日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

勉強する者にとって、「一時帰国」は大敵です。

2016-05-13 08:36:21 | 日本語学校
昨日は、爽やかな青空でしたが、今日はうっすらと雲がかかっています。湿度が少し出てきたのでしょう。だって、昨日は、本当にからりとしたお天気だったのですから。

陽が出てくれば、だんだん気温は上がることでしょう。夏日ということばが紙面に踊り出してからもう幾日も経っているような気がします。ただ、朝晩は、「やはり、まだ、5月ですね」という感じ。夏は夏でも、まだ初夏なのです。

さて、学校です。

連休が終わって、久しぶりに彼らの顔を見たとき、あれ、同じ顔をしている…。こう感じられることが、何となく面白い。これまでは、連休明けとか、長期休暇のあとなど、「皆、揃うかしらん」なんて心配をしていたものですが、最近は、そんな心配をしなくなっていました。それに、ふと気づいて、またちょっとおかしくなってしまいます。

けれども、こうなりますと、また別の欲が出てきます。「もっと字をきれいに書けるようになれ」とか、「漢字をもっと覚えろ」とか…。もしかしたら学生達、「コイツ、後から後から要求しやがる」くらい思っているのかも知れません。

とはいえ、それほどレベルの高いものを彼らにさせられるわけでもなく、毎日が、まあ、コツコツと蟻さんのような作業を、共にして行くだけなのですが。

教師という立場から見れば、「非漢字圏」の学生達を教え始めて、良かったと思えるは、この点なのです。

中国人学生の場合は、まあ、『初級』はともかく、『中級』くらいからは日本人に対するのとほぼ同じような授業をしていけばそれで十分でしたし、「一級(N1)」を一年ほどで(高得点で)合格できるような学生が多いときなど、(試験後は)日本文学やら、新聞や雑誌の記事やら、あるいは大学入試のための日本人用の問題集などを利用すればそれで良かったのです。だから、言語に関する知識は必要でしたが、淡々としたものでした…。教えるための技術は、それほど必要なかったのです(当然のことながら、現場が教員を育てるわけですから、こちらもそのような技術はなかなか身につけることはできませんでした)。

しかしながら、非漢字圏の学生達に対しては、そんな風にはできません。まず、内容を見て、それに必要な教材を作り、授業の流れを考えていくと言った作業(この順が前後することもありました)をやっていきました。

今から考えれば、「随分無駄なことをやっていた」ようなものですが、教員にとっては、あの一つ一つの作業は決して無駄なことではなかったのです。もちろん、試行錯誤の過程で生まれた徒花のようなものでしかないと言われれば、確かにそうなのかもしれませんが、しかしながら、利用してみて初めて、「だめだ、こりゃあ」ということがわかることも少なくなく、そのような場合でも、一から作り直さねばならないというようなことはあまりありませんでした。改良すれば、事足りたのです。

そのうちに、いろいろな漢字教材も発売され、それを利用しながらできるようになりましたが、あの経験があったからこそ、主体的に利用することができているのかもしれません。

ただ、教材は増えても、授業法だけは「これで終わり」というわけではなく、スリランカ人学生が多いときのものは、ベトナム人学生にはあまり使えず、ベトナム人学生にやるやり方では、スリランカ人学生が欠伸をしてしまうというふうに、母語の関係や彼らの母国での教育法の違いなどから、「非漢字圏」とは一括りにできぬ部分もあるのです。

こうは言いましても、彼らの国で大学に合格できるほどの能力や知識欲がある学生なら、それほどの差はありません。同じように「知識で釣っていけば」それで十分なのです。

問題は、「勉強しようという気持ちはあるし、努力も、ある程度はする。それに真面目である」が、普通のやり方をしていたら、「わからない」で、すぐに意欲をなくしてしまうような人達なのです。

そういう人達には、小さな「成功体験」を重ねさせていき、苦手意識を持たせぬようにさせねばなりません。

『初級』のうちは、「簡単だ。簡単だ」で、(日本語は)面白いとさせ、難しさをオブラートに包んで隠しておく。「できる。言える」と誤魔化されて喜んでいるうちに、ヒアリング力(ヒアリングは時間の問題で、人によって多少の差はありますが、大したものではありません)はついていきますから、実際に、彼らにとって難しい段階である「中級」に達したときに、以前よりも「我慢する力」がついている。

もっとも、これはうまくいった場合のことで、これに「アルバイトがうまくいかない」とか、「(アルバイトが)ない」とか、あるいは「失恋して勉強する気持ちがなくなった」。また、「お金がもらえることがうれしくて(ほしいものが買えますから)、アルバイトに専念してしまった」とか、「一時帰国して、お金を使い果たしたので、勉強どころではなくなった」とか、様々なマイナスの要因が加われば、こうはうまくいきません。

まず、しっかりとした「目的」がある人は、あまり崩れないものなのですが、それでも、崩れる場合があります。

ベトナムの学生の場合は、「一時帰国」するかしないかが「天王山」となります。こちらにしても、懸命に育てようとしていた学生が、一時帰国してしまい、日本語のみならず、それまでに貯めた金も、すっからかんになってもどってくるというのは、あまり見たくない光景なのです。…が、これが多い。

「寮費も払えないという人が、どうして帰れるのか」は、私たちにもわからないところなのですが、実際にやるのです。今は学校の許可がなくとも帰れますから、黙って帰るという人もいます。知れば、当然、私たちは止めますから。

とはいえ、来日後、半分ノイローゼのようになってしまう人もいますから、一律に禁止とは言えず、両親から「帰国願い」が出された場合には認めるとしてあるのですが、親も、この一時帰国がどれほどのマイナスを自分の子供に与えるかが理解できずに、「帰っておいで」コールをしたりしますから、結局は、私たちの気持ちは通ぜずじまいになってしまうのです。

というわけで、新しく関係を持つことになった(ベトナムの)学校には、留学を目指している学生の親御さんに伝えてもらうことにしています。「来日した場合、2年間は帰国させない」と約束してくれと。「一時帰国」は、よほどのことがない限り、本人のためにはならないのです、特にベトナムの学生にとっては。

ベトナム人学生は、1週間の帰国で日本語がきれいさっぱり消えますから(もちろん、ほとんど入っていない人はその限りではありません)。本当にきれいさっぱりと、なのです。「助詞」がきれいにつながっていた学生(珍しいことなのです、ベトナムの学生で、きちんと助詞が使えるというのは)が、1週間の帰国でトンチンカンな文を言い始めて、驚いたことがあるくらいですから。これは、なかなか戻りません。もちろん、稼ぐために日本に来させようという親にとっては、関係ないことなのでしょうけれども。

日々是好日

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