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♯623 終末期を生きる

2016年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム


 国立がん研究センターの研究班では、7月21日、がんの治癒のひとつの目安となる5年生存率の全国推計値を公表しました。

 2006~08年の診断症例をもとにした我が国のがんの5年生存率は、男性が59.1%、女性が66.0%。男女合わせると62.1%で、3年前の前回調査より3.5ポイントの上昇を見せているということです。

 5年生存率をがんの部位別にみると、前立腺、甲状腺、皮膚、乳房が90%を上回る一方で、膵臓(すいぞう)は7.7%、胆のう・胆管(22.5%)、肺(31.9%)、肝臓および肝内胆管(32.6%)などでは、なかなか治癒が難しいことが判ります。

 主要ながんでは、結腸・直腸を合わせた大腸が71.1%、胃が64.6%と過半が一応の治癒を見ており、その他の多くの部位においても、早期診断が進むことで生存率が上がる傾向にあるということです。国立がん研究センターでは、検診が普及することで治りにくいがんが早期に見つかる割合が増えれば、生存率がさらに高まる可能性が高いとしています。

 それでも、統計によれば日本人の死因の第一位は悪性新生物(がん)であることに変わりはなく、死因全体の約3割を占めています。また、高齢化や長寿命化に伴って、がん死の割合は今後一層増えていくことが予想されているということです。

 そうした中、7月26日の産経新聞のコラム「正論」では、日本における終末期のがん医療に関し、終末医療に詳しいケアタウン小平クリニック院長の山崎章郎(やまざき・ふみお)氏による、「日本のがん医療が直面する課題」と題する論評を掲載しています。

 がんになった多くの日本人は、病態に応じたインフォームド・コンセント(十分な説明と同意)のもとで、それぞれのメリット、デメリットも含め、手術、化学療法、放射線療法などの治療法を提示され、納得のいく治療法を選ぶことになると山崎氏は言います。

 もちろん治療を選ばないという選択肢もあり、またセカンドオピニオンを求めることもできるわけですが、そのようなプロセスを経て治療が開始され、残念ながら治癒に至らなかった年間約37万人が、がん死しているのがわが国の現状だということです。

 山崎氏は、そうして死が避けられないことになれば、死までの時間をどこで誰とどのように生きるのかは、その人にとって重大な課題のはずだと指摘しています。

 しかし、近年のがん治療では、分子標的治療薬の登場や副作用対策の改善などにより、治療医は1次、2次、3次へと(次々に)治療法を提示できるようになりました。藁にもすがる患者や家族はそれらの治療法に治癒の希望を託し続け、その結果として、死の間際まで治療が継続され、「治療の限界=即命の限界」のごとき状況が生まれていると山崎氏はがん治療の現状を説明しています。

 患者・家族が人生の最終章をしっかりと生きる時間(機会)を持てないままに、いきなり現実的な死に直面することが(最近)目立つようになってきたと山崎氏は言います。

 そもそも、少なからぬ患者や家族は、医師が新たな治療法を提示するという事は、(即ち)治癒する可能性があるからだと考えるということです。悪い情報をはっきり伝えることが躊躇われる中、治療医が次の一手に向かうことにより、治療継続を「断念」するタイミングが失われているという指摘です。

 限られた時間を生きる患者にとって大切なはずの時間が、目的化され、自動化された治療継続の中に埋没してしまっているのではないかと、山崎氏はこうした状況を説明しています。

 そして、患者や家族は「延ばされた」生存期間をどう生きてよいかもわからず、不安(と抗がん剤などの副作用の苦痛)の中で、途方にくれながら過ごすことになるということです。

 山崎氏はこの論評において、(例え治癒が困難でいずれ死に向かうにしても)一人でも多くのがん患者が自分らしく、人間らしく生きることができるような支援(緩和ケア)の在り方を探ることは、延命を目指した治療の継続以上に重大な課題ではないかと(がん医療に携わる人々に)問いかけています。

 もちろん、この問題に気付いている関係者は既にいて、そこでは、病状の悪化を想定し、その時をどう生きるかを事前に考えておくアドバンス・ケア・プランニングの取り組みが始まっているということです。

 また、患者同士や医療者が気兼ねなく交流し、その悩みや疑問を分かちあい支えあう「がんサロン」や「がんカフェ」などの取り組みも、各地の医療機関で始められていると氏は述べています。

 人は生き物である以上いつかは死を迎えることになり、(少なくともここしばらくの間は)その最大の原因が「がん」であることは間違いないでしょう。

 そう考えれば、がん医療の高度化が進む中、患者たちが「死と向き合う」ための十分な時間を持ち、自分の「死に方」を選べるような終末医療の在り方を、もう一度考えてみる時期が来ていると言えるのかもしれません。

 延命のための治療をどうするかのみならず、その延命された時間をどう生きるのかを支える取り組みが広がることを望みたいとこの論評を結ぶ山崎氏の指摘を、私も改めて重く受け止めたところです。


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