日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「大学院へ進む」ということ。「日本語講師」募集しています。

2008-09-18 08:11:23 | 日本語の授業
 先日、一人の中国人女性が、この学校の卒業生と共にやってきました。中国人の友人をこの学校に入れたいと言ってやって来たのですが、話を聞いてみると、彼女は、日本の某大学の研究生だそうで、「これからどうすべきか悩んでいる」と言うのです。

 「研究生?じゃあ、修士をめざしているの」と聞くと、「そう思っていたのだが、『大学で、もう一度、大学生から始めたら?』と言われた」というのです。

 結構日本語は話せているように見えたのですが、系統的に学んだ日本語ではないので(独学で得た「中国人の日本語」の匂いがしました)、もう二年も日本にいるけれども、「今年『一級』試験に合格できる自信はない」と言います。この「研究生期間」を何に使ったかと言えば、彼女の場合、「日本語の基礎」を学ぶために使っただけなのです。しかも、「研究生」のための、(毎日の)日本語講座なんて、普通はあまり考えられませんから、大学もそんなことのために人を雇ったりはしないでしょう。

 しかしながら、この「誤算」の、そもそもの発端は、「『中国の大学』を卒業後、直接、『中国』から『日本の大学の研究生』になれる」という甘い言葉に釣られたことにありました。

 私たちから見れば、「『日本語能力試験』の『一級』にも合格していないのに?」と驚くだけなのですが、彼女らはその方面に関しては、本当に無知だったのです。

 大学の別科であろうと、月曜日から金曜日まで毎日日本語の勉強をさせてくれるところは稀です。ほとんどないと言ってもいいくらいです。大学は基盤が「大学生」ですから、「別科の学生」は、そのための「予備生」に過ぎません。「重視している」のは、当然のことながら、「大学生」であり、「まだ大学生になっていない『別科の学生』」ではないのです。しかも、夏休みは、大学生並みに長いのです。遊ぶつもりだったり、稼ぐつもりだった便利でしょうが、もし、きちんと勉強したいと思う学生だったら、大変です。

 こういう知識なしに、研究生になったなんて、私たちからすれば、ちょっと信じられないのですが、これは相手の大学側の説明不足か、或いは、「聞きたいことしか耳に入らない」という、あの習慣からか、そこの所は、ちょっと私たちにも解りませんが、彼女にしてみれば、この大学の研究生になれたのだから、二年が過ぎれば、自然に大学院の修士になれると思いこんでいたのでしょう。なれないことがあるなんて、しかも、大学生からやり直せと言われるなんて、そんなことは、全く考えていなかったのでしょう。

 「『日本』の大学の研究生」というのは、「『中国』の大学の研究生」というのとは、漢字は同じでも意味が少々異なります。身分は安定していません。一年乃至、二年の期間で、大学院の修士乃至、博士課程の試験に合格して、修士課程乃至博士課程の学生になれればいいのですが、二年経っても入学試験に合格できず、帰国するか、就職の道へ進むかする人も少なくないのです。

 普通、中国の大学を卒業して、日本の大学院に入りたい人は、まず、日本の日本語学校へ入り、「日本語能力試験」の「一級」をめざします。それから、大学院の試験を受けるのですが、日本で「一級」をめざす理由というのが、ほとんどの大学院の、研究生や修士の試験で、専門以外に、「日本語能力試験、一級程度のレベルの日本語ができること」を入学試験参加の条件に上げているからなのです。

 「日本語能力試験の一級程度のレベル」というのは、かなり含みを持たせた言い方で、その人を受け持つことになる担当教官が、「日本語が出来なくて面倒でも、責任を持つ」と言えば、通ることもあるのでしょう。

 ただ、「一級程度のレベル」があっても、そこには「専門性の高い日本語」というのが、欠けています。大学院に進む場合、いくつかの要素が必要になるのですが、日本語に関してだけ言いますと、「意思の疎通を図るための日本語」と「専門用語」の二つは必須条件です。これがないと、もし直接修士に進めたとしても、苦しいですね。一人だけ「蚊帳の外」と言うことになってしまいますから。この苦しさは、本人のみならず、担当することになる教授方にとっても同じだと思います。

 それで、中国の大卒者で、日本の大学院をめざす者は、まず、大学院の研究生になり、研究生期間中に、大学生と一緒に、大学の講義を受け、専攻する学問の「専門用語」や「専門的な言いまわし」、「専門的な言語的習慣」などを、覚えてもらうことになっています。

 それなのに、研究生の時に「基礎の日本語」を学んでいるのですから、当然、他の人達が、その一年乃至二年の間に学んでいる「専門性の高いもの」は、学べていないということになります。

 もちろん、その期間に、教授方とも接触する機会はあったでしょうから、「そこで認めてもらえなかったから」と言えば、そう言えなくもないのですが、やはり、それにしても無理があります。日本語で専門のことについて語れないのですから、認めてもらいようがないのです。

 直接日本に来てしまえば、中国とは違う日本の常識も知らないわけですから、きっと研究生の二年間に、いろいろな誤解を受けたり、誤解したりを繰り返しているでしょう。それは、大学院の先生方にも、しっかり連絡は行っているでしょうから、あまりにそれがひどいと「行きたい研究室の先生が、逃げ腰になってしまう」ということもあるでしょう。

 一見無駄に思われる日本語学校の「一年乃至二年」は、この意味からも無駄ではないのです。その間にアルバイトや地域との交流を通して、日本人に対する理解も増すでしょう。また「日本語の上級(一級)」と言われる、所謂『基礎編』が終われば、いろいろなことを学ぶことが出来ます。一応モノが読めるようになっていますから、「『専門』に関わりのある新聞の記事」や「文学作品」なども大丈夫でしょうし、歴史や地域などの「ドキュメンタリー番組」なども、ある程度は聞き取れる(これも授業ですから、「単語」や「背景」などは説明し、理解しやすいようにします)ようになっているでしょう。

 それに何よりも、日本にいるという「地の利」は得難いものだと思います。「一級レベル」になっていれば、自分でいろいろなことを調べ、いくつもの大学に当たりをつけることも出来ます。先生から「返事」がくれば、すぐに日時を決めて、会いに行くことも出来ます。その先生から断られたとしても、他の先生を紹介して頂いたり、専門に関する有益な話を伺えることもあるでしょう。少なくとも、専門に関することについて相談できる専門家を、一人は見つけたと言うことになります。「小さな種」かもしれませんが、大きく花を開かせることだって出来るかもしれない「可能性を秘めた種」です。

 日本にいれば、自分からこ積極的に、相手を選ぶことも出来るのです。大学院の先生とは、単に専門性云々だけでなく、「相性」というのも大切です。それを見極めることができるのも、日本にいて、直接相手に会うことが出来るからではありますまいか。

 「急がば、まわれ」と言うではありませんか。自分の事を「天才」と思ってはいけません。「天才」というのは、「そんじょそこらにいるもの」ではないのです。一歩一歩地道に進んでいった方が、却って早く「望むモノを手に入れられる」ということもあるのです。

よーく考えてから、留学の仕方を考えてみて下さい。

日々是好日
          (ここをクリックすれば、中国語の翻訳が読めます!)
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