日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「フフホトでの面接」。「『内蒙古福山蒙日文化村』日本語学校」。

2010-04-07 11:15:18 | 日本語の授業
 「三日見ぬ間のサクラ(桜)」とはよく言ったもの。四月二日から五日にかけて日本を留守にしていた間に、「サクラ」はすでに盛りを過ぎていました。耄けだって見えるのです、花びらが。小学校の「サクラ」は、もうかなり花びらを落としていましたし。路肩に花びらの吹き溜まりができていたのです。とはいえ、それもこの辺りでのこと。関東地方でも北へ行けば、或いは山の辺りでは、きっとまだまだ蕾の「サクラ」も多く見られることでしょう。

 さて、二日から五日にかけて、「フフホト」と「北京」を駆けてきました。
 二日の朝、6時半に「妙典駅」で待ち合わせ、「成田」へと向かいます。実は、その前日から、「春の嵐」が吹き荒れていましたので、電車も飛行機も無事に出発するだろうか、あるいは出発できても、かなり遅れるのではなかろうかと心配をしていたのです。案の定、「成田」からの便は、出発が一時間ほども遅れてしまいました。

 「北京」へ着いてから、直ぐに国内線の乗り継ぎカウンターへ向かいます。実は、日本で見た時には、夜の便しかなかったらしいのです。それで、少しでも(フフホトへの)早い便があれば、かえてもらいたかったのですが、無駄でした。やはり夜の便しかありません。

 もちろん、その間、空港に来ていた友人と会って、打ち合わせなどもできたのですが、「北京」でも出発が遅れ、「フフホト」のホテルに着いた時には、すでに夜中の12時近くになっていました。着いてやれやれで、さあ、チェックインをしようとカウンターに向かっていると、途中で、現地の日本語学校(内蒙古福山蒙日文化村)のM先生が、待ちかねたように、声をかけてきました。私たちとしては、まさか、こんな時間までM先生が待っているとは思っていなかったので、びっくりしてしまいました。ただ、M先生の横に、前回と前々回に申請に失敗したH君がいたので、「ああ、そうか」と納得がいったのですが。

 彼と最初に会ったのは去年の今頃だったでしょうか。同時に申請した学生がすでに来日して半年が過ぎています。彼が焦る気持ちはよくわかります。そこで、一緒に行ったT先生が、これからの申請に必要な追加書類について話し、「こういうことはできるか。ああいうことはできるか」といろいろなことを聞きながら、それに応じた指示を出していきました。私はこういう面では無能ですので、ひたすら彼の様子を見ていました。相変わらず木訥とした雰囲気です。

 彼とは、最初、現地の日本語学校の校長室で会いました。緊張してカチカチになっていましたが、「まじめで、木訥な」学生という印象を受けました。二度目は、このホテルのロビーです。「(申請は失敗したけれども)日本留学を諦めきれない。どこが問題だったのか。もう一度申請したら、通るという可能性があるのか」という思いで一杯だったと思います。最初に会った時には、ほとんど話せなかったのに、その時には、自分の日本に対する思いや不安をポツリポツリとではありましたが、彼なりの日本語で語ってくれました。

 子供の時から、インターネットで日本のものを見てきたということ。申請が通らなかった時は、悲しかったけれども、今も日本語の勉強は続けているということ。出来ることは何でもするから、どうしたらいいか教えてもらいたいと思っているということ。

 そして、今回です。今は、現地の日本語学校の寮に住み、日本語の勉強を続けていると言っていました。(内モンゴルは広いのです。何でも直ぐにできる日本とは違います。近くに、日本語学校があるから、簡単に通えるというものでもないのです。翌日のことになりますが、この面接のために、12時間も汽車の旅をしてきた学生が何人もいました。)そして、今度はもう一ランク上の日本語試験に挑戦すると言っていました。

 彼らとの話が終わったのは、もう夜中の一時近かったでしょうか。この日は、飛行機の中での待ち時間が長かったので、一日中、飛行機の中に拘束されていたような感じでした。彼らが帰ってから、食事をし、ベッドに入れたのは、多分二時を過ぎていたと思います。

 そして、翌日は、午前中にM先生の日本語学校へ行きました。ホテルへはM先生が迎えに来てくれました(実は、とてもわかりにくいところに、「内蒙古福山蒙日文化村」という日本語学校はあるのです。教室は、一つか二つだけ…だと思います。この学校は「見てくれ」や余計なもののために、お金は使っていないように見受けられました。こういう学校の方が信用できるのです。「見てくれ」に金をかけるような学校に、ろくなところはありません。「見てくれ」に金をかけるというのは、教師の質や教材などに自信がないから、そうせざるを得ないということなのです。

 とはいえ、この学校のある「五階への道」は厳しい。いつものように、「ヒーヒー、ハーハー」言いながら、上がっていきます(このビルの一階は食堂で、その上の階、つまり学校の下はホテルになっており、学生達はそこを借りて住んでいるのだそうです。ホテルとは言っても、簡単な、昔風のもので、学生寮みたいなものだと思います)。

 まず、私たちは校長室へと導かれます(私が直ぐに教室へ向かおうとすると、「まだ準備が出来ていない」と断られたのです。M先生曰くの「準備」とは何であったのかは、後でわかりました)。私たちが入ると直ぐに、この4月に来日予定の学生が三人、やって来ました(来日予定者は五人です)。残りの二人のうち、一人は用事があって来られず、もう一人は遅れてくるとのことでした。その上、学生の一人には、きれいなお母さんと、画家で日本語に堪能なお父さんが一緒でした。

 会うと直ぐに彼ら(三人)に、学校の寮での生活や勉強のことについて話を始めました(教室に行けませんから、しようがありません)。準備が出来たと言うので、教室に向かうと、墨で太く「水野外語学院」という名と「歓迎」という字が書かれた赤字の紙が、黒板に貼られていました。彼の言うところの「準備」というのはこのことだったのです。

 このM先生というのは、私たちが初めてこの学校を訪れた時も、鉢植えの花を飾っておいてくれましたし(ホテルへ迎えに来てくれた時に奥さんも一緒で、奥さんがしっかりとその花を抱えていたのです。そして教室へ行くとその花が飾られていたので、「ああ」と知れました)。だからこの「歓迎」という紙を貼っておくのも、彼なりの気持ちだったのです。私たちも、ありがたく受けました。

 そして、当日、面接のために来ていた学生は全部で11人。最初に、一人が日本での暮らしかたやルールについて説明し、次に私が「留学生試験」や「日本語能力試験」、「大学入試」や「大学院準備」、そして、「課外活動」や「伝統行事」などに関する「話」をしました。

 今回来るのは、「四月生」ですので、来日後、だいたい二年近く在籍できます。ただ一口に二年と言いましても、実質は一年半ほどです。その間の「流れ」というのは説明しておく必要があります。そうしないと、下手に焦って、「『中級』からやる」などと言い出す学生も出てくるのです。

 これは、中国人の学生だけではないのですが、「日本語能力試験」などで、「三級」ほどもとっていると、直ぐに「中級」から始めたいと言い出します。もちろん、「十月生」であったり、「一月生」であったりすれば(時間がありませんから)、そういうことを許す場合もあります。けれども、やはり、そうした学生は、伸びないものなのです。「基礎」が不十分ですから。

 それほど、日本とは「教え方」が違うのです。日本では、当然のことながら、教師は皆、日本人です。それに、「初級」では、徹底して、日本語での反応、つまり、日本語で話し掛けられたら、直ぐに日本語で応じるという、そういう「能力」や、それを瞬時に行うという「瞬発力」を養うのです。

 「山」と言われたら、「山」と答えるのではなく、「山」と言われたら、「川」と答えるのです。棒読みの「暗記」ではなく、使えるための「日本語力」を養うのです。日本語で反応できるようにしておくのです。そういう「基礎訓練」をした後に、「中級」へ行きますと、(学習する上でのやり方がもうわかっていますから、かなり難しい内容でも)それほど困らずに「こなせる」ようになっています。「初級」が「適当」であったり、「理解」で終わっていたりしますと、「中級」で(特に「ヒヤリング」や「会話」で)、にっちもさっちも行かなくなります。

 ただ中国人の大卒者には、なかなかこれがわからないようです。「できる」のではなく「わかった」で、直ぐに上の級へ行きたがるのです。大切なのは「できている」状態であり、それも「日本人がわかる」形で表現できるかどうかなのですが。

 今回の面接は、本来なら、対象者は「十月生」ですので、「十月生」なりの「時間の流れ」というものを説明したほうがよかったのかもしれません。けれども、来日後一年半、実質、大学入試までに一年くらいしかない「十月生」というのは、「日本語の勉強(一級レベル)」の他には、あまりたいしたことは出来ないのです。

 とはいえ、一応、「四月生」全員に会うことが出来ました(来られないと言っていた学生も来てくれましたので)。それから、11人(「十月生」)ほどとも面接することが出来ました。こうやって会い、話してみるというのはいいですね。向こうにも、私たちの気持ちは通じるでしょうし、私たちにも、相手の様子は(わずかばかりであるとはいえ)、わかります。私たちの学校で勉強するのは、(せっかく日本へ来ても)辛いであろうと思われる学生も、中にはいましたし。それがお互いにわかるのですから。

 「頑張るつもりだ」と言うだけではどうにもならないことも、この世の中にはあるのです。およそ、今まで頑張ったことがないであろうと思われる学生が、「がんばる」と言っても、信じられないようなものです。もちろん、何人かは多分大丈夫だろうと思われる学生もいましたが。

 言わずもがなのことですが、これはあくまでも「感触」です。これが「ひっくり返る」ということもありえます。人は大化けに化けることもあるのです。ですから、第一印象だけで、すべてを決めつけることはできません。ただ、現時点における「本気」の程度は見てとることはできます。あれだけ私がきついことを言ったのに、来るつもりになったかということです。これは根性の問題でしょう。日本に行きたいだけでしたら、それほど頑張らずともすむような日本語学校も数多くありますから、そこへ行き、「適当」に日本を謳歌し、卒業後も「適当」に進学すれば済むことです。

 日本は自由主義国ですから、「進学」一つにしても、道はたくさんあります。優秀な人であれば、ある意味では、選択するだけでいいのです。本人が決めれば済むことです。ただ、この「優秀な」という言葉も、「客観的に見て」という条件がついているので、それが判らない人には面倒なことになります。本人がいくら「自分は(優秀であるから)有名大学院(乃至、大学)に入る」と言いましても、客観的な条件が整いませんと、独りよがりのもので終わってしまうという怖さがあるのです。

 この客観的な条件というのは(日本語教育におきましては)、まずは「日本語能力試験(一級)」と「留学生試験」の結果でしょう。この「留学生試験」のうち、「総合」も大切です(日本では、「世界史」や「時事問題」などに関する知識がないと誰からもそれほどの尊敬は受けられません)。こういうデータを通して、その人のこの方面における能力や知識というものが(目に見える形で)出てきます。それらを通して人は判断するのです。「自己申告」というのは、通じません。また、こういうものが出ない限り、わからない人もいるのです。これもそれまで、その人が育ってきた環境によりますから、一概に責めることは出来ないのですが。

 「大学院」へ行きたいと言う人には、それプラス、専門の知識が必要となります。「卒業論文」で、どれほどのものが書けているかも参考になるでしょうし。何事によらず、よほどの努力をしない限り、本人が頭の中で描いたようには、(何事も)進まないものです。

日々是好日
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