日本語学校からこんにちは 〜水野外語学院日本語科〜

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『知らない』ことに気づき、『知りたい、学びたい』と思えることの大切さ」。

2010-02-25 08:38:34 | 日本語の授業
 「木々 おのおの 名乗り出でたる 木の芽哉」
小林一茶だったのか、それとも他の誰かの句だったのか忘れてしまいましたが、最近、公園のそばを通るたびに浮かんで来る句です。

 朝、学校へ来る時にも、街の明るさに心が華やぎます。人々の往来も増えました。ふくらみかけた「ジンチョウゲ(沈丁花)」も、もうすぐ笑み始めることでしょう。

 さて、学校です。今、卒業を控えたクラスでは、大学入学を控え、少しでも知識を拡げてやろうと、各種のDVDを見せています。勿論、その前に、必要に応じて、高校の世界史図録を見せながら説明をを加えているのですが、その成果が少しずつ出てきたような気がします。

 その成果というのも、単に「知識が増えた」ということではなく、「『自分の知識など大したものではなかった』ということに気づく」という類のことにすぎないのですが。つまり、「もっといろいろな事を勉強したい。知りたい」と思うようになったということなのです。これに気づいてくれると、大学に行っても、大丈夫でしょう。何も知らないくせに、変にプライドばかり高い、とんでもない留学生にならずに済みます。こうなりますと、まず、日本人とはうまくやっていけますね。「学ぶ姿勢」が出来たということですから。日本人は、何事によらず、勉強している人が大好きなのです。それに、そもそも、彼らが目指しているのは、学びの府、大学なのですから。

 「知らない」、あるいは「知らなかった」ということを恥ずかしがる必要は全くありません。皆、だれでも外国へ行けば、知らないことだらけなんですから。それに、アルバイトだってそうでしょう。何でも初めてすることは、「知らないし、わからない」という中で始めなければならないのです。だいたいからして、毎日が、初めての一日なんですから。百才の人というのは、一日を百年間重ねてきた人です。そのように百年間続けて来た人であろうと、「今日」という日は、初めて出会う「一日」なのです。

 それに、それぞれ、国情というものがありますから。「学びたくとも、それが出来る環境になかった」という国から来た人もいるのです。ただ怖いのは、「『知らない』ことに気づかない」ことであり、「『わかっていない』ことに蓋をする」ことなのです。

 「知らなかった」というのは、各人がこれまで育ってきた環境によるものですから、本人の罪ではありません。「その国の力」がそれだけでしかなかったというだけのことです。ただ、せっかく日本に来ているのに、それに気づかないというのは、本人の問題です。言葉を換えていえば、せっかく学校に籍を置き、しかも、(学生のために)啓発の努力を重ねる学校にいるというのに、「耳を貸そうとしないし、それがわからない」というのは、「学ぶにも、才能がいる」ということの表れでもありましょうか。

 誰も教えてくれないというのなら別ですが、教えてやっているのに、自分の国で得てきたわずかばかりの知識で、「天下を取った」つもりになって、「知っている」と言う人もいます(「知らないから、、説明してやっているのだろうが」と、その度に、声に出しはしませんが、私は肚の中で呟いています)。それに、彼らの国で得てきた知識というのは、おそらくは、その国を離れたら、ほとんど価値がないとしか思えないような代物なのです。理解や思考といった「行為」に結びつくような「知識」ではないのです。

 能力がない人(人は誰にでも能力があります。ただ、心を開かなければ、能力も開花できないのです。「宝の持ち腐れ」のまま、一生を過ごしてしまう人と言った方がいいのかもしれません)とか、自分の国で得たもので「安住」できるような人だったら、日本に来ない方がいいのかもしれません。だれも、その人を認めないでしょうから、ストレスがたまることでしょう。

 ただこれは、「勉強が目的」で日本へ来た人のことです。「アルバイトが目的」であれば、また話が違ってきます。日本語学校にいる間の関心事というのが、アルバイトが7割か6割、日本語の勉強というのが3割か4割ほどでしかなければ、(私たちとしても)何も言えないではありませんか。そうは言いましても、ある学生は、日本語学校卒業後、先に専門学校へ入り、それから、大学をめざし、大学に合格できた人もいるのです。そこまで頑張ろうというのであれば、彼らが必要な学力だけは、ここで身につけさせておかなければなりませんが、それ以上は、無理でしょう。ただ、そのような学生であっても、毎日学校へ来させます。毎日、学校へ来てさえおれば、将来に備えた勉強というのも、わずかずつであれ、出来るというもの。

 ですから(これからが本題です、遅くなりましたが)、この学校では「変わることを恐れない人」に来てもらいたいのです。この学校に来たら、自国にいる時と同じようにはできないと思います。特に、大学や大学院への進学を目指しているのなら、なおさらのことです。「知らないことに気づく」ということの大切さを知ってもらいたいのです。それから、特に中国人には、「大学へは『学び』に行く」、そして「大学院へは『研究』に行く」という、大学と大学院の違いをわかっておいてもらいたいのです。

 こう書いているのをお読みになって、不思議に思う日本人の方がいるかもしれませんが、現状は日本人が普通に思っているような、そんな簡単なものではないのです。日本人なら、専門を変えたいと思ったら、(たとえ、大学を卒業していても)他学部の三年次に編入するか、大学を受け直すかするでしょうが、彼らはそんな手間暇かかるようなことはしません。単純に「(私は)大学を出ているから、次は大学院です」と言うのです。全く専門が違うのにも拘わらず、言うことは、だいたい同じです。「私は大学を出ていますから」ときっぱりと言います。時に、私は、彼らは「大学」と「大学院」の違いがわかっていないのではないかと思うことすらあるほどなのです。

日々是好日
ジャンル:
ウェブログ
キーワード
日本語学校
コメント (0) |  トラックバック (0) |  この記事についてブログを書く
Messenger この記事をはてなブックマークに追加 mixiチェック シェア
« 「『面接指導』…... | トップ | 「『春一番』がや... »

コメント

コメントはありません。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
※文字化け等の原因になりますので、顔文字の利用はお控えください。
下記数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。この数字を読み取っていただくことで自動化されたプログラムによる投稿でないことを確認させていただいております。
数字4桁

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。

あわせて読む