2アウト満塁!

Hi!yoccoで~す

長崎くんち2014 中日

2014-10-26 | わからん長崎

10月7.8.9日の3日間をそれぞれ前日・中日・後日と言います
この3日間、踊り町は大人はもちろん、子供も朝から晩まで大忙しです
中日は主に庭先回りなので、街を歩いていると
各踊り町の一行に出会うこともしばしばです
【銀屋町・鯱太鼓】
重い傘鉾を抱えて歩くのも大変でしょう

今日も高く投げ上げられましたが、山車の上で太鼓を叩く子供たちは平然とバチを操っています

【麹屋町・川船】



【五嶋町・龍踊】

この日も朝早くから駆り出された子供たちはお疲れモード・・ なだめすかすお母さん方も少々お疲れのよう

※ 予約投稿です


14.10長崎旅行・長崎くんち


長崎くんち2014 前日

2014-10-23 | わからん長崎

前にも触れましたが、今年も長崎くんちに行って来ました
長崎くんちは、諏訪神社の祭礼で10月7日から9日までの3日間催されます
7日はおくんちの前日まえびと言い、奉納踊は午前7時から始まり
諏訪神社に祀られている三体の御神体は午後1時に御旅所おたびしょに下ります
私たちは、この お下り の後、午後4時から始まる「くんちの夕べ」を見ました

興善町こうぜん  
傘鉾
垂の文様は五彩の瑞雲と三社紋
本踊り
石橋
文殊菩薩の浄土へと続く石橋しゃっきょうの、蝶が飛び交い、牡丹が咲き乱れる幻想的光景を表している

八幡町やはた  
傘鉾
朱塗の弓立てに弓矢と白鳩三羽が留まる飾り
垂にも白鳩三羽がはばたく姿が描かれている
剣舞
町内の八幡神社の開祖が修験者で あったことにちなんで山伏道中も奉納
弓矢八幡祝い船

万才町まんざい  
島原町と称される町でしたが、明治5年に明治天皇の長崎行幸を記念して萬歳町と改称されました
傘鉾
飾りの朱盃に萬歳の金箔文字は平和祈念像の
制作者・北村西望 氏、満百歳の揮毫
所望踊り「長崎万歳」
老いも若きも皆さん楽しそうに歌って踊って・・
YouTube にもアップされていました
本踊り 新邦楽「祭礼祝長崎万歳(まつりをいわうながさきばんざい)」

【銀屋町】
傘鉾
飾りには、水しぶきを上げて飛び上がる金色の鯉
垂もそれに合わせてか新綴織の荒波模様
バチさばきも鮮やかに、勇猛な据え太鼓演奏
これから始まる演し物に気分も昂ります

鯱太鼓
金色の鯉を載せた重さ約750キロの山車を掛け声に合わせて投げ上げる鯱太鼓
1982年、眼鏡橋ほか2橋が一部崩壊、6橋は流失してしまう長崎大水害で町は大きなダメージを受け
元気になれる何かを、誰もが求めていました
銀屋町は20年近く踊り町から遠ざかっていましたが、「くんちに出よう」と仲間に呼び掛け意見を出し合い
中国古来の「蓬莱鯱ほうらいこ伝説」に則って、鯱が天に昇り黄金の龍となって吉祥をもたらすストーリーに
町の復興への願いを重ねました  そして3年後の85年、銀屋町は21年ぶりに踊り町に復帰しました
写真は山車を高く投げ上げた瞬間ですが、どのくらい上がるか動画でご覧になりたい方は こちら

【五嶋町】
傘鉾
虫籠に菊とススキをあしらった飾りに
前日の垂は、日本三景綴織出し
楽隊だけでも63名と言う大所帯
メリハリの効いた色とデザインの衣装が目を引きます
とくに、子供たちは男の子も女の子もとても可愛い

今年から白龍が増えて2頭になった五嶋町の龍踊じゃおどり
龍踊の中でも一番歴史の浅い五嶋町の特徴は高さとスピードです

【麹屋町】
傘鉾
献上梅と根〆熨斗の飾りに三社紋ちらしの垂
川船
網打ち船頭が投網で魚を獲る場面
川船を奉納する踊り町は7ヶ町ありますが、麹屋町の川船は現存する川船では最大級だそうです
中島川に隣接するということから山車には緋鯉、真鯉の二匹の鯉を飾っています
写真のように演技の途中、鯨の潮吹き ほどでないけれど、水を噴く川船は麹屋町だけです

西濱町にしはまの  
傘鉾
文化・文政年代作の源氏絵具箱に紅葉、菊花をあしらった飾りと、前日は文久2年(1862)作、中国姑蘇十八景図の垂


上段
ウィーンフィル・クラリネット主席奏者ペーター・シュミードル氏を迎えて”長崎くんちラプソディー龍船じゃぶね”の演奏
下段
豪快に回転しながら桟敷に向かって高圧ガスのジェットスモークを吹きつけるサプライズ
龍船は長崎の貿易商・荒木宗太郎 に嫁いできた、ベトナムの王族の娘アニオーさんが乗って来た船を
イメージしたもので、くんちの山車の中では最大級で、屋形が舞台に早変わりする仕掛けもあります


14.10長崎旅行・長崎くんち


長崎くんち2013 後日のはずが・・

2014-01-31 | わからん長崎

暫く自身の備忘録を兼ねて昨年10月の長崎、10月と11月の瀬戸内国際芸術祭をアップいたします
「来年の話をすると鬼が笑う」けれど・・ 古い話をひきずっていると鬼も呆れかえるでしょうね~

先ずは、風邪で年内に完結しなかった「長崎」から
お天気に恵まれた長崎くんち前日まえびの7日、台風24号の接近で大荒れの中日なかびの8日
そして、台風一過の9日は・・ おくんち初心者の私たちは当然 諏訪神社で奉納踊りを
観られるものと思っていたのですが、中日と後日が9日以降に順延となってしまいました
後日の奉納踊りを観たら、最終便で東京に帰る手筈となっていたので 運よく当たった
観覧券は、長崎入りした日に知り合ったEさんに譲って夕方まで長崎市街を散策です

聖福寺しょうふくじ
この狛犬、奈良美智よしともさんが描く 女の子 に似ていると思いませんか? とくに左の「吽」の方(笑

大雄宝殿 延宝6年(1678)創建

瓦塀
明治初期 聖福寺の末寺が廃寺となる際、廃材の鬼瓦や様々な瓦を積み重ねて作った塀
映画『解夏』のロケ地にもなっています

【蕎麦家】
前回も今回もお世話になった 御飯 の姉妹店で、御飯同様 古民家を改造したお店です
突出しつまみ盛り合わせ
おろしそばかき揚げせいろ

【庭先回り・鯨の潮吹き】
威勢よく潮を吹いて水は無くならないの?と思っていたら、途中 鯨の後ろに付いていた軽トラックから水の補給です

【ツル茶ん】
長崎初の喫茶店「ツル茶ん」は、長崎特有のミルクセーキ発祥の店でもあり、創業100有余年だそうです


【丸山界隈】
丸山町手前の船大工町にある福砂屋本店石造りのレトロな交番から先は丸山町
史跡料亭「花月」長崎検番
丸山町は、なかにし礼原作の映画『長崎ぶらぶら節』の舞台となった花街跡

【庭先回り・阿蘭陀万歳】

長崎ぶらぶら節でひと踊り テレビ取材も来ています

2013年長崎くんち・13.10長崎旅行・うまいもん・長崎の猫

台風24号が接近!

2013-12-28 | わからん長崎

10月8日はおくんちの中日なかびでしたが、台風24号が接近して長崎市内にも暴風警報などが発表されたのに伴い
八坂神社や公会堂での庭先回りは延期にになり、個々の庭先回りもほとんどを見合わせていました
傘もレインコートも持ってはいたのですが、強風に煽られても歩きやすいよう上着とオーバーパンツの雨具を
コンビニで購入して、風雨の様子を見ながら街歩きをしました
先ずは、6日の夕食の際に隣り合わせた人から情報収集した中町教会へ・・

【中町教会】
ステンドグラスが美しい中町教会は明治時代、フランス人女性の寄付で大村藩の蔵屋敷跡に建築されました
長崎に現存する数少ない被爆建造物のひとつでもあります

【東山手洋風住宅群】(市指定有形文化財)
狭小な宅地に7棟もの建物が建つため、居留地内の他の宅地に比べて密集した形態となっています
建物は意匠・仕上げが質素であり、擬洋風的であること、構造材料が各棟ほぼ同一であることから
社宅または賃貸住宅等として計画的に建設されたことが推定されます

東山手洋風住宅群からオランダ坂を下り、平たんな道を右に曲がると
長崎教会と、アパートのような佇まいの日栄湯が隣り合わせにありました
お昼頃になると雨が強くなってきました(日栄湯の屋根付近に雨が見えます)

【孔子廟】

中国人が海外で建造した唯一の孔子廟は明治26年(1893)建立

浜町はまのまちアーケード】
雨が激しい時はアーケード街に限ると、長崎市を代表する商店街 浜町アーケードに入ると・・
いましたぁ、本石灰町の御朱印船を曳く庭先回りの一行が  ラッキ~~
ついでに、遅めの昼食を済ませて、雨が小やみになったすきに長崎歴史文化博物館へ移動

長崎歴史文化博物館
豪快なくんち衣装・刺繍入り獅子舞唐子衣装(前)豪快なくんち衣装・刺繍入り獅子舞唐子衣装(後ろ)
旧長崎奉行所の石段をエントランスに活用黒川紀章設計

* 激しい雨の中を歩く *
【一覧橋】
初代の石橋は1657年架設、その後1795年流出し1801年再架設
昭和57年(1982)の長崎大水害で再び流出し、現在はコンクリートアーチ橋

とうとう雨、風ともに激しくなりシャッターを押すこともままなりません
夜中に台風が通過すれば、明日(おくんち後日)は予定通りかも・・ と淡い期待を抱きながら
路面電車に乗ってホテルに帰ります


13.10長崎旅行・博物館めぐり・長崎の橋・NIGHT BIRD

長崎くんち2013 前日

2013-12-25 | わからん長崎

色づく葉が少しでも残っているうちにと【紅葉】を先にアップしましたが
中断しておりました【わからん長崎】の続きを、備忘録として再開いたします
まことに勝手ながらコメント欄はしばらく閉じることにいたします

諏訪神社での、おくんちの奉納踊りは前日まえびの10月7日と後日あとびの9日に行われます
昨年は桟敷席をとりましたが、真正面の長坂から観たいと、今年は往復はがきで応募したところ
運よく前日(16:00~の回)も後日(8:20~)も長坂整理券が当たりました
いずれも開演2時間前に集合しなくてはならないので、前日の午前7時からの回の人は大変です

* 諏訪神社長坂 *
長坂から踊り馬場を見る踊り馬場から長坂を見上げる

【桶屋町】
傘鉾3歳から中学1年の子どもたちが参加する踊り

本踊り

【船大工町】
傘鉾網打ち船頭は小学4年生

川船が激流に逆らいながら果敢に進む様子を表現しています

【丸山町】
奉納の挨拶傘鉾

長崎検番の芸妓 茶々丸さんと美代菊さんが踊るのはとび職の頭をまねた男踊り

本石灰もとしっくい町】
傘鉾御朱印船

豊臣秀吉から朱印状を受け、ベトナムなどと貿易をした荒木宗太郎の御朱印船の、ベトナムから日本までの大航海物語

【栄町】
傘鉾唐子のかわいい踊り
長崎に漂着したふたりのオランダ人が、生計を立てるために万才を始めたという設定のコミカルな踊り
男性が主役の「万蔵」「才蔵」を演じるのは今回が初めてだそうです
幼馴染の、万蔵・才蔵役ふたりの踊りは息ぴったり町娘とチビっこ阿蘭陀万歳も加わって

【万屋町】
傘鉾小学5年生の親爺おやじ船船頭が歌う勇み唄

鯨の潮吹き
4,5mは吹き上がるという鯨の潮のしぶきを浴びながら「ヨッシリヨイサ」の掛け声で
2トン以上ある鯨を前進・後退そしてぐるぐると回転させる様子は勇壮です


午後4時から始まったおくんちの奉納踊りが終わったのは、すっかり夜の帳が下りた7時半頃でした


13.10長崎旅行・長崎くんち

長崎 唐人屋敷跡

2013-11-26 | わからん長崎

キリスト教文化が色濃く残る外海地区から一転、聖俗混交の長崎市街へ戻ってきました

* 唐 人 屋 敷 跡 *
元禄2年(1689)に、中国人貿易商たちの居住区として、約20棟の長屋が建設されましたが
天明4年(1784)の大火で関帝堂を残して全焼し、その後 唐人は自前の建築を許されるようになりました


【土神堂】

土神様は福徳正神とも言われ、家や土地の守り神で豊作の神様です

【福建會館】
主要部は和様の造り、外壁煉瓦造の天后堂は架構法なども純正な中国式を基調とし、一部木鼻や欄間は和様
中国系テレビ局の取材のようです 神通力で海難から守ってくれるという伝説の女神・媽祖まそ2体が祀られています

【観音堂】
入口のアーチ型の石門は唐人屋敷時代のものと言われています
本堂には観世音菩薩と関帝を安置  基壇には 合端合せ の技法が見られ、沖縄的な要素もうかがえます

【天后堂】
南京地方の人々が航海安全を祈願し、天后聖母を祀ったのが起源と言われています

【唐人屋敷跡界隈】

館内町は、昔ながらの市場や古い石段が残っており、どこか懐かしい生活感が漂っています


13.10長崎旅行

続・長崎外海 隠れキリシタンの里

2013-11-20 | わからん長崎

【大野教会堂】(国指定重要文化財)
海を見下ろす傾斜地に静かに佇む大野教会設立は、身体が衰えた人が出津教会に行くのは難しいことから
明治26年(1893)、この集落のために大野教会が建てられました 神父は常駐せず、出津教会の神父が
定期的に巡回しました
元来この地方には水平に割った石材を、天川あまかわと呼ばれる砂・石灰・ノリ・スサの充填剤を用い積み上げる
伝統工法がありましたが、出津教会主任司祭として赴任したド・ロ神父が、これを元に石材に玄武岩を、
充填剤に赤土を用いる工法を考案しました   これを「ド・ロ壁」といいます
ド・ロ壁は、建築工法の希少性はもちろん、僻地に着任した外国人宣教師が土着の工法を上手く活用した、
つまり西洋と日本の技術が融合した事例としても注目すべきものです

【出津教会】(県指定有形文化財)
さだまさし原作の映画「解夏」のロケ地として有名になった出津しつ教会は、明治15年(1882) ド・ロ神父の設計で
建てられ、明治24年(1891) 一部改造 同42年、祭壇の屋根にある既存の装飾等以外に鐘塔を設けた珍しい
外観の玄関部を増築し、現在の教会の形が整えられました  外壁は煉瓦造り、玄関は石作り、内部は木造、
三廊式の漆喰塗り平天井  瓦葺の屋根は海岸に面した風の強い立地条件を配慮して低くなっています

【黒崎教会】

遠藤周作の小説『沈黙』の舞台ともなった黒崎の地に建つ黒崎教会は明治30年(1897) ド・ロ神父の指導で
敷地が造成され、同32年(1899)から建設計画が進行、大正9年(1920)に完成
信徒が奉仕と犠牲の結晶としてひとつひとつ積み上げた煉瓦造の平屋、桟瓦葺さんかわらぶきの簡素な構成が煉瓦の
美しさを際立たせており、深い奥行を持つ内部はリブ・ヴォールト天井と呼ばれ、ステンドグラスが印象的
付属する鐘楼は隠れキリシタンの帰依を願って設置されました

【旧出津救助院】(国指定重要文化財)
ド・ロ神父が困窮を極める村人達を救うため、私財を投じて設立した明治初期の授産・福祉施設で、後に修道院
へと発展しました  ここでは織物やマカロニ、そうめん製造などの技術を教え、村人たちの自立を促しました


13.10長崎旅行・長崎の教会

長崎外海 隠れキリシタンの里

2013-11-19 | わからん長崎

人 間 が こ ん な に 哀 し い の に
 主 よ
海 が あ ま り に 碧 い の で す
「沈黙の碑」より
隠れキリシタンの里として知られる長崎市外海そとめ地区は遠藤周作の代表作「沈黙」の舞台となった場所です
その外目にある 遠藤周作文学館 は目の前に角力灘すもうなだが広がる美しい景観に包まれた地に佇んでいます

【枯松神社】
慶長19年(1614)に禁教令が出されて以降、キリスト教信者への取り締まりはいっそう厳しさを増しましたが
外海地方の多くの信徒たちは潜伏して信仰を保ち続け、黒崎の潜伏キリシタンたちは枯松の山頂に秘かに
集まって オラショ を伝承してきました
明治時代に入ると この地に神社を建立し、隠れキリシタンを支え続けた宣教師 サン・ジワンを祀りました
神社周辺には、板石を伏せて置くキリシタン墓が残っています
キリシタンをまつった神社は日本全国でも珍しいそうですが、この枯松神社の他に外海地区のすめら大神宮、
長崎市内の淵神社・桑姫大明神、伊豆大島のおたあね大明神が知られています

【トリコロール橋】
四谷河内橋荒川橋新神浦橋
フランス・ヴォスロール村との姉妹都市交流に因んでフランス国旗と同色の青、白、赤の橋です

【大中尾棚田】
平成11年に農水省が認定した「日本の棚田百選」に選ばれ、面積8.8ヘクタ-ル、田んぼの枚数は約450枚
起源は戦国から江戸時代とされ、200年余の長い歳月をかけ、神浦ダム上流から約4.2キロメ-トルにおよぶ
大井手水路の竣工とともに1枚1枚の田んぼを耕してきたといわれています

【大平作業場跡】
出津教会主任司祭として赴任したド・ロ神父は布教に止まらず、地域住民の福祉と生活向上のために様々な
計画を立て、農漁両面に力を注ぎました
大平おおだいら地区は、明治17年(1884)から開墾を行ない小麦、さつまいも、お茶などの農作物を栽培していました
この開拓農地には、当時ド・ロ神父が自費で掘った井戸や農作業小屋が今もその形跡を留めています

【バスチャン屋敷跡】
キリシタン迫害時代に宣教師に代わって外海地方で熱心に布教したといわれる日本人伝道士バスチャンの
隠れ家があったと伝えられている場所  現在の建物は復元ではなく、発見後新たに建てられたものです


13.10長崎旅行・長崎の橋

聖壽山崇福寺

2012-11-20 | わからん長崎

崇福寺そうふくじは寛永6年(1629)長崎在住唐人が中心となって、 唐僧・超然ちょうねん禅師を招き創建した黄檗宗寺院です
キリシタン弾圧が厳しかった時代に唐人は仏教徒であることを示すために長崎唐寺とうでらを建立したとも言われます

【三門】(楼門) 国指定重要文化財
創建当時の三門は長崎大火によって焼失、その後再建された門は台風によって倒壊、
現在の三門は嘉永2年(1849)に再建されたもの  『聖壽山』の扁額は隠元禅師の筆といわれる
門の両脇にある獅子は、日本の狛犬のように阿・吽の形で一対とはなっていませんでした
門扉にはこのような飾りがありました


【崇福寺第一峰門】 国宝
創建当初はここが第一門だったが、新たに三門が建立され二の門となった
「第一峰門」の名称は即非禅師の書である「第一峰」の扁額の文字が由来
第一峰門の軒下にある四手先三葉栱よてさきさんようきょうと呼ばれる複雑巧妙な詰組みは国内に例がなく、華南地方にもまれだそうです
軒下軒裏には瑞雲・丁子・方勝・霊芝などの極彩色の吉祥模様が施され、雨がかり易い所は朱丹一色塗りになっている
第一峰門の扉には青い蝙蝠と牡丹の花

蝙蝠は中国で「びぇんふー」と発音し「蝠」が「福」と同じ発音で幸福を、牡丹の花は百花の王で強さを表す縁起物

本堂【大雄宝殿】 国宝
釈迦(大雄)を本尊とする大雄宝殿、中国で切組み唐船で運び正保3年(1646)に建立された 市内最古の建物
大雄宝殿の本尊・釈迦如来坐像、向かって右の脇侍に迦葉かしょう尊者、左は阿難あなん尊者を従えている
中空の乾漆像 仏像修理の際、内部から「銀製の五臓」「布製の六腑」が胎内から発見された
前面吹き放ち廊下のアーチ形天井は俗に黄檗天井と呼ばれ、黄檗建築独特のもの
火災に遭わないようインド神話に登場する摩伽羅が取り付けられている
軒周りの擬宝珠ぎぼし付き垂花柱すいかちゅう逆凝宝珠束ぎゃくぎぼしつか)が珍しい


下は大雄宝殿前廊と護法堂


【護法堂】 国指定重要文化財

中央は観音堂、向かって右は関羽を祀る関帝堂、左は韋駄天を祀る天王殿 下の写真は観音堂内

柱礎は中国で縁起がよいとされている梅や獅子などが彫られている

【鐘鼓楼】 国指定重要文化財 ・ 【梵鐘】 県有形文化財指定


【媽祖門】 国指定重要文化財

媽姐堂があるのは長崎の唐寺の特徴だが、媽祖門を構えた媽祖堂は崇福寺のみ

【媽祖堂】 県指定史跡

基壇上にある「卍崩し」の木製勾欄が特徴

【魚板】

魚は常に目を見開いていることから「惰眠だみんをむさぼるなという戒めの意

※ ここ崇福寺は『龍馬伝』のロケ地だったそうです

12.10長崎旅行

おくんち前の諏訪神社

2012-11-17 | わからん長崎

諏訪神社の顔と言うべき大門です
階段は長坂と呼ばれ、この下の踊馬場で「長崎くんち」の奉納踊があります
踊馬場正面の長坂は無料観覧席ですが、事前の応募が必要です
長坂の席をゲットするのは至難の業なのでしょうね
写真でお分かりと思いますが、長坂の両脇が桟敷席となります
余談ですが...
紋付き袴の ワンちゃんを連れて長坂を下りる渋い表情の男性
坊やの七五三のお参りに親子3人と でいらしたのですが
格式を重んじる神社・仏閣ではペットの帯同は ですよね
因みに、おくんちを観る時も神前なので帽子や傘は です

諏訪神社にはユニークな狛犬さんが沢山いました
全部は見て回れませんでしたが、一部をご紹介しましょう

【祓戸神社の狛犬】
踊馬場下の祓戸神社には立ち狛犬と逆立ち狛犬がいました


【トゲ抜き狛犬】

蛭子ひるこ社の狛犬】
蛭子ひるこ社(水に係る願事成就の神)の池の前に置かれた、頭に皿のある狛犬
水を掛けて「水上安全」、子供の「水泳上達」を祈願します

祖霊それい社 上り口にある狛犬】

【長い歳月に風化が甚だしい狛犬】
以前、諏訪神社の斎庭にあったもので、ご鎮座以来置かれていたと思われている
巻毛のたてがみは独特で珍しい 阿形の狛犬は口に玉を含み中国の影響が見られる

最後に・・ 大門から見た長崎の街
山の中腹には亀山社中があります(レンガタイルの建物の斜め右下)




12.10長崎旅行