日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「玄関前のサザンカの花が、満開になりました」。

2014-01-07 14:19:42 | 日本語の授業
 厳しい寒さが続いています。今朝はもう少しで零下になりそうだとか。とはいえ、海のそば(太平洋岸です)のここは、多分、都心よりも1度か、2度高いことでしょう。今日はまだ晴れていますが、昼から少し翳るとか。明日は、小雨が降るという予報が出ていました。明日から新学期が始まるというのに…、休みになれた身体に、最初から氷雨の鞭が降り注ぎそう…来るかな、みんな。 

 外は、「サザンカ(山茶花)」が、盛りを少し過ぎたところです。もうすぐ、「ツバキ(椿)」や「ウメ(梅)」が咲き始めることでしょう。今が一番花の少ない頃でしょうが、花屋には、鉢植えの花が所狭しと並べられています。中には春を待つ「蕾姿のもの」も多々見られ、春を前に、花の準備をしている人も少なくないのでしょう。

 さて、学校です。

 明日から新学期。おかしなもので、以前は大半の留学生、在日生というのが、中国人だったのですが、「フクシマ」を境に、また昨今の政治問題が絡んでもいるのでしょうが、その大きな波が退き、その代わりに、ベトナムやスリランカから学生達が入ってくるようになりました。

 「フクシマ」の時など、スリランカの在学生に、母国から、「東京は津波に呑まれたと言うけれど、大丈夫?」という電話が入り、「私はここにいる」と思わず叫んだとか、そういう笑えない話があちらからもこちらからも聞こえたものでしたが、今ではベトナムの学生達と数を競うほどになっています。

 もちろん、こういう現象は、日本がまだ彼の国では認められているわけですから、悪いことではないのでしょうが、人数が増えてくると、果たして勉強しに来たのか、何をしに来たのかわからないような人達も見られるようになりました。

 ベトナムへは何回か行ってみて、先に連絡をくれた学校とも話してみたのですが、どうも、どこか、こちらの希望を理解しているようには思えない、こちらの希望に沿って事を運んでくれているようにも思えない、相手が教育者として考えてくれているようにも思えない…ような気がしたのです。

 これは、外国人同士ですから、日本人との具合のように考えては先方を貶めることにもなりかねません。親切なのは、親切なのですから。それで、少しじっくりと相手を見ることにしました。この「相手を見る」というのは、彼がどういう学生を送ってくれるかを、まず、見るということです。

 やる気のある人。勉強する習慣がついている人。これが一番大事なのです。本人の語学能力などというのは、極端な話、二の次、三の次です。もとより、出来れば出来た方がいい。とはいえ、日本語はペラペラになったけれども、さて、(進学先を決める時に)「何をしたいか」と聞かれて、「別に」としか答えらない…では困るのです。いったい何のために日本へ来たの…?次がありません。

 日本語学校というのは、少しの風にも歪められてしまう、無力な存在です。だいたい学生を縛る力なんてないのですから。途中で、勉強したくなくなったと言ってどこかへ行かれてしまったら最後、入管からペナルティがつけられてしまいます。どんなに一生懸命、学生を育てようと努力していても、小さい学校であったら、二人出してしまった段階で、アウトです。教えるという志は、半ば断たれたも同じことになってしまいます。

 「ここならきちんと教えてもらえるから、(次に)来たい」と言っていた学生まで、(来日のための)書類の数が山のように増えて、事務手続きだけで音を上げてしまい、「もう、いいや」ということにもなりかねないのです。

 せっかく、やる気のある学生が来ようと言うのに…と、私たちの方でも唇を噛みながら、それを見るだけということになってしまう…そうなったら、本当に残念です。彼らを教えて、大学の方へ行かせて、もっと視野を広げさせたい。そうすれば、彼らの将来の選択肢も増えるのに…と思っていても、私たちにはどうしょうもないのです。

 だからこそ、向こうの国、学生を送り出そうという向こうの国の学校の教師、あるいは経営者が、私たちと同じ気持ちであるかどうかというのが大切になってくるのです。

 学生を頭数いくらとしか、勘定出来ない人であった場合、入れてくれるところであったらどこでもいいという考えで送ってくるかもしれません。以前、中国人の場合がそうでした。一応、大学の教師が間に立っていたからと、それを信じてしまった私たちの方の迂闊さであったと言われればそれまでのことなのですが、それも、最初は、来日が叶いませんでした。それで、やる気を失っては(困る)と、「その間も頑張るんだよ」と毎月送ったプリント、それも彼ら(学生)達の手元には届いていませんでした。これも、彼らが来日してからわかったことなのですが。

 それからは、だれであろうと、知らない人は信じない、会ったことのない人は信じない(会えば、だいたいの感じは摑めます)、最初は一人だけしか入れないといった、幾つかを自分達なりに決めて、それで(学校に)来た人達を誠実に指導してきました。

 もちろん、こんな小さな学校ですし、多い時には15以上もの国から来た学生達が集っていますから、中には問題を起こす人もいます。これはどんなにしてもだめだなと思われるような人達もいました。入った時はよかったけれども、彼らを呼んだ親戚と仲違いをして行方不明になった学生もいました。


 それでも、一色(同じ国から来た学生達ばかり)に染まっている学生達を入れて、日本に来ても同じ色で生活し、勉強するというのは、嫌なのです。『初級』の頃は、不自由でも、『中級』になれば、学生達はそれぞれ自分達の国や民族、宗教のことを話し出せるようになるものです。他の学生たちの話を聞いて、他者との違いがだんだんにわかっていったり、自分のことを考え出したりするからこその、異国での日本語学校ではないでしょうか。

 彼らは日本人とは違うのです。他国の事情がある程度わかり、ある程度簡単に、普通の人が国外へ旅行できるのではないのです。彼らと接するまでは、私もそれほど日本人の知識なんて考えてはみなかったのですが、やはり、日本人はいろいろな国の情報をふんだんに与えられており、しかも、(特別金持ちというわけでもなく、普通の人でも)他国に行く機会が、多いのです。

 だいたい日本語学校で、学生達の国が一色で塗られていることほどおもしろくないものはない、それくらいだったら、自分の国で勉強しろと言いたくなってしまう…これも、私の変化によるのですが。前は一色の方が教えやすくて、簡単でいいなんて思っていましたから。問題がいくら多くても、やはり、国の数は多い方が面白いのです。新しい国が増えるたびに問題が起こり、変化が起こり、学生達の知識が増えていくのです。

 明日を前に、昨日、寝ぼけて「今日から学校。」と言ってきた学生が一人いました。今日は、二人。財布をなくして警察に届け出、その財布が見つかったという学生が一人。休みの二日間だけでも、ミャンマー、中国、中国、スリランカと三つの国から来た学生がいました。

 さて、来年はいったいいくつぐらいの国が揃うのでしょうか。なかなか大変な(面白い)ことです。

日々是好日

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