればいいのです。変わらんが誠ではなかったのでしょうか。
不易流行 (大和心)
2017-04-06 20:49:03
世の中には変わらないものと、変わるものがある。変わらんが誠とは、不易のこと。変わらず残るには変わり続けなければならない。抽象論や観念論だけではあなたの頭の中だけの信仰論にすぎないのではないか。自己満足の世界ですね。
すべての (大和川)
2017-04-07 07:19:30
外的なものは、見るものの状態で印象が変わるもので、かりもののからだと心を同一視している限り、自己の外にある組織や世界の現れもからだと同等のものと考えてしまいす。そのために疑問や不足が生まれます。私たち信仰者は取り込む印象に左右されないで不動の心で幸福を味わえば良いのです。不易と流行は確かに世界の現れの中に存在しますが、私たちはあるがままにそれらを見ていればいいのです。自己が満足している限りにおいては平和はそこに在るのではないのでしょうか。それに、信心は一名一人であったはずですが…
自己満足の信仰 (さざ波)
2017-04-07 12:02:49
現在の状況に満足しているのでればそれで良いのでしょう。信仰は一人一人違うのですから。それでも現状を変えるべきだと考える人もいます。特に教会長の中には。あるがままでよいのであれば、わざわざ投稿なさらずに、自己満足の世界に浸っていればよいのではないか?自分以外は別世界というよりも考えで。
自己満足の信仰 (さざ波)
2017-04-07 12:03:35
現在の状況に満足しているのでればそれで良いのでしょう。信仰は一人一人違うのですから。それでも現状を変えるべきだと考える人もいます。特に教会長の中には。あるがままでよいのであれば、わざわざ投稿なさらずに、自己満足の世界に浸っていればよいのではないか?自分以外は別世界という考えで。
不足は切る理 (大和川)
2017-04-08 06:59:06
やるべき事は、においがけ、1日たとえ50人でも一対一で布教するのであれば何かが待っていますが、その泥臭い事を、色々な理由付けでやらないければ、何も待っていない。やるべき事が解っていながら、変革だのイノベーションなどと組織や他人任せにしている限り自己満足の信仰さえ出来ないでしょう。先の楽しみ(不安)や過去の喜び(哀しみ)を感じている今を見ているのは誰でしょう。それは私(自己)ではないでしょうか。では、もう一度だけ言います。自分の課題(目標)をやって下さい。それから現れる世界を見てください。ありかとうございました。
変わらないものと変わるべきもの (さざ波)
2017-04-08 11:55:28
アドラーの唱える課題の分離のように自分は自分、他人は他人というよりも考えでもいいでしょう。他者の脳内に入る事はできない。身体は借り物、心のみが我が物である。他人の心の作用に介入できない。このこと、これかも変わらない。絶対不変です。ただ自分は自分の事だけやればいいという考えだけでは世の中は良くなりません。我さえ良ければとなります。べき論でもダメです。他人に価値感を押し付けるだけです。毎日においがけして何十人と声かけして済むなら続けてください。あなたのやるべきことを。現状に満足しているなら他人にとやかく言う必要もないでしょう。変わるべきものも存在することを知るべきです。
さざ波さんへ (大和川)
2017-04-08 12:09:59
あなたが、おみち本部の人と勘違いをしてしまい、むきになりました。あなたも同じ道を歩む教友だったのですね。私は道の後ろの方を歩む未熟な者です。其々の意識はたとえるならば、大海の泡でそれが、弾ければ皆同じ大海。その大海の意識こそが真実の親と知りました。故に何に対しても別とは思わないのです。元はひとつです。今(刹那)が私で現れの全てが私と認識しております。さざ波さん、ご無礼がありましたことお詫びします、お許し下さい。

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