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♯634 給与半減の意味

2016年10月29日 | 国際・政治


 東京都知事に就任した小池百合子氏が、まず(何をおいても)最初に都議会に提出した議案は、期末手当などを含む自らの給与約2900万円を半減するための議案でした。

 小池知事は選挙戦において「自らも身を切る改革が必要」として給与半減を公約に掲げており、年収約1700万円の都議会議員らに都政改革に向けた挑戦状を「踏み絵」として送り付けた形となりました。

 知事や市町村長などで自らの給与を条例によって減額している例は多く、例えば三重県の鈴木英敬知事は昨年度まで月給の3割、期末手当の5割を削減し、「日本で最も給料の安い知事」を標榜していました。

 また、大阪府の松井一郎知事も給料3割、期末手当の3割を削減しているほか、名古屋市の河村たかし市長に至っては、条例で自らの給与を月50万円、期末手当を100万円と金額で規定してしまっています。

 一方、元三重県知事で早稲田大学名誉教授の北川正恭(きたがわ・まさやす)氏は10月26日の読売新聞『論点』に、今回の小池都知事によるこのような給料半減の動きを「残念」とする、大変興味深い意見を寄せています。

 この論評で北川氏は、都政改革を掲げて乗り込んだ小池知事が主導権を握るためにさまざまな手を繰り出すのは当然であり、「知事給与半減」もその重要な一手という点では理解できるとしています。

 ただし、「政治は政策」と主張してきた立場から言えば、今回の小池知事のやり方は「あまり感心しない」と北川氏は評しています。

 今回、小池知事は、法令に定められた手続きである「特別職報酬等審議会」に諮ることはせず、いわば独断で報酬の半減を議会に提案しました。しかし、もとより都知事の給与が高すぎるというのならば、審議会という審議の場で客観的な検討を加えたうえで恒久的な措置として(例えば「半減」させるなどの)適正化を図るべきではないかというのが、この論評における北川氏の見解です。

 小池知事は審議会に諮らず、当面1年間の特例として給与を減額しました。これに対し北川氏は、「自ら身を切る」という手法は確かに有権者の「情」に響くものではあるけれど、これは(「政治」ではあっても)「政策」と呼び得るものではないとしています。

 (厳しく言えば)「土下座」して票を得る選挙戦術とあまり変わらない古臭い政治レベルにとどまるものだというのが、この戦術に対する北川氏の認識です。小池都政の滑り出しを高く評価しているだけに、この点は残念に思っていると氏は指摘しています。

 首長や議員の待遇に関しては、政治の在り方全体に目配りした(整理された)議論が必要だと北川氏は説明しています。

 ニューヨーク市長だったブルームバーグ氏は給与を1ドルしか受け取らなかったとか、ヨーロッパでは議員報酬が無いところもあるという指摘もあるが、ブルームバーグ氏は大富豪だし、議員の立場や職務の形態も国や地域で様々に異なり、単純な比較はできないと北川氏は言います。

 現在の日本では、普通の市民感覚を持った人材に政治を任せる必要から、首長や議員には客観的に「相応」の待遇が保証されるべきという考え方が一般的です。従って、報酬の水準に関する議論は、有識者等による審議会で(理性的に)議論されことが必要だと北川氏は指摘しています。

 氏は、政策論で考えれば、確かに本来はサラリーマンが休職して議員になり、議員を辞めたら復職できるような、選挙で選ばれる「公職」が他の職業と回転ドアのように行き来できることが望ましいと言います。実際、英国ではそうした発想の下で政党が人材を発掘し、選挙費用のほとんど負担しているということです。

 しかし日本では、大方の企業や役所は選挙への立候補に伴う求職や復職を認めておらず、選挙費用も基本的に自分で用意しなければなりません。これでは、いわゆる「普通の人」が政治に参加することはまず困難であり、(政治家として)政治に直接携われる人がきわめて限定されているのが現実と言わざるを得ないでしょう。

 政治の世界が閉鎖的であるがゆえに、首長や議員の妥当な待遇レベルについても合意形成が難しくなると北川氏は言います。最近しばしば(その妥当性が)問題になる「政務活動費」の必要性が、普通の市民感覚ではなかなか理解できないのも、もしかしたらそうした理由によるものかもしれません。

 (いずれにしても)北川氏は、政治家の待遇が「情」によって上げ下げされるのは、日本の政治が人材面からも議論の面からもオープンではないことの証左だとこの論評で述べています。

 確かにそういう意味では、今回の小池知事による給与半減の申し出は「都民感情に寄り添う」ものではあったとしても、都政改革につながる何らかの政策的な議論を都政にもたらしているようには見えません。

 北川氏も指摘しているように、日本の特に地方政治(自治)の最も大きな問題が、ごく普通のサラリーマンや主婦などが(現実的として)政治の現場からほぼ排除されてしまっているところにあるのも事実です。

 政治が様々な立場の人々に、平等に開かれるためには、政治家の待遇にも一定の「安定性」が求められるのは言うまでもありません。また、(代表として選ばれたからには)責任に応えるための政治活動を行う時間や費用が保障されることも、当然必要となるでしょう。

 そうした意味からも、給与の半減を手土産に都政に乗り込んだ小池氏の姿勢を、(ある意味)「残念に思う」とこの論評を結ぶ北川氏の指摘を、私も不思議と違和感なく受け止めたところです。


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