ぎょうりやま

かいちょうさんの日記

引き寄せられた魂…関根豊松語録

2017年04月10日 | 日記
このお道は、自分で聞いて、自分で信仰しているのではありません。神さまが引き寄せておられるのです。
……
ですから皆さんも、こうしてここに集まっておられますが、これは誰がどうしたんじゃないんです。もう自分の魂がどうしても道を聞かなくちゃならなくなってくると、存命の教祖がこの道にお引き寄せくださるのです。
……
自分で話を聞いているように思っておりますが、自分で聞いているんじゃない。聞かされているのです。
……
これは自分でやっているんじゃない。……神様が私を使っておいでになる。神様に使われている。……
……
この事がはっきりと分かってくると、さあ、行く道は、どう行くも、こう行くもありません。神さまがちゃんと通る道をつけてくれます。それを確り通っておったら何も困ることはありません。もし困ることが出来てきたら、どうしたんだろうと言えば、お道の精神が心から消えているのです。形だけは信仰しておりますが、形だけで、腹の中に信仰がございません。そうなると必ず困りごとが出てきます。ちゃんと通れなくなってしまう。
……
さあ、そこで皆さんも良く考えてごらんなさい。これは自分で聞くんじゃない。みんながここへ来るのは神様が引き寄せて、そうして教えてくださっているのです。ですからその理を軽くしてはいけません。その理を重んじて、これから先、心に置いて、しっかりと通させてもらう。
……
自分が聞いているんじゃない。人間が説いているのでもない。神様が聞かして下さっているんです。人間を道具に使って、神様が手引きして教えて下さっているんです。自分がしているのではなく、神様がしているんですから、これはやり切ることが肝心なんです。この理をよく皆さん方、覚えておきなさい。自分で聞いたんじゃない。神様が、魂を拵えた順番で引き寄せておられるのです。ですからこれなくては行くにいかれません。聞かせて頂いたら、本当にそれを信じて、信じ切れるまでやり切って行く心が必要でございますから、固く申し上げておきます。これを簡単に聞いて、いい加減な事をしておいでになりますと、道を聞いて、誠にお気の毒なことがでてきます。救かる道が救からない道になってしまいます。それは理を軽くしておいでになるから、そういうことが起きてくるんです。救かったら、それでお終りではないのです。救かれば救かるほど、自分に厳しくして行かなければなりません。そこが信仰です。信仰とは救かれば良いというものではありません。そこで自分を許してしまうのは信仰ではありません。信仰というものは断じて自分を甘やかす事無く、命の限り教えを守り抜いて行く、これが信仰の根本でございます。しっかりと皆さんもお聞きになり、そうして自分が救かったからいいのではなく、家庭が確り救からなくちゃいけません。家庭が救かるのには、人を救ける道がなかったら、家庭は救かりません。
……
ですからお道というものは、真実に人を救ける心が信仰というのでございます。手を合わして拝むのが信仰じゃございません。人を救ける心になるのが信仰という精神である。その道を正く通させてもらうのが信仰というのでございます。
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