日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

電話を掛けてくる人にはいろいろな人がいます。

2017-06-08 08:57:38 | 日本語学校
晴れ。

晴れ…、でも曇ってきました。あと数時間もすれば、本当に雨になるのかしら。

さて、学校です。

学校には個人で留学を申し込みたいという人が、多々電話を掛けてきます。いわゆる「業者」と言われる人たちは別にしてです。外国人が掛けてくるだけでなく、日本人も掛けてきます。大半は、「知り合いに頼まれた…」というところなのですが。

知り合いに頼まれたという人たちは、途上国から来た人たちのことをあまり知りませんから、「よく知らないのだけれども、頼まれたから…」という言い方をするし、情報を得たいという気持ちが伝わってきますから、こちらも、ある程度、経験から得た知識を話します。

「知人というだけでは、弱いかな。あとで面倒なことになる場合も少なくない。途上国の人たちが言う『友だち』という言葉の意味は日本人が思うような意味でないことも多い。それに、『生活』と『旅行』とは違うから。その人の経済的な面、精神的な面、全てを被るつもりなら、別だが」という言い方をすることもあります。相手によってですけれども。

すると、相手が大人で、それなりに社会経験も積んでいる場合、「そうか、日本に来てから」という別の章も加味して考えなければならないのかと理解し、安請け合いはやめて、相手のことをもう一度みてくれる場合もあるのです。

一番困るのは、いくつかの日本語学校に当たって断られてから、ここに電話してくる人。もうかなり腹を立てていますから、同じように(日本語学校に)ためらわれた場合、複雑な様々な問題を切り外し、「人種差別だ」と、怒りをぶちまけるのが常。それが簡単ですから、それをします。

こういう人は、途上国の人が日本で生活する、しかも留学生として生活するという大変さがよく判っていないのです。だから、そう言えるのでしょう。またそういう人を引き受けた場合の自分のリスクというのも考えられませんから、それが出来るのです。説明しようにも、自分の気持ちをぶちまけるだけで、相手の話を聞く耳を持っていませんから、それも徒労なのです。

ただ、途上国の人を呼んでやろうという親切さは保っているわけで、無下にいらつくわけにもいかず、最初はそれなりに対応するのですが、あまりにしつこいとこちらも腹が立ってきます。これで途上国の人とやっていけるのかしら。ちょっと心配になってきます。慣れているはずの私たちだって大変なのに。

恋人を呼びたい。将来結婚するつもりだという人は、怒るのもわかりますけれども、そういう場合は、その人が全ての責任を持つと言います。それで実情がわかって、話が進んだりもするのですけれども。

留学する、させるというのは、面倒なことです。まず、申し込みから壁に突き当たってしまえば、事情がよく分からない人が、怒るのもわかります。けれども、聞く耳を持たなければ、思い込みで怒ってしまえば、たぶん、何事によらず、話はそこで終わりになる。これは当たり前のことです。

どうして日本語学校は人種差別をするのだと、勝手な正義感に燃えたり、また同じことを言われると思って、ヒステリー状態になったり、そこで相手が女だとわかると、途端に、ねちねちと「差別」を繰り返す…。

きちんと冷静に話せる人は、情報を得たいと電話してきているわけですから、こちらの話を聞いてくれます。少なくとも外国人を日本に呼び、教えるだけでなく生活指導もしてきて、様々な問題に出くわしているという点から見れば、こちらの方がデータを多く持っているし、経験を話すこともできるわけですから。

わずか十年あまりの学校でも、それは波瀾万丈でした。善意で始めてもすぐに潰れてしまう学校が少なくないというのもわかります。専門学校や工場、会社がビルがあるからと始める方がずっと経済的にうまくやれるというのもよくわかります。そういうところが見るのは、「経済的に」というだけですから。

けれども、教育という視点から考えると、それはもう大変です。同じ国の人が、5、6人でもまとまってくるようになると、それぞれの国の問題が出てくるからです。生活の面だけでなく、文法上、文字上、その国独自(?)の問題が出てきます。

もちろん、日本に来て、アルバイト代だけでも彼らの国の数倍稼げるということがはっきりとわかると、いわゆる「人格」までも変わってしまった…ように見える人も出てきます。理由はあるのでしょうが、稼ぐことに夢中になり、そういう人が学校に来なくなったりすると、日本で日本語を学び、大学に進んで、たとえば建築を勉強したいとか、経済を勉強したいとか夢見ている人たちまで、その人たちのあおりを食ってビザが下りにくくなってしまいます…。

学校としては、勉強したい。日本で技術なり、知識なりを学びたいという人を育てたいので、5人のうち一人でもそういう人がいるようなら、学校を存続させる価値があると思っているのですが、かなり辛い綱渡りをする羽目に陥ったこともありました。

この学校でも、最初は中国人(漢族、朝鮮族)、スリランカ人、中国人(内モンゴル)、ベトナム人、そして今はネパール人と、中心になる学生達が変わってきました。

同じ中国人でも、最初の頃はわけがわからない人たちが多くやって来ました。スリランカもベトナムも同じ。日本に行けば稼げると、出稼ぎのつもりでやって来たのでしょう。それでも、よく勉強してくれる人はいました。最初の頃は一人でも一生懸命に勉強してくれる人がいるとうれしくなったものでした。彼(彼女)のために何を準備しようという気持ちに、皆がなったものでした。

中国人が少なくなり始めた頃、ある年の4月生のクラスは、スリランカ、ベトナム、タイ、バングラデシュ、ミャンマーと多国籍で、彼らに漢字を教えるのに四苦八苦しました。よく勉強してくれましたから、一生懸命に勉強しているのに、漢字が読めないのはこちらの責任であるとそう思った分、大変になりました。

それで、小学生用の漢字のドリルを参考に、彼ら向けに導入編を作ったり、中級に入ると、教科書の本文に出てくる新出漢字の書き順を一つ一つ書いた物を作ったプリントを準備したりしました。これも教えながら作るので、教科書全部は一時に作れず、次の課がもうすぐ始まると、アタフタしながら作っていました。どれだけ作っては、失敗していたか自分でもわからないほどです。

携帯用には、書道の「芳名録」にいいものがあったからあの形を取り入れようと皆で知恵を絞ったりしました。学校では、そのほかにも、(授業とは別に)様々な学生による厄介事が起こっていましたが、一人か二人は常にそういうものをよく利用して、漢字を勉強してくれる学生がいたので、教えるのを投げ出したいという気持ちには失われませんでした。

もちろん、いくつもの波はありました、学校には。

最近は、ネパールからの申し込みも多く、それで、面接かたがた、ネパールの様子を見に行ってきました。どの国でも同じことなのですが、行かねばわからないことが多いのです。行って始めてわかり、学生を非難するのは間違っていたなと気づくことも少なくありませんでした。

わずか数日、しかも首都であったことで限界はありますが、現地の学校の様子、人々の様子などを見、教室の中の彼らの様子にいくつか合点できるところがありました。

これは内モンゴルであっても、スリランカ、ベトナムであっても、行かなければ見えないことも多く、むやみやたらに嫌だと言っても始まらぬことです。見えてきたわずかなものから類推して、学生と対する、そういう必要もあるのです、異文化の人たちを扱う場合。

例えば、同じモンゴル民族といっても、中国にいる人たちとモンゴル共和国にいる人たちとでは大きな違いがあります。同じように誇り高い民族であろうに、この違いをある程度加味しながら指導していかなければ、原石のまま終わってしまうという可能性だってあるのです。

まあ、あれもこれも、勉強する習慣がついていることが前提ですが。

前、おかしなことを言われたことがありました。「国では、この子は成績が悪かった。日本でちゃんと教えてくれ。勉強の習慣を付けてくれ」「えっ?もう二十数年それでやってきて、相変わらずダラダラしているのに、言葉の通じない私たちが、親の代わりに??何をつける???」

中国人の親からこんなことを言われたこともありました。「国で、物理や数学、英語も成績が悪かったから、日本で教えてくれ」「????」

中国人が中国人を教えてどうにもならないのに、日本人が日本語のよく判らない中国人に数学を教える?物理を教える?英語を教える?どういう意味???

親だってよく判っていないのです。

思えば、本当に大変です。でも、ま、しょうがないか。

日々是好日
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