MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯706 スウェーデン流福祉の考え方

2017年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム


 引き続き、北欧の福祉大国スウェーデンの福祉政策に関するトピックです。

 スウェーデンでは、小学校から大学院に至るまで子どもの教育費にかかる費用は給食費も含めすべて国が負担し、医療費も子供から高齢者まで2500円程度の初診料以外はほぼ無料。高齢者には住宅扶助があり低所得であっても老後の住居の心配は不要で、引退後は単身者でも最低月額90000円前後の年金が保障されることから貯金がなくても老後の生活は何とかなります。

 (そうしたこともあってか)自殺率は日本の半分で、国連の世界幸福度報告書における幸福度(Happiness)は第10位(日本は第53位:2016年)、世界男女格差指数では第4位というのが、現在のスウェーデン社会の姿です。

 具体的な福祉関連の給付規模で見ると、出産・育児等、家族政策(育児の社会負担)関連の給付の対GDP比は日本の約7倍もあり、高齢者・障害サービス関連の給付では日本の約10 倍、雇用政策関連の給付では日本の約4 倍と福祉の手厚さが光ります。

 こうして、高福祉社会を語るときに常にモデルケースのひとつとして取り上げられるスウェーデンですが、その一方で、彼の国は高福祉を前提とした高負担国としても知られています。

 国民負担率(2013年時点:対GDP比)は55.7%と、日本の41.6%、米国の32.5%などを大きくしのぎ、対国民所得比でみると日本の35%に対しスウェーデンは75%と、2倍以上の開きがあることが判ります。自分で稼いだ所得の3割程度しか手元に残らないわけですから、(日本人の感覚から言えば)政府や福祉制度へのよほどの「信頼」がなければこれほどの高負担には耐えられないでしょう。

 日本とスウェーデンの福祉に対する意識は、どこがどの程度違うのか。7月7日付で自身のブログに掲載された、作家の橘玲氏のレポートを引き続き追っていきたいと思います。

 日本では、社会福祉とは「貧しい人を税金で援助する」ことだと考えられている。これを「救貧的」福祉とするならば、スウェーデンの場合は「普遍的」福祉と解釈できると橘氏はこのレポートで説明しています。

 スウェーデンでは、(国が責任を持って)出産・育児からはじまり、保育・学校教育、失業、成人教育、医療、高齢者福祉など、ライフサイクルのあらゆる場面で国民の生活を支援するのが建前です。そしてここでのポイントは、「所得の多寡にかかわらず」すべての国民に同等の福祉が提供されることだと橘氏は指摘しています。

 現物給付を基本とする福祉サービスは、(所得比例年金などとは異なり)裕福な人ほど豪華で貧しい人ほど貧弱なものにするなどということはなく、結果として、普遍的福祉でも、豊かな人から貧しい人への所得の移転が起こるということです。

 橘氏は、こうした仕組みを機能させるためには、(当然ながら)国民の税・社会負担は大きくなるとしています。

 これだけの負担を国民に要求する以上、国家は福祉の持続可能性を国民に納得させる責任を負う。(そして、そうでなければ、国民は怖がって協力してくれない。)これが、北欧の高福祉の国々が、財政を健全に保たなければならない理由だということです。

 氏によれば、そうした理由から北欧諸国は、どこも強力な歳出コントロールの仕組みを備えているということです。

 スウェーデンでは、景気循環を通じて平均2%の財政黒字を確保する目標を設定しており、また隣国フィンランドでも、財政収支を均衡させるために中央政府の歳出上限を設定する制度を導入しているということです。

 同様に地方財政にも厳しいルールが課され、ノルウェーでは財政赤字に陥った場合は2年以内に解消しなければならず、その後は国の監視下で強制的に財政再建が進められることになっています。

 さて、北欧の福祉制度の根幹にあるのが、国民の制度に対する高い信頼感であることは間違いありません。そして、その担保となっているのが健全な財政と頑健な年金制度だということです。

 橘氏は、財政規律への国民の信頼があってはじめて、税・社会保険料は「負担」ではなく「将来に対する積立」として意識されるようになると言います。そして、こうして、税・社会保険料を支払ったあとの可処分所得を現役時代にすべて使い切っても老後の心配をする必要がなく、例え蓄えがなくても人生を楽しむことができる社会が生まれるということです。

 一方、このように書くと北欧の制度が何もかも素晴らしいように思えるかもしれないが、そこには当然負の側面も存在すると橘氏は(敢えて)指摘しています。

 「北欧モデル」を成り立たせているのが、自由で自立した個人を前提として、(彼らが自分の能力を最大限に開発・発揮できるよう国家が支援することを前提に)公平で流動性の高い労働市場と効率的で競争力のある資本市場から得られた「果実」を、充実した福祉につなげていくというモデルであることは論を待ちません。

 つまりこのモデルでは、全ての国民が自分のできる範囲で「がんばって働く」ことが当然視されており、「働けるのに働かない」者がいることは制度として考慮されていないということです。

 勿論、どんな社会にも福祉に依存する以外に生きる術がない者が一定数いることは避けられません。南のヨーロッパや日本では、これまでこうした人たちは家族が面倒を見ることで顕在化しないことが多い訳ですが、個人主義を徹底する北欧社会では家族のバッファーが薄いため福祉依存が目立ちやすいと橘氏は言います。

 とりわけ中東やアフリカから労働力として導入された移民の間では、様々な理由から長期の失業生活を続ける若者が急速に増えているということです。

 多くの国際調査が示すように、スウェーデンをはじめとした北欧の国々が世界で最も効率的で公平な「リベラル」な社会をつくってきたことは間違いないないでしょう。しかし、こうして移民たちの一定数が街角で物乞いなどをしながら生活している現在のスウェーデンの状況を見る限り、そうした「闇」の存在が今後存在感を増してくる可能性は否定できないと橘氏は捉えています。

 光が明るく強いほど、光が当たらない闇の部分はくっきりとその輪郭を表すもの。

 スウェーデンやデンマークなど、北欧諸国で移民排斥を求める右翼政党が軒並み支持を伸ばしていることを考えれば、北欧の野心的な社会実験がどのように変質していくのか、その結末を知るのにそれほど長く待つ必要はないだろうとこのレポートを結ぶ橘氏の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。