想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

人間とは何だ 心臓移植より想う

2017年08月20日 | エッセイ
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震災7年8月20日

 TBSの「生命38億年のスペシャル 人間とは何だ」の中で、心臓移植をしていた女優の話が妙にきになった。その中で移植された元の心臓の持ち主の感情が記憶されているという話だ。その種の話は以前からよく、マスコミから流れていた。今の科学では、記憶は頭脳に置かれていると言われている。そこが味噌だ。しかし、人の記憶の夢を見た女性がいたのも事実である。事実は事実であるのだ。

 心臓移植を受けてから、以前の心臓の持ち主の夢を見たり体調の変化があるというのだ。それが、事実なら、多分、ロジカルな記憶と感情を伴うような記憶は記憶のされ方が違うのでは無いかと考えられないのだろうか。

普通、人は記憶というと単に名前が事を覚えていると単純に考えているのだろうが、記憶の中身を分析すればそれはそれは大変な違いがあるように想う。単に名前だけ機械的仁覚えることから、死に直面する出来事の記憶までは、内容において大きな違いがあるのは明らかだろう。その中で、感情に関わる記憶というのは単に脳にある記憶とはかけ離れた、細胞レベルの問題が入ってくるのだろう。だから、心療内科的なアプローチが必要なのである。いわゆる心は関わって来ている。心の解明はまだまだ、ほとんど進んでいないようである。あの人といると、いやされる、あの人は何となく魅力的だという内面的な力はどこからでてくるのであろうか。そのようなオーラはまた、単なる記憶とかけ離れたものだろう。人間はとにかくトータルに見ないと診断を誤るのではないだろうか。今の医学では永遠のテーマでは無いかと想う。心臓移植を単なる物理的な移植と考える医療が最先端であるというのは何と言っても歯がゆいことである。

 私はあのような情動の大きな変化を伴う記憶という物は頭以外のすべての細胞の中に入っているのでは無いかと思うというのが私の仮説である。ホルモンなどの内分泌も大いに関連しているし、DNA何度にもその痕跡があるような気がしてならない。それにしても、単なる要素だけを組み合わせて、結論が出る物でも無い気がする。複合汚染という本が昔あったが、それらが、複合的に関連しあって、1+1=2載せ界ばかりでなく、1+1=∞の世界だってあるのだ。また、質量があるものと、無いものとの複合あり、とても、科学では解明できないのが人間なのだ。

 それが実証されるまでは、まだ、長い途方もない年月がかかるだろう。それは、単なる論理的な記憶と情動の変化を伴う記憶が複雑に絡み合っているからではと想う。もし、脳にすべての記憶が入っているというなら、脳そのものを取り替えれば人格までもが変わると言うのだろうが、多分、そうではないだろう。体全体があってその人の人格はできている。そこからの微妙な変化が脳に刺激を与え、また、全体に伝播しているんだろう。頭だけ取り出して考えるのは短絡的な人間理解であり、体全体とのトータルな把握が重要だと想う。

 人間にはまだまだ、解明されない心がある。心は現世にも来世にも行き来がででき時間もなく、質量も形ももっていないものであろうと私は想っているが、そう、いう前提が事実なら、今の医療は大きく変わって行かざるをえない。

 信仰なども大きな医療の要素になるのだろうと想う。私は知識→思想→信仰という見方をするときもあり、正しい信仰こそ、何者にも負けないすばらしい精神的なバックボーンであり、これは何人にも侵されることのない基本的な人権の最たる物だと考えている。今の憲法がこれを保障してくれているのはありがたい。これも、人類の長年の歴史の中で生まれたすばらしい贈り物だと思っている。未来永劫大切にしなくてはと思う。

 現状ではまだまだ、今の医学や医療は入り口だと思って間違いはない。数々の副作用を伴うものがあまりにも多すぎる。過信は禁物である。常識は絶えず変化している。その前提が崩れれば、砂上の楼閣である。盲進はやめた方がよい。自分の体は自分が一番分かっている。ただし、岡目八目という言葉もあるとおり、自分では気づかない所も盲点としてあるので、このことは謙虚に反省しなくてはと思う。他人の意見にはしっかり心を傾ける必要が大いにあるのだろう。

 医療も最終的にはしっかりした人間理解の上に成り立つのだろう。しかし、その人間理解にはまだまだ、ハードルがありすぎるのだ。特に、精神世界は永遠に科学では割り切れない物を含んでいるに違いない。単に、お勉強だでききるだけでは済まないとてつもなく広く大きな世界がその背後にはあるのだろう。

 だから、人間はいつまでたってもミステリアスな存在であり、だから、人間であり、human beingなのだ。科学は今分かっている常識であり、当時の常識は諸行無常変化し続けるものだという考えである。常識に従えば世の中をスムーズに生きて行ける便利な道具であるが、絶えず変化していると言うことを念頭に置くことが本質に迫ることだと考えている。

 それにしても、人間の体は不思議な事が一杯だ。宇宙の神秘にもつながる。畏敬とは何?畏敬の念を今一度考え直そう!Great human being!Viva nature!

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