日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

ハノイへ面接に行ってきました。

2016-10-12 14:55:55 | 日本語学校
晴れ。

二泊三日で先週末からハノイに行ってきました。戻ってくると、こちらは既に秋になっていました。

近所の「サクラ(桜)」の樹は、葉を黄に染め始めた…どころか、路肩には落ち葉が散っていました。早朝の気温も20度を切った日もあったようで、「秋ですから…」(ハノイの人の弁)とは言いながら、30度超えのハノイとは大違いです。でも、あの時、出迎えの人たちも薄手のセーターを羽織っていた…から、彼らにしてみれば、肌寒いくらいの感じだったのでしょう。二、三日前は40度近かったそうですから。

今度のハノイは、新しい学校、2校が加わっての面接だったのですが、教育力、意識における差を如実に感じさせられたものとなりました。

ベトナムからの留学生を受け入れ始めた最初のころは、玉石混淆で、おそらく、それほどの金を工面できた人が留学生志望として紹介されていただけのことだったのでしょう。ベトナムの学校の方でも、きっと「この人達は金が払えたから紹介した」というだけのことで、問題が起こるたびに、連絡されても、迷惑と思っていたかもしれません。金銭的なつながりだけであったなら。

「こいつはいける。濡れ手に粟だ」という学校もあったかもしれません。来日した学生に聞いてみて、私たちが要求していない課外活動費などまで集金していた学校もあったくらいでした(そのお金はどこへ行ってしまったのでしょうね。当時は課外活動のたびに、交通費は学生が払っていましたし、入園料なども団体割引の実費を集めていましたから)。

しかも、入管の許可がでてから、(ベトナムの学校、あるいは中間業者に)渡す金が、後で聞いてみると、私たちの1年分の学費よりも高かった…。

これでは、いくらこちらが学生のことを考えて、お金を抑えようとしても、焼け石に水。向こうで桁違いにぼられて、そして来ていれば、(学生が)アルバイトに時間を取られるのを変えることはできません。

それでも、負けずに勉強を続けた学生もいれば、端っから彼らを送り出した学校と同じように、金を稼ぐのだとしか考えていない学生もいました。疲れて勉強なんぞできません。

国自体がまだそういう状況にあるからしょうがないと思うか、それとも君たちから変わっていけと思うかで違いが出てくるのでしょうが、すでに私たちがそう思う先を進んでいた学生もいましたから、人は、他者の力なしにでも進んでいけるものなのでしょう、環境さえある程度整えば。

今回は、最初と最後に、初めての学校が連れてきた学生達と面接をしたのですが、最初の学校との時には、「ベトナムの日本語学校も変わった」と感じさせられました。選んで連れてきているのです。以前よく見られた、「屋台で働くよりも日本へ留学させた方が金が稼げる」から留学させるというのではありませんでした。まだ、初級レベルですから、それほど話せたわけではありませんでしたが、目をきらきらさせ、話したい、理解できるようになりたいという気持ちがズンと伝わってきました。

また引率してきた教師も「来年の4月までには『N4』まで定着させる。責任を持つ」と言い切っていましたし(まあ、資質的に見ても、大丈夫という感じでしたが、それよりも、教師のほうがそういう気持ちでいてくれるということに感じ入ったのです)。

この人は事務方ではなく、教える方だなという感じでしたが、その反対に、(連れてきた人が)教育の方(教えている人)ではないなという学校もありました。普段は書類を書いたり、通訳をしたりで、教育には係わっていないと思われました。しかも、連れてきたのは一昔前の留学希望者然とした人たち。面接の順番が来るまで携帯で遊んでいたり、席を勝手に替わってざわついていたりしていました。おまけに連れてきたスタッフまで、彼らと一緒に携帯で遊んでいるのですから、仕事で来ているという意識もなかったのでしょう。こりゃあ、たまらんなという感じ。ただ、一度は付き合ってみなければ、実際のところはわかりませんから、何とも言えないところはあります。まずは様子見です。

今のところ、ベトナムへ行って、学校へ出向いて少しも嫌な気持ちがせずに済むのは、一校だけ。これも向こうに住んでいる教育関係の日本人が選んでくれたからかもしれません。ベトナム人の目だけでというのは、存外に難しいのかもしれません。以前、中国人ともそうでしたから。

向こうは胸襟を開いて(?)くれているつもりで、「お互いにうまくやろう」と言うのですが、こちらは反対にむかっ腹が立つばかり。彼らの「うまくやろう」は、「学生を使って、お互いに金を儲けよう」に決まっていたのですから。それが、いわゆる公教育の立場にある者まで、おおっぴらに言うのですから。

あの頃は(中国では)大学の教官でも、うまく立ち回れたものがあぶく銭を手に入れ、研究や学問に勤しむものは割を食っていました。だからその中間層が焦って、「(小銭を貯めている学生を使って、あるいは借金ができるヤツを利用して)一旗揚げよう」となっていたのかもしれません。一緒に食事をと言われても、不愉快になるばかりでした。もとより向こうはせっかくのうまい話を持って来たのに、なぜ不機嫌な顔をしているのだと首を傾げていたかもしれませんが。

…ハノイでの慌ただしい面接が終わり、戻ってきてから、いろいろなことを考えてしまいました。どのような国でも、そういう(何事かの「途上」という)時期はあるのでしょうし、あったのでしょう。ただお国柄とかその国の人気(じんき)とかは、微妙に違いますし、風土の厳しい国、歴史的なもの、あるいは国内的な諸事情から格差が日本人が考えられないほどある国では、普通の日本人が考えられないようなこともありえます。

私たちが漠然とでも想像できるというか、そう感じられるには、ある意味で、地域の幅に限度があるような気がします。もちろん、単なる知り合い、友達であるだけであれば、同じ人間ですからなんと言うことはないのですが、そういう人たちに責任を持たねばならない立場になると、簡単には「はい、いいですよ」とは、なれない部分も出てきそうな気がするのです。

日々是好日

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