日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「アルバイトが見つかるまでは、もう少し勉強して欲しいのだけれども…スマホがうれしいのかなあ」。

2014-06-05 16:37:10 | 日本語の授業
 曇り。

 朝から雨が降っているかなと思っていたのですが、まだのようです。とはいえ、もうすぐ「梅雨」。五季のうちの一つ、「梅雨」が始まります。

 本格的な夏が始まる前の、この、雨の季節。この季節の風物詩といいましたら、やはり「アジサイ(紫陽花)」をおいて他にはないでしょう。青やピンク、白や紫やら、それぞれの色に染められた大振りのボール並みの(小花が集まった)花が、あちこちの路地に、雨に打たれながら、ひっそりと佇む…雨に打たれていなければなりません。

 それに、もう一つ詩情を添えたいなら、小さな「雨蛙」が大きな葉に乗っていたり、夜にはホタルがそばを飛び交ったりしていなければなりません。贅沢ですね。今はもう、「青蛙」を見かけることも、「ホタル(蛍)」の光を楽しむことも、ほとんどなくなってしまいました。子どもの頃の記憶にしかない、風景のような気がするのですが、しかしながら、「見たことがある」というのは、強い。「想える」のです。「その中で暮らした」経験がなければ、「想う」のは、難しいのでしょうが…。

 この辺りは、梅雨時になると、まず、真っ先に、「ドクダミ」が葉をつけ、花をつけ始めます。名は「ドクダミ」と、あまり雅ではないのですが、花は白くて、なかなか可憐なものです。その「ドクダミ」の花があちこちに咲いている(蔓延るように拡がっているのです)ということで、いつ「梅雨」が始まっても、おかしくはない…私たちが忘れていても、毎年のように、「サクラ(桜)」が咲いて「春」が来て、「アジサイ」が咲いて「梅雨」へと移り、そして「キョウチクトウ(夾竹桃)」の「夏」になるのです。

 本当に「命」というのは、不思議なもの…。

 さて、学校です。

 日本に来て日本語を勉強したい。また日本語を勉強するだけではなく、大学や専門学校へも行って、専門技術なり知識なりを身に付けたい。そして出来れば、日本で会社に入りたい。

 こういう日本語学校に来ている大半の留学生達の、はっきりとはしていない、漠とした希望というこは、だいたいが、こういうことのようです。

 まず、最初は、日本に、留学生という身分で来ることしか、考えていないのですが、それでも、1年以上も日本に滞在していますと、日本社会への知識も増えていきます。専門学校よりも大学の方が、日本で就職しやすいのではないかということにも、気がついてくるようです。

 もちろん、勉強する習慣がなければ、どこへ行っても、簡単には本人の希望は叶えられないのでしょうが。ただ、不思議なもので、自分の国でも、勉強していなかったくせに、日本では適当にやっていても、簡単に大学に入れると思っているらしい人が時々見られるのです。頑張らなければ、無理でしょうにね。

 そして、そういう人は、思いもよらないような(私たち日本人が殆ど知らない、あるいは知り得ないような)大学を見つけてきたりするのです。これは専門学校も同じで、学費が払えない、出席率もかなり低い、勉強する気も根性もないといった、そういう「ないない尽くし」の学生が、ここ(こういう専門学校)なら行けると、言って来ることもあるのです。

 学校の方では、そういうところは極力避け(後がありませんから。彼等は、まだまだ日本にいたい、いるのが目的ですから)、頑張るように言うのですが、国でも頑張っていなかった人は、「頑張る」が、わからない…というか、頑張りようがないのでしょう、判らないから。

 で、適当にその場をやり過ごそうとする。結局は(この学校を)出なければならない時がくるので、やり過ごすことなんてできないのですが。それにしても、「そうか、こういう風に思える(思う)から、ストレスも感じずに、これまでやって来られたのだろうな、そしてこれからもやっていけるのだろうな」と思うのですが、一方では、(教師としては)困ってしまうのです。

 ここは、学校ですから、勉強する学生が欲しいし、できれば、頑張れる学生が欲しい。私たちには、彼等の言葉がわかりませんから、それが判る彼らの国の学校で、それを考えて、送り出して、欲しいのです。

 言葉もわからないし、その上、言葉のセンスもない、しかも頑張る気もない、ということは、異国(ここでは日本)の生活に適応しがたいということです。ゴミの分別にしても、課外活動へ行った時に、(勉強の一環であるから)ビールを飲むなと言っても、「かまわない」とばかりに、自分達の国でやっている通りにやろうとするのです。

また、そういう人に限って、彼等の周りでいろいろな事件が起き、私たちが警察やら、どこやらへ走り回らなければならなくなるのですが。

 そういう人の、同国人がいて、日本語で意思の疎通を図れていれば、その人から注意してもらうことも出来るでしょう。が、どちらにしても、その人が、日本語が全くわからなければ、信頼関係も築けませんし、日本で生きて行く上で、してはいけないことも判らせることができません。

 日本に送るにせよ、なんにせよ、送り出してしまえばそれで終わり、その人が日本でどうなろうが、なにをしようが、関係ないというのは困るのです。日本の日本語学校に丸投げというのは、困るのです。私たちには、外国人の、彼らの国でのレベルなんて判らないのですから。それに、極端な言い方をすれば、こうして送り出されてきた人たちが、その国の人の、我が国でのイメージとなるのですから。

日々是好日

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