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♯829 使い残した抗がん剤はもったいないか?

2017年07月14日 | 日記・エッセイ・コラム


 少し前の記事になりますが、昨年の2月14日の日経新聞に「抗がん剤 余ればごみ」と題する興味深い記事が記載されていました。

 記事によれば、医療機関でがんの治療に使われる「抗がん剤」には高価な薬剤も多いにもかかわらず、1回の治療で使い切れなかった一定量については捨てられている現状があるということです。

 これは、一旦開封してしまった薬剤には細菌の混入や品質の劣化を招く可能性がある事から、他の患者への投与などが認められていないためとされています。特に抗がん剤については、体重などによって必要な量が細かく定められているため「余り」が出やすく、全体の1割が廃棄されるという調査結果もあるようです。

 確かに、医療機関においてこのような形の「廃棄」が日常的に行われているとすれば、現場で薬を使う医師や薬剤師の人たちの間に(余った薬を他の患者に処方できたらどれだけ医療費を安くできるかという)問題意識が生まれるのは、(ある意味)当然と言えるかもしれません。

 論点が判りにくいかもしれないので、もう少し丁寧に整理します。

 抗がん剤は点滴や注射で投与される液状のものが多いということです。例えば、高額で一躍有名となった免疫チェックポイント阻害薬の「オプチーボ」なら体重1kg当たり3mgなどと、患者の体重や身長などによって投与する量が厳密に定められているのが普通です。

 オプチーボの場合、20mg(薬価75,100円)入りのバイアル(瓶)と、100mg(同364,925円)入りのバイアルの2種類のパッケージがあります。従って、例えば患者が体重55kgの大人の場合は165mgを投与する必要があるため、100mgを1バイアルと20mgを4バイアル使用することで、薬代は665,325円となり15mg(約55,000円分)の薬がバイアルの中に残ることになります。また、何らかの事情で100mgを2バイアル使用した場合は、薬代として729,850円かかり35mg(約128,000円分)の残薬が生まれる計算です。

 一方、こうした薬剤は、注射器などで容器から取り出すことで有害な菌などが混入する恐れが高まり、また酸素に触れて品質が劣化する可能性もあることから、一度容器の封を破ったものは(例え同じ患者に対してであっても)使用できないとされています。そして(国による)薬価も、実際に使う量(量り売り)ではなくパッケージごとに設定されているのが現状です。

 それでは、こうした状況の下で、実際にどのくらいの量の薬剤が捨てられているのか?

 日本病院薬剤師会が2014年に地域の中核を担うがん診療連携拠点病院について15品の廃棄率を調べた結果では、回答のあった187病院で年間約94億円分が廃棄されていることが分かったと記事は記しています。廃棄率はおおむね5~10%で、中には4割近い品目もあったということです。

 記事によれば、2013年の抗がん剤の市場規模は出荷額ベースで8131億円。2016年には1兆円を超し、2023年には1兆5000億円以上になると予測されているいうことです。例えばその数%が廃棄されるとして計算しても、価格として実に1,000億円を超える薬剤が、患者に投与されることなく廃棄されていくことになります。

 同様の問題は昨年3月27日の産経新聞などでも指摘されており(「高価な抗がん剤が残薬となり廃棄処分されていく」)、こうした状況に疑問を投げかけるメディアも増えているようです。

 因みに、同紙は、こうした状況の解決策として2つの方法を挙げています。

 1つは当面の方策として、メーカーに小瓶の規格を求めることです。瓶の規格が増えれば薬の廃棄量は減るのは自明ですが、調製するコストが瓶の本数分だけ増えるというデメリットもないわけではありません。

 そしてもう1つは、1本の薬剤を複数の患者が使用する「分割使用」の可能性を探ることです。薬剤の品質を保つための保存方法や保存期間の「基準」を丁寧に作り、問題が生じないような利用方法についてのエビデンスを得るというものです。

 同記事によれば、廃棄薬剤の課題に実際に手を付けた国もあるということです。

 慶応大学大学院教授の岩本隆氏によると、米国の薬剤調製のガイドラインには分割使用の規定があり、クリーンルームや保存時間の条件が定められているということです。また、使用による薬剤の漏出や変質を防ぐ医療用キットの開発も進められていると記事は記しています。

 さて、このような指摘を読む限り、(確かに現場の視点に立てば)瓶の中に残された抗がん剤を集めて他の患者に有効活用することで、医療費の大幅な削減が図れるような気がしてきます。現実にそこには薬が残っていて、(未開封のものであれば)何十万円という価格で取引される「希少」で「高価」なものだからです。

 しかし本当に、高い値段の付いた抗がん剤(の液そのもの)を捨てることは「もったいない」ことで、それを再利用することが患者や保険者等の利益につながるものなのでしょうか。

 この問題は、そもそも「薬の値段」がどのように作られているかに遡って考える必要がありそうです。

 オプチーボなどの新薬も、実際は(別に)原材料が希少だからとか、製造するのがとても大変だからといった理由で高額な値札(薬価)がついているわけではありません。一般に薬剤の製造原価は販売額の数分の一から数十分の一と言われており、原材料費に至ってはほんのわずかと言ってよいでしょう。つまり、物質としての薬には、それくらいの価値しかないということです。

 それではなぜ(薬価が)高く設定されているのかと言えば、新薬開発のために要する(要した)費用が高かったから。製薬会社としては、開発にかかったコストを(先発薬としての市場価値が保てる)一定期間の間に回収する必要があるということです。

 製薬メーカーでは、マーケットとしての患者数や使用割合、使用の仕方などを想定し、市場全体での使用量ばかりでなく、販売単位・使用単位も含めて(開発コスト、営業コストなどを回収し、利益を出せる水準で)価格付けを行っています。抗がん剤に関しても、やみくもにパッケージされているわけではなく、その単位で販売することを前提に価格付けされているということです。

 それは言い換えれば、現在のパッケージングにおいて使い残されるオプチーボも、既に価格の中に含まれているということ。従って、もしもオプチーボを全て5mg入りのアンプルでパッケージングするのであれば、メーカーはそれに適した価格に(値上げ)する必要があるとこになります。

 繰り返しになりますが、一旦封を切られて使われた液体としての抗がん剤自体にはほとんど価値がなく、それが廃棄処分となったとしても、資源的にも製造コスト的にも(さほどは)「もったいない」のもではないと言えるでしょう。

 抗がん剤は多量に捨てられている。しかし、それはあくまで「販売戦略」、つまり「売り方」の問題に過ぎないということです。


ジャンル:
経済
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