あきよしブログ

南埼玉郡旧百間(もんま)村 地区と家の古今

熱海療養日記(3)

2013-10-14 | 熱海療養日記 大正二年(1913)

轉地日誌 No.1     熱海日記(3)

    十一月三日  月曜    快晴
 昨夜の雨も名残なく晴れて海面を射て来る旭日の光は客赥も無く室内にあふれて目も眩む様な御天気になった。今朝、朝食の膳の上に手紙が二本乗って来た。一通は此前の父上様で一通は丹過の三千三君で絵葉書は第七回父展鏑木清方筆「かろきつかれ」であった。それに「カンバスで見ると仲々いヽ女でございます。実はちとほれて買って来たのでございます」は振ってる。午前中、淑女画報を読む。
 二三日来大変寒むなったので実はシャツや胴着やら冬の腰巻やら冬仕度を沢山持って来て、荷厄介な飛んだことをしたと思って居た處であるから、早速今日は是等の冬物を取り出して一切日光にあててから午後着込むだ。毎日の散歩も最早行く處が無くなったので困った。今日は矢張あてども無くぶらゝゝ出かけた。先ず停車場に行って見ると丁度軽便が着いたので沢山の宿屋の出迎人が出て居たが、それらしい上等の御客も無く何れも番頭連手持無沙汰に「何だ馬鹿馬鹿しい」と云った様な面付きをしてぶらゝゝ話し乍ら帰って行った。其の跡は又依然として元の静寂に帰った。と見ると今しも着いた軽便の小さな機関車が客車を離れてポイントの停車止りにシュウゝゝ蒸気を吐いて居た。其のそばでは年頃十二三才位の油じみた汚ない洋服を着た小僧が金槌で一生懸命石炭の塊を打ち砕いて居る。乗て来た機関手は上着をぬいで鑵(かま)の湯を石油空缶のバケツに取って石炭の煤煙で煤けた手や顔を洗って居る。以前の小僧は漸く石炭を打ち砕くのが終わると其の小さな至極汚ない機関車に乗りハンドルを緩め蒸気を通ずると忽ちシューゝゝとナリ風石相応の音を立てて前進を始め五六間行って止ると先きの砕いた石炭をシャベルで機関車に投げ込んで居た。こんな小さな小僧が機関を運転させるのかと思えば何だか妙な感じがした。
 僕は鉄道とか蒸気機関とか云う者は子供の時から非常に好きだったので、今でも考え出すが母さんや御祖母さんの膝に抱っこして車で高鳥の天神様へ行く時の往き帰りには日鉄線の堤に上っていつも気車道をうれしげに眺め汽車の来るのを楽しみにしたことを覚えて居る。今でもまだこうゆうことに就ては趣味を持って居るので一心にホームの方を見て居ると、一人の車屋が「伊豆山へ御出ですか」と聞く。「イヤ」と答えると「御出になれば丁度私も帰りですから」と云う。人を馬鹿にしてやがると思って、気力が付いてテクゝゝ出掛た。医王寺の山門を這入って見たら小供をおぶった老人が「今日は」と詞をかけた。外から本堂の中を見ると何宗だか知れないがシュミ壇の飾付が家の方の寺と丸で違って居た。寺に似合ず庭の突当りに藁屋根の汚い四阿があった。その後から杉の間をくぐって向側に出ると道があったので何の気なしに其道を上へゝゝと登って行った。處が向ふから十三四の小僧が汚い着物を着て草履ばきで背には梯子に樽を結付けてせおひ、こっちへやって来たが通りすがりに其の小僧奴が「どこへ行くんダイ?」と僕に聞く。妙な奴があった者だと癪に障ったから「何處に行かうと己の勝手だ。貴様はそれを聞えて何うする?」とあべこべにやりつけてやった處が「しかられるぜ!!」と言ふ。「誰にしかられる?」「うちの御父さんにキットしかられるから」と言へながらジロジロ僕の顔を見乍ら下に降りて行った。行き乍らも時々ふり返っては「ドウスルカ」?と云う様な目付きで、こっちを見て居るので其の度び毎ヽにこっちもにらめ付けてやり、しまいには「馬鹿野郎」とどなりつけてやったら奴さん何とも言はずにスタゝゝ行って仕まった。変てこなこともあるものだと思って上の方を見ると一軒家があって蜜柑の木が沢山ある。ハテ蜜柑を取りに来たと僕の事を思ったのだろうと跡で感付いた。
 それから軽便の軌道を通って行くと例の松下園と云う木札の出て居る處を過ぎ、陸軍病院の門の處から右に切れて小徑を通り、汽船発着所へ出たら丁度汽船が着いた處であった。そこに四十ばかりの年頃の西洋婦人と其の子供らしい十二三才の少女が引上げた船につかまって海を眺めて居た。思い出せば桜ヶ岡に居る西洋人らしかった。
 帰ったのが三時半頃、御竹さんが「つまらない者ですが召上れ」と云って珍らしく 御八ツな住よしの寿しを一皿持って来て呉れた。茶を入れてたべて見たら、とても私の御口に合いませんかった。それでも今日は御竹さんが「何か御洗濯物はありませんか?」と言って呉れたから肌襦袢を一枚洗って貰った。夕食の時聞けばあすは家の若い神さんが江の島から東京へ遊びにいくそうですと云うことであった。未だ主人たちが東京へ行って帰って来ないのに、又神さんが出て行くので家は丸で一人無し御留守になるのだそうだ。のん気ん者だとつくづく感心した。
 この家の若い神さん(良三郎の嫁)は江の島の恵比寿屋から嫁に来た人だそうだ。この人の姉妹は女郎屋だの待合だの水商売の家に嫁いで居ると云う話であった。「そうで無けりゃ肌が合わないからね」って僕が言ってやった。試みに「熱海の中に鈴木屋の親類になってる宿屋は無いのか?」って聞えて見たら「ありますとも、露木と山田屋が両方とも古い親類です」と云った。聞いて見て良い事をしたと思った。
 帰らないと思った良人一行は終列車で帰って来た。

   十一月四日  火曜    快晴
 国民新聞掲載伊藤銀月の小説「女王國」(4)は……
「いいじゃねえかよお光さん、上って遊んでいかせえよ」とお新が引留めを「家が忙しいだから、そうしちゃ居られねえだよ」と振切って立上がると「どうも御邪魔を致しました。又御嬢様の御對手に伺いますから」と恭して頭をさげた。三崎の女は娘も婆も、土地の者と都の人とへの此応対の使方が皆鮮かな、且つ巧みに出来るのである。
==と云うことが書いてあったが、此熱海の土地でも男と女も御互い同士の話は聞いて居て分からぬ位ぞんざいであるが、さて御客さんに対して話す時になると丸で言葉が違ってしまって、其の使分けの巧妙な事は驚く位である。して見ると温泉場だとか、海水浴場とか多く都の人達の出入りする處人達は何處の土地でも自然に言葉の上下二通りが出来る者かと感じた。
 熱海の湯は丸で石鹸は不溶解なので使ふ事が出来ないが水道の水でも余程硬水の様に思われる。故にこっちへ来ては石鹸を使う時に泡が立たないで誠に気持が悪るいのには少なからず閉口した。
 今朝貸本屋から生かさぬ中後篇を届けて呉れたので午前中読んだ。
 昼飯後御湯に這入った。何だかだるくなって何處ゝゝ出るのも嫌になったが、それでも終日室内に閉加護って居ては身体の為に悪いと思ったから、午后二時頃から散歩に出た。然しどこと云ふて行く處も無いので足に委せて御用邸前から和田磯の方へ出かけた。糸川を渡って右に入るとそなる木挽工場があるので、こういう徒然の時には替った者なら何でもよいので早速其の工場を見に行った。動力は蒸気で曲がりくねた節だらけの松の木を四分板に割って居た。相変わらずアヽ恐しい丸い鋸が木に食込んでキーゝゝと云う命でも取られるかと思う様な嫌な音を立てて居るので暫くして此處を出た。水車の脇から海岸に出た。此辺は町はづれで皆百姓家ばかりであるが、それでも文明は恐ろしい者で、何處の家も焼けた汚い草葦の小さなに駿□電鉄の電燈線が引込んであるには驚いた。聞けば電気はランプよりも得用だと云う話であった。それにしても家の方はどうして電気が出来なかろう?と此辺の農家が羨ましくなった。水車のある川が海に注ぐ處に一人の四十位の女が妙な姿をして、二間ばかりの建竿で魚を釣って居た。見れば餌はめヽずで浮かしをつけて流れにひたして居るがイツになったら釣れる事やら。此人も少しキ印ではあるまいか?と思った。目付などは確かに、そうらしかった。
 今日は空は少しどんよりと薄絹をかけた様に曇ったが、海は油を流した様で誠に浪が穏かであったから、河原に降り立ってセロゝゝくる浪打際に、踏んで静かによせては返す水に見とれて居た。フト気がつくと、心は丸で故郷にうつり父上様は今頃は何をして御出だろう?田や畑はどんなになったろう?と色々とそれからそれへと空想に耽った。転地なのでと云うと、知らない人はさぞのんきで面白くて良いだろう!と想像するかも知れぬが、病の為めに一人なつかしき故郷を後にこころして知らぬ處に月日を暮らして居るのは決してはたで考える様な、そんな楽しい者では無い。身体さへ達者なら決して、こんな處に長く居たくは無いのは山々だが、病では仕方が無い。矢張此世界に、故里より良い處は誰れしも無いであろうとツクゝゝ考えた。
 帰りは「百合子」(菊池幽芳作)上巻一冊借りて来た。近頃はどうゆう者か、散歩に出ると非常にくたびれて来て足を運ぶのが嫌になり、遠方なぞへ出かけるのは真実御免と云う様になってしまった。どうゆう者かしら?。

   十一月五日  水曜    快晴 暖かし
 今日は終日嫌な気持の日であった。此四五日に熱が出初てから何だか又身体の具合が悪くなり、倦怠を覚え何事をするのも嫌になって散歩さへもする気がなくなった。追々病気が進むのではないかと思ふと自然と自分の影が薄々なる様な気持になる。殊に今日「百合子」を読んで見ると可憐なる二十一才の百合子は肺結核に冒されて然も両親の為め、金に買はれて結婚をすると云ふ悲惨な冒頭であるが此の先き如何なり行きや小説ながら人事とも思われぬ様な気がする。
 花崎の父上様から色々と心配されて福島先生に聞えてピラシドンに代るべき薬を態ヽ当方まで添へて言って来て下すった。夜になると桂子からも細々との書面が来た。今日は方々へ手紙やはがきを書いたので非常に疲労したので日誌も書くのが嫌でゝゝ仕方ないから之れでやめる。

   十一月六日  木曜    快晴 暖
 妙な者で手紙の来る日には方々から申合せた様に一度に三本も四本も来るが、又間を置いて来ない日には一本も来ない。思う様にならぬ者だ。
 鈴木屋では小供の無い為めか(確かなことだろう)非常に犬を可愛がって、別荘に五頭、本宅に二頭、合計七頭居るそうだ。番頭共は時に犬を温泉の湯で石鹸をつけて、身体中綺麗に洗ってやって居る。犬の奴も嬉しそうにして凝手として為すがままにして居る。然し行儀の悪い犬共で、庭の綺麗な芝生の上に遠慮意酌無く脱糞するので、それはゝゝ庭中何処へ行っても犬の糞だらけであるのは聊か閉口する。けれども宿の者は主人初め召使まで皆んな平気で居るから驚く。僕にはとても我慢が出来ぬと思った。家で皆が可愛がる為めか、犬共は決して門から外へは出ないで、いつも家にばかりへばり付いて居るから、尚更始末が悪い。
 近頃、頭が非常に馬鹿になって、物忘れをすること夥しいが、特につまらぬ字を忘れることはホトゝゝ閉口する。それ故、此頃気を付けて日誌や手紙を書く時にも成る可く勉めて本字を書く様にして居る。又句読点を付ける事も、勉めて実行して居る。然し此の日誌も、とても文章を練って書くなどと云う事は、てんで頭から出来ない。それ故何でもかまわず出鱈目を書綴ることをして居る。
 今日も相変わらず散歩に出るのが大変嫌であったが、思い切って出かけた。別旦 行く處とては無いので、和田の方から御用邸の方をフラついて、すぐに帰って来た。宿に来て見ると、僕の室の左右に御客が這入って居た。今迄暫らく別荘は一人占めであったが、今日から三組となった。
 毎日ゝゝ天気は能く快晴を持続して、ホカゝゝ小春日和であるが、それでも東京や田舎の方は降霜があると云うから驚く。此頃では熱海と家では大変時候が違ふだろうと思ふ。
 此處の家では少し御客が二組も来ると例の御竹がドヤゝゝバタゝゝ、モウ外の女中番頭も一緒になってドヤゝゝ大騒ぎをするのが、御きまりであって、其度毎に僕は非常に嫌な気持ちがする。全体旅館をして居る以上は、御客の来るのは当然であるから不意に一組や二組の御客が来たからと云って、其の度毎に火事でも初まったかと思う様な大騒をするのは、チト平常からの用意が足りない為かと考える。殊に今夜は夕方から大騒をして居る上句、十六番の電気が点かないので、御客は一人真暗の處につくねんとしていたが、気が着いたと見えて呼鈴のあるのも知らずにパタゝゝ手を鳴らしたが女中は一人も来ない。其の中に客が廊下で女を見付けて「電気が点かないぜ」と言ったので、又もや御竹が「繁さん」「吉さん」何さんゝゝと大声で呼び乍ら、家中を駆けずりまわって居た。イヤゝゝ嗜みのない女だと思った。之を見ても、何處の家でも坐敷はチャンと片付けて置いて、何時来客があっても差支無い様にして置きたい者だ。御客が来てから家中でドヤゝゝ騒ぐのは、外目にも平生の様子が覗かれて、主人主婦の心機が客に読まれる様な思いがする者だ。とツクゝゝ日頃の様子を見るに付け思い起こされた。それは一体、此處の家では金を使ふ度々来る御客は非常にチヤホヤ大事にするが、初めて来た客は取扱いが頗る粗末な様に思われる。現に今日電気の点かない室に来た客も新来らしかったが、隣で様子を見ると、余り取扱がよくない様に思われた。何處もそうした者であろう。世の中は凡そ現金な者だ。
 今夜は久振で三味線の音を聞えた。二階に宿った客が芸者を上げて騒いで居る。芸者は確か二人で何れも年増らしい声がした。今迄毎日一人で淋しく暮らしていたが、今日は急に客が増えて、芸者まで来たので、何となく家の中の空気が騒がしい様な心持がした。十七番では今(九時)按摩を頼んでもんで貰って居る。イヤハヤ世の中は様々な者だ。

   十一月七日  金曜    雨  浪高し
 何時頃から降り出したか、朝目をさまして見ると、大変雨が降って居た。殊に風まで吹き出したので、浪は高くゴーゝゝと云う音が物凄い様に聞こえた。今迄随分長く天気が続いたので、又暫らくしけるだろう。机に寄って、見渡す處、海上には漁船は一隻も出て居ないが、それでも例のいつもあるトマを切った漁船は二三隻知らぬ顔に碇を下ろして居た。昼飯を済ますと雨は一寸止むで、初島が浮き出した様に見え出した。然し大島は少しも見えなかった。
 今日は終日、何處へも出ずに宿に居て、本を見た。身体の悪い處へ持って来て、此の陰鬱な天気にはツクゞゝ嫌になった。旅行案内をみて、国から熱海まで来る気になって電車の時間表を造った。
 温泉と云えば何處でも風呂はドウゝゝとかけ流しで、常に適当な温度の湯が一杯に満ち満ちて居る者の様に思って居たら、熱海は丸で反對で湧き出したばかりの湯は熱湯であるから、之を適当な温度まで冷却してから這入る様に成って居る。それが為め、一見した處は、丁度並の風呂の様で(殊に湯が無色透明の為め)一向温泉らしく無い気持ちがする。それは良いとしても、一人か二人も這入るとすぐに湯が汚くなって、後から這入る者は気持ちが悪いのみならず、かい出す毎に風呂の中の湯は減じて行くので、とても伊香保や箱根の様な風に湯がかけ流しで新陳代謝する如き快感は無い。全体此旅館などで、湯の立て方を聞くと、熱湯である處の元泉を風呂に満し、之を十二時間位放置して冷却せしめて、初めて人が這入る様になるのであるが、未だ冷め切らないで熱い時には之をうめる事が出来ない。水でうめれば温泉の効力が減ずるから、慎重に自然と冷めるのを待つより外致方が無い。(但し冷め過ぎた時には蛇口をねじれば熱湯が出るから自由に加減することが出来る)これで吾輩考案したのは、外でも無いが温泉の冷水を作って置いていつでも加減する事が出来る様にして置いたら大に便利ではあるまいかと思うのだ。その方法は面積が廣く深さの浅い湯船を造り、之を風呂場の外に放置し、常に温泉を之に湛へて冷却温泉を常致し、更に之れを各風呂桶へ鉄管で導き蛇口を付けて熱湯の出る蛇口と二つ行儀能く並べ、之に「熱湯」「冷泉」とでも、何とでも誰でも分かる様な瀬戸か何かのハイカラな目印を付けて置いたら非常に便宜では無かろうかと、湯に入る度びに、いつもそう考える。なぜ旅館で恁んな簡単で便利なことを実行せぬのかと、怪まれてならない位だ。又更に客の快感を起す様にするには、今云った冷熱二つの蛇口から一と二とか、二と三の比例とか云ふ様にチャンと一定量の湯が同時に出る様にし、之を桶の外で一つにして風呂桶に導き、絶えずかけ流しにする様にしたら、尚更結構なことになるであろう。要するに客から一日一人六銭の湯銭を徴収するのは、モー少し何とか便利で清潔で快感を興ふる様に改良してほしいと考える。

   十一月八日  土曜    晴  浪高し
 天気が快復した為め、今日はいくらか、心持が可かった。それでも此一週間ばかりは時々胸部が痛むので閉口する。又本を読んで居て、どうかすると急に呼吸苦しくなって来る事が有る。何れも病のせいだろうと思ってる。全体熱海に来てから未だ幾日も立たないが、病気は可いのか悪いのか、さっぱり譯が分からない。
 昨日一日何処にも出なかったので、今日は御天気を幸ひ、午后から一寸散歩した。例に依って例の如く、何処とて行く處も無い。下卑の話に今日は大変「そうだ鰹」が取れるそうだと云うう事であったから、海岸へ出て見たが、一人も釣って居る人も無しがっかいして帰って来た。
 帰って見ると、御八ツとして牡丹餅が三つ朱塗の木盆に盛って其の上へ丸い蝿除をかぶせて御竹どんが持って来た。珍しいので二つ平らげた。
 客は今日も両隣りと僕と三組だ。今日は徒然なるまま「忘れ易き文字」と云う一冊を書いた。そして雑誌や新聞で始終使っている有触れた字で然も忘れ易い文字を集めて之を集録したのである。手紙や文章を書く時に大に参考となり、又自然と文字を覚えるに最も適当であろうと考える。
 貸本屋へ百合子を二冊返して、今度はつまらない者を二冊借りて来た。それは●桜痴居士著「伏魔殿」と三宅晋軒著「奇々怪々」の二冊だ。


    十一月九日  日曜    曇  浪高し
 終日曇天で海面に渡る風は、身にしみる様に寒かった。満潮時の浪は風に操られて折重なって来る様な高く激しく岸に打寄せて来る。海岸の小石の上に下り立って、渚近く海面を見渡せば洋々たる水は大きなうねりを打って、漁船は時々波間に影を没し、沈んだかと思うと、今度は高く打上げられる。然も漁師は平気で舟の上に立って、一生懸命網を海中に投込んで居る。いつもならば此の位波が高ければ漁船は出ないのだが、昨日からそうだが沢山漁れるので浪を冒してまで漁に出て居るのだろうと思った。
 午后一寸出て、辰床で顔をそって来た。熱海で一番の床屋だけあって、中々立派な者だ。その代り、刈込二十銭顔そり十銭だから。
 午后左右御隣りの客は立って終まった。其の代り散歩から帰って見たら、又両方とも御客が這入って居た。十七番は若い夫婦(兄弟では無いらしい)と七十ばかりに成る御爺さんとの三人で、其の御爺さんが中々面白い滑稽な人らしかった。禿頭で大きな眼鏡をかけて藍縞の綿入り羽織を着て雙眼鏡を持って庭に出て大きな眼鏡の上から更に雙眼鏡で海を見て居る處は滑稽だった。何でも此の爺さん何度も此家に来たらいかった。然し若い男と女は未だ初めてで熱海の西も東も分からなかった。第一何処から来たか分からないが話の様子では東京の人の様であったが、四時頃皆で飯を食って居るから、ヒドク半端な食事だと思ったら、それが中食なのだ。それから御竹どんが夕食の料理を伺いに来たら雙眼鏡で眺めながら「アー私は卵焼きにしましょう。一番軟かで可い。卵焼きだゝゝ。」と一人言を云って居る。中食の遅れた原因として爺さんの曰くさ「電車(軽便のことをイツも電車ゝゝと云ってる)に乗って揺られると吐きたくなるから、それで中食を食はなかった。」と云うと傍から若い男が「ナーニ時間の都合で飯を食ふひまが無かったのさ」と辧解して居た。若夫婦(?)が食后二人ではがきを出しながら海岸の方を見てくると云って、御竹どんに道を聞えて出かけたら爺さん曰く「まいごになってはいけなよ。気を付けなよ!!」は振ってる。

   十一月十日  月曜    快晴 暖かし
 今丁度十二時半、僕は散歩に出かけ様と思って仕度をしたが余りに面白いので忘れない中にと思って早速カメラならぬ日誌の中に採録することにした。全体何度の老人と云ふものも皆なせっかちな者だとは承知して居るが、それが又「若い御夫婦対老人と」云うコントラストだから、その両者の間に於ける会話応対、其他起居動作、実に面白いので僕は熱海に来てから初めて竊(ひそ)かな笑いを洩らした。御夫婦は今朝一寸拝顔すると、男は二十四五位の商人風(何でも浅草辺らしい)女は二十二才名は千代(之は昨夜宿帳をつける為御竹さんが質問した時答えたのを聞えたのだから正確だ)と申し、一寸拝める。 (男は浅草本材木町高◎孫◎郎)と分かった。代物だった。處で此の二人は以ての外の奴等で御爺さんそっちのけで朝から晩まで二人で散歩に出たり、其の間々には睦まじ相に小説を読んだり読ませたり、イチャツイて居るかと思えば、二人で一緒に必ず湯に這入っては小一時間も何をして居るか分からない。「アラいやですよ」「随分だわ」「アラ怒って?御免なさいな!」「随分御人が悪いワ」の連発で恐れ入った。ハテサテ猫のお化でもあるかい?と思ってだんゝゝ、それとなく(別に嫉ける訳でも無いが)探って見ると、御爺さんのほんとの孫で、女は嫁に相違なく、確かな堅気者とは知れた。それでも御爺さんの前で、あんまりだと思うよりは寧ろ御爺さんは気の毒の様だった。
 處で今の滑稽と云うのは、元来此爺さん頗る気短かで、今日午后二時五分の汽車で帰ると云うのに、朝から騒いで居る。丁度午前十時頃、二人は例に依って釣堀に行って見ると云って出かけると、御爺さん曰くさ「もう時間がないから行かん方が可いだろう」と云うと男が「ナーニ未だ緩りですよ」女「御爺さんまだ九時位ですよ四五時間もあるワ!」と言捨てて出かけて行った。実に此時十時跡は老人一人でカタとも言わずツクネンとおとなしく室に待って居た。すると十二時過ぎになって、御竹さんが御飯を持って来て「アラ皆さん未だ御帰りになりませんか?」と云ふと爺さんしたり顔に「ほんとに若い者は困ってしまいますよ。御昼になるのも分らないで何処をふらついて歩いて居るか知れないが、全体これでは汽車に間に合ひはしない。其の釣堀とやらにお世話でも迎えに行って貰ひましやうかね。第一時計を持って行かないから時間も何も知らずに遊んで居るのでしょうよ。困った者だ!」と先づ不平の第一矢を放った。御竹さんも「御迎えに行っても何処を御歩きになって居るか分かるもんですか。然しご隠居さん、まだ二時間もありますから其内には御帰りになるでしやうよ」と云って向へ行って仕まった。處が爺さん飯も食わずに一人で頻りに二人の帰りを待って居た。約二十分も立つとドヤゝゝと二人が帰って来た。サアー此からが騒動だ。二人が「唯今」と這入って来ると、爺さん待ってたとばかり「オヤオヤ、二人は何をして居るんだい。もう汽車が間に合いませんよ。時間も知らずに遊んで居ては困りますね。サアゝゝ早く御飯だゝゝ」「御爺さん未だ御飯を食べてないのですか」「食べないさ。待って居たのだ者。もうとっくから御飯が来ているのだよ」「そんなに急がなくっても大丈夫だよ。御爺さん、まだ二時間もあるんですよ」「ナンニそんなにあるものかね。間に合いませんよ」暫らく男と女で一緒になって御爺さんと対向して居た。すると男が膳部を見て「こんな者誰があつらいたのだい。私は大嫌いだから食べない」と云うと御爺さんが「ソレハゝゝ御爺さんが女中に何でも見計って拵(こしら)えてくれと頼んだのだと云ふことだぜ」「ナニ私が頼むものか?」女「ほんとに誰もこんな者あつらいないわね」「兎に角、これでは御飯がたべられないから、御魚を注文しやう」と云うと御爺さん「ナーニ云ってんな我儘ばかり言って、そんな事をして居ると汽車に間に会わないぢゃないか。サーサー生卵でたべてしまう方がよい」と又々一問題持上ったが遂に二人して廊下に出て御竹さんに注文した。すると爺さが「ソレなら料理の出来る内、早く仕度をした方が可い。サーゝゝ早くゝゝゝゝ」とせかす。「ナーニ未だ緩りですよ。御湯でも這入って来やうかね」と女に話しかけると「とんでも無いことだ。今から湯に這入るなんて、そんなのんきな事を言ってる暇はありゃしない。それより仕度を早く、鞄は可いかい。その土産物はどうして持って行くかね。着物を畳んでしまいな。サーゝゝ早く」「うるさね。ほんとい御爺さんぢや嫌になっちやね」「御爺さん大丈夫ですよ。時間がありますからさ」其内に男の方が見えなくなると「オヤどうしたい」女「たしか、はばかりでしゃうよ」「アーはばかりかい。またあいつの便所は長いからね」と云う。兎角する中に料理が出来た。爺さん大急ぎ「サアゝゝ出来ましたよ出来ましたよ。早く早く御飯にしなさいよ」とどなり立つれば「大丈夫だよ。うるさいね。御飯なんか食べるのはすぐですよ」「ナニ御前の御飯は又馬鹿に長いからね……」「人を莫迦にして居ら」………騒ぎゝゝ暫く御飯になった。すると爺さんどうゆう気か食後御湯に出かけた。「妙だね。今まであんなに騒いでいたくせに、御湯に這入ってぜ」「ほんとに御爺さんたら急ぐのネ。いやになってしまうワ」御爺さんの留守中盛んに色々なことを云って笑って居る。「大急ぎで一風呂這入って来ましたよ」と云って出て来たが、「私は足が遅いからソロソロ停車場へ出かけましやう」とやおら出かけ様とすると嫁が「御爺さん、まだ御早いですよ。まだ一時間前ですよ。今から行って一時間もあんな汚い停車場に待って居るのは馬鹿らしいワ」と言って今度は亭主に向ひ「ネーあなた」と跡をつけたした。「ウンそうだともゝゝ、さっき停車場で時計を合わせて来たのだから大丈夫だ。御爺さん全体時間も分からないで一人で騒いで居るのだね。莫迦らしい!」「御前そんなことを言ったって、若し二時の汽車に乗り晩れたらドウする気だい?急がしい身体を持って居ながら其麼呑気な事を言って居られるかい!」「だって時間が有るんぢゃないかね」と云うと、御爺さん今は客赥成り殅くと云った様な風で「ハヽ御膳何かい、未練があるんだね。帰る時に思い切って行かなければいけませんよ。」と一本真向いから参った。ハテサテ未練とは変な事だが一体「熱海に未練があるのか」と云うのだろうと解釈した。嫁さん見兼ねて「サアゝゝあなた行ましやう。いくらはやくったって可いぢゃありませんか」と仕方無しに御爺さんの説にに同意する。其の内私は可い加減に見切って散歩に出た。(散歩のことは後に記す)午后三時半帰って見ると、隣に一人の若い婦人が新聞を見て居る。ハテナ先の御客は帰った筈だが。能く似た人もある者だ、と思って能くゝゝ見ると間違い無く例の御千代さんだ。そうこうする中に御爺さんが湯から上がって来た。オヤゝゝ之れは皆居るのかしら?と聊か不審に思って居ると、実は帰ったのは若い男一人であったのだ。
 それにしては前の話の様子では全く府合せない様な處も有ると思ったが、それにしても先きに「未練があるのかね?」と御爺さんの言ったのは是れで慥かに読めた。矢張り「御上さんに未練があるのかね?」と云う意味だったのだ。御爺さん中々隅に置け無いと初めて思った。サーそれからと云う者は若い娘と七十の老人と二人きりであるから、さっぱり話も無い。至て静かな者だ。お千代さんは時々本を見て居ては、「ハー」と云って何事をか頻りに嘆息している。「御前どうかしたかい?」と御爺さんが聞くと「イヤ、少し頭痛がして……」「それでは早く休んだ方がよいよ。アー女中さん、お床を伸べてお呉れ。これが少し頭が痛いと云うから…」女「イヤ未だ早いからよござんすよ」「ナンニ、床を伸べて置いて貰ひば休むとも本を見るとも、お前のすきにしなさいよ」と親切に云って呉れる。然し、いくら御爺さんが親切に話しかけても御千代さんの方では碌々に返事もせず、矢張何か考へ事をして居る。読めたゝゝお千代さんの心中、大にお楽しますよ!何だか片臀もがれた様でしやう」と云ってやりたい位……御爺さんは相変わらず、時々独言を云って居たり、大きな眼鏡をかけて本を読んだりして居る。片ッ方お千代さんの方では庭下駄をはいて垣根近く出て、海を越いて遥かに東京の空を眺めて居る。今しも月は雲間を離れて青く庭を照らし、初島はボーッとかすみの様に見え、海面には無数の漁火チラゝゝゝゝ……の体宜しく幕。
 午后、梅園の紅葉を見に行く。此前行った時とは違い、急に紅葉して非常に可かった。桜が岡の新道を行きながら、遥か南の方の丸山には緑濃き杉の古木の間を紅葉や雑木が真赤に紅葉して埋め、丁度綿を織り出した様。梅園では今日は撫松庵に行って、名物の汁粉を二杯食べた。中々旨かった。此家、一人二十三四位のハイカラさんが居て、御相手をして居る。中々敏く饒舌えて居た。酒ならぬ汁粉を食って女に対す。亦妙ならずや。そこゝゝに辞し去る。
 嗚呼、今日は時ならぬ日誌の種子に有りついた。又明日も面白い種子を見付けましょう。
 夜になって終列車で十六番へ一組の御客が来た。又何か日誌の材料も有り相なもの……。

    十一月十一日  火曜    晴 
 此頃、又神経衰弱の再発の為めか、毎晩十一時過ぎまで眠れないので閉口する。
 今朝御竹さんから頼まれて、手紙やはがきを四本書かされた。一本は家の御上さんで宛名は日本橋 町一丁目花屋敷、大常磐桜へ 鈴木屋御内□様と云うので封状、他は皆絵はがきで宛名は麻布三河島町十三溝渕熊吉。横浜市元町五丁目梅原徳治。麻布市兵 町二ノ三十六坂井富次郎の三枚だった。必要は無いが念の為め記して置く。序に良平へも絵はがきを出した。
 「問題の女」お千代さんも今日はからきし沈んで居て、少しも日誌の材料が無い。困った者だと考えて居ると、幸に御竹さんが夕食のお料理を聞きに来たので、やっと一ツ見付け出した。此前から此御爺さんはとろろが大好物なので、醤味の時に女中が見計って、とろろを出すと大㐂び「オヤゝゝ私の大好物で……幾度でも可いいから若し御連があったら私にも拵いて下さい……」とホクゝゝして居る。其次に好きなのが卵焼で、今日も刺身は何の魚か?たつた揚げと云うのは何か?(これにえびのフライの様な者)と色々聞いた上句、お千代さんに向ひ「お前の好きな者にしな」「イエ、御爺さんの御好きな者を御誂いなさいな。だって私の好きな者は御爺さんは御嫌いなのですもの」と云って居たが続えて「私の好きなのはやっぱり唐人料理ですわ。…フライがいいわ…」と云って笑って居た。御爺さんは西洋料理の事 を唐人料理と云ってると見える。「そうかい、それではお前はそれとして」と少し考えて居たが「私はやっぱり卵焼にして貰ひましやう。軟らかくて、おいしくて一番好い…ハー」とうとう又卵焼にきまった。
 此御爺さんと今日は一緒に御湯に這入ったら、粕壁、岩槻辺の事を能く知って居た。そして「粕壁近在なれば東京も同じですよ。汽車で直ぐですからね。私は東武のパースが二枚あるから、度々乗る事がありますよ…」「「ハヽ、それではアノ大株主で?」「イヤ、大株主も何もありませんがね」と謙遜して居る。「岩槻は一寸不便な處ですネ」と云うから「ナンニ今ぢきに電車が出来ますよ」といつ出来るか知れない電車の事を今にも出来る様に言ってやった。「失礼ですが浅草付近ですか?」と聞くと「そうですよ。材木町です。私は向島の曳船と云う停車場から降りて行くとぢきそばの處に居ります。イヤハヤあの辺はさみしくて丁度此辺と同じ様ですよ」話の様子につれあいの婆さんと二人で隠居して居るらしかった。嫁さんのお千代さんの実家は日本橋槇町だと云うことも知れた。兎に角、室に居ると隣りの話しは何でもかんでもすっかり分かってしまうので、聞くとも無しに色々なことが耳にはいる。それでこっちは日誌の材料を鵜の目たかの目で見付けて居るので兎角近来不漁続きの時だから、何でも御話に取上て書いて居る処さ。
 十五番の客は昨夜終列車で着いたので四五十位の夫婦連れ。何でも関西の人で東京初め、處々方々関東見物に来たらしがった。縛らく滞在するらしかった。此二人の話が実に滑稽で殊にお婆さんの方は大声で話をするので、関西丸出しの語気は頗る振って居た。
 今日落花生を五袋(五銭)買って見たら、中からつじうらが出た。一寸角位の西洋紙に綺麗な五号活字で印刷してあるからハイカラなつじうらだ。出たのは次の様な都々逸であった。
              〽あいそづかしは いつでもできる
                    とつくり しあんをしたがよい
              〽あまり 返事が ありがたすぎて
                            だましやせぬかと くろうする
              〽口ぢゃ ゆわれず しろちじやできず
                            おしと つんぼの 色ばなしーーー

 例の関西物御夫婦は夜になると二人で盛る謡を歌ひ出した。流は多分宝生流であろふ。二人とも余り御上手では無い様だった。御爺さんの方は振へ声で聞こえて居られない位、丸で風前の燈と云った形。又御婆さんの方は余り振へないが是又御經の如し。然し、どっちかと云ひば、御婆さんの方が、上手だった。約二時間も謡曲をやって、それが暫く終わって、ヤレゝゝと思って胸を撫下すと今度は二人で囲碁を始めた。尤も之れは御爺さんの方の発起だった。然し二人とも揃れも揃って謡をやったり碁を打ったり、器用とと云うか、多藝というか、アー御婆さんも中々やり手だワイとつくゞゝ感心した。

      十一月十二日  水曜    快晴
 毎日ゝゝ、起きて見ると旭がキラゝゝとして、海面を映し迚も障子を開けて置けぬ程眩しい。洗面をしてから庭に出て朝露を含むだ芝生の上を漫歩し、太平洋を渡る新鮮なるオゾンを思い存分吸入し深呼吸を終わってから、朝の煙草一ぷくを喫するは何とも云ひしれぬ快感である。そうだ、その筈だ。之れが熱海の生命ある所と共に、態々転地するのも是有るが為めであるまいか。
 連夜の不眠症に苦しまれるので昨夜は試しに夕食後、茶、飲むことを廃し、入浴の回数を増し、尚ホ床を伸べてから寝際に一度入浴して、都合一日五回入浴して見た。處が十時には自然と眠気を生じ丁度魔酔にかかった様に可い気持に知らずゝゝに何時の間にか眠って仕末った。朝も七時まで非常に可い心持に十分睡眠する事が出来たので、起きてからも今朝ばかり大変心地が可かった。 朝食の時、お鶴さんが言ふに「今朝お竹さんはお中が痛いて休むで居ます」と云ふ。之をキッカケにお竹さんの事を聞えて見たら僕の想像通りお竹さんは年四十二才とかで一度嫁入をして今年十六になる女の子と十三とかの男の子を残して亭主は過くる年死んだので、其の後引続き二十年も此鈴木屋に奉公して居るそうだ。生れは熱海で新渡町花月の近所だとの事だ。お歌さんが鼻の治療の為め小田原に行って休むで居るので、昨日から一人の女中が新しく雇れて来た。二十四五位の色の黒い丸顔の女でお栄さんと云った。手塚在とかの人で前に箱根あしの湯紀伊國屋に居たのだそうな。大変、御顔に似合はず言葉のしとやかな女だ。本宅に居る、旦那の従妹はお六さんと云うので今年二十七才になるが、まだ適当なむこさんが見付からないそうだ。十七番の御爺さんは今日は十五番へ行って碁を打って居た。幾面か打ってから帰りがけに「どうぞ、又いらしッて下いな」と言われたら「ハイゝゝ又晩程参ります。どうも暇でゝゝ御湯に這入るか、寝るか歩くかですが、歩けば足が痛いしネ。ほんとに困りますよ」と言ひ置いて出て行った。中々面白いお爺さんだ。夕方、神谷とか云う客が入り込んだので平屋の方を明けるやら、ドサクサゝゝ大騒ぎだ。此客は二三日前、気船で荷物を三四個コモ包にして送って来てあった。
 今日から英亭に何とかいふ玉乗曲藝がかヽった。其の間貸本屋から借りて来た「伏魔殿」と「奇々隆々」の二冊を返し、改めて江見水僚「海水浴」と風葉の「恋慕流」の二冊を借りて来た。

     十一月十三日  木曜    快晴   暖かし
 昨夜も能く眠れる様にと思って入浴して見たが、怎してものか十二時が打っても眠れぬので大に閉口した。時間が立てば立つ程、隣り近所の人々の鼾息や寝言などが耳に這入って、目は益々さいて来る。何でも眠ったのは午前一時近くであったろうと思う。奈何しても又神経衰弱の再発に相違ない。朝起きてからも何だか頭痛がして困った。
 今朝は起きるや否や気持が悪いから、一つ湯にでも這入って見たらと思って洗面せずにすぐに入浴した。出てから庭に出て昨日着いた御客の男の子二人と遊んで居た。無邪気で可愛らしい。
 朝飯がすむと、十七番の問題の女と御爺さんは伊豆山に出掛けた。だんゝゝ様子を見ると此の問題の女お千代さんはほんとに嫌な女だ。十五番の関西者の例の謡曲をやる面白いお婆さんが見かける度びに「お姉さん、チト御遊びにいらっしゃいませ。御退屈でせうから。御話に御出なさいませ…」と関西弁で親切に言って呉れるのを、こっちは鼻であしらって碌に御辞儀一つせず「ハイ」と言ったきり見向きもしないでスクゝゝ向ふの方へ行ってしまうのが例だ。苟も二十二になって、人の妻となって居る以上は、モー少し何とか挨拶の仕様もありそうな者。実に此女は内気と云うか(イヤ内気處にあらず)世慣れないと評せうか高慢と云うか、其の変挺さ加減は迚も話に成らない。イヤハヤ大きな御世話。人の嚊(かかあ)の批評を兎に角した處で何の益も無いが、最初の縁故から「問題の女」として名を出した以上、是も矢張其の人の性格を表はす為め、是れとも御見捨ならぬ事の件だ。今朝又々実況を一見したまま、書くことにした。要するに是も退屈凌ぎの一策。人性観(僕一流の)の第一歩と見て差支無い。
 此頃又天気続きで、今日の如きは綿入一枚でも熱くて仕方ない位之では日中は単衣物で充分居られる。世間では日増に寒威凓烈とか何とか言って居るけれど、此處ではいつになっても寒気は襲来せぬのみならず、此分では日増に暖かくなりそうだ。実以て熱海の有難味は寒くなるに連れて顕然と著れて来るには驚いた。
 今日は余り暖かくて、ムサゝゝする程であったから、身体が倦く散歩に出るのも厭であったが、思切て二時頃から伊豆山まで行った。此處は二度目だから、すぐ其処の様な気がして、間もなく到着した。行く時に停車場の處で撫松庵の人に遭ったが、途中で軽便に追掛けられたので、道を避けて居たら矢張り其の中に乗って居て笑って居た。伊豆山に見る所の無いのは知って居るが、近頃熱海通になって、何処へも最早行く處が無いので、隣の爺さんが伊豆山に行って帰って来たのを見て、面白くも無いが行って見る気になった。一人でブラブラ気侭に道草を食って歩くのも呑気な物だ。行く道々の畑では百姓が甘藷を掘って居たり、畑耕耘したりして居る。田は大抵刈取って仕末った。此辺では排水が最も良好なので今では丸で立派な畑になって居るので、百姓は田の稲を刈取ると刈干しにして暫く置き、乾燥した頃を見計ひ小束にさへも束ねないで丁度陸稲を扱う様に、田の中で直ぐに少しづつ分けてい扱(しご)いてしまい、其の籾(もみ)を風扇でザットあをいですぐ俵に入れて家に運ぶのだ。陸稲も未だ刈らないで薄青いのがいくらも畑に残って居る。僕の地方で麦薪は大抵十月下旬から晩くも十一月三日頃までと思って居たら、此辺では、まだ何処でも麦薪をした處は一つも無い。之れと言うのも気候が温暖だから早く蒔けば年内に敏茂して生育を害する為であろう。それ故水田も稲刈取の終わったものは、すぐに耕耘して整地をして居るが、未だ蒔いた者は無い。傯て此辺では稲や陸稲は先づ相当の出来であるが、蔬菜と来たら実に情無い様である。その癖熱海は澤庵の名物だと聞いて呆れた。其の大根はどれも皆猫の尻尾位の者だから。
 伊豆山へ行ってからは例に依って井の口桜の脇から海岸に出て、東の方へずっと相模屋の前に行き、今度は千人風呂を一寸覗えて上に登り、線路に出てすぐに帰って来た。二時に家を出て帰って来たのが、三時四十分頃だった。
 別荘も今迄静かであったが、急に客がふいて殊に三人の小供が来たので騒ぐやら駆けるやら実に騒がしくなった。 夜、徒然を慰むる為め、詰らないのは知りながら英亭へ出掛けた。豊田何菜とか云ふ玉乗曲芸の芝居でイヤモー八九才位の女子が演るので、見るに堪えぬ。九時途中で御暇をする事にした。それでも人は可成一杯で殆ど満員の好景気には驚いた。鈴木屋の主人も、料理番の栄さんも来た。兎角熱海の人は何でも此に生れ凡ての興行物は非常に好きな者と思った。翌朝御飯の時、お瀧さんに話したら旦那が来たことを少しも知らなかった。「旦那様は昨晩で三晩本宅へ泊まりました。それでは本宅から行ったのでしょう」「ハヽどうして本宅へ泊るのだろう?」と聞いたら女は笑って居て話さない。「何だか裏面には深い意味が潜んで居る様に思われた。何故なれば目下御神さんが東京に行って暫く不在だし。本宅にはお六さんという出遅れの従妹が居るのだもの。……と考えて来ると何だか邪推でも無いらしい。然し之は、吾輩一個の想像だから真偽は僕の関する處に非らずさ。 此項を十四日午前記す。



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