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♯622 Blowin' in the wind

2016年10月15日 | アート・文化


 1972年に若者の間で流行ったヒット曲「学生街の喫茶店」(ガロ)では、「学生で賑やかなこの店の、片隅で聞いていたボブ・ディラン」と唄われています。

 1960年代も中盤に入り、敗戦による混乱からから経済を立て直し人々がようやく新しい時代の風を感じ始めた東洋の島国でも、遠く太平洋を渡って届く彼の歌は(戦前から続く既成の価値観に疑問を抱き始めた)若者の間に強い共感を持って受け入れられていきました。

 10月13日、ベトナム戦争が激化していった1960年代の後半から70年代にかけて、反戦運動や公民権運動の旗手として世界の若者のカリスマとなったそのボブ・ディランが、今年のノーベル文学賞の受賞者となったとの報道が瞬く間に世界に広がりました。

 日本では、(これも「毎年恒例」と言ってもいいかもしれません)人気作家の村上春樹氏の受賞が今年も期待されていたわけですが、相手が(村上作品の中にもしばしば登場する)ボブ・ディランならしょうがないか…という声が、コアなムラカミストの間からも上がっているようです。

 ディランの受賞の発表を受け、国内のメディアは一斉に、フォークやロックといったいわゆるポピュラーソングの歌詞も文学的価値を持つと評価されたと、そのエポックとしての意義を伝えています。

 日本経済新聞では、10月14日の朝刊に東京大学名誉教授でアメリカ文学者の佐藤良明氏の寄稿を掲載し、今回のボブ・ディランのノーベル賞受賞が意味するところを氏の視点から分かりやすく説明しています。

 考えてみればボブ・ディランは、最高の文学的栄誉に輝いて当然のことを成し遂げていると、佐藤氏はこの論評で評しています。

 1960年代の社会や思想の混迷期に(颯爽と)登場した彼は、言葉によって若者を導き、文化の流れを変えたと氏はしています。

 彼に触発された若者たちはギターを持って自作の歌を歌い出し、(ジョン・レノンら)既に歌っていた人たちは歌詞を真剣に考えるようになった。つまり、(市井に暮らす若者からプロのミュージシャンまで)創作するという行為がディランの魅力とともに力を増し、広がりを持ち、社会を動かすようになったということです。

 さらに、佐藤氏は、ディランの功績を後の世から振り返ると、それまで対立していた概念や価値を融合させる端緒を開いていたことに気づかされると述べています。

 伝統の言葉と前衛の言葉、民衆の文化とエリートの文化などが、近代における分裂を乗り越えて繋がりあってきた過程を見てくると、その先頭にはいつもディランがいたという指摘です。

 しかし、そうした中でもこと「ノーベル賞」という権威の前では、「文学的秀逸さ」は音楽の場合よりももっと純粋に(ヨーロッパ的な)「エリート」の閉域に閉じこもる傾向を保ってきたと佐藤氏は説明しています。

 そして今回のディランの文学賞受賞によって、この「閉域」の扉が(大衆の前に)ついに開かれることになった。彼は、文学の力の根源を声と身体に引き戻し、さらにメディアを利用することで詩的コミュニケーションを最大限におし進めることに成功した立役者として、評価されるべき存在となったということです。

 一般的な議論として、優れた(純粋な意味での)「文学」が、人類全体を導く手段となり得るとは(今や)信じられていないと佐藤氏は説明しています。

 文学を志向する研究者の世界でも、既に研究の場は詩や小説ばかりでなく、映画やポピュラー音楽、ファッションなどに広がっている。また、こうした流れはもはや止められそうになく、現代に生きる私たちにとって「文学」は、既に商業文化の外側に位置するものではなくなっていると氏は指摘しています。

 文学の文脈が変わったのは事実であって、その変化を生み出す中心にディランがいた。彼はそのざらついた声で純文学を染め、文学もまたポップな帝国の中にあるという資本主義先進国の「常識」を、(今回の受賞によって)改めて世界に知らしめたということです。

 さて、佐藤氏の評価にもあるように、ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞の報は、「文学」という存在に対する伝統的な認識に、ひとつのエポックをもたらしたことは事実のようです。

 かつて文学が、経験を補い、知的好奇心を満たし、想像力を養うばかりでなく、感情を揺さぶり社会を変える力を有していた時代があったのは事実です。言い換えればそれは、そうした精神的、社会的な創造力を有するコミュニケーションの手法が、「文学」として評価されてきたということにほかなりません。

 ディランと同じく、今回のノーベル賞候補の一人と目されていたインド生まれの英国人作家、サルマン・ラシュディ(Salman Rushdie)氏は、自身のツイッターでディランの受賞を「素晴らしい選択」と評したということです。

 ラシュディ氏は、「(ギリシア神話の吟遊詩人)オルペウス(Orpheus)から(パキスタンの詩人)ファイズ(Faiz)まで、歌と詩は密接な関わりを持ってきた」との見解を示し、「ディラン氏は吟遊詩人の伝統の優れた伝承者だ」とたたえたと伝えられています。

 「The answer is blowin' in the wind(答えは風に吹かれている)」という(ある意味気負いのない)歌詞に伝統的な価値観の虚ろさや戦いの空しさを読み取った若者たちが、(それぞれの心の中に吹く風の中に「答え」を聴き取り)公民権運動やベトナム反戦運動に突き動かされていったのは、まさに時代の転換点に「彼」が居て、時代の思いを掬い取ったことの証だったのかもしれません。

 1949年生まれの村上春樹氏が、1979年に発表した自らの処女作のタイトルを「風の歌を聴け」としたのも、もちろん偶然ではなかったのでしょう。



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