日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「見えたことしか、判らない。見えないことは…、知らない…かもしれないけれども。」

2014-09-22 10:20:06 | 日本語学校
 晴れ。

 早朝の雲が切れ、きれいな青空が拡がっています。

 台風が週の中ほどには関東地方に来るかもしれない、否、おそらく来るであろうと言われているのですが、今のところ、その影は見えません。

 草叢からの虫の声はすっかり秋色に染まり、樹々の姿も、静まりかえって見えながら、冬の準備に葉を落としたり、染めようとしたりして、どこかしら気ぜわしく感じられるのも面白い。

 さて、学校では、進学をしたいという割には、先のことを何も考えていない学生が何人かいて、(そういう人に)「先生に任せます」とか、「先生が決めてください」とか言われるたびに、ため息をついています。

 そして、もう一つは身の程知らずもいて、これも、また、困る。

 出席率が、かなり低く(しかも、それほど勉強ができない)、入管で問題視されるのではないかと思われるような人でありながら、「私は頭がいいから、大学へ行く」と言います。(学校に)来ても、スマホから離れられず、(随分遅れてきても、空いていれば、堂々と一番前に座るのです)ずっと(画面を)見て、ヘラヘラと一人で笑っているのです。何度注意しても、喉の奥で笑い、判りましたと言うばかり。言っても、2,3秒も経つとまた見ている。

 取り上げると、「お願いします、お願いします」と言い続け、授業になりません。私の方が無理難題を言って苛めているような感じになってしまう。だから、もう、何も、そして誰も相手にしません。暖簾に腕押し、豆腐に鎹、何をやっても無駄なのでしょう。ただ面白いことに、他の国の人は白い目で見ているのに、スリランカ人は何とも思っていないようですから、彼の国はこういう人でも、普通なのでしょう。こういう人間に対しては、(こちらは)…だったら、自分は特別だとか、頭がいいなんて思って欲しくない…なんて思ってしまうのですけれども。

 こんなのが大学に入っても、大学側が困るのではないかと思うのですが、金さえ払えば、どんな外国人でも入れるようなところへ行くのかしらん。まあ、捨てる神あれば何とやら申しますから、こういう人と波長が合う人も、ところもあるのでしょうけれども。

 ただ、私たちが大切に思っている(留学生を大事にしてくれ、育ててくれるという)大学には、決してやりたくないですね。最初は判らなくとも、入れてしまってから音を上げ、もう二度と(この学校からの留学生は)嫌なんてことにもなりかねません。そうなると、次の年からの留学生が行けなくなってしまいますもの。少なくとも、こちらの言うことを理解しようと努める、真面目で、きちんと勉強する人以外は、やる気にはなりません。

 大学というところは、四年間あるのです。その間に、視野を広め、彼らの国では経験しなかったことを通して、知識を広めていってほしい。それが一番大切だと思うのです。

 以前に、こういうスリランカ人の女子学生がいました。

 スリランカと日本の違うところと銘打って、「スリランカ人は、みんな家を持っています。けれども、日本人は、自分の家を持っていません」(へえ、日本人にはありませんか。と言うと、「ありません。でも、スリランカ人にはあります」と胸を張って言う)。

 次に、こんなことを言う人もいました。
「スリランカにいるとき、日本人は、頭もいいし、体も強いと聞いていた。けれども、日本に来てから驚いた。日本人は体も弱いし、頭もそんなによくない(つまり、自分の方が頭…ここで彼が言っているのは、レストランとかの仕事のことでしょう…もいいし、体も強い)」

「愚か者は自らの体験から学び、知恵者は、書物(他者の経験)から学ぶ」

 そこが限界なのかも知れません、彼等の。

 「頭もよくない、仕事もできない、体も弱い(力がない)日本人」が、どうしてこういう国を築き、「頭もいい、仕事もできる、体も強い彼等」が、どういう国であるかを考えないのです。

 もっとも、彼等が「愚か」であるというわけではありませんし、変な人というわけでもありません。ただ、いくら言葉を尽くしても、「理解してもらえない壁」というのがかなり早い時期から厳然として聳え立っているのです、一部の人には。

 せっかく外国に来ているのに、彼等はきっと、私たちが学んで欲しいことを学ぶことができぬまま、帰国し、自分の体験だけを語り、だから、自分は偉いで終わることでしょう。だから、変われないのです。どうやったら、よくなるかを考えないんだ…。どうしたらいいかを考えないんだ…。彼等を見ていると、時々身につまされることがあるのです。このままで行くと日本はどうなるのだろうと…。彼らの中にある自分が見えて、(彼等に腹が立つと同時に)焦ってしまうことがあるのです。

 まあ、これは学生達とは関係のないことですが。

 文字が読めない(漢字が多少読めても、文章の意味が全く掴めない)ということは、自分の周りの人々からしか、何も吸収できないということです。学校が僅かばかりの知識の拠点となるのでしょうけれども、机について学ぶことが、余り得意というわけではなければ、私たちが百万言費やしたところで、そのうち、どれくらいを感じ取ってくれるのでしょう。十くらいでも、判ってくれていたら、御の字と言わねばならないのかもしれませんし。

 勿論、これは、スリランカの、一部の人だけのことではありません。日本人だってそう。

 まるで、合わせ鏡ですね。

 多分、少しばかり日本人の方がマシであるにすぎないのでしょう。だれでも、自由に(国内旅行のような感覚で)外国へ行くことができれば、自然に視野も広がることでしょうし、国内にいても、国外の様子を楽しむことができるわけですから。最初はツアー旅行で行けば、何も肩肘張っていく必要はないのです。だから、簡単にスイッと行ける。ここが違うのかもしれません。

 世界には様々な国がある。ただ、何を見るか、見ることができるかです、要は。悪い所ばかり見て、己を尊しとするか、己の足らざるところを他者に見て、学ぶか。

 外国に行くだけでは何にもならないのです。「行った、見た、買った」だけでは。 

 勿論、将来、家庭を持ち、子どもに、「お父(母)さんは外国へ留学したことがあるんだよ」と言い、片言の外国語でも話してみせれば、子どもは親を尊敬するでしょうから、また、それも、無駄ではないのでしょうけれども。

日々是好日
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