MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯749 「昭和」との決別

2017年03月14日 | 社会・経済


 英国のEU離脱を決めた「ブリグジット」や米国におけるトランプ大統領の就任から(日本国内も含めた)国際社会におけるポピュリズムの台頭を読み取る慶応大学教授(歴史社会学)の小熊英二氏が、12月22日の朝日新聞(論壇時評)に『脱ポピュリズム「昭和の社会」と決別を』と題する論評を寄せています。

 現在、世界の各地で大きなうねりとなりつつあるポピュリズムを支持し、突き動かしているのはどういう人たちなのか?

 西欧諸国では、飲食業や建設業、街角の零細な小売サービスや清掃などの(労働単価の低い)仕事は移民が担っている場合が多いということです。一方、これらは日本では(女性や外国人を含む)非正規労働者の多い職場となっている。つまり西欧で移民が担っている低賃金の職を、日本では非正規や中小企業の労働者が担っていると、小熊氏はまず指摘をしています。

 そうした中、例えば英国でEU離脱を支持した層が日本ならどの層に当たるかといえば、(日本の「非正規」が英国の移民に当たるなら)それは「正規」の人たちではないと考えられる。大阪市長だった橋下徹氏の支持者に管理職や正社員が多かったことからも判るように、低所得の非正規労働者に政治的な「大衆」の肩書を与えるのは間違った認識だと、この論評で氏は説明しています。

 米大統領選でも、トランプ票は「中以上」の所得層に多いことが判っている。つまり低所得層(米国ならマイノリティー、西欧なら移民、日本なら「非正規」が多い部分)は右派ポピュリズムの(あくまで)「攻撃対象」であって、支持者は少ないという指摘です。

 氏によれば、先進国における昨今のポピュリスティックな動きの支持層は、低所得層の増大に危機感を抱く中間層に多いということです。

 それでは、一体何が、そうした中間層を右派ポピュリズムに走らせているのか。

 小熊氏はその理由を、旧来の生活様式を維持できなくなることへの「恐怖」に見ています。それは、強い父親が家族とともに安定した暮らしをつぐむ素朴なアメリカンドリームかもしれないし、規律ある伝統的な英国家庭の生活であるかもしれません。いずれにしても(行き過ぎた新自由主義による雇用不安などへの恐怖は)「昔ながらの自国のアイデンティティー」を防衛する志向を、中間層にもたらすという認識です。

 氏によれば、米誌「フォーリン・アフェアーズ」編集長などを歴任したインド出身の国際問題評論家ファリード・ザカリア氏は、EU離脱やトランプを支持した有権者の動機は「経済的理由」ではなく「文化要因」にあったと指摘しているということです。

 彼らは移民の増加や、例えば中絶の容認などを嫌い、そこに英国や米国のアイデンティティーの危機を感じとった。実際、雇用の悪化が原因となって彼らが生活の変化を強いられたことは事実でしょうが、結果、彼らの恐れや苛立ちは「古き良き生活」と観念的に結びついた国家アイデンティティーの防衛という文化的な形で表出したという指摘です。

 さて、新自由主義やグローバル経済の進展とともに、日本でも右派的な傾向が生まれていると小熊氏はしています。

 勿論、日本では、移民や中絶の問題がクローズアップされているようなことはありませんが、その代わりに、歴史認識や夫婦別姓の問題が、「古き良き生活」と結びついた国家アイデンティティーの象徴となっているというのが、昨今の社会状況に関する小熊氏の見解です。

 氏によれば、ネットで右翼的な書き込みをしたり「炎上」に加担したりする人に多い属性として、「年収が多い」「子供がいる」「男性」などを示す調査結果があるそうです。

 いわば「正社員のお父さん」とも言えるこうした層は、実は、旧来の生活様式(つまり終身雇用や専業主婦など)が象徴していた「昭和の生活」を達成しようとあがきながら、それが危うくなっている(怯える)中間層だと小熊氏は説明します。

 彼らの世代で都市部で子供2人を大学に行かせれば、年収600万円でも教育費を除いた収入では生活保護基準を下回ってしまう。さらに住宅を買い、多少の余裕を持つには年収800万でもぎりぎりだろうと氏は言います。統計上は「中の上」の収入でも、現実的に彼らが「昭和の生活」を維持するのは苦しいということです。

 そうした彼らに「もっと働いて稼げ」と言うのは解決にならない。日本の労働時間は平均では減少したがそれは非正規労働者が増えたためで、正社員の長時間労働は限界にある。実際、サービス残業のために時給に換算すると約700円となる大企業正社員すらいると、小熊氏は現代の「正社員のおとうさん」の現状を説明しています。

 ではどうすればいいのか。氏は、無理が多い時は、目標の立て方を見直した方がよいとしています。つまり「昭和の生活」を目指すことをやめる(諦める)ということです。

 小熊氏も指摘するように、男性が年収800万円を独りで(長時間労働によって)稼ごうとするよりも、男女が適正な労働時間で400万円ずつ稼ぐ方が現代の経済状況に適合していることは論を待ちません。「古き良き生活」に固執し続ければ、不安とストレスから抜け出せないし、右翼的な書き込みや投票行動をも誘発しかねないということでしょう。

 日本の労働生産性は製造業で米国の7割、サービス業では実に半分に過ぎません。低賃金の長時間労働が古い産業や古い経営を維持するという「悪い循環」を支えていることからも分かるように、今の日本は「昭和の社会構造」を維持するために疲れ切っているというのが小熊氏の認識です。

 過去への愛着は理解できるが、人権侵害が指摘されるような制度を作ってまで「日本の風景」を維持するべきなのだろうか。同じく、長時間労働で働く人の人格や生活を破壊してまでも「昭和の社会」を維持するべきなのだろうか。

 それは他者と自分自身の人権を侵害し、差別と憎悪の連鎖を招くことに繋がりかねないと、小熊氏はこの論評で評しています。

 右派ポピュリズムの支持者は誰かと言えば、それは結局「古い様式」(日本で言えば「昭和の時代」)に固執し、その維持のためには人権など二の次と考える人だと小熊氏は言います。

 他者と自分の人権を尊重し、変化を受け入れること。それができる人には、健全な社会と健全な経済が創られるはずだとこの論評を結ぶ小熊氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。