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♯694 ジェネリックが普及しない理由

2017年01月04日 | うんちく・小ネタ


 日本の国民医療費は2013年度には40兆円を上回り、この四半世紀で概ね2倍にまで跳ね上がっています。中でも同年度の調剤医療費は前年度比6.0%の増、総額でも7兆円を超えていて、医療費増加の要因の約5割を調剤医療費が占めているということです。

 膨張する調剤医療費をどのように抑えていくか。これが今後の医療費抑制、ひいては社会保障費抑制の大きなカギを握っていると言えるでしょう。

 11月2日の朝日新聞の連載「読み解き経済」では、ゲーム理論に詳しい東京大学大学院教授の松井彰彦氏が、(そうした視点から)新薬と後発薬(ジェネリック医薬品)との競争が上手く働かない理由について大変興味深い指摘を行っています。

 国民皆保険を標榜する日本では、保険収載されている薬の価格(いわゆる「薬価」)は国が全国一律の公定価格として決定されています。

 新薬の薬価は、製造原価や開発費、海外での市場価格などを参考に算定されていて、その多くは一定期間、特許によって守られた後、後発薬との競争にさらされることになります。

 後発薬との競争によって新薬の市場実勢価格が下落すれば、2年後の改定時には薬価の自然な低下が引き起こされ、さらにより安い後発薬へと代替が進むことで調剤医療費を抑えることができる。これが政府の目論見だとこの論評で松井氏は説明しています。

 しかし、(物事は目論見通りにはいかず)これまでの状況を振り返ると、次期の薬価となる市場実勢価格は容易に下落せず、後発医薬品への代替も進んでこなかったと氏は指摘しています。

 例えば、2013年10月~14年9月の世界の後発医薬品のシェアを数量ベースで見ると、米国では92%、ドイツでは83%に達しているにもかかわらず、日本はわずか49%と必ずしも順調に代替されているとは言えません。

 松井氏によれば、勿論、政府もただ手をこまねいていたわけではなく、後発品の薬価の決め方に大きく手を入れてきたということです。

 まず、それまで先発品薬価の「7掛け」だった後発品の薬価を2014年度に「原則6掛け」に、2年後の2016年度には「原則5掛け」にまで引き下げたということです。

 そうすれば「安いものが売れる」という需要の法則にしたがって低価格の後発品が普及するだろう…。その点で、政府の考え方は経済学の教科書に忠実なものだったと松井氏はしています。

 しかし氏は、(残念ながら)問題は、医薬品市場が薬価という公定価格に縛られた市場であり、通常の議論が成立しないという点にあったと指摘しています。

 松井氏によれば、ゲームのプレーヤーとして、売り手の医薬品メーカーと買い手の患者の間にいる薬局・病院の立場に立って考えると、以下のとおりに価格形成は進む(見方を変えれば「進まない」)ということです。

(1) 先発品を処方されれば、他の病院や薬局を選べない患者の多くは先発品を買う。つまり、先発品と後発品の間の競争は基本的に医薬品メーカーと薬局・病院の間で行われる。

(2) 仮に薬価100円の先発品を薬局・病院が80円の実勢価格で仕入れれば、薬局・病院には差額の20円が利益として入ってくる。この時メーカーの値引き率は20%になる。

(3) この市場に、同じ品質で薬価は7掛けの70円の後発品が導入されたとする。このとき、薬局・病院が先発品と同じ額の差益(20円)を得ようとすれば、薬局・病院は50円の実勢価格でないと仕入れようとしない。

(4) 後発メーカーは最低でも20円値引きを求められるため、値引き率は薬価70円の29%に達することになる。

(5) さらに、ここで政府が5掛けの政策を採ったとすると後発品の薬価は50円になる。

(6) すると、メーカーは同じ論理で実勢価格を30円に引き下げざるを得ない。値引き率は実に40%に及ぶとこととなる。

(7) 仮に原価が35円だとすると5掛けの後発品ではメーカーが原価割れとなって撤退せざるを得ず、後発品の普及をめざした政府の政策は裏目に出る。

 実際、昨年12月に開かれた中央社会保険医療協議会(中医協)薬価専門部会の資料によれば、2014年6月~15年6月に収載された新規後発品(内用薬)のうち、6掛けの値引き率の平均値は18.0%で、5掛けに至っては31.7%とあると松井氏はしています。

 これは、薬価を抑えられた薬品の方が値引き率が高く、同等の効果を持つ先発品の値引き率は8.9%にすぎなかったということを意味しています。

 さらに氏は、後発品が原価ぎりぎりまで値下げをする完全競争の状態の例をシミュレーションしています。

(8) 後発品の原価を35円とし先発品の薬価を100円とすると、7掛けのときは後発品の薬価は70円なので、そこに35円の薬価差益が発生する。

(9) このとき薬局・病院は先発品にも同じ薬価差益を求めようとするので、先発品メーカーは35円の値引きに応じ、実勢価格を65円にせざるを得ない。

(10) しかし、5掛けのときは後発品の薬価は50円、原価は35円で、15円の薬価差益しか発生しない。

(11) 一方、先発品でもメーカーは15円の値引きに応じればよく、実勢価格は85円ですむ。後発品の薬価を抑えることで、逆に先発品の薬価の高止まりを許してしまうことになる。

 さて、松井氏によれば、経済学の祖のアダム・スミスは、人間社会をそれぞれのコマがそれぞれの行動原理に従う巨大なチェス盤にたとえ、「為政者がそれを見誤れば社会は混乱する」と語ったということです。

 価格の理屈だけを見ていても、(プレーヤーの行動原理となる)取引の現状や商慣行を見誤れば、出て来る答えはおのずから違ってくるということでしょうか。

 (増え続ける調剤医療費の抑制を図り、医療制度を持続可能なものにしていくためには)医薬品市場を駆け回るプレーヤーたちの行動を読み解く知恵がいま求められていると結ぶ松井氏のこの論評を、私も大変興味深く読んだところです。

 
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