自死遺族とうきょう自助グループ みずべの集い
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コメント
 
 
 
生きる意味 (モカ)
2017-06-14 23:50:23
18歳の息子を自死で2ヶ月前に亡くしました。
生きる理由が分からなくなった…と。

中学2年位から自室で荒れるようになり、口数も減り、家族で出掛けることも避けるようになった。何を始めても長続きせず、自室にこもりがちに。それでも学校へは休まず登校していたので、思春期独特のもの、男の子だし、独りで解決しようとしているものと思い、真意を聞くようなことをしたら返って追い詰めてしまう気がして、ただただ見守るしかなかった。

同じ時期に大好きだった祖父の認知症もひどくなり、変わっていく姿を目の当たりにして不安要素が重なったのかも知れない。

家族のゴタゴタ、将来への不安、自信喪失、人の死に対しての恐怖…
色々なことが重なり、自分自身を追い詰め、希望をなくしていたのかもしれない

亡くなる1ヶ月前は特に何かに悩んでいるような、とても辛そうだった。よほど声をかけようかと何度か思ったが声に出せず様子を見てしまった。一方で新しいことへのチャレンジを試みるなど何とか自分を変えたい、生きたいと必死な様子が見受けられた。大学に行けばきっといい方向に向かうと祈るような気持ちで見ていた。
でも、大学に入り間もなくして、死を選んでしまった…

カッターで切りつけられた中学の卒業アルバム、小さい時の笑顔で写る自分の顔を黒く塗り潰されていた、消しゴムで消された高校の身分証の顔…知ってはいたけど、聞くことが出来なかった…放っとくべきではなかった。あの時きちんと向き合っていたら違ったかも知れない。あの子の気持ちを楽にしてあげることが出来たかも知れない…悔しい…

家族や友人には"親に人生を教えてくれるために、親を救うための使命を全うした、意味のあること"と言われました。

息子の死をもってまでの意味って…
生きて欲しかった。
一緒に苦しみを分かち合いたかった。
家族で生きて一緒に乗り換えたかった…

生きる理由って…

やたら、夢や希望、目的、目標を持て…なんて文句があふれているから…力が及ばないと感じてしまったら、引け目を感じてしまったら…自信をなくしてしまうのではないか…
自分は自分でいいのに…

どれもこれも
全て想像でしかない…
きっといくつもの、ずっと前から積み重ねられた複雑な理由…
あの子自身、説明がつかない程の苦しみ、哀しみ、絶望…

私自身、親として、頑張れ頑張れで、しっかりとあの子の心の奥に意識を向けて無かった
きちんと大袈裟くらい誉めてやることをしなかった…
照れすに愛情を伝えるべきだった。

もう取り戻せない…抱き締めてやりたい
もうどうにも出来ない…
悔しい、哀しい、自分が許せない…
あの子を孤立させてしまった…
辛いと言って欲しかった
救えなかった。

あの日だけ、あの一瞬だけ楽になりたい…そんな突発的なことだったに違いない…きっと後悔している…
あの日、30分でも私の帰りが早ければ
ドアを開けていれば…
今も生きていたはず…本当に悔しい…

こんな最悪なことにももし、意味があるんだとしたら…
私はこの先、どう意識をつなげて生きていけばいいのか?

先が見えない…
あの子が居ない未来…
これまでの母親だから感じとれた様々な思い…
続くはずだったあの子の未来
忘れない
悔しい
信じられない
しんどい…
受け入れることが出来るのだろうか

下の子の為に生きなければならない
でも、あの子のことばかりが頭の中に溢れる
溢れて、苦しくて、どうにも前に進まない
考える意識を無くしたい
悩む意識を消したい

あの子もこんな風にずっと苦しみに耐えていたんだろうか
申し訳なくて、自分が許せない
人間止めたくなる

でも生きなければならない
生きる意味って…
いつか、答えが見つかるだろうか
 
 
 
モカさんへ (菜の花)
2017-06-16 01:03:24
モカさん、こんばんは。
大切な息子さんが旅立たれて2か月、どれほどお辛い日々を過ごされておられることでしょう。息子さんは、自分を変えよう、何とか生きようと必死で頑張っておられたのですね。祈る思いで見守っておられたモカさん。モカさんの無念さ、意識を無くしたいというお苦しみをお察しします。私も何度もそう思いました。

私は、大学生の息子に会えなくなってから7年半になります。息子の部屋に残された日記には、「自分は無能で、社会の一員としてやっていけそうもない」「生きている価値も意味もない」という孤独な苦しみが、切々とつづられていました。私も息子がつまづいていることに気づいていましたが、何とか自分で乗り越えてくれるだろう、一時的な迷いだろう、と甘く見ていました。

そればかりか、私は「子離れをしなければ」「過干渉ではいけない」と自分に言い聞かせていました。我が子の命を絶つほどの苦しみに手を差し伸べることもせず、逆に突き放し、追い詰めてしまったのです。息子の深い苦しみを理解していなかった自分が、今も情けなくてなりません。

息子は私には過分の宝物だったのに、照れ臭さもあって、それを息子に伝えたことは一度もありませんでした。「生まれてきてくれてありがとう」「生きていてくれるだけでお母さんは嬉しいよ」―息子の耳にタコができるほど、何度も息子に言ってやればよかったのに。後悔の思い、自責の念は、本当に辛いですね。

生きる意味とは・・・私もずっと手探りです。世間では「生きるのに意味なんか必要ない」という声もあります。私も、以前は生きる意味なんて考えたこともありませんでした。考える必要もなかったのです。

でも、こんな悲しみや激痛に耐えて生きていると、「この生き地獄を生きている意味は?」「何のために?」と思わずにはいられません。

虚しさに潰れそうな時は、逃げずに耐えて生き続けることが息子への償い、と思うようにしています。それでも歩き続けることは簡単ではないので、一歩ずつゆっくり、休み休み、少しずつ歩いています。歩けない時は、ただうずくまって泣いています。同じように大きな悲しみを抱えた多くの方が、それぞれの道を懸命に歩いておられることが、私の何よりの支えです。モカさんも、お辛い日々をどうかくれぐれもお大事にお過ごしくださいね。

 
 
 
当たり前の日常 (モカ)
2017-06-16 08:26:21
菜の花さんへ

有難うございます。

菜の花さんの言葉のすべて一つ一つが自分の心をと重なり、しっくりとどっしりと重く自分のなかには入ってきます。全く同じです。
息子自身、説明がつかない程の思春期独特の不安感、焦り、イライラと必死に闘っている、いつかこのトンネルをくぐった先に光が見えてくるはず、昔に見せた屈託のない、自信に溢れた笑顔が戻ってくる…その時には心の底から頑張ったね、と誉めてあげよう、喜びを分かち合おうと思っていた。思春期に抱えている悩みを親に知られるのは男の子だし、恥ずかしいもの、親には自慢の息子のままでいてほしいものという思いで何とか自分一人で解決しようと息子なりに必死に自分探しをしている時期だと思ってました。
まさか、死を選んでしまう程、心に闇を抱えている、自分を責めて責めて追い詰めているとは想像がつかなかった…乗り換えられると信じてました

失って始めて、息子がどんな性格だったのか、見えてきたもの、読み取れたものがたくさんあった。今さら遅いけれど…
私からしたら、次男よりも割りと何でも器用にこなし、集中力もありましたし、いつも強気な言葉や態度を見せていたので、しっかりしていて、大人に見えた。
でも、人一倍繊細で敏感だった。人一倍、物事を深く考え優しい心を持っていた

ちょうど、高校生になった頃に私の父の認知症がひどくなり、暴言、暴力、過食症、徘徊…
私は極力、子供たちの前では明るくしてましたが、父と本気でぶつかり合ったり、不安定な時期の長男にはとても深刻で壮絶な状況であると受け止めていたのかも…いつも、事あるごとにさりげなくサポートしてくれてました。
大好きな祖父の変わっていく姿を見るのがかなり辛かったようで、高校の友人には安楽死させる方法はないかと漏らしていたようです。
自分の力不足を悔いていたようです。

進路への不安、将来への不安、当然予測できたはずなのに、"大丈夫、自分で考えているから"と。
私があれこれ調べて物を申すより、長男が自分で考えて決めた道ならそれでいいと思ってました。私立は先生が親身になってくれていると安心だ、位にしか思ってなかった。

でも、きっと、色々な事が重なり、急に不安感、恐怖感、空虚感、喪失感…心の中に抱えて切れないほどの激しい感情が溢れてしまってたんだと…
想像でしかないけど…
せめて、今からでも、あの子の苦しみを想像して語りかけてあげないとあの子の気持ちが報われない気がして…
高校時代の友人たちが連絡が取れないことを心配して訪ねてくれた。いつも笑顔で優しくて、人が嫌がることでも率先してさりげなく、終わらせてくれたり、喧嘩の仲裁もうまく取り持つようなムードメーカーだった。深い悩みがあることには全く気づかなかった。ぼくたちがもっと踏み込んでいたらと話してくれました。
泣いてくれる友人達が居たのに何故どうして?と思ってしまいます。

あんなに小学生までは少しの変化に敏感に感じ、早め早めに対応していたのに。
思春期と心の奥の違いを読み取ることが出来なかった…
今なら、読み取ることが出来たのに…
ふっと消えてしまいそうな表情も…
弱々しい声も…

かけがえのない存在、そのままでいいんだ、一人ではない、一人で悩む必要ない、皆で考え、乗り越えていけばいい、と言ってあげたかった。一緒に這ってでもあの子の心に寄り添って未来に向かっていきたかった。


でも、何もかももう遅い、取り戻せない…
入ってくるどんな情報も目に写る景色もあの子の居ない世界はどれもこれもつまらないものに感じてしまいます。
ほんの些細な日常の有り難さも悔しいほど、感じてやりきれなくて…
長男が大好きだった、ペットの犬や猫たち…猫ちゃんはたった2ヶ月だけのお付き合い…やっと開けたスマホに猫ちゃんの写真や動画がたくさん残ってた。"しっぽふるってどういう意味なんだろ、この鳴き声はどういう意味なんだろ、調べてみよっ"とお兄ちゃんの声が入ってた…
あれから、大きくなったよ。仕草がめちゃくちゃ可愛くて、お兄ちゃんが今見たら、また絶対にたくさん動画撮ってたよね。
辛くて哀しくて、寂しいけど、ペットたちは私の気持ちにはお構い無しに甘えてくる、素直で、愛くるしい仕草には不意をついて私の心をほぐしてくれます。お兄ちゃん、何故、居ないの?

小さな小さな尊いものを少しずつ拾い集めていけば何とか一日やり過ごす力は生まれてくるかな。

菜の花さん、メッセージ有難うございました。

同じ思いで、苦しい朝を繰り返し過ごし、それでも一日一日を大切に積み重ねておられる菜の花さんの言葉一つ一つに力を頂きました。

1人ではない…と思えるだけで、自分の存在も確認でき、自分のことも周りの存在も大切にしなければと意識を向けることができます。
それでも気持ちに波があり、進んだり戻ったり、発狂したりすると思います。
また、こちらで吐き出させてください。
 
 
 
モカさんへ (菜の花)
2017-06-18 14:46:38
モカさん、こんにちは。私の思いに共感してくださって、ありがとうございます。
モカさんは、お父様の介護で大変な心労を抱えながら、息子さんを見守っておられたのですね。未来を信じ、どれほどの忍耐と努力を重ねてこられたことか、そして、今の無念なお気持ちを思うと、ことばもありません。しっかりしたご長男で、お友達にも愛されていた息子さんには、考え深く繊細な面もおありだったのですね。

私の息子も、元気で明るくて手のかからない子でした。でも、思春期以降は少しずつ、翳りを見せるようになりました。「思春期には誰でも多少の波はあるもので、それを乗り越えて大きく成長できるはず」、私もそう信じていました。

息子が遺していった日記を読んで、はじめて本当の息子の魂に触れた気がしました。こんなにも真面目で繊細な心の持ち主だったとは、こんなにも真摯に自分の生き方を考えていたとは、自らの未熟さに厳しく向き合っていたとは、親でありながら、まったく気づいていませんでした。

亡くなった息子は、親に心配をかけまいと穏やかな笑顔を見せ、冗談を言って私たちを笑わせてくれるひょうきんな若者でした。幼い頃から、たくさんの喜びと幸せを親に与えてくれました。今も私の自慢の息子なのに、もう「息子がいる」とも「息子がいた」とも、人に話すことはできません。

モカさん、背負いきれない悲しみや、爆発しそうな心の思いも、ことばにすることで少し休憩できることがあります。私も今まで、どれほど皆さんに助けていただいたことでしょう。どうぞお気の向いた時にはいつでも、お気持ちを聞かせてくださいね。

動物たちの愛らしいしぐさは、心がなごみますね。私も時々、Youtubeの動物の動画を見ています。どうか少しでもほっとできる時間や場所を大切にして、くれぐれもご自愛ください。
 
 
 
息子が見ていた景色 (モカ)
2017-06-21 01:12:02
息子もよく旅先で写真を撮ってました。
心の風景の"初夏の夕べ"のような青の世界‥
風、空、大地、草木の香り‥
どこか切なくて、虚しくて、懐かしくて‥
息子はフィルターを通して何を見ていたんだろう。何を感じてたんだろう。何を思っていたんだろう。
ただただ無邪気に何でも楽しめていた過去‥思い描いていた輝かしい未来‥
"いつからだろう、昔みたいに心から楽しいと思えなくなってしまった"とポツリと呟いていた。

もっと、話を聞いてあげれば良かった。私自身の話もしてあげれば良かった。
思春期の訳も分からない不安や焦り、苛立ち、恐怖心は多かれ少なかれ誰もが通る道で、決して特別でもなくいずれ、あの時は何だったんだろうと笑って話せる日がくると。
あともう少し踏み込んでいたら‥あともう少しタイミングがずれていたら‥

息子が好んでよく見ていた屋上からの景色‥何を思っていたんだろう。
今日は夕方からどんよりした灰色の空、湿った風‥
息子が学校に通ってた道が目に入る。いつまでも手を振ってた。
小さい時に遊んでいた手作りの砂場も。放置して色あせたおもちゃがそのままだ。
寂しい。虚しい。会いたい。声が聞きたい。
嫌な天気だ‥
ほんの些細なことがきっかけで、気持ちが堕ちてしまう。しんどい。
そしてまた朝がやってくる。朝が一番しんどい。
この意識‥支配されてる意識‥無くしたい。自分でなんとか折り合いつけなければならない。でも、どうにもコントロールできない。激しい感情が押し寄せる。無理やり蓋をする。もう、どうにもならないと言い聞かせる。

息子は同じ景色の中に何を感じてたんだろう。もっと早く、問うべきだった。
今さらで本当ごめん。

深呼吸。なんとか息は出来る。無理やり自分を褒める、許す。
完全に腑抜け、最低限の事の繰り返し。
 
 
 
モカさんへ (菜の花)
2017-06-22 20:43:00
モカさん、こんばんは。
モカさんの息子さんも写真を撮っておられたのですね。心に感じたままを撮った写真には、その人にしか見えない空気感や情景があったりします。息子さんの写真には、息子さんのまなざしが残されているのですね。

私の息子も、亡くなる2年ほど前から街の風景を撮っていました。息子が亡くなった後、私は、その写真に写っている場所をひとつひとつ捜し歩き、息子が立ち止まってシャッターを押した姿を想像して、自分も写真を撮りました。あまりにも我が子の心に無知だったので、せめて、息子が何を見て心を動かされたのか、少しでも理解したかったのです。いつの間にか、写真を撮ることが心の支えになっていました。

朝は本当に辛いですね。繰り返し朝が来て、また一日を生きなければならないこと、苦しい時間を過ごさなければならないこと。何よりも意識があること自体が辛い。眠っている時だけ、意識がない間だけが、現実逃避できる時間でした。
「命が尽きる時まで深く昏々と眠っていたい」
「眠っている間に胸が張り裂けて、私に朝が来ませんように」
と、一日の終わりに何度願ったことでしょう。

それでも、7年を過ぎて振り返ってみると、あの激しい苦しみ、怒涛のように襲いかかる悲嘆の波は、当初と比べると穏やかになりました。
何年もの間、振り返る余裕もなく、ただ一日をやり過ごすことで精いっぱいでした。
「ああしていれば、こう言っていれば」という限りない後悔と自責の思いに、頭が爆発しそうでした。

「あの日に時間を戻して!」と、どれほど泣き叫んだかしれません。それでも、時間は前にしか流れません。それは、無情でもあり、救いでもあります。

モカさん、今は息を吸って吐いているだけでいいのです。最低限のことができれば上等ですし、できなくても当然です。こんな過酷な現実に直面したら、ただ立ち尽くすだけ、うずくまるだけ。動ける時がきたら、自然に心と体が動きます。

今日一日をなんとかやり過ごしたご自分を、どうぞ思い切りほめてあげてください。モカさんに、つかの間でもおだやかな時間がありますように。

 
 
 
菜の花さんへ (モカ)
2017-06-23 00:01:46
ありがとうございます。

私の母は63歳で癌によりこの世を去りました。今年で9年になります。やっと最近懐かしく穏やかな気持ちで振り返れるようになりました。母の時も辛かった。でも息子の死はその比ではない。母は最期まで弱音を吐きませんでした。取り乱すことも恨みつらみも言わず、自分のことより家族を想い、関わる全ての人々に感謝の気持ちで接していました。なんて慈悲深くて強い人なんだろうと思った。それでも、何とも言えないような表情のまま長い時間目を閉じているという姿を時々、目にしました。これまで歩んできた過去、未来へのかすかな希望、様々な思い、死を受け入れること‥だったのか。そのまま、ふっと消えてしまいそうで怖かった記憶がある。その時の表情が息子の亡くなる前に見せた表情と今だから重なる。何故、もっと危機感を持たなかったんだろう。
長男が愛おしい。会いたい。今だから見えてくるものがたくさんある。助けたかった。悔しい。こんなにも支えられていたこと。愛情は伝わっていたのでしょうか。寂しい。

下の子も思春期真っ只中。難しい時期。かけがえのない時間を過ごしている。同じような後悔はしたくない。でも頭が回らない。自信がないのです。
下の子は兄のことは一切、自分からは口にしない。昔のような家族では無くなってしまったこと。認めたくないのだろうと思う。勉強、部活、行事、塾。淡々と日々の生活をこなしている。
主人も同じ。長男の話を持ちかけると、必死に仕事してきて家でもこれでは地獄だと。
皆、それぞれの立場で苦悩している。それぞれの形で日々をやり過ごしている。
私が一番、取り乱している。強かった母の娘なのに。どう立て直せばいいのだろう。なかなか抜け出せない。認めたくないのは私も同じだ。
どんなに頭が回らなくても自信がなくても、今度こそ、心から目を離さないように。そこの意識だけは持っていたい。

菜の花さんのおしゃるように、日々の生活の中で、少しでも穏やかになれる瞬間を大切にすること、自分をいたわること、許すことを繰り返してみたいと思います。
 
 
 
モカさんへ (菜の花)
2017-06-25 21:08:11
モカさん、こんばんは。
モカさんのお母様は、周囲への思いやりを忘れない優しい方だったのですね。その病床のお母様の表情と息子さんの表情が重なるというのは、母親であるモカさんならではの繊細な感覚なのかもしれませんね。

息子の最後の夏、私には、地面に伸びる息子の影がだんだん薄くなっていくような感覚がありました。息子が透明になっていくような。「何かがおかしい」という焦りもありました。

でも、周囲から「心配し過ぎよ。母親がどーんと構えてなきゃ」と笑われ、息子の「大丈夫だよ」という穏やかな笑顔を見ると、「そうか、自分が心配し過ぎなのか」と。漠然とした不安はありました。それでも、息子の命の炎が燃え尽きようとしているとは思いもしませんでした。もっと自分の直感を信じて踏み込んでいれば・・・と後悔は尽きません。

こんなことがあると、家族の関係も難しいですね。私も周囲から「夫婦でしっかり助け合って」「ご主人は奥さんをしっかり支えてあげないと」と言われましたが、そんなきれいごとでは済みませんでした。

それぞれが崩れ落ちそうな自分自身を支えるだけで、精いっぱいです。自分も苦しいし、家族が嘆き悲しむ姿を目の当たりにすることも苦しい。どう慰めていいかわからない。私の涙を見て苦しそうな夫の困惑振りを見るのも辛く、夫に隠れて泣いていました。

次第に、息子の死について夫と突っ込んだ話はしなくなりました。口にしても、お互いの認識の違いが浮き彫りになるだけで、愕然としたり失望したり、怒りを感じたりで、動揺が大きくなるばかりでした。我が家の場合、夫は父親である自分自身に非があったとは考えていません。私は、息子に土下座して詫びたい思いでいっぱいです。

どちらが正しいとか間違っているとか、そういうことではないのです。ただ、家族でも思いはそれぞれなのだと知りました。

私は夫に共感を求めたり悲しみを口にしたりすることを避け、遺族の方々と本音を話し合うことで救われてきました。家では、心にふたをして淡々と過ごすことで、どうにか最低限の日常生活を維持してきました。悲しさを隠して能面のような無表情を装ってきましたが、最近は、以前よりも、冗談を自然に口にして笑い合ったりできるようになったと感じています。

今はどうにもならないことでも、時の流れと共にゆるやかに明るい方向に変化していくこともあり、また、心のどこかで新たに生まれて育つ力も確かにあるようです。

モカさんとご家族がなんとかこの苦しい時期を乗り越えられ、おだやかな時間が少しずつ生まれますように、遠くからお祈りしています。どうぞくれぐれもお大事にお過ごしください。私の繰り言も聞いてくださって、ありがとうございます。

 
 
 
眩しいほどの季節 (モカ)
2017-07-04 17:32:23
昨日の猛暑、オレンジ色に染まる空、湿った風。今日は台風前のどんよりした空。
近ずいていく。亡き息子の好きだった夏。
海、祭り、花火‥キラキラした季節。
毎年、恒例の家族で過ごす雲見の海、砂浜、海水浴、魚釣り。
別荘から見える海に浮かぶ牛着岩、富士山‥好きだった景色。夕暮れ時には家族でその景色を眺めながらのバーベキュー。ひぐらしの声‥楽しい時間が終わりを告げているようで物悲しい気持ちにもなった。夜にはダーツ大会。そして打ち上げ花火、締めの線香花火‥あの時間が遠い昔のよう。もう二度と寄り添うことは出来ない。嘘みたいだ。去年までは普通にあった。当たり前にある光景。ずっと続く光景。本当にまだ信じられない。長い長い悪い夢ではないのか。
この不安定な陽気のせいだろうか。息ができないほど苦しくなる。1日に何度も発狂しそうになる。自分が自分でなくなりそうで物凄い不安感、恐怖感で一杯になる。
次男は日々の生活を取り戻し、新たな道への目標を立て希望を口にし笑顔を見せる。なんと頼もしい。夫も仕事に家の雑用に次々と本当によく動く。
私だけだ。同じところを行ったり来たり。少しも前に進めない。出口のない迷路をさまよっている感じ。認めたくない。到底受け入れられない。苦しい。悔しい。愛おしい。
過去も未来も思えば、苦しくなるばかり。足元をみるのも息をするだけで精一杯。こんな私が周りを支えることが出来るだろうか。
嫌な季節。耐えられるだろうか。下ばかりを見てしまう。眩しくて。お兄ちゃんのあの頃が。続くはずの未来が。哀しい。虚しい。愛おしい。
 
 
 
辛い夏ですね (菜の花)
2017-07-05 23:38:56
モカさんへ
先週末の当地では、雨上がりの空が青く、初夏らしい入道雲がもくもくと立ち上がっていました。梅雨明けが近いことを感じました。
モカさん御家族が過ごされた楽しい夏が、今年は切ない記憶になってしまい、さぞお辛いことでしょう。受け入れがたい、信じられないというお気持ちを、痛いほどお察しします。

どこにでもあるような、ありふれた家族の光景。
我が子の笑顔がある日々の生活。
それは決して当たり前ではない、とても稀有な幸せなのだと、
大切な家族を失って初めて痛感しました。
失ったものはあまりにも大きく、ただ茫然と立ち尽くすばかりでした。

私も「自分はどうなってしまったのか」「自分が自分でない」「私は誰?」という混乱と恐怖に苦しみました。
これは自分の人生じゃない、悪い夢に違いない、
天に与えられた配役が間違っている、私の役はこれじゃない、
こんなはずがない!...毎日毎日、同じことをぐるぐると果てしなく心で叫び続け、頭が爆発しそうでした。

それでも無我夢中で過ごして8年目の今日、ふと気がつけば、いつの間にか当初のような激しい感情は少しずつおだやかになっています。悲しみを背負った自分なりに、よたよたと歩いています。
少しの風にもよろめき、小さな石にもつまづき、寂しさのあまり立ち止まっては涙を拭きます。おぼつかない弱々しい足取りですが、手探りしながら亀のように少しずつ歩いています。

気を紛らわすため、悲しみから目をそらすため、大波をやり過ごすために、パン生地をこねたり、田舎の風景を撮り歩いたり、通販で無駄遣いしたり、ひとり旅に出たり、山歩きをしたり、自然音の音楽を聴いたり、できることは何でもやってみました。現在では、写真を撮ることを何よりの気晴らしとしています。
モカさんがほっとできる休息の時間が得られますように願っています。

荒れ狂う海に突然投げ出されたような私たちは、ともすれば激しい荒波にのまれそうになりますが、息継ぎを重ねて、休憩できるブイや足の立つ浅瀬を目指し、ゆっくり少しずつ泳ぎましょう。たくさんの人が、この悲嘆の海を泳いでいます。

元の岸には戻れなくても、私たちが泳ぎつける新たな岸は必ずどこかにあります。

 
 
 
菜の花さんへ (モカ)
2017-07-06 10:54:51
今の私は荒波を前に、呑み込まれそうになるのが怖くてただただ立ち尽くしうずくまるだけ。目をそらし気を紛らわし。頭も心も体も何も感じないように息を潜め足元を見るのに精一杯。

この世界に生きずらさを抱え、成りたかった自分に辿りつけないまま、苦しいままこの世を旅立ってしまった息子がただただ不憫でならない。何としてでも助けたかった。この先にどうつなげていけばいいのか。

今はとても頭も体も気力も追いつきませんが。菜の花さんのように、私もできることを少しずつ見つけてとにかく色々やってみる、そんな風にできたらいいなと思いました。途方に暮れるほどの長い長い道のりに耐えられるか自信がないですが。その先に自分にとっての気晴らし、休息の時間が得られるようにほんの少しの希望も持っていたいです。
ゆっくり少しずつ息継ぎしながら、皆さんについていきたいと思います。
いつも温かいお言葉を本当に有難うございます。力を頂きます。
 
 
 
モカさん、菜の花さん (にゃん)
2017-07-07 13:34:48
初めての投稿でドキドキしています。
一か月半前に17歳の息子を亡くしました。
晴天の霹靂で、一気に深海1万メートルに転落、苦しく、淋しく、気が狂いそうな毎日を過ごしています。何も手につかず、仕事も休んで昼も夜も、どう過ごしてよいか、みの置き場がなく、時々心臓がバクバクしてくるので、テレビや、ネットの遺族サイトを見たりしてやっと過ごしています。お二人のお話を見つけて、状況がとても私に似ているので、勇気を出して投稿しました。私もしっかりしている次男に今思えば甘えっぱなし、たった17歳なのに、学校の授業でのトラブルも乗り越えてくれると思い頑張らせてしまいました。こんなに苦しんでいたなんて。まさかこんなことになるなんて。今まで手のかかる長男の陰でノーマークでした。ニコニコ笑顔しか思い出せないのですがその裏で相当の生きづらさを抱えていたのでした。さみしい思いをさせてしまった悔いと、置いていかれたさみしさで胸が張り裂けそうです。彼も感性が素敵な子で、写真を沢山撮っていました。
星や自然や生き物が大好きな子でした。
 
 
 
にゃんさんへ (モカ)
2017-07-08 00:42:32
はじめまして。
一ヶ月半前なのですね。私と変わりませんね。本当に毎日毎日しんどい時間を過ごされていらっしゃることと思います。

私も我が子を自死で失うということがこれほどまでに辛いこととは想像だにしませんでした。
何処を見ても何処を通っても、そこここに地雷は転がっていて。その度に激しい感情の波に襲われる。自責、後悔、虚しさ、愛おしさ、不安感、恐怖感。
動悸、喉のつかえ、息苦しさは常にある。考えないようにしているつもりなのに、意識の中には常に息子への想いがある。仕事も家のことも最低限の働きしかできない。

息子は亡くなる一ヶ月位前は辛そうな表情も時折見せてはいましたが、生きることに必死に向き合う姿も今だから痛いほど分かる。
あれすることにした、これすることにする、料理教えて、足の裏揉んであげる、お母さん、お母さん‥といつになく私に話しかけてくれてた。もっともっと甘えたかったのかもしれない。もっともっと私に声をかけて欲しかったのかもしれない。もっともっと息子との時間を大切にすればよかった。それなのになぜだか、あの時私自身に余裕がなく、きちんと顔を見ることも向き合うことも出来なかった。

まだまだ、これから広がっていくはずの未来。仕事をしたり、恋をしたり、趣味を持ったり‥何も成し遂げないまま苦しいまま人生を終わらせてしまったことがただただ不憫でならない。想いは溢れて切りがない。何としてでも助けたかった。心がいつも叫び続けてる。
これほどの尊いもの、大きな存在を失うことの意味。母として課せられた意味って。この先、どう捉え生きていけばいいのか。生きることがこれ程までにしんどいなんて。

かけがえのない時間、日常にある当たり前の光景、こんなにも尊く愛おしいものだから。
息子が伝えたかったもの。本当はもっと生きたかったんだと思うから。家族といたかったと思うから。遺されたものとして、どんなに辛くても、這ってでも生きなければいけないと思うから。
菜の花さんのおっしゃるように、時には目をそらし気を紛らわしながら、何とか一日をやり過ごし、荒波の中を息継ぎしながらゆっくり少しずつ泳いで行くしかないのだと思います。
こうして気持ちを吐き出す場所があり、受け止めてくださる方がいらっしゃる、同じように苦しんでおられる方がいらっしゃる、それだけで力を頂きます。それでも、またすぐに気持ちが堕ちて。とても不安定な日々の繰り返しですが、支え合えたら嬉しいです。勇気出してコメントを頂き有難うございます。
自分の体や心を苦しめるのも癒すのも自分自身だと思うから、無理しないで自分のことも大切にと言い聞かせています。
これからもよろしくお願いします。
 
 
 
きのうは七夕でした (にゃん)
2017-07-08 08:07:16
モカさん、お返事ありがとうございます。
息子さん、生きようと、前向きに、一生懸命だったんですね。また、お母さんをだいすきだったんですね。私も息子が大好きでした。たぶん息子も私を。私はいつもバタバタしていて、息子も高校生になったし学校楽しそうだしもう大丈夫、と思い、仕事や研修や趣味に明け暮れていました。家にいても片づけやなんやかや、じっとしていなくて、しょうがないなあ、ってきっと思っていたはず。息子は、物知りで、冷静でパソコンとかなんでも教えてくれる、でも超マイペースで、まったくなあ、という存在。
勉強もできるほうだし、大丈夫、とみんなが思っちゃっていました。だから厳しい授業も大丈夫って。真剣に向き合って共感してあげられなかった。
彼も実は小学校、中学校、つらい思い出がいっぱい。よくない先生にあたり、クラスにも恵まれず、ひどい目にあって私がその都度訴えたり、共感して寄り添っていたつもりだったけど、もういいよ、お母さん、何もしなくていいから、とあきらめちゃってた。
その時はつらかったけど打ち込む好きなものをもっていたから認められたり少しずつ回復して
高校では友達もできて楽しそうに通っていたのです。もう大丈夫、って、希死念慮ももっていたのに、考えることがすきで、哲学者のようなところがあるから、きっと大丈夫って、みんなで思っちゃって。彼が大変な心の傷を負っていたことふと忘れちゃうくらい、順風満帆に見えて。でも大丈夫なんかじゃなかったんだ。まだ学校で何があったかよくわからないのだけど、ものすごい自己否定のスパイラルに落ちて行ってしまったみたい。

七夕には数年前までは短冊に家族でお願いごと書いていました。家族みんなが健康で楽しく暮らせますように、って。普通に暮らすだけのことがどんなに尊いものなのか、その時はわからなかった。
普通に、起きてごはん一緒にたべて、はいお弁当、いってらっしゃい、おかえり、今日どうだった?って
それだけでどんなに幸せだったか。こんなことがないと気づかないなんて。
亡くなる少し前はこんなことも忙しさとすれ違いで、できていませんでした。
避けられていたのかな~とおもったり。本当にばかでした。とにかく何もかも悔しくて悔しくて。
心臓発作で死んでしまいそうですが生きてます。まだとろとろとしかねむれません。
本当につらいですよね。こんな苦しみが世の中にあったなんて。
でも私一人ではないと思うと救われます。よろしくお願いします。
 
 
 
にゃんさんへ (菜の花)
2017-07-09 00:49:58
にゃんさん、こんばんは。
大切な息子さんが17歳で旅立たれたとのこと、心からお悔やみを申し上げます。
感性豊かなすばらしいお子さんだったのですね。思いもよらない突然のお別れに、身の置き所のない辛い毎日をどれほど耐えてお過ごしのことか、そのお苦しみをお察しします。

私も、世の中にこんな悲しみ、苦しみがあるとは知りませんでした。
意識があること自体が苦しくてたまりませんでした。
「こんなことがあるはずがない!」「嘘だ!」
その叫びで心が張り裂けそうでした。
「いっそ胸が張り裂けたら楽になれる」
「意識を永遠に消してしまいたい」と何度も思いました。

一方で、息子を救えなかった自分への激しい怒りもあり、
「もっと苦しめ、自分」という気持ちもありました。
「ここで死んだら楽になれるからこそ、自分が楽になることは許さない」と思ったり、「苦しんで生きて償うのだ」と自分に言い聞かせたり。
半狂乱の自分を何とかなだめようと、自分でも必死でした。

何かしていないと苦しくてたまらず、息子の仏壇に飾るために花の苗を育てたり、息子が残していった写真を、小さなフォトブックにまとめたりしました。何もする気力がなくても、そんな「息子のためにできること」をしている間は、息子を近くに感じて少し慰められました。

モカさんが書いておられるように、自分を苦しめるのも癒すのも自分自身です。ご自分の辛さはにゃんさんがいちばんよくわかるので、どうかご自分を十二分にいたわってあげてくださいね。

周囲の雑音や世間の義理などは二の次です。できればこれ以上無理をせずにすむように、避けられる辛さは避けて、荒れ狂う大波をなんとかやり過ごしてくださいますよう、お祈りしています。


 
 
 
ほんの一瞬 (にゃん)
2017-07-09 15:46:55
菜の花さん、お返事ありがとうございます。

今日、お昼ごはんを食べようとしてほんの一瞬、息子を呼んでこなくちゃ、って普通に思っている自分が
いました。夜寝ていても物音がすると、息子が部屋で何かやってるんだな、って思ったり、
でももういないんだ、って思ったり。
冷蔵庫には息子のために買った、好きだった食材や、お弁当のおかず。辛くて奥の見えないところに
隠しました。今は息子の残したカバン、自転車、色々見ることができません。

亡くなった直後は、何か残していないか、家じゅうをさがしまわりました。
今は何も見たくない、写真も…そんな気分です。

少し落ち着いているときもあります。
夜は少しだけお酒を飲むと楽になります。
アル中になったら困るので6時を過ぎたら、と決めてます。

嘘でも笑えるようにならないと仕事は無理そう。
お客さんや友達とは少しの時間なら無理できるけどものすごく疲れてしまうので
やっぱり辛いけど一人で過ごしていたいです。
いったい何をしたら生きていけるのか…
今まで広げてきた人とのつながり、仕事も趣味もその世界が全部、恐怖に変わってしまいました。
それでも、近所に気にかけてくれている人がいることは、少し温かくおもいます。
ご家族の面倒をみられているモカさん、お辛いのにがんばっておられるのですね。
こんなつらい毎日をもう何年も過ごしてこられた菜の花さん、本当に何年たっても…
なのですね。

悲しい、淋しい、苦しい、でも思い出すのは笑顔の息子。誰一人責めずに。言えないつらさ。
つらかったのにねえ…。ごめん。でも、お母さんを助けて! いままでいっぱい助けてもらった。
もう、無理だよ、って笑っているのかな…。本当に悔しいよ。
家族にこれ以上こんなつらいことが起こらないように、全力でで生きて行かなくちゃ。
休み休みでも一日生きることが残された私たち家族のミッション。

親友だったお兄ちゃんがとても心配。でもこのつらさを知っているからきっとなんとか
生きていってくれると信じたい。どうかいつか幸せになってと、願うばかりです。





 
 
 
負けない (モカ)
2017-07-09 22:57:05
私もまとめ買いしておいた息子の好きな食材がまだ使えずそのまま。大学に使う為に一緒に買いに行ったリュックや財布、身分証。遺影さえも見るのが辛くて目の届かない場所へしまい込んでしまいました。夜もお酒の力を借りて意識を少し麻痺させます。

古くからの友人が代わる代わる心配して外に連れ出してくれます。始めは気持ち吐き出すことで心が軽くなる感じがするのですがそのうち、同じ空間に居るのに自分だけ別世界に居るような感覚になり虚しさに変わり次第に心が重たくなり、別れた後、かえって苦しくなる。同じ経験をしたもので無いと分からない苦しみ。でも友人の気持ちも分かるから無理してしまうこともある。

介護も以前のように全身全霊という向き合い方はできません。
父の一番辛い時期と息子の多感で不安定な時期とが重なったが、当時の私は目に見えて大きな問題を抱えた父のケアにばかり力を注ぐのに精一杯。息子に対し充分に向き合う意識すら持てなかった。余裕の無い私に相談出来ず、我慢をさせ無理をさせ孤立させ、結果、追い込んでしまったのではと思うと、父に対して前向きになれず顔を見るのも辛い。怒りさえ覚える。父のせいでも無い。そんな身勝手な自分にも腹が立つ。
父は認知症が酷くなり在宅介護もピークの中、息子の亡くなる一か月前に二度目の脳梗塞で倒れ、右半身麻痺、失語のため意思疎通困難となり、全ての生活動作において全介助、ベット上での生活を余儀なくされた。息子は面会にきてもまともに父の顔を見ようとしなかった。
認知症になる前、父は初孫ということもありどんな時でも一番の味方、とても可愛いがってくれた。そんな祖父の変わり行く姿を見るのは相当辛かったらしいということを息子の友人から亡くなった後に聞いた。
父はほとんど眠っていることが多く、ムラはあるが簡単な内容の声かけには頷きはある、どこまで理解しているかは分からないが、息子の亡くなったこと、その後も息子の話になると嗚咽するほど涙を流す。
孫を愛する心は残ってる。だとしても今の私には以前のようにはいかない。ただ、傍に居るだけ。辛くて長くは居られない。以前の父なら服の裾を引っ張ってまで独りにしないでと大騒ぎしてた。今は何も言わず父もただ私の目を見つめてる。
何もかも辛い。息子が居てさえくれたら、どんな事も乗り越えられるのに。今の私は抜け殻です。
かけがえのない尊いものを亡くした穴は早々に埋まる訳がない。
でも苦しみの中にずっと埋もれている訳にもいかない、私の代わりも居ないから否が応でも無理やりにでも重たい心と体に鞭を打たないといけないこともあって。しんどい、本当にしんどい。
朝を迎えることが。心も頭も爆発しそうになるたびに、これ以上壊れないように必死で意識に蓋をする。
息子は大切な人の結末を見るのが怖くなったとも遺書に遺してました。息子には耐えられなかった大切な人の死。私は這ってでも向き合わなければならない。生きようとしている大切な人のために。これから先に必ずやってくる大切な人たちとの死とも。息子の想いも引き継いで、負けない。とまた言い聞かせる。
 
 
 
感性 (にゃん)
2017-07-11 00:16:03
モカさんの大変な毎日を思うと、私はまだ、ゆっくり悲しむ時間を与えてもらえてありがたいのだな、と思います。
本当に本当に、今も、さらにつらい思いでがんばっておられるのですね。
夜のお酒、ほんの少し、心を休める時間になりますように…私も、同じ時間に、同じように過ごしています。
そして、息子さんの優しさ、感性、本当に、すごい、だから本当につらかったのでしょうね。

私の息子は、小学校3年生の時に、私の父が病気で亡くなったとき、一緒に暮らしていたわけでもなく、
すごく遊んでもらったわけでもないのに、大泣き、しばらく学校でもおかしいと先生が心配するほど
上の空、体育館で椅子を舞台にしまうのをみて、じいじが焼かれるのを思い出しちゃった、死ぬとどうなるの?
などなど、すごく不安定な時期がありました。お母さんは死んだらすぐ生まれ変わるような気がする、でも
もしかしたらしばらくそばにいるかもね、じいじのゆうれいだったらいてもこわくないよね、なんて
話をしたことがあります。肉親の死というものは、しかも初めて見る姿は大変なショックだったようです。
まして、可愛がってくれたおじいちゃん、生きてはいても、別人のようになってしまうのですものね。
その後息子は、、けんかだったのか、近所の子に死ねって言われたと言って学校を一日
休むくらいショックを受けたり、やはりその言葉は、それからもずっとトラウマになっていたようです。

ジョークでいくらでも普通に平気で言っちゃう子が多い中、ほんとうにがさつで暴言だらけのクラスで
鈍感で体育会系のなんでもみんな一緒の先生にあたってしまうと、感性の鋭い子は弱い子、と叱られて、
いじめの標的に…。感性のきれいな美術系の?先生にあたると、素敵な子ねえ、将来楽しみね、でも
そうでないと、みんな一緒になぜできないの、いじめでも、そんな弱いと将来大変よ、と。中学では
助けようとしてくれた先生が心が折れてやめてしまったり、相談した先生がひきつぎもなく転勤してし
まったり、寄せ書きに死ねと書かれたことも、でも僕、消したよ、証拠なくなちゃった、と笑ってたり。
学校休んでいいよ、って言ったのに、一日休むとやっぱり行くよ、って。この子のいいところは
私がよく知っているから私が守るって思っていたのに、高校に行って楽しそうに見えて油断してしまった。
話を聞いたり、寄り添う時間を私も作れなかった。本当はきっともっと話したかった、さみしかった、と思う。
 
人と違う感性とか、感性が鋭いとそれだけでしんどい、のかもしれない。おかしなことに気づいてしまうから。
悔しい不運な環境もあったけれど、外の世界に理不尽があるのは常で、でも温かく寄り添える母でありたかった。
そんな母をめざしてたのになあ…なんてことだ。追い詰める側にまわってしまった。
しっかりしてるから、頼りにしてばかり、がまんばかりさせていたことに、きづかされた。
弱いと思われるのは嫌だ。繊細だからこそ、優しいし、好きなことに純粋に打ち込んですごい作品ができたりする。
考え深いのもすごいこと、本をいっぱい読んで、哲学者みたいな、エッセイストみたいな、そんな姿も、話も
大好きだった。これから、魅力をばんばん、発信していくところだったのにな…

どんな子も、どんな人も、生きやすい社会にならないものか…
 
 
 
モカさん、にゃんさんへ (菜の花)
2017-07-11 16:19:35
息子が小学2年生の頃、私の祖母が亡くなり、息子もいっしょに火葬場でお骨を拾いました。数日後のある夜、息子がベッドで泣いていました。
お気に入りのぬいぐるみを抱きしめて、
「ぼくが死んだら、このワンちゃんもいっしょに棺桶に入れて焼いてね」と涙を流していました。まさか本当に息子を見送ることになるとは、当時は想像もしませんでした。

そんなことを、おふたりのコメントから思い出しました。
小学時代の息子は、繊細で純情な子でした。けんかや暴力が大嫌いなので、いじめられてもじっと我慢している子でした。底抜けのお人よしでした。

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の全文が、息子が遺した日記に書き写されていました。ダンスと電子音楽に熱中して、友人と踊り明かして、いつもにこにこ笑っていた息子が、そんな理想を心に抱いていたとは、母親は夢にも思いませんでした。

真面目で繊細な人間は、生きづらい世の中なのでしょうか。もっと世渡り上手に、人を押しのけて生きるように、教えたらよかったのでしょうか。世の中は不公平と理不尽に満ちていることを、知りました。

残された自分も本当に辛い。生き地獄とはこのことか、と思います。
でも、本人がいちばん辛かったのだと思います。
寂しさ、孤独、後悔、絶望、後ろめたさ、諦め・・・
さまざまな苦悩を背負ったまま、ひっそりと旅立ってしまった我が子が、今も不憫でなりません。

私は、苦しい生活を生きることが息子への償いだと、自分に言い聞かせてきました。
それでも、遺族という共通の立場でも、置かれている環境も価値観も一人ひとり異なるのですから、いろいろな考え方があって当然だと思います。大切な家族の自死という途方もない衝撃、その後の混乱に直面して、自分がどう向き合っていくか、どのように折り合いをつけていくかは、自分で手探りで体得していくしかないのかもしれません。

今は以前の自分とはまったく違う自分になってしまった、何もできなくなった、先に進めない、どうしていいかわからない、狂ってしまいそうだ・・・その言い尽くせない苦しさは、亡き子への愛情がもたらす正常な反応と感じています。

動けない今は、これ以上気力を消耗しないようにうずくまって痛みに耐える「時」なのだと思って、焦らず、なんとか日々をやり過ごしてくださることを祈っています。いつか、その「時」がきたら、半歩でも一歩でも足が自然に前に出ます。

周囲の人は、遺族の悲嘆を見るのが辛いので、「早く元気になって」「一日も早く笑顔を」などと言いますが、余計なお世話です。ある程度はとことん泣き尽くす、悲しみ尽くすことも必要だと感じています。

深い悲しみを抱えながらお父様の介護を続けておられるモカさん、私も崩れ落ちそうな時に「でも、負けない」と言い聞かせています。心の隅から聞こえる小さな「負けない」ということばを、しっかり握りしめています。

にゃんさん、息子さんの素晴らしい感受性をお母さんとして愛し、理解しておられたのですね。乱暴な子、意地悪な子が要領よく世の中を渡っていき、心のやさしい繊細な子が生きていけないという理不尽さは、本当に受け入れがたいものです。

おふたりの残されたお子さんたちがいつかこの悲しみを乗り越えて、幸せに向かって人生を切り開いていかれますように、私も心から願っています。


 
 
 
思い出 (にゃん)
2017-07-13 09:44:50
菜の花さん、モカさん、優しい言葉、共感、ありがとうございます。
感情が高ぶって、不安定で、いろいろ失礼なこと、書いていたら、ごめんなさい。
まだ、ショックで信じられなくて、一瞬忘れたり、ずーっと考え続けたり、
毎朝3時からは目がさえて、あの日を全部思い出して、心臓バクバク、
誰もいない時間に泣いて、メガネかけて買い物に行って、
ふらふらしながらごはんのしたくして、疲れてだらだらして、
全力だしても、こんなです。

菜の花さんの、心の風景、の写真、なんて美しいんでしょう、美しくてせつない、
この美しさは傷を負った私たちだからこそ、感じる特別なものもあるのかな、と思うと、
芸術って何だろうな…と。

高校一年の時、学校の庭でドングリを拾ってもってきてくれた息子、高校生の男の子がドングリって、なんて可愛いんだろう、って思い、一緒に図鑑で名前を調べたけど、どれにもあてはまらなくて、謎のまま、まだ小皿に入れておいてあります。思えば、小さなころから、木の実や石ころをよく拾ってきました。私は、初めてズボンのポケットに入ってた石ころが愛おしく、沢山の石ころの中から彼に選ばれた石ころだ、と思い、すぐ捨てられなかった記憶があります。
沢山の素敵な思い出を、これから少しずつたどりながら、私は生きていくんだろうな…。

 
 
 
新盆 (モカ)
2017-07-13 18:13:34
今日からお盆です。迎え火を済ませ息子の好きな物をお供えし、手を合わせ遺影を眺めていても、現実味がない。あんな恐ろしいことを目の当たりにしたのにまだ信じられない。
私だけ色のない世界でずっとぼんやり過ごしているような、ずっと長い夢の中にいるような気にさえなる。ついこの間まで当たり前のようにそこに存在していたから。家のあちこち、外へ出ても息子の声、姿を追ってしまう。

にゃんさん、繰り返し訪れる眠れない夜も、息子の居ないことを認識する繰り返し迎える朝も、何もする気にならず抜け殻のように過ごす昼も本当に身の置き所もなくお辛いと思います。
私も寝ていても意識の向こう側には息子への色々な思いが巡り、動悸息苦しさは常にある。2時か3時には目が覚め、自責と後悔で発狂しそうになり、自分自身どうにかなってしまいそうな不安、恐怖に押しつぶされそうになる。そのまま迎える朝、繰り返しやってくる朝が本当に辛いです。

感性が鋭く繊細で真面目な人間ほど、生きずらさがあったのでしょうか。人の倍以上に、相手の表情、声色、言葉、態度に敏感に反応しすぎ、深く読み取り過ぎて疲れてしまうのでしょうか。
母親だからこそ、感じ取れたもの、理解していたものがたくさんあった。その都度、試行錯誤の中、励まし、慰め、子育てしてきた。思春期の難しい時期を迎えても、根っこの部分では信頼関係は揺るがず、繋がってると思ってた。理解していると思っていた。
それだけに何故、助けを求めてくれなかったのか。裏切られたような寂しさ、情けなさ、怒りに似た感情。息子の優しさ、プライドゆえ、最期まで独りで闘った辛さ、親として寄り添えなかった悔しさ。何故、もっと五感を研ぎ産ませ息子の苦悩を想像することが出来なかったのか。自分の親としての未熟さに腹が立って仕方がない。

私自身が今、誰にどんなに慰められてもでも、自責、後悔に囚われ抜け出せないでいる。自分自身が納得出来ない以上、一歩も前に進めない。
息子も親が想像する以上に色々な事を深く考え、色々なタイミングも重なり少しずつ歯車が狂い、誰に何を言われても、自分自身が納得出来ないような何か大きな力でそちらの方に導かれ、衝動的にボタンを押してしまったのかなとも思うのです。
そのどこかのタイミングで私が深く関わることができていたならと何度も続くはずの未来を想像してしまいますが。時間は巻き戻せない。もう、どうにもならない。

どこからともなく聴こえてくるお囃子の音、お祭りの練習でしょうか。眩しい暑い夏がそこまできてる。辛い季節。体力、気力とも奪われる。
菜の花さんのおっしゃるように、今はこれ以上、気力を消耗しないようにうずくまり耐える時なのだと思います。まだまだ途方もない時間がかかるとは思いますが。少しずつ、自分のペースで折り合いをつけながら、何かが見えてくるといいなと思う。
ここで少しずつ吐き出しながら、自分を保てたらなと。

お兄ちゃん、帰ってきてびっくりしてるかな。この3ヶ月で猫ちゃんが倍以上に大きく成長したこと。可愛い仕草も増えたこと。
読みかけのページに挟んだままのしおり。封を開けないままの単行本、マンガもそのままだよ。
 
 
 
ポケットのどんぐり (菜の花)
2017-07-16 14:20:50
にゃんさんへ

「心の風景」を見てくださって、ありがとうございます。
にゃんさんの息子さんが、どんぐりをお母さんに・・・やさしい心の息子さんだったのですね。息子さんにお会いしたことはないのに、無垢な笑顔が目に見えるようです。

にゃんさんの息子さんのお話を読んで、私の息子も3、4歳の頃、外で拾った物をポケットに入れて帰ってきたことを思い出しました。洗濯する度に、息子の小さな半ズボンのポケットを空にしなければなりませんでした。どんぐり、石ころ、ビンのフタ、木の枝、小さな兵隊人形・・・苦笑しながら「我が家で男の子が育っているんだな」となんとなく嬉しかったものです。
私も息子が見つけた宝物を捨てられず、ガラスびんに貯めていたらびんがいっぱいになりました。今もその一部はしまってあります。
「おかあさーん、見て、見て―!」という息子のかわいい声が聞こえてきそうです。

にゃんさんのおかげで、心のすみに紛れこんでいた息子の思い出を拾いあげることができました。今は本当に辛いけれど、息子がそうした幸せを家族にもたらしてくれたことも、消えることのない確かな事実なのですよね。

「生まれてきてくれて、ありがとう」と息子に何度も言いたいです。そして、「ごめんね」と。
 
 
 
新盆 (菜の花)
2017-07-16 14:23:24
モカさんへ

新盆を迎えられ、お辛いお気持ちをお察しします。
夜中に目覚めて逃げ場のない辛さ、繰り返し訪れる朝の辛さ、何を見ても亡き子につながる日々、尽きることのない後悔・・・私もこの苦しさに「親になんという仕打ちをするのか」と息子を恨んだこともあります。

一方で、親にも理解されず本人がどれほど苦しんだかを思うと、申し訳なさにいたたまれなくなります。あらゆる負の感情が渦巻いています。

産み育てた母親だからこそ、我が子のことは十分にわかっているつもりでした。思春期以降は口数が少なくなりましたが、親子の信頼関係はできていると思っていました。「親の背中を見て子は育つ」と信じ、親が平凡でも良心に恥じない生き方をしていれば、息子は自然に自分の道を切り開いて生きていくだろう、と思っていました。それがこの結果となり、自分の人生自体を息子に否定されたような打撃でした。

私は、息子の苦悩を理解せず、追い詰めてしまった自分の愚かさを今も許すことはできません。でも、その後の人生を泥まみれで生きようとしている自分を、許してやりたいと思っています。仕事もやめ、人間関係も捨てて、引きこもった寂しい生活です。世間の基準や「世間並み」からは大きく脱落したみじめな人生です。それでも、ぎりぎりのところで自分を見捨てないでいる自分を、自分で受け入れたいと思っています。

この苦境を生きるのは本当に辛いことです。経験したことのない人には想像もつかない苦しさです。モカさん、一日の終わりに「良く頑張ったね」とご自分をいたわってあげてください。厳しい暑さの時期ですので、くれぐれもご自愛くださいますように。


 
 
 
惨めに思うのはやめませんか ()
2017-07-16 23:02:16
自死遺族は惨めなんですか?そんな事はないでしょう?誇りを持って毅然と生きなきゃいけないと思います。亡くなった人を誇りに思いながら。
 
 
 
すみません… (P)
2017-07-17 11:54:22
暑いせいか気分が滅入る日が多く、また時薬より寧ろ日が経つ方が辛く感じ、気分転換や現実逃避をしたくなる今日この頃で、底なし沼に沈みたくないともがいています。以前の自分に戻れなくても私は同じ私なのだから、本当は胸を張って生きていきたいのに… 何がいけなかったのかわからないんです。
 
 
 
Pさんへ (スタッフ小夜)
2017-07-17 13:16:17
Pさん、こんにちは。みずべの集いのスタッフの小夜と申します。
みずべの集いのブログにおいで下さりありがとうございます。

自由帳は、どこにも出せない気持ちを自由に語ることができる場、ネット上の分かち合いの場として作りました。
どんな思いや言葉も(ネガティブであれポジティブであれ)、
大変な体験をしてきた方が何とかその後を生きてきた、またこれからも何とか生きていこうとしていく上で、大事な思いであり言葉なのです。
一人一人の人生を他者が否定することはできません。
一人一人の思いや言葉もまた、他者が否定することはできません。
どれもその人にとっては大事な思いであり、言葉なのです。
借り物ではない真摯な言葉なのです。
「自由帳」や「分かち合いの会」はこのようなポリシーで運営しております。
自分の思いを優先する議論の場、他者を断定、非難、否定する場ではなく、誰もがなんでも語れる安心、安全の場です。

Pさんの投稿された「惨めなんですか?」「毅然と生きなきゃいけないと思います。亡くなった人を誇りに思いながら」はPさんが大事にしている思いであり、言葉です。誰もそれを否定はしません。
同じように他の方の言葉も「そんな事はないでしょう」と、否定しないでくださいね。
そして、しっかり読んでくだされば気づかれると思いますが、どの方も毅然と生きているのです。亡くなった方を誇りに思い生きているのです。
感性の豊かな方は自分の置かれている今の状況を「惨め」に思うことだって少なくありません。誰がその辛い気持ちを否定する資格があるのでしょう。辛い思いをした私たちだからこそ、相手への思いやり、心配りができるのではないでしょうか?

自由帳は自分の心の痛みを深く見つめて、本音を出してもよい場なのです。
思考、考え方も大事ですが、自分の感情を見つめることも大事。
かけがえのない人を喪失した後の生き方には正しい、正しくないはないのです。
それぞれが自分の思うように生きていければそれで良いと私は思います。
精一杯に、必死にみんな生きているのです。
他者がそこを自分の価値観で邪魔をしてはいけないと私たちは思っています。
一人一人の多様性、個別性を大切にしたいのが「みずべの集い」が大事にしていることです。どんな思いも、考え方も、言葉も否定したくはありません。

みずべの集いの「分かち合いの会」や、「自由帳」は他者の語る言葉を否定・非難することだけは禁止しております。
だれもでも自由に語れる場であることを大事にしています。
Pさん、他者の思いや言葉を「そんな事はないでしょう」と否定することだけはご遠慮ください。おやめいただきたいと思います。
「そんな風な考え方、思いもあるのですね。私は実はこんな風に思って今生きていますよ」と、マイメッセージで今後は投稿してくださいね。
それが「自由帳」に投稿できる唯一の条件ですので、宜しくお願いいたします。

 
 
 
それぞれの思い (菜の花)
2017-07-17 13:57:32
それぞれの思い

Pさんへ
(上記2件の書き込みのPさんが同一の方という前提で書いています)

モカさんへの返信で私が「世間の基準や『世間並み』からは大きく脱落したみじめな人生です」と書いたのは、私自身の現在と今後の生活(詳細は控えますが)に対する自分の心情を表現したものです。自死遺族すべてがみじめな人生だと言うつもりはありませんでした。遺族でも、置かれている環境は千差万別です。感じ方も価値観も異なります。私のコメントの表現が誤解を招くものであったら、申し訳なく思います。

結局、自分自身がどう感じているかということが、真実なのでしょう。私は、泥沼でもがいていることもあれば、時にはかすかな光を感じることもあります。そのどちらも本当の自分です。

Pさんが「誇りを持って毅然と生きなきゃいけない」とお考えならば、その姿勢に敬服します。自死遺族でも、いろいろなお考えがあって当然だと思います。

私自身は、ただひたすらに「下向きでも後ろ向きでもいい、とにかく今は這ってでも生き続けること」と思って日々をしのいできました。自分自身のもがき苦しむ部分も、周囲への恨みやひがみ、怒りの感情も、「しかたないよ。それでいいよ」と否定せずにつきあっていくことで、なんとかこの7年半を生き続けてきました。それが正しいとか間違っているとかいう問題ではないのです。そうしなければ、私は辛すぎて日々を過ごすことができませんでした。

その後をどのように生きていくかは、長い歳月をかけて、それぞれが手探りでつかみ取るものであり、「こうあるべき」「こうすべき」「こうでなくてはいけない」と、性急に定められるものではないと、最近は感じています。

私は、行き詰っている息子に対して「こうあるべき」を説き、息子の苦しみを受け入れようとしませんでした。「頑張ればできる。前に進めないのは努力しないから」と人生の王道の教科書を振りかざしました。弱り切っている息子を救うどころか、自分の傲慢さで追い詰めてしまったことは、どんなに悔やんでも悔やみきれません。

「大学なんかやめたっていい、就職できなくてもいい、結婚できなくてもいい、ただ生きていてくれたらいい」―母親だけでもそう言ってやれたら、息子の逃げ場所になれたかもしれません。

「人間には頑張れない時もある、前に進めない時もある」。息子が亡くなって初めて、息子の辛さを身をもって知りました。

今は胸を張って生きられなくても、下向きでも動けなくても、生きていれば、少しずつ苦しみも穏やかになってきます。どうか、現実逃避でも気分転換でも気晴らしでも、ご自分のできることで少しでも心を休ませる時間が生まれますように。猛暑の折、くれぐれもご自愛ください。

小夜さん、コメントありがとうございます。

 
 
 
ごめんなさい… (P)
2017-07-17 19:52:14
小夜様
菜の花様

私も身の置き場がなく、何故?どうして?という悔しい思いに自分自身が翻弄され、乱暴な書き方をしてしまい申し訳ありませんでした。ただ負けたくない、というか影に隠れてコソコソ生きなければいけないなんて嫌だ、子供も自分も他の家族も一生懸命生きてきただけなのに余りにも理不尽過ぎる、と納得がいかずつい乱暴な書き方をしてしまいました事、お詫び致します。難しいです。本当に難しいです。
 
 
 
支えてくれる場所 (モカ)
2017-07-18 00:28:43
亡くなる前、何かの話の流れの中で「苦しいからこそ達成感がある、逃げるのは簡単だけどつまらないもの」の私の言葉に「お母さんと僕は違う!」と珍しくハッキリと自分の意見を口にした亡き息子に驚いたという記憶がある。
私自身は何でも思ったことはハッキリと口にし何でも相談し、話し合い、助け合うような家庭で育ってきた。当然、そのつもりで育ててきたつもりでした。何か本当に切羽詰まったら本心をぶつけてくれると。でも違った。私と息子は違った。本当に辛い時こそ言えなかったのだ。息子の心の奥に抱えている苦悩を想像し寄り添う努力を怠ってしまった。間違いは誰にでもある。やり直せばいいこと、一緒に乗り越える術を懇々と話すべきだった。

母の時も父の時もそう。病に侵されるサインをもっと正しく見極め早期に対処していれば‥と。その時の考えや行動が正しかったのかどうかは後にならないと分からないこともある。防ぎようも無いことも。悔しい。何もかもが。取り返しのつかないこと。

息子の死によって、自分自身も生き方も否定されたようで全てがつまらなく思え、自信も失くし、苦しいばかりの毎日に気が狂いそうでした。生きる意味が何なのか問つずける日々。
母が亡くなり、父とも意思疎通が困難な状態にあるため、以前のように本音で話し合い受け止め合う場所も失いました。

私はすがる思いでここに辿りつきました。
自分の気持ちをこの場で解放できたこと。私のつたない言葉一つ一つに向き合い、心に寄り添ってくださり、全てを受け止め、温かく包み込まれているような気持ちになり、心が救われ、少しずつ軽くなっていくのを感じました。

菜の花さんとのやりとりを繰り返すうちに、亡き息子との日々を振り返ること、今の自分自身を見つめること、溢れ出す感情や思いを整理することが少しずつですができるようになりました。向き合うことはとても辛い作業ではあるのですが、それも受け止めてもらえる場所があるというだけで力になりました。

繰り返し打ち寄せる激しい感情も愛するがゆえの正常な反応だということ。
これからの人生をどのように生きるかはそれぞれが時間をかけて手探りでつかみ取るもの。
現実逃避でも気分転換でも今を耐え這ってでも生き抜くこと。
元の場所へは戻れなくても、たどり着く岸はある。
菜の花さんの様々な言葉にどれだけ救われたことか。
どんな自分でもありのままの自分を受け入れていいこと。許していいんだと。
まだまだ、全てが亡き息子とつながり苦しい、哀しいが先立ってしまいます。
声も姿もまだ鮮明に其処此処にあるのです。
喉のつかえも胸の圧迫感も消えないし、受入れ難い気持ちが突然襲いかかります。
日を追う毎に気持ちがどう変化していくのかも怖く思います。
過去も未来も今は苦しい。
だからひたすら、足元を見ること。今を耐えることに精一杯です。
時に向き合い、時に目を背け、気を紛らしながら、少しでも光の射す方へそちらの方へと思います。
ここは私を支えてくれる場所です。
 
 
 
Pさんへ (菜の花)
2017-07-18 00:50:32
Pさんへ

どうかお気になさらないで下さいね。私のコメントも言葉足らずですみませんでした。

このようなことが起きると、自分のさまざまな負の感情とつき合っていくことは、とても難しいですね。自分の変化を受け入れることも、簡単ではありません。しかも、それは自分にしかできないことなのです。

私も、自分をおだてたり、叱ったり、励ましたり・・・試行錯誤の繰り返しです。それでも、苦しい日々を重ねる間に、激しい感情もおだやかになってきたり、自分なりの感情の大波のやり過ごし方を見出したり、少しずつ、ゆるやかに変化し続けています。

自死遺族の生き方もさまざまです。それぞれの生活環境や事情や価値観で自然に決まってくることだと思います。「こうしなければならない」という一律にあてはまる物差しはありません。

たとえば、私は引きこもりがちで、知人や親戚とも連絡を絶っています。それは、様々な個人的事情から、そうすることが自分を追い詰めない唯一の方法だったからです。そのことを後悔はしていません。自分を守るためにはそうするしかありませんでした。

だからといって、Pさんが私のように引きこもって生きるしかない、ということはまったくありません。自死遺族でも、すべてをおおやけにして、堂々と生きておられる方もあります。

それまでの人生が一人ひとり異なるように、その後の人生も、誰もが自分に合った道を模索しながら、その人なりに懸命に生きておられるのだと思います。

Pさんも、お辛い日々を本当に頑張って耐えておられることとお察しします。どうぞくれぐれもお大事にお過ごしくださいね。


 
 
 
心のオアシス (にゃん)
2017-07-18 16:04:00
連休中、用事もあって、息子の兄が下宿している義母のところにお邪魔してました。心配とは裏腹に2人は明るく、冗談を言い合う姿。兄ちゃんに、色々しんどいね、というと、もうどうにもならないこと言っても仕方ないから、と一言。自分がやらねばならない目の前の課題に一生懸命でした。葬儀の帰りの電車の中では、ばかやろう、ばかやろう、と怒っていた、と、義母が言ってました。心の中はいかばかりかと思うのですが、明るく過ごそうとしている姿を見て、安心するとともに、私も癒されました。明るく過ごさせてくれている義母に感謝です。ひとりじゃなくて本当に良かった。これから進学する大学の説明会で、何か聞いてきてほしいことある?と聞くと、べんきょうや、生活面で困った時に、どこに相談すればいいか聞いてきて、と言ってました。最悪のことは避けたいからね、とのことでした。この子はきっと、何とか生きて行ってくれる、と頼もしく感じました。

兄弟でも、似ているようでも性格は違っていて、兄は困った、つらい、とグズグズ言う子で、そのたび言い合いもしながら落ち着かせ、みんなでよい道を探ってきました。亡くなった子は前にはよくつらいと言ってくれたので、
何も言わない今は大丈夫、しっかりしてるなあ、と思って、今思えばほったらかし。言えないつらさを抱えていたのに、ニコニコ笑顔でちゃらんぽらんを装い、そのまま、いなくなってしまった。すっかり騙されて、でも今思えば、救えるシーンはたくさんあった、それを思うと、悔しく、味方してやれなかった母をきっと恨んでるだろうな、こんなに大切な子だったのに、私はなんてことしたんだ、と悲しみより、自責で心臓発作のようになります。
 
ほんの一時、家から離れて、笑顔のだんらんを過ごして、心のオアシスのように感じました。でも、泣くのを我慢して、疲れた私もいて、早く家に帰って泣きたい、とも思い、帰ってきてほっとしました。明るく過ごしてもいいんだ、とも教えてもらった気がしました。でも、私は、まだまだ、泣いて悔やんで、いっぱい悲しんで過ごしたい。
 
 
 
それぞれの思いで (モカ)
2017-07-18 18:49:11
長男さん、大学進学に向けて着々と頑張っておられるのですね。
ほんの少しでも笑顔の団らんの時間が持てて良かったですね。少しでも心を休める時間が苦しいだけの時間を後押ししてくれることもありますね。

私の次男も昨日で部活が引退となり、高校受験に向けて気持ちを切り替える時期。目の前の様々な課題に一生懸命に取り組んでいます。
急に静かになった、姿が見えないなと思うと床の上に横たわりそのまま眠ってしまうということも度々ある。一瞬、ドキッとしてしまう。
彼なりに物凄く気を張り、我慢を重ね疲れも溜まっているのだろうと。

テレビで芸能人の訃報や切ない曲が流れると、私が辛いだろうと、さり気なく番組を変えたり。私の家事が中途半端なことを主人に小言を言われないようにフォローしてくれたり。私の前ではごく普通に明るく振る舞っている。
哀しみを上手く表現出来ず、心が悲鳴をあげやしないか、いつかその影響が大きなダメージとして現れやしないかと心配になる。

本当に申し訳なく思う。長男を守ってあげられなかったこと。次男にも過酷な道を歩ませることになってしまったこと。
サインは出してくれてた。つまらない表情、辛い表情、弱々しい声、力のない笑顔。
私がもう少し長男の心の声に、痛みに寄り添っていたら想像出来たはず。
思春期の独特の少し荒れた振る舞いに惑わされ、目には見えない心の奥底に抱えた説明出来ない辛さ、心の叫びに目を向けることが出来なかった。
ずっと、独りで自分の至らないせいだ、性格がひねくれているせいだ、と自分を責め続け、疲れ果て追い詰めてしまったのかと思うと本当に不憫でならない。

終わりのない自責の念に押し潰されそうになる。日を追うごとに辛さが増し、蓄積され、心も体も疲れ切っている。涙を流すことさえとても体力がいる。少し外の空気を吸ったり、体を動かしたり、ほんの少しの時間でも誰かと話したり、ペットに触れ合ったり。ほんの些細なことを継ぎ接ぎしながらやっと一日をやり過ごしています。

こんなにも孤独を感じることはなかった。結局は自分でどうにかするしかない。自分との闘い。自分の意識とこんなにも向き合うことが苦しいなんて。前向きになること、軽くすることがこんなにも難しいなんて。長男にこんなにも支えられていたこと。長男に私の愛情は伝わっていたのだろうか。今の私を見てどう感じているだろうか。しっかりと伝えるべきだった。

遺された家族、皆、それぞれの立場で、様々な思いで目の前のことを必死にやり過ごしている。

雷雨、梅雨明けまじか。
厳しい暑さがやってきますね。
お体にご自愛ください。
 
 
 
モカさん、ありがとうございます (菜の花)
2017-07-19 00:11:28
モカさん、昨日は温かいコメントをありがとうございます。
私も、すがる思いでこの自由帳にたどりついたひとりです。息子が発見されてからひと月も過ぎない頃でした。息子のアパートを引き払うために上京し、ひとりで少しずつ家財道具を処分しました。夜はビジネスホテルの部屋で泣きました。

そんなどん底で出会ったみずべの自由帳でした。自分の爆発しそうな思いのありのままを書いてもいい、わかってくれる人がいる、苦しんでいるのは私だけじゃない、同じように歯を食いしばって生きている人がいる。その思いにどれほど支えられたことでしょう。今も、このみずべの集いや、わかち合いなどで出会った遺族の方々とのつながりに支えられています。

息子にも、苦しんでいる自分の姿のありのままをさらけ出せる場があったら・・・と悔やまれます。若さゆえのプライドもあったかもしれません。自分の挫折を受け入られなかったのかもしれません。「親に話せない悩みも、親しい友人には相談できるだろう」と私は甘く見ていました。

あれから7年と半年が過ぎました。7年半前の私は、明日の自分、来週の自分、来月の自分も想像できませんでした。息子が亡くなって自分が生きている人生なんて、考えられませんでした。

今でもいろいろな重荷を背負って生きています。悲嘆、後悔、自責、寂しさ、孤独・・・人生は一変しました。毎日、息子のことは頭を離れません。
それでも、穏やかな時間、静かな時間も訪れるようになりました。当初は「時薬なんてあるものか!」と思いましたが、忍耐強く積み重ねる日々の流れは、即効薬ではないものの、確かな効果をもたらしてくれるようです。

身を焼かれるような辛さを、じっと耐えて過ごしておられるモカさん、お父様の介護もあり、心身ともにさぞお疲れのことと思います。この猛暑の折、くれぐれもお大事になさってください。
 
 
 
お盆 (にゃん)
2017-07-20 16:51:16
お盆に、9年前に亡くなった父にお経をあげてもらうので実家にきてね、と母に誘われましたが、しばらく考えて断ってしまいました。とても無理だって。息子の葬儀は、家族葬でお経もなしでおこないました。葬儀やさんが配慮をしてくださり、今はこういうやりかたもありますよ、と。あんなにかわいかった、同世代の甥っ子たちに会うのもつらい自分がいます。どうしてこんなことに…。こんなの嫌だ!父の供養もできず、実家に行くのもつらいなんて。すべてが変わってしまった、と感じて涙が止まらなくなってしまいました。どうしてこんなことに。
まして、息子の供養なんてしたくありません。
ずっとしないかも。まだ信じられない、帰ってきてほしい、会いたいです。自転車の音がして、玄関の音がして、ガラガラって引き戸の音がして、ただいまって、帰ってこないかな…。
 
 
 
にゃんさんへ (菜の花)
2017-07-20 22:16:19
「とても無理」とお感じになって、お断りになられたことは賢明なご判断でしたね。自分にとって何がどれくらい無理かは自分にしかわからないので、周囲の基準ではなく自分の感覚で無理と思ったら、無理をしないことが何よりだと思います。
お父様もきっと、わかってくださるでしょう。

私も、あれから実家にも夫の実家にも一度も行っていないのです。息子のいとこにあたる甥や姪、その小さな子供たちの元気な姿も見たくないし、親戚にあれこれ励まされるのも苦痛なだけでした。
何という娘だ、なんという嫁だ、なぜ、立ち直れないんだ、と親戚から思われていることはわかっているのです。
世間の基準で考えたら、そうかもしれません。
でも、そのことで自分を責めないように意識しています。
息子を助けられなかったことで自分をとことん責めずにはいられない毎日で、これ以上自分を責めたら、もうこわれてしまいそうだったのです。無意識のうちに、消耗した気力を少しでも温存できる方向、生き続けられる方向を選んでいました。

四十九日、新盆、一周忌、三回忌・・・次々に供養の決まり事はありますが、しきたり通りになさる方もあり、ご自分なりの考えでなさらない方もあり、その都度、ご自分やご家族の自然なお気持ちに沿ったやり方であれば、どちらでも良いのではないでしょうか。

にゃんさんが毎日、亡き息子さんを悼んで、お辛い中を耐えて生きておられること自体が、息子さんへの愛情いっぱいの供養だと思います。

どうしてこんなことに、なぜ、どうして、こんなはずがない・・・これが夢ならば早く覚めてほしい、と、私も何度、願ったことでしょう。ご長男が笑顔を見せてくださることは、何よりの支えになりますね。少しでも笑える時は笑って、泣きたい時はとことん泣いて・・・どちらも大切な時間です。
暑さも本番ですが、どうぞお大事になさってください。



 
 
 
これから (にゃん)
2017-07-21 16:37:52
菜の花さん、ありがとうございます。
これから、いろんな場面で、こんなはずじゃなかったと、辛く悲しく泣きながら、一日いちにちを過ごしていかなければならないと思うと、気が遠くなりますが、こうして気持ちに寄り添っていただけること、感謝します。他のスタッフの方にも、ちゃんと読んで、見守っていただいているんだな、と心強く思っています。本当に、本当に、考えれば考えるほど、息子に申し訳なく、傷つけてしまった自分が許せず、日を追って苦しくなっていくようです。実家の弟が毎日私の心配をしてるよ、とか、隣のママ友が、外に出るの嫌だろうから、と私の代わりに草取りをしてくれたり、ありがたいな…と思います。心の傷を癒してくれるのも人で、それが息子にできなかったことがまた悔やまれて、辛いです。
 
 
 
絆に支えられて (菜の花)
2017-07-22 23:17:50
にゃんさん、こんばんは。
にゃんさんのおっしゃるとおり、私も「人を傷つけるのも人、人を癒すのも人」であることを実感しています。周囲の方々の温かい思いやりは、ありがたいことですね。

私は親戚や知人とは疎遠になりましたが、遺族の方々との絆に支えられてきました。「人はひとりでは生きていけない」ということを肌で感じました。

息子に弱音を吐ける場所があったら、弱り切った自分をそのまま受け入れてくれる人がひとりでも周囲にいたら、私の息子も生きられたかもしれません。母親である自分がそのひとりになり得なかったことが、情けなく寂しく、また申し訳なく感じています。

一方で、思春期を過ぎた息子は、若さゆえのプライドから、弱った姿を親には見せたくなかったのか、自分でなんとか切り抜けられると思ってしまったのか、と思うこともあります。親だからこそできなかったこと、親だからこそ見えなかったことも、あるのかもしれません。

それでも、今も「自分の命と引き換えにしてでも、我が子を助けたかった」という痛恨の思いがあります。息子の存在が私にとってこれほど大きかったとは、自分でも気づいていませんでした。

にゃんさん、後悔の思いは本当に身を焼かれるように辛いものですね。少しでも重荷をおろして休める時間や場所が見つかりますよう、願っています。



 
 
 
辛いです (匿名)
2017-07-24 16:05:37
辛くて辛くてどうしていいかわかりません。
 
 
 
ほんの一歩 (モカ)
2017-07-26 12:10:37
にゃんさんの息子の供養なんてしたくないという気持ち分かります。
私は姑と同居の為、家のしきたりに従って供養はしていますが。
墓前を前にしても仏壇に線香や花を手向けていても違和感を感じてしまう。自分の矛盾した行いにも気持ちが定まらないまま。信じたくないのです。

花火やお祭り‥あちらこちらで夏のイベントごとで周りが賑わいを見せている。なるべく感じないように気をそらす。連日の暑さが拍車をかける。気力体力とも消耗する。
それでも、次男にとっては、一日一日かけがえのない時間。特別な夏。私も気持ちを寄り添わせるように感情を引出したり戻したり。でも、楽しい、嬉しい、きれいが哀しい、虚しい、切ないに変わる。涙が止まらない。全てが亡き息子につながる。

亡き息子にとっても、私が父のことで余裕がなかったこの高校時代の3年間。かけがえのない時間を過ごしていた。将来に繋がる、最も大事な選択を迫られる時期。子供から大人になりかけの最も不安な時期。自分の道だから自分でと。私の余裕の無さも手伝って相談も出来なかったのかもしれない。
これまでのつまずき、何をやっても上手くいかない、きっとこの先も変わらない、価値がない、希望が不安に、絶望に変わった瞬間。最期の最期に何を思ったのだろうか。

圧倒的に会話が足りなかった。
ほんの些細なやりとりももっともっと交わすべきだった。
親から見れば息子のつまずきは挫折というよりは乗り越える為、成長させる為の試練だと思っていた。実際、頑張っていたし、いい顔をしていた。でも、息子にとっては耐えがたいものだった、ずっとトラウマになってしまったのか。
思春期の息子との距離感をつかみずらいと感じてはいた。余計な事を言って不快にさせたくない、プライドを傷つけたくない、慎重になってしまうこともあった。それでも私なりに調整しているつもりだった。
物凄く不安な事、自信が無いこと。自分からは言い出せなかったんだと思う。
でも、私から声をかけていたら。親が気付いてくれた。それだけで子供は安心して吐き出す事が出来たのではないか。
言葉なんて選ぶ必要なかった。「辛そうだけど大丈夫?」の一言で良かった。ありのままの気持ちを素直に口にするべきだった。いつもいつも喉元まできていたのに吐き出す事が出来なかった。ほんの一歩踏み出していたら。切羽詰まった心を少しでも軽くできたかもしれない。一番の味方であること。全力で支えることを伝えたかった。見守るだけではいけなかった。
ずっと独りにさせてしまったこと、そう感じさせてしまったことが親として本当に情け無い。悔しい。取り返しのつかない事をしてしまった。

もう長い事、声が聞けてない、話してない、姿が見えない。胸のつかえが蓄積されていく。少し前までは普通にあった光景、亡き息子の物、あらゆる物、事が其処此処に存在しているから。信じられない。信じたくない。でも、もう戻らない。会いたい。
大切な大切なとても大きな存在を失ってしまった。

この哀しさ、虚しさ、苦しさを抱えて、どう生きていけばいいのか。自信がない。迷路の中。
意味を問う気力もない。一日一日何とかやり過ごす。今を生きるを重ねるしかない。
今度こそ、ほんの一歩の後悔を繰り返したくない。

少しでも皆さんの気持ちが休まりますように。
 
 
 
自責の思い (菜の花)
2017-07-27 17:49:47
モカさんへ
夏休みに入って、元気な子供たちの声があちこちから聞こえますね。夏祭り、花火大会・・・親子連れの楽し気な姿を見たくないので、すっかり足が遠のきました。
私も、いまだに息子の遺影に手を合わせることができません。息子は手を合わせるような存在ではなかったはず、という違和感が拭えないのです。私のかたわらで、おどけたり笑ったりしているはずだった息子なのです。モカさんのお辛さをお察しします。

息子の成長は、母親の私にとって何よりの喜びでした。「お母さんと靴のサイズが同じになったね!」と笑いあったのもつかの間、みるみるうちに、私が見上げる背丈になり、靴のサイズも夫を追い越しました。息子は、私の知らないジャンルの音楽やダンスに熱中し、自分の世界を持つようになりました。

私は、そんな我が子の成長が誇らしく、また眩しくもありました。「男の子には母親にわからない世界もあるのだから、土足でずかずか入りこまないように、過干渉にならないように」と自分に言い聞かせていました。
息子がつまづいていること、消極的になっていることは、気づいていたのです。それでも、母親の私は、はらはらしながら見守っていました。「幼い頃から元気にのびのびと育ち、親の愛情をたっぷり受けて成長したのだから、息子は大丈夫」と、自分に言い聞かせていました。不器用な母親なりに配慮したつもりが、完全に裏目に出ました。

モカさんのおっしゃるように、「ほんの一歩」息子に近づいていれば、と思います。「どうしたの?」とひとこと声をかけて、どんな答えが返ってきても、ありのままの息子の思いを受け入れていれば、と悔やまれます。息子の孤独な苦しみ、そして死への恐怖を思うと、7年過ぎても、泣けて泣けてしかたありません。

当初は、自分の愚かさへの怒りが激しく、自分を殴り倒したい気持ちでした。半狂乱のなかで「余生は尼寺で祈りの生活を」と思ったり、「息子を見殺しにしました」と交番に出頭しようか、と思ったこともあります。息子を救えなかった罪で服役したら、少しは自分の罪を償えるのでは、と。自分を罰したら、息子が帰ってくるような気がしたのかもしれません。

さすがに、今ではそのような非現実的なことは考えなくなりました。少しずつですが、「自分にできるのは、ただひとりの家族である夫を支えていくこと」と思うようになりました。

いまだにこれからの人生に自信もないし、どう生きるのかもわかりません。「それでも生きていく」と自分に言い聞かせたり、またへなへなと崩れたりを繰り返しながら、凪の海を目指しています。それでも、なんとか7年半を生きることができたので、自分の生命力というかレジリエンスを信じたい気持ちもあります。人間の心はとても繊細で傷つきやすいのに、その底には強い生命力も確かにあるのだと気づきました。

もう、世間の評価や名誉、肩書、経済的な裕福さなどには、価値を感じなくなりました。ただ、自分の良心に照らして誠実でありたいと願っています。人生で本当に大切なことは何か、本当の幸せとは何か。それを息子から厳しく突きつけられた思いでいます。

ご心労に加えての猛暑で体調を崩されませんよう、くれぐれもご自愛くださいね。
 
 
 
私も (にゃん)
2017-07-27 20:36:17
菜の花さん、モカさん、同じです。
私も、大丈夫、息子の試練、乗り越えてくれると思い、心配はしていたのに、良い方へ勝手に考えて、放っておいてしまいました。のどまで出かかった、どう?大丈夫?の言葉を、飲み込んでしまいました。その一時間半後に亡くなってしまいました。息子を信じすぎて、ほとんどけんかもしたことなく、仲良し親子、と勝手に思っていました。とんでもない、まだ幼いところがいっぱいの、悩みいっぱいの子供だったのに、心の中はずっと苦しんでいたのに。中途半端に、ものわかりのよい親でなく、、もっとぶつかってけんかしたり言い合いできたら違っていたかな、でも、性格もあるし…。

昨日と今日、とくになんだか苦しくて、苦しくて、泣けて泣けて、なぜだか大変な一日をすごしました。夏休みで、人が、子供が、あふれているからかな…。

息子がどこかにいないかきょろきょろしてみたり、飼い猫には見えているんじゃないかと思って猫の動きを観察してみたり、ドアが開くんじゃないかと見たり、耳を澄ましたり、変なことをしてました。

本当に、逮捕されて、極刑にされてもしかたない、と思うくらいの自責の毎日です。

高校入試の面接の時、もう大昔ですが、あなたにとって幸福とは何ですか?と聞かれ、自分の目標をやり遂げた時です、と答えてました。今なら、もっと違う答えがあります。大切な人と、一緒にいられること。こんな身近にあった幸福、失って初めて知りました。息子に教えられました。悲しいけど、残された家族が今いることも、今は、幸せなのかもしれない、大事にしなくては、大事にしなさい、と息子に言われているような気もします。

 
 
 
本当の幸せとは (菜の花)
2017-07-29 23:06:11
にゃんさんへ

この時期は、私も心が波立ちます。
夏休みの時期は、楽しそうな親子連れの姿があちこちで目につきますし、テレビのニュースでも、各地の日焼けした子供たちの元気な様子が毎日のように報道されますね。以前はごく自然に見ていた光景も、今は胸をえぐられるような痛みを感じて、目を背けてしまいます。

こんな大きな悲しみが世の中にあることを、初めて実感しました。
そして、世の中にはたくさんの悲しみがあることにも気づきました。
息子が亡くなるまでは、ごく普通の世間並みの平凡な生活でしたが、それがどれほど幸せな歳月だったのか、心がひりひりするほど思い知らされています。

家族が毎日、「ただいまー」と元気で帰宅してくることも、
毎朝、「おはよう」と起きてくることも、当たり前のことだと思っていました。

そうではなかったのですね。
本当の幸せは、いちばん身近にあったのですね。
青い鳥の童話のように。

にゃんさん、本当にお辛い夏とお察しします。どうかくれぐれもお大事にお過ごしください。

 
 
 
「千春」改め「ノクターン」と申します。 (ノクターン)
2017-07-31 04:18:16
モカさん、にゃんさん初めまして
私は半年前に17歳のの末っ子次男を亡くしました。
本当に辛くて、怒り、悲しみ、恐怖が渦巻き毎日泣き暮れる日々です。

心臓バクバク、頭がガンガン、錯乱と混乱の毎日でこちらのブログにたどり着きました。
それぞれの悲しみに涙して、一緒に泣き喚いて何度も読み返しました。
やり過ごしたり、あの日を思い出したり、無かった事にしようとしたりと不安定な心が行ったり来たり
そんな中お二方同様菜の花さんに巡り会いました。
同級生の焼香の申し出に苦しみ悩んでいる時に、私が辛い、嫌だと断っていいんだと教えてもらいました。
私のしたいように、私がしたいように過ごすことにしました。
写真を見ると頭がおかしくなるので、今は遺影も伏せました。
高校野球が好きな主人には、高校野球の話題、テレビは私の気持ちを気違って欲しいとヤメテもらいました。
禁煙中のタバコはあの日から再開して、本数も増えました。
姉が実家で両親の介護をしています。私は都内の病院の送迎を担って居ましたが、お役御免です。両親に会うのが辛くて半年過ぎた今も実家には行けません。
娘にはこのままのつもりかと言われましたが、私のしたいようにしています。
友人との連絡も一切断ちました。
知られたくない、触れられたくないからです。
私をそっとしておいて欲しいから、心配も同情もいらないからです。

どうしてあの子がいないのか?
わけがわからないですよね。
色んなあの子を思い出したり、辛かったねと話掛けたり、酷いことするねと怒ってみたりして過ごしています。
計り知れない悲しみをどうしたらいいのでしょうね。

ただ、ここにはわかってくれる人がいるのが救いです。
母親だけが知っているあの子達のこと、あの子達の笑顔、泣き顔、思い出したり忘れたふりをしながらどうにかやり過ごせたらと思う日々です。

モカさんも、にゃんさんもご自身の心をどうぞ大切に。
 
 
 
ノクターンさんへ (にゃん)
2017-07-31 15:49:27
はじめまして。17歳、次男、一緒ですね。辛いし、悔しいですよね。成人させてやれなかった悔しさ、可愛い、子供が育てられなくなった悲しさ、彼の持っていた、私たちにとってすごい魅力的な世界が一瞬にしてなくなってしまった淋しさ、素敵な子供だったのに、それを伝えてやることのないまま、ひとり、自己否定して突然いなくなるなんて、どうして?母は確かにダメだったけど、そんなにダメだったの?置いて行かれた淋しさ、怒り、孤独、恐怖、自己否定、いろんな思いで、急に心臓がおかしくなります。本当にまだ、信じられていません。辛いのに、生きていかなくちゃならない。でも無理しなくていいんだ、ありのままでいいんだって言ってもらえることが、本当に救いになります。一日の中でも波があって大波、小波、のまれたり、逃げたり、もがきながら長い一日を過ごしています。辛いですよね。家では主人と二人になってしまって、手持ち無沙汰で、本当に淋しい…。
私は夜のほんの少しのお酒で少し緊張をといてそのまま、寝るようにしています。朝は相変わらず、3時くらいに目が覚めてしまいます。今は現実から目をそらして逃げまわっています。

 
 
 
ノクターンさんへ (モカ)
2017-07-31 23:54:03
初めてまして。
色々な感情が渦巻き混乱の日々を過ごされていること。どうしてあの子がいないのか。計り知れない悲しみをどうしたらいいのか。というお気持ち良く分かります。

日を追う毎に自責は増し、虚しさが深まります。
現実ではないのではないか。不思議でならない。信じられないのです。
決して超えてはならない壁。
心の底では通じている。信頼関係はできていると思っていたから。
私の知っているお兄ちゃんはこんな事をする訳がない。裏切られたような気持ちにもなる。

そこまでの辛い出来事、重いストレスが積み重なり自分を追い込み、行き詰まった考えに囚われていた事を思うといたたまれない。
悩む意識、囚われる考えを何とか変えたいと願い、自分なりに克服しようと独りで苦悩していた事も、今だから感じ取れる。余りにも不憫でならない。

亡くしてからの方がずっと長い事考えている。想像することができる。
何処かのタイミングで少しでも寄り添う事ができていたら。働きかける事ができていたら。今も絶対生きていたと思うのです。
粗末にしてしまった。もっともっと心を通わせるべきだった。もっともっと心を大切にするべきだった。しっかり言葉を届けるべきだった。独りで頑張らせ過ぎてしまった。
終わりのない自責が波のように押し寄せてきます。
動悸も喉のつかえもずっとある。こんな恐ろしい事を受け入れたくない私の心の叫びと思って逆に受け入れる。

お兄ちゃんがこの世に存在しないことを思うと頭がカーッと熱くなり割れそうになる、心と体が引き裂かれるような、自分が自分でなくなるような感覚に囚われる。

人の意識とは何なのか。捕らえ方一つで苦しくなったり、軽くなったり。自信をなくしたり絶望を感じたり。希望と絶望の狭間で苦悩したお兄ちゃん。
救いたかった。亡くなる前の弱々しい表情、頑張る姿。最後の言葉。笑顔。繰り返し交錯する。悔しくてたまらなくなる。

お兄ちゃんはアニメ"君の名は"のようなストーリーの小説や映画、漫画が好きだった。
そんな風に人生をやり直すことができるならどんなにいいだろう。
何度も想像する。助けに行く光景。これからも続くお兄ちゃんとの未来。
でも、もう二度と取り戻すことはできない。

本当に大切なものはとてもシンプルな事だった。ただ、そこに居てくれること。
今は自分を支えることで精一杯だけれど、意識だけはしっかりと持っていたい。
今、傍に居てくれている人たちのこと。大切な存在。

一日の中でも、日々の生活の中でも気持ちに波があります。
でも、この自由帳や分かち合いの遺族の方たちとの出会いを通して、色々な視点から自分自身の思いや考えを振り返ることができます。少しずつ、心が変わっていく気がするのです。

現実には、こなさなければならない問題が山積み。でもどうにも頭が回らず全てが中途半端。縦のものを横にするのにも体力がいる。今まで普通にできていた事が億劫で仕方ない。
横になったり、逆にじっとしてられなくて意味もなくウロウロしたり身の置き所が無いのです。何一つまともに進まない。お兄ちゃんもこんな感じだったのかな。

苦しいばかりでは生きていけない。だから、時に自分の意識にばかり囚われないように。
この自由帳に。分かち合いの方々に。皆さんの言葉に支えられるのです。
お兄ちゃんのことを忘れない。後悔しないために意識だけは自分自身に負けたくないと思う。

自然と一歩、自分の気持ちが前に向かうまで。
その時々のありのままの自分自身を優しく後押しするしかないのかなと思います。
 
 
 
節目の選択 (モカ)
2017-08-03 11:03:06
次男が中学三年生の為、この夏は高校の説明会&部活動体験の時期です。
担任から亡き長男と同じ学校の見学も薦められ、重たい気持ちに鞭打って私も部活動体験に同席しました。

つい最近まで長男が通学していた場所。見慣れた景色、制服、先生方‥。
エネルギーがみなぎる生徒たちの息ずかい、体育館から伝わる振動。
夢や希望に満ちた世界が霧がかかって映る。
確かにここに居た。輝かしい未来を思い描いていたはず。
当たり前に描いていた未来。そのために共に歩んできた過去も全て否定されたような気になる。苦しかった。必死に感じないように意識をぼんやりさせることに集中。
家に帰ってからもまた色々な感情が溢れて止まらなくなってしまった。

次男にとっても大事な時期なのに亡き長男への思いがぐるぐる止まらない。
頭が回らない。後頭部が熱くなり割れそうになる。
何をどうしたらいいのか。何が正しいのか自信がない。

兄と弟は違う。人間関係、部活、性格、担任‥色々なタイミングが重なる。こればかりは分からない。
苦しいけど。鞭打って感情に蓋をして。とにかく、これでもかというぐらい他も。色々見て聞いて。一緒にやれることはやってあげたい。逃げ道も作ってあげたい。甘くもなってしまう。
最終的に本人の気持ちを尊重して話し合って決断するしかない

これからも続く。節目節目の選択。決断。
間違えたら何度でもやり直せばいいこと。独りで悩まず相談すること。一番の味方であること。大切なことは、ここに居てくれること。しっかり言葉で伝えていこう。

次男の成長も長男に重なり、輝かしい光景も苦しい哀しいが先に立つ。
これからも幾度となく喜ばしい瞬間もおぼろげにしか感じられないかもしれない。
長男の魂はいつも傍にあるとはまだまだ思えなくて。

夫とも高校の相談をするつもりが、何かのきっかけで長男のことを振り返るような話になり、ほんの少しの言葉のあやで緊迫した雰囲気になってしまう。やはり、タブーだ。
長男を思う気持ちは同じなのに、夫に対してはなかなか面と向うと穏やかな心でいられなくなるのは何故だろう。長男はどんな思いで今の私たちを見ているのかな。

ああしてあげたい、こうしてあげたい。でも実際には思うように動かない。
長男が居てくれたらどんなことでも乗り越えられるのに。
全身全霊、底抜けに明るい私は何処にいった。
とにかく、これ以上、体力気力とも消耗しないように最低限のことに集中。
ひたすら感じないように気持ちに蓋をする。
何とか今をやり過ごすしかない。
 
 
 
モカさまへ (M)
2017-08-04 00:05:13
私も同じ状況でした。そこはどうにか乗り切りましたが、今も苦しさは果てしなく続いています。一日を生きるのがやっとで、明日の事すら予想できません。精神状態は常に不安定です。時薬にほんの少し期待をしていましたが、時間が経つほど逆に辛さが増す事もあり、いつまでこの苦しみに耐えなければならないのか、ふっと糸が切れてしまいそうな怖さを感じています。なんとか遺された家族のためにこれ以上哀しい事が起きないようにと自分に言い聞かせてはいるものの、本当に孤独と虚しさに襲われる日々です。同じ体験をした方々とお会いしたい気持ちとその反面、共感したからといって息子は帰ってはこないんだという絶望は変わらない?と、未だわかちあいの会への参加を躊躇しています。でもこの自由帳を読んでまさに同じ苦しみの中にいる方がいるのだと驚くほど近い気持ちを感じ思わず投稿した次第です。
 
 
 
本当に大切なこと (菜の花)
2017-08-05 14:15:32
モカさんへ

ご次男のために、ご長男の母校を見学されたのですね。
さまざまな思いが交錯して、さぞお辛かったことでしょう。そして、ご次男の前でその悲しみを抑えることにも、大変な思いをされたことでしょう。

「本当に大切なのは、ここにいてくれること」。
そのとおりですね。私も息子が旅立ってから、深く深く身にしみて感じました。

本当に大切なのは、我が子が生きていてくれること。
大学、就職、結婚・・・人並み、世間並みの道を歩くことを、いつの間にか息子に求めていました。
本当に大切なことは、多くはなかったはずなのに。

今は、自分自身にも多くを求めないようにしています。
友人や親族と疎遠になったことも、本当に御縁があればいつか再会できるし、できなければそれまでの浅い御縁だったのだ、と開き直る心情になりました。

このようなあり得ないことが起きた以上、以前の自分とは違うのもやむを得ないことだと思っています。前向きでなくてもいいし、偏屈な人間嫌いでもいいし、めそめそしていてもいいので、息子がもたらした私の想定外の人生を生き抜くこと。それが、私の最小限の「本当に大切なこと」になりました。

どんなに寂しくても悲しくても、最後まで自分の足で歩き通します。
そう自分に言い聞かせています。
それでも、むなしさに喘いだり、へなへなと座りこんだりを繰り返す日々ですが、「それでもいいよ」と、自分に甘くしています。

日々の苦しい思いは寸分も変わらないように感じても、年月を重ねて振り返ると、自分でも知らぬ間に長い道のりを歩き、激流も少しずつ穏やかな流れに変化していることに気づかされます。

それでも、数年間は、そんな変化に気づく余裕もなかったように思います。悲しみに押しつぶされてしまわないように、ただひたすらに足元を見つめて歩くだけでやっとの歳月でした。

ご次男の進路がご本人のお気持ちに沿った良い結果となりますよう、そして、充実した高校生活が訪れることを、心からお祈りしています。モカさんも皆さまも、辛く暑い夏の日々をどうぞお大事にお過ごしくださいね。


 
 
 
這いつくばってでも (モカ)
2017-08-06 12:48:05
長い間の睡眠不足と疲労が蓄積したためか、ここにきて、眼の病気や帯状疱疹になったり、体のあちこちに異常が出てきてしまいました。
顔が左右に引き伸ばされていくような、床の中に体全体が埋もれていくような、もの凄い焦燥感にも時々襲われます。何とか、這いつくばってでも、無様でもこの状況と折り合いをつけなければと。そんな切羽詰まった私の気持ちにいつも寄り添って下さり、本当に有難うございます。

長男は星や月や雲の観察が好きで、良く空を見上げていました。
昔はあんなにも青々とすがすがしく、果てしなく高く見えていた空。
今は空全体がずっしりと重く落ちてくるような圧迫感。
あの雲の一つになって私達を雨や降り注ぐ太陽から守り、新しい風を送ってくれているのか。

休みの日の朝、遅くまで寝ている私を気遣って声をかけれず引き返す気配。
居間でうたた寝している私にそっと毛布をかけてくれる手の感触。
さり気なく気遣う表情、仕草、言葉の数々、姿が家のあちらこちらに浮かぶ。

あの子の魂は、誰よりもはるかに優れていて、崇高な存在で。
神様から一時的に預かっていて、ここでの使命を全うしてあちらに帰っていったのではないか。空を見上げながらそんな風にも感じて。

菜の花さんのおっしゃるように、このようなあり得ないことが起き、以前の自分とは違うのもやむを得ないこと。息子がもたらした想定外の人生を生き抜くしかないと。

それでも気持ちの浮き沈みも激しく、足元を見ることすら精一杯ですが。
家族でも一人一人違う。それぞれが苦悩している。
怖さ、寂しさ、虚しさに押しつぶれされないように。こうしなければならないと決めつけずに。流れに身を任せて、いく様にも変化出来る。気持ちの赴くままにそれぞれの人生を歩み切るしかない。と言い聞かせています。

Mさん、コメント有難うございます。
安心して自らの気持ちを解放出来る場所があること、受け止め、寄り添って下さる方がいることで、自分の気持ちも少しずつでも変わっていく気がします。心の支えになっています。
自分の気持ちを大切にする意識にスイッチを入れて貰える気がするのです。

暑さが厳しい折り、皆様も体調に気をつけてお過ごしください。
 
 
 
モカさんへ (にゃん)
2017-08-06 16:16:47
わけがわからない現実を、どうして、どうして、と問いながら、鉛を飲み込んだような気分で、それでも、沢山の用事に追われて、疲れが出たのでしょうね。体調を崩されたとのこと、心配です。頑張っておられて、いつも、モカさんはすごいなあ、と思っています。誰かに手伝っていただいて体を休めることができたらいいな、と祈っています。

自分の気持ちを、うまく言えないけれど、夏のにぎやかな雰囲気は、きついです。思い出すのがつらくて気持ちをそらすことばかりしていますが、どこかにいると思いたくて、本気でそう思おうとしてるのだけれど、ドーンと胸が苦しく、痛くなり、フラッシュバック、私の体は、彼がいないことを、残酷にも、何度もくりかえし教えてくれます。

幸いにも私の周りには、優しい人がいてさりげなく支えてくれて、本当に助けられてやっと生きて、嘘でも笑って過ごしています。じっとしていても見の置き場がないので、用事をつくっては出かけたりしていますが、夏の青空は胸にささります。その下にあった、彼の可愛かった、生きる喜びにあふれた姿が、次々に浮かんできます。モカさんの言うように、彼は天使だったんじゃないか、純粋なあまり、この世界に美しくないものが見え始めたころから生きづらさを感じ、合わせてみたけど、自分の感性が壊れてしまうのを恐れて、そっと、天に帰っていってしまったんじゃないか、って思えてきたりもします。

そんなの、常識では、だれも、わからない、だから、苦しんでいたのかも知れない…。

本当に淋しい。3か月前の日常に戻りたい。
一緒にご飯を食べたい。一緒に猫と遊びたい。
彼の好きな科学の雑学、冷蔵庫のホワイトボードによく図を描いて教えてくれた、私は、ごはんのしたくをしながら、聞いている、その雰囲気が好きだった。どうして、こんなことになっちゃったのかな…。

自分がいたらなかったのはわかっている。たまたま出くわした、環境が、数々の色々な取りこぼしが、ひとつも彼を救うことなく、大切な命を運び去ってしまった。悔しい。

こんなに涙を流しても、それでもまだ、彼がどこかに、外のどこかに、別のどこかの部屋に、いるんだって、思いたいんです。日がたつにつれて、よけいに、そう思ってしまいます。





 
 
 
にゃんさんへ (モカ)
2017-08-07 10:08:12
コメント有難うございます。
どうして、こんなことになってしまったのか。まだどこかにいるような気がしてならない。
本当にそうなんです。
日を追うごとに、この訳の分からない現実が重くのし掛かり、心身共に疲弊していくのが分かるから、振り払い振り払い。それでも、あの子との記憶が次々と浮かんでくる。

家族の誰か一人でもピンチの時には、全員で全力で支える。それが私の誇りだったのに。支えられてばかりだったのは私。視野狭窄に陥っていたのは私の方。
本当に悔しい。
時間を巻き戻せたらどんなにいいだろう。


辛い時には、菜の花さん、にゃんさん、自由帳の方々、分かち合いの皆さんのことを思います。想像します。

人の気持ちに寄り添うということは、自分自身の気持ちにも向き合うということで。
亡き子との記憶を辿ることはとても切なく苦しくしんどい時間だと思います。
それでも、根気良く寄り添って下さり、感謝の気持ちでいっぱいになります。
独りではない。皆、必死に生きていると言い聞かせてます。力を頂きます。

何とか、この辛い夏を通り過ぎることができますように。
 
 
 
怖くてたまらなくなります (M)
2017-08-07 11:11:07
長男が亡くなって1年5ヶ月です。恐ろしいジェットコースターから降ろしてもらえないような毎日を過ごしています。時薬は本当にあるのでしょうか…
辛い毎日です。もうやめてくれ、助けてくれと叫んでしまいます。冷静になろうとしても頭がパニックになってすべてを投げ出してしまいたくなります。じわじわ陰湿に虐められているような気持ちになります。
どうしたらもう少し楽に生きられるのでしょうか。それとも息子を見殺しにしてしまった愚かな母親は楽になどなれないのでしょうか。苦しむ事が償いなのでしょうか。本当に苦しいです。辛いです。息子が愛しい、会いたい、無念、何故助けられなかったのか、ずっと大切に育てて来たのに何故、何故あの時だけ何を根拠に平気と思ってしまったのか、本当に悔やまれてなりません。とりかえしがつきません。でも下の子もいるのでこのままではまた後悔する事になりそうです。でももう子供を育てていく事が怖くてたまらなくなってしまいました。うまく成人まで育て上げたつもりでいた長男がこんな最悪な事になり、すべてが打ち砕かれました。私はもうだめです、以前とは別人です。どうしたら前を向けるのでしょう、こんな悲惨な状況で…
助けてください、辛過ぎます。
 
 
 
Mさんへ (モカ)
2017-08-08 00:24:36
なぜ、助けられなかったのか。苦しく辛い日々。時薬は本当にあるのか。というお気持ち、良く分かります。

私も一日の中で何度も哀しみに押しつぶされそうになり、意識が遠のきそうになります。
どんな時でも耳を傾け一番の理解者でいてくれた母も居ない。父には話せる状況ではない。
今はこの自由帳と分かち合いの場で自分の気持ちを安心して吐き出せること、寄り添って下さる方がいることで、少しずつ自分の気持ちに折り合いをつけること、心を軽くする術が何かしら見えてくる気がするのです。

辛くしんどい長い道のりを一緒に歩いてくれる、一緒に休んでくれる、応援してくれる声もある。それでも、自分の人生を代わりに歩いては貰えない。それぞれの人生を自分自身で手探りしながら這いつくばってでも歩き切るしかないのだと思います。
そうすることで亡き子も一緒に生かされる気もするのです。それは親だから耐えられる、親にしか出来ないことなのかなとも思うのです。

菜の花さんのおっしゃるように、亡き子にもたらされた想定外人生を生き切るしかないのだと言い聞かせています。

時薬があるのかないのかも、人それぞれで、後になってみないと分からない。
途方もない先のことを考える気力も体力もないので、とにかく、ぼんやりと今をやり過ごす。

辛い、苦しいばかりの意識では心が本当に壊れてしまう。その怖さを知っているから。負けたくないと思う。

心が軽くなる、穏やかになれる瞬間が。そんなささやかな小さなこと。
見えてくること、感じられることがあると思うのです。
ただ、今は何もかもが亡き子につながり、切ない、愛おしい、哀しいから。
あまり考えず、ただただ、ぼんやりと目に映す。
何者にもならなくていい。今はただその積み重ね。足元を見ること。今のことで精一杯。

少しでも心が休まる時間が増えますように。
 
 
 
ものすごく辛いです (M)
2017-08-08 15:20:49
毎日毎日なんとか耐えてきましたがかなり限界です。どうしたらいいのか、殆どパニックのようになってしまいます。1人でいたら何をしでかすかわかりません。困っています。みなさんはどうやってこの辛さを乗り切っているのですか?もう辛くて辛くて何をする気にもなれません。いろいろ試してこれ以上できないくらい頑張ったつもりですが力尽きてしまいました。こんなに辛いのはもう無理です。
 
 
 
Мさんへ (にゃん)
2017-08-08 16:07:54
用事を終えて、ふと、現実が襲ってきたときの恐怖、悲しみ、淋しさ、何よりも、恐ろしい現実の恐怖、耐え難いです。希望のない世界を生きることがどんなにつらいことか、亡き子の苦しみはこういうことだったのか、と思い知らされます。そんな状態でも、日常生活では笑顔を作ることができる、それで、すっかり彼に騙されてしまったのです。
弱い姿を見せたくない、心配や迷惑をかけたくない、だから、言わなかった、言えなかったのか…それは、今の自分にもにています。だからといって…!怒りの気持ちも起こってきます。でも、こんなにいっぱいいっぱいの時、周りの人がどれだけ悲しむか、苦しむか、気を回すことはできなかったと思います。今の私もただ苦しみから逃れたい、それだけの気持ちになるし、自分が若いころ、そんな気持ちになったとき、親のことなんて考えなかったかも…。
今の家族の悲しみが彼に見えたなら、もし戻ってこられるなら、やさしい彼は、しまった、と思って、戻ってきてくれるのでは…。辛いけど、今いる家族が、自分が思っているよりずっと、生きてここにいてくれることを願っていると、こんなことがあったからこそ、よけいにただ生きていてくれたらいいと願っていると思うので、しんどいけどダラダラしても、もしかしてダメな奴と誰かに思われても、生きていこうと思います。
だって、亡き子も、どんな姿でも生きていてほしかったから。
食いしん坊の私は、こんなに苦しいのに、時間がきたらお腹がすいて、美味しいものは美味しいと感じるのです。それくらいのささやかなひと時を生きる力に、今日一日を生きた、ご褒美にしたい。そんな程度に生きてます。
今まで信じてきた人生が、一変してしまい、私も自信をなくしました。
私がやってきたことはいったい何だったのか、と。
苦しくてたまらないときは、自由帳を開いて、泣きます。地域にいると、とてつもなく孤独な気持ちになりますが、ここでは、同じ気持ちの沢山の方が、そっと、ささえてくれて、遠いけど、近くにいてくださっている気がします。
亡き子の姿を思い出すのは、今は辛すぎて、あえて遠ざけています。時間がかかるかもしれないけど、いつか向き合って、残した写真や、ノート、いろんなものを、整理していきたい。
今はとても無理です。突然思い出してしまう彼の姿に翻弄されているまいにちです。
現実から逃げたり、捕まったり。そんな日々です。きついです。
一緒に、何とか夏を、逃げ切りましょう。
 
 
 
にゃんさまへ (M)
2017-08-08 16:57:46
ありがとうございます。でも私はどこまで耐えられるか自信ありません。私は息子の死後心療内科に通って薬を飲んでいます。それがいけないのだという方もいるのですが、薬がなかったらもうここにいなかったかもしれません。ただの鬱ではない、たった1つの原因がはっきりある鬱です。薬で治るわけはないのですが… 今も抗不安薬を飲みほんの少しだけ落ち着きましたが、気休めです。また恐怖が襲ってきます。最近は哀しみより恐怖の方が酷いのです。だからなぜか泣けないのです。おかしいと思います。とにかく怖いのです。恐ろしいのです。薬のせいなのかな… 薬に頼らず哀しみでずーっと泣いていた方がよかったのかもしれません。でもとにかく一年半経っても酷くなる一方なのでこの先が不安でたまりません。何も前向きな事が書けず申し訳ないです。またここで吐き出させてください。
 
 
 
夕方が特に辛いのですが (M)
2017-08-10 18:14:22
毎日本当に辛いです。日中はなんとかごまかしごまかし過ごし、夕方が一番辛い時間帯です。後悔と自責しかありません。この苦しみから逃れる事はあり得ないのでしょうかね。息子が苦しんだ分、その苦しみをわかってやれず広がっていたはずの未来を永遠に閉じてしまった罪はどうやっても償えない。でも下の子だけでも守ってやらなければ親として本当に情けないです。苦しいです。どうしたらいいのか途方に暮れます。どうしたらいいのかどなたかアドバイス頂けないでしょうか。ああ、何故こんな過酷な人生になってしまったんだろう、愚かな自分のせいなんですよね、だからこんなに苦しいのですよね。
 
 
 
Mさんへお願いです (菜の花)
2017-08-11 00:28:18
Mさん、こんばんは。
「力尽きてしまった、もう無理、限界」と本当に感じておられるのなら、ここで助けを求めておられないで、ご家族や医療機関にご相談になってくださいね。シャワーや食事、最低限の家事も不可能な状態なのでしょうか。

精神科のお薬を服用されているとのこと、その相性や副作用の影響についても、私たち遺族が助言できる領域ではありません。薬に関するお悩みは、主治医の先生に直接よく相談なさることをお勧めします。

今までにも「助けて」と何度も書いておられますが、ネットでは、助けてあげたくても手も届かないし顔も見えません。おのずから限界があります。読む側も不安になって、心がざわざわします。

あなたのコメントを読んでいるのも、ぎりぎりのところで踏ん張って、精いっぱいご自分を支えておられる方々なのです。お辛いことはよくわかりますが、どうか、もう少しご配慮いただけるとありがたいです。

「どうしたらいいかアドバイスを」ということですが、ネガティブな思いを書き散らすだけなら、ご自分でノートを作るか、パソコンにフォルダを作って、思い切り吐き出されたらどうでしょうか。

私も、泣き言ノートのようなワードのフォルダをパソコンに作成しています。息子が失踪した直後からメモ程度に書き始めたのですが、毎年、新たにフォルダを作って、今年で8冊目になります。自分しか読みませんから、誰にも気兼ねなく、自分の負の感情をなんでも書き捨てています。息子への手紙、思い出、詫び、自責、後悔、怒り、罵詈雑言、恨み、嫉妬、希死念慮・・・なんでもありです。最初の3年ほどは、毎晩、そのフォルダに泣きながら書きなぐって、胸のつかえを吐き出していました。

今でも、週に数回は書いています。「助けて!」「なぜ、どうして!」と同じことばかり何百回も書き殴りました。そうやって、破裂しそうな思いをなんとかやり過ごしてきました。

とりあえず、すぐに前向きになろうと焦らないことです。二十数年大切に育ててこられた息子さんを亡くされた心の穴が、1年や2年で塞がるでしょうか。時間はかかりますが、時薬は必ずあります。時の流れに逆らわないで一日一日を必死で歩いていけば、必ず、穏やかに過ごせる時が来ます。今の苦しみが永遠に続くのではありません。

そして、以前にもお願いしましたが、こうした場でハンドルネームを使い捨てにされることは良い結果を生みません。文章や内容から同じ方だとすぐにわかるのに、ハンドルネームは頻繁に変わるので、読み手はとまどいます。せっかく誰かとお知り合いになったのに、会うたびに違う名前を名乗られるような違和感があります。

固定のハンドルネームを使用するということは、自分の投稿には誠実に責任を持つということでもあります。変更される場合は、ノクターンさん(千春さん)のようにきちんと書いてくださるとスムーズです。

苦言を申し上げて恐縮ですが、自由帳が足を引っ張り合う場ではなく、支え合う場であり続けることを心から願っています。
Mさんのお気持ちが少しでも休まる時間がありますように、と祈っています。どうぞくれぐれもご自愛ください。



 
 
 
すみませんでした (M)
2017-08-11 18:04:01
菜の花さま、みなさま
すみませんでした。取り乱してしまいました。以後気をつけます。
 
 
 
心の寄りどころ (イタリアン母)
2017-08-12 16:47:28
優しい息子の笑顔を見られなくなってもう4年が過ぎた。最新の一年二年は色彩が無くなり味覚が無くなり、眠れず酒に溺れああこれが生き地獄かと思った。少ししてみずべの集いに参加して同じ思いの友達が出来 柳田邦夫氏の犠牲の本を何回も泣きながら読み返し眠らず仕事しているうちに、この引き裂かれるような悲しみを抱えて 愛しい息子と一緒に抱えて生きて行こうかな〜と思った。めくるめく幸せだった息子の思い出を心の寄りどころとして、幸せな記憶をくれた息子に感謝して日々をやっつけいる。
 
 
 
イタリアン母さん、菜の花さんへ (スタッフ小夜)
2017-08-14 00:00:23
イタリアン母さん、菜の花さん、こんばんは。

イタリアン母さんは、4年の歳月を経ることで、悲しみを抱えつつも、感謝をもって生きて行こうとの境地にまでなられたのですね。

苦しみはいつの日か別のエネルギーに変わり、心の拠りどころも生まれる。
一生苦しいわけではないからこそ、私たちは地獄のような日々を味わっても何とか生きていけるのですね。そんなご自分の体験談を書いていただき、ありがとうございます。
今苦しんでいる多くの方に届きますように。

菜の花さん。
いつも誠実で温かで真摯なコメントありがとうございます。『一日一日を必死で歩いていけば、必ず、穏やかに過ごせる時が来ます』との体験からのコメントに、歩いていく道を照らしていただいたようにほっとされた方も多いことでしょう。

この場が誠実な分かち合いの場、交流の場、互いに支え合う場になっているのも、お二人のように、少し先を歩く心温かな方の支えのお蔭です。
ありがとうございます。









 
 
 
小夜さん、ありがとうございます (菜の花)
2017-08-14 12:55:51
小夜さん、温かいおことばをありがとうございます。
同じ自死遺族であるスタッフの方々がこの自助グループを立ち上げて下さり、ご自分の苦しみを背負いながらも、私たちに安らぎの場を設けてくださっていることに、心から感謝しています。

2010年2月に初めて自由帳に投稿して以来、多くのお仲間に支えられてきました。本当に「おかげ様」で、何とか自分なりにここまで歩いてきました。ハンドルネームしか知らない方々でも、お互いに泣き言や励ましを言い交し、どれほど助けられたことでしょう。もう自由帳を卒業された方やお会いする機会がない方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。そうした方々が、今は、重荷を背負いながらも、それぞれに穏やかに過ごされていることを、心から祈っています。

息子が旅立って数年間は、「もう自分には絶望しかない、何も残っていない、焼け野が原が広がっているだけだ、もう人生終わった!」という自暴自棄な思いでいっぱいでした。

今でも毎日、「なぜ、生きているのか、何のために?」という虚しさを抱えています。何を見ても息子の思い出とつながり、心が沈みます。

それでも、最近、「あれ?」と思うことがあります。辛さのあまり握りしめていたこぶしをそっと開いてみたら、もう何も残っていないはずだったのに、かすかな小さな光が手のひらに載っているのです。何かわかりませんが、この小さな光を消さないように大切に育てようと思います。

「何も残っていない」わけじゃないかも?
元の人生には戻れない。でも、別な人生が始まっていたのかも?
よくよく探したら、幸せの小さなかけらが見つかるかも?
―たまにですが、そんなことも感じるようになりました。

この悲しみとうまく付き合いながら、亡き子を偲びつつ、自分なりのペースで少しずつ歩いていけたら、と思っています。


 
 
 
空の贈り物 (にゃん)
2017-08-28 16:41:23
菜の花さん、いつも美しい写真と素敵な詩をありがとうございます。
先月の雲の写真も、でしたが、本当に動いているように、空が生きているように見えて、その場に自分がいるような気持ちになります。

私たちの大切な人が、美しいものを、美しいと感じる心をもった、素敵な子供でよかった。
いきていてくれたらもっとよかったけれど…

だから、美しいものを見たら、一緒に見ているに違いないと思います。

可愛い動物や、蝶や、鳥などの小さな命も、いつくしむ優しい子供でよかった。
いきていてくれたらもっとよかったけれど…

小さな生き物が寄ってくると、亡き子がそこにいるように思います。

本当に、どこにいるんでしょうね。
でも、美しい心地よいところに、きっと、いるんだと思います。
 
 
 
夏の終わりに (モカ)
2017-08-28 21:12:18
菜の花さんの映す風景に私も亡き息子が重なります。
夏の終わりに。空に。虫たちの声に。

雲が形を変えていく様子を次々に色々な人や動物に見立て飽きることなく遊んでいた幼い日を想う。
寝静まる頃、窓の外から鳴り響く虫達の声。外はいつの間にか秋の気配ですね。
虫当てクイズをしながら思い思いに物語りを作り眠りについたあの頃を想う。

亡き息子は喘息持ちで季節の変わり目にはよく発作を起こし夜中に何度となく救急にかかった。寝入りばなに。夜中に何度となく耳を当て呼吸の音を確かめた日を想う。

色々な小さな生き物に。動物に。雲に空に。美しいものに姿を変えて。私たちの目に映るものの中に居るのかもしれない。
いつも私たちが亡き子に寄り添っていたように、今は亡き子が私たちがこれ以上哀しまないように心に寄り添ってくれているのかも知れませんね。

この大切な愛おしいものをずっとこの先も抱えていく強さを。
 
 
 
秋の気配が (菜の花)
2017-08-29 17:54:22

にゃんさん、モカさんへ

こちらでも、数日前からツクツクホウシが鳴きはじめました。
夏休み期間中は、海でも山でも繁華街でも元気な子供の姿が目について心が痛みます。ようやく夏休みも終わりそうで、少しほっとしています。

空の写真を見てくださって、ありがとうございます。この夏、地元は猛暑続きで写真を撮りに行くこともできず、夕方は、ベランダから夕焼けを眺めています。悲しみが空に吸い取られて、心がからっぽになる時間です。

にゃんさんの息子さんは、自然を愛する方だったのですね。純粋で感受性の豊かな息子さんは、今はもう苦しみのない安らかな次元におられるのでしょう。繊細で心やさしく、限界まで精いっぱい生きて力尽きた人たちに、これ以上の苦しみが与えられるはずがありません。遺された私たちが背負う苦しみは壮絶なものです。でも、亡き人はもう苦しんではいない。それが私にとって唯一の救いです。

モカさん、その後、お体の不調はいかがでしょうか。快方に向かっておられることを祈っています。モカさんが夜も喘息の息子さんを気遣っておられたご様子に、息子さんを思う温かいお母さんの心が伝わってきました。

息子が亡くなってから、動物や野鳥の子育てのドキュメンタリーを見ると、
「動物の母親でさえ、誰にも教わらなくても我が子を懸命に守っているのに・・・」と自分を情けなく思い、
近所の池で泳ぐカモの親子の姿を見かけると、
「ヒナが元気に巣立つまでがんばってね。私はね、ダメだったのよ・・・」と、泣けてしかたがありませんでした。

そうしたなか、先日、星野道夫さんの没後20年を記念した写真展を見に行きました。白いホッキョクグマや、茶色いグリズリー(ヒグマ)の親子の写真も、展示されていました。

どの熊の親子も、子グマを見つめるお母さんのまなざしの、なんと優しいこと。
そして、お母さんに甘えて、すっかり安心した表情の子グマたち。

しみじみと眺めるうちに、
「息子が幼い頃は、私と息子もこんな表情をしていた時があったはず」―ふとそう思って、すこし慰められた思いで帰ってきました。

苦悩の末に寂しくひとりで逝かせてしまい、本人の孤独と苦しみを思うと、今も、親としては不憫でならないのです。でも、息子の人生すべてが不幸だったわけではなく、明るい笑顔の元気な日々がたくさんあったこと、親に多くの喜びを与えてくれたことも、大切に心にしまっておきたいと思っています。

しばらくは残暑が続きそうですが、皆様どうぞくれぐれもお大事にお過ごしください。



 
 
 
自己嫌悪 (M)
2017-09-01 16:56:21
どうしても自分を責めてしまいます。最後の砦になれなかった自分が本当に情けないです。私のラインの後息子は私に返信する事なく亡くなりました。いつもすぐに返信をくれる息子が返信くれなかったのはその時だけです。酷い事を書いたわけではないのです。ごく普通の会話をいつもどおり私は送ったつもりでした。死ぬ程苦しかったならそこでそう言って欲しかった。息子は私を恨んで亡くなったのではないかと思います。慈しんで大切に育ててきたつもりが最後の最後にとりかえしのつかない失敗をしました。一生後悔する事になりました。毎日自責と後悔に押し潰されています。時が経っても虚しさと哀しみは募るばかりです。
 
 
 
Mさんへ (モカ)
2017-09-02 20:01:08
Mさんのお辛い気持ちよく分かります。
当初の様な激しさとはまた少し違い、虚しさ、哀しさ、自責の想いがじわじわと深まっているように思います。ぼんやりとやり過ごせる時間もあれば、突然襲われる感情のままに気持ちを委ねたり、家事の全てを放棄して寝てばかり居たり、じっとしてられず部屋中をウロウロと歩き回ったり、合間で最低限の家事をこなし仕事に向かう。そんな風にして何とか一日をやり過ごしています。
次男のことや同居している義母のこと、父のこと。時間は確実に前に進んでいる。自分だけ取り残されているように感じますが、以前の様にはいかなくとも、否応無しに向き合わなければならない場面がたくさんある。
置かれた状況も人それぞれで哀しみや苦しみは人と比べられるものでもなくて。母だからこそ自責の念は深まるばかり。
過去も未来もあの子に繋げてはどうにもならない事をタラレバばかり。
頑張ればどうにかなるという類のものでもなく自分自身の気持ちをコントロール出来ればいいのですがなかなか難しいものですね。
苦しい時は苦しい。また以前の様に心が晴れ晴れしい気持ちにはなれなくても、苦しいばかりではなく美味しいものは美味しい、可愛いものは可愛い、嬉しい、面白いと感じられる瞬間はある。そんな些細なことの積み重ねを継接ぎしながら、その時々の色々な自分と向き合いながら少しずつ吐き出しながら何とか今を一緒にやり過ごせたらと思います。
 
 
 
モカさんへ (M)
2017-09-03 19:04:28
気持ちをわかって頂きありがとうございます。返信頂けると自分だけではないのだと、勇気付けられます。少しでも過去から今、そしてこれからへ目をむけられたらいいのですが、本当に難しいですね。
 
 
 
わかちあい (M)
2017-09-05 16:54:09
思い切って伺ってみようかと思っています。私なんかが参加してもいいのかどうか、それだけが心配です。
何も話さなくてもいいのですか?
辛かったら途中で帰っても大丈夫ですか?
 
 
 
Ⅿさんへ (あけ)
2017-09-05 21:28:48
スタッフの「あけ」と申します。

Ⅿさん、「自由帳」をご利用いただいて、ありがとうございます。わかちあいに参加されているある方が、わかちあい後のクールダウンで「(Ⅿさんの辛さは)私も同じ」とおっしゃっていました。

わかちあいは、話を聴かれるだけでも構いません。進行役のスタッフが「Mさん、よろしかったら」と声をかけるかもしれませんが、お話しされたくなければ、首を横に振るだけで結構です。
退席も自由です。

無理をされないことが、一番大切です。
日常生活で、たくさんの無理を重ねているのですから。
わかちあいに「ぜひ参加してください」とは申しません。当日のご自身と相談して、気が向かれたらお越しください。

私が初めてわかちあいに参加したのは10年以上前ですが、とても不安でした。こんなところに来て大丈夫だろうか…と。その時の記憶は不安感だけ。何を話したのか全く覚えていません。何年もたって、当時のその会のスタッフから「あけさんはすごく怖い顔をしていた」と笑われました。その方のことも覚えていませんでしたが、「悲しいご縁」でとても懇意にさせていただくようになりました。

Ⅿさん、よろしかったら、わかちあいでお会いしましょう。
 
 
 
あけさまへ (M)
2017-09-05 22:23:52
お優しいコメントをありがとうございます。
情緒不安定な時に居ても立っても居られず、発作的に書き込みをしてしまう癖を何とかしようと思うのですが、これも一種の依存なのかと思います。ご迷惑お掛けしています。改めてすみません。

息子を亡くすまでは自信に満ち溢れて充実した毎日を楽しく過ごしていました。SNSなどにも自慢げにリア充投稿するような人間でした… それが一瞬にしてリア充どころか、人生が真っ逆さまに暗転しました。同じ人間の人生とは思えない程の変わりようでした。
昨年中はまだ戻れるのではないかとどこか現実を受け入れていない感じでなぜか大丈夫な日がありました。それが一周忌を過ぎた頃から、ああ、もう息子には2度と会えないのか…と思うようになってきたのです。そのくらい時が経っても信じられないのです、この現実が。

わかちあいに足が向かないのも、現実を受け入れたくなかったからなのです。
でも最近少し気持ちが変化し覚悟しなければいけないのかと諦め?の気持ちが湧いてきました。蓋をするのではなく飛び込むという事もあるのかな、と。

当日勇気が出ましたら、伺いたいと思います。
よろしくお願い申し上げます。
 
 
 
同じ季節がめぐりました (美南)
2017-09-28 20:22:44
最愛の長男が22歳で自ら旅立ってしまってから6回目の、同じ季節が巡ってきました。あの日と同じ空気を感じると、どうしても思い出してしまいます。
風に吹かれるだけで、条件反射で涙が出てくるくらいです。こちらにはお世話になりましたが、あまり覗かないようにもしていました。皆様のつらさが手に取るようにわかる分、自身も当時を思い出して苦しくなるからです。今私はつらい思い出のある場所から転居し、知人の全くいない場所で暮らしています。仕事は7月末で辞め、初めて自分をいたわりながら生きている気がします。無理をして働き続けた結果、体を壊したためもあります。私は特定の宗教は全く信じていませんが、これまでつらさから逃れるためにたくさんの本を読み、自分なりに「何でこんな人生を生きなければならないのか」という問いに折り合いを付けながら生きています。
あの子は体は失いましたが、魂は生きており、私たち家族を守ってくれていると確信しています。
つらい最中にいる方に、こんな言葉がすぐに響くとは思っていません。だけど、真剣に問えば答えはもたらされます。なんでこんなことが起こるのか。ほかの人ではなく私の息子に。なんのために生まれてきたのか。つらい思いをするためだったら、生まれてこないほうがよかった。私は自分自身の存在が最初からなければよかったのに、と本気で考えていました。
罪悪感に押しつぶされて生きるのを、息子は望んでいるのだろうか。今ではそうではない、やさしいあの子はそんなことは望んでいない、とわかります。
ほかの二人の子供たちも、至らない母を思いやってくれ、つらい思いをした分人の痛みがわかる社会人に成長してくれました。残された子たちは、先に逝った子の分も大事にされますが、それは先に逝った兄が弟と妹を守ってくれている、ということです。

今回ここに書き込んだのは、今身もだえするつらい思いの方々に、少しでも安らげる気持ちになってほしい、と考えたからです。何をよりどころにしていいかわからないときにおすすめの動画があります。ユーチューブで、「やぎこーち」と検索して、出てくる動画を参考にしていただけたらと思います。このような投稿が不適切でしたら削除します。

季節の変わり目です、どうか皆さま、ご自愛ください。
 
 
 
引き裂かれる (M)
2017-10-05 17:37:24
亡き子と生きている子どちらも愛する愛しい存在。でも両方の事を想うと引き裂かれます。生きてる子の事だけを考えないと生きていけません。でも亡き子が不憫でなりません。でもこのままでは生きてる子の親としても失格。とてつもない辛さです。
 
 
 
辛い日々 (しずく)
2017-10-09 23:53:39
28歳の次男を7月に亡くした母親です。

あの日から人生が崩れ落ち、悲しみ、自責の念、怒り、虚しさ、あらゆるネガティブな感情の渦に呑み込まれています。この先の人生に何も希望が持てず、自分も消えてなくなりたい。でも遺された家族を思うとそれも出来ず、
ただ毎日生き延びることだけで必死です。
この様なことになり、世の中にはこの様な苦しみを背負って生きていらっしゃる方がいることはじめて知りました。

息子に会いたい、もう一度お母さんって呼んでほしい。何の力にもなれなかったお母さんを許してと言って抱きしめたい。でも、もう出来るはずもなく。この現実を受け止められずに崩れ落ちる。

夢に出てきた息子は私と一緒に笑っていました。お母さん笑ってという息子からのメッセージなのか。心優しく人一倍周りに気を遣う子だったから、みんなを悲しませたいなどと思うはずもなく、一人辛い気持ちを抱えて逝かせてしまったこと、不憫でなりません。

こちらで皆さんが苦しみを分かち合いながら、辛い日々をやり過ごしていらっしゃることを知り、はじめて書き込ませて頂きました。

どうぞ宜しくお願いします。
 
 
 
しずくさんへ (小夜)
2017-10-11 11:45:45
しずく様

しずくさん初めまして。みずべの集いの自由帳にお出でくださり、ありがとうございます。
毎日どれほどに大変な日々をお過ごしのことでしょう。

私も10年以上前に、息子を亡くしました。
今でも、今生きていたら・・と思わない日はありません。
会えたらどれほど嬉しいことでしょう。

そんな心の痛みを抱えつつも、日々は何とか元気に暮らしております。
自分では気づかないくらい、ほんの少しずつなのですが、身をひき裂くような激しい苦しみは、変化していくのも確かです。

あまりご自分を責めすぎないで、
ご体調にお気をつけてお過ごしくださいね。
またいつでも、この自由帳にお出でください。
 
 
 
小夜さんへ (しずく)
2017-10-11 18:07:16
はじめまして。
コメントありがとうございます。小夜さんもお辛い日々を生き抜いてこられたのですね。

息子を亡くしてからというもの、人生から色彩が無くなり、真っ暗闇の中で生きている感覚です。日により自分の気持ちが安定せず、自分を持て余しています。まだまだ手探りの状態です。この先自分がどうなるのか想像もつかず、
何だかとてもとても怖いです。こんなに辛い
ことを抱えて果たして生きて行くことが出来るのだろうか?こんな苦しみ持っているのは嫌だ!と思いながらも、この苦しみは息子を抱
えて生きている事、だから無くしてしまいた
くない、等々心が切り刻まれているようです。

優しい息子を思い、あの子と共に生きている
あの子が近くに居てくれているはず、と思え
る日は、少し落ち着いていられます。
でも、また辛い思いに襲われて崩れ落ちてしまうのです。

少しずつ日常を取り戻さなければとの思いで
いるのですが、なかなか難しくやっと最低限
の家事をこなし、後は写経をしたり本を読ん
だり、誰にも会いたくなくすっかり引き篭
もっています。

取り留めの無いことばかり書き連ねてしまい
申し訳ありません。
 
 
 
はじめまして。 (リク)
2017-10-14 23:00:43
スタッフとして お手伝いさせていただくことになりました リクと申します。

2011年 パートナーを亡くしました。抜けるような冬の日で強い北風に拐われていったようでした。

弱い自分は処方薬と酒に溺れた日もありました。

それでも
その日の彼女のこと、これまでの彼女のこと、何度も何度も同じ話を聞いてくれる相手が偶然 僕にはおり、そんな他人の恵みが一滴一滴、渇ききった心の川底に溜まっていきました。

分かち合いの会に出会ったのは3年目でした。
そこでは 話をし 話を聞くことが心を取り戻すことに繋がりました。

今 少しずつ川が流れ出してきたのを感じます。

あなたの大事に想う人のことを一緒に話しませんか?
 
 
 
しずくさんへ (菜の花)
2017-10-14 23:11:10
しずくさん、はじめまして。私は、大学生の息子を亡くして8年目になります。
7月に大切な息子さんを亡くされたばかりのしずくさんが、どれほどの衝撃と傷を受けながら懸命に生きておられることか、当時の自分の苦しみと重ねてお察しします。

私も、少しでも気持ちを静めようと写経をしたり、自死に関する本や遺族の手記、宗教家が書いた本を取り寄せて、すがる思いで読んだりしていました。わが子の自死が理解できず、「なぜ、どうして!」という問いの答えを探し求める一方で、「この生き地獄をどうしたら生きていけるのか」と途方に暮れて、必死で手探りしていました。

近所で知人に会うのも恐く、また親子連れや元気な中高生を見るのも心を引き裂かれるように辛く、しずくさんと同様に完全に引きこもっていました。それでも、家でじっとしていると自分がどうかなってしまいそうで、それも恐くてたまりませんでした。

目覚めている間はずっと亡き子のことで頭が爆発しそうで、意識を無くしたい、薬を飲んでずっと眠り続けたい、と何度も思いました。世の中にこんな深い苦しみ、悲しみがあるとは、それまでの自分には、想像もつかないことでした。

そんな状態が何カ月、何年続いたかわかりません。その中で遺族の方々との出会いが、私を支えてくれました。友人や親族にも言えない我が子の自死を、安心してありのままに語ることができる場に出会い、そこで共通の苦しみを抱えた方々と嘆き合い、励まし合うことで、息継ぎをしながら、深い海を泳ぎ続けることができました。

振り返れば、この8年間に、自分なりの泳ぎ方や息継ぎの仕方を、少しずつ手探りで覚えてきたように感じています。今も、悲しみや寂しさでいっぱいの海を泳いでいますが、ここまで泳ぎ続けてきたのだから、もうしばらく泳げるのではないか、とふと感じることもあります。

今は一日を耐えて過ごすだけでやっと、というお気持ちをお察しします。しずくさんは、もう十分に頑張って耐えておられるのです。どうかご自分を十分にいたわって、お大事になさってくださいね。

しずくさんのお苦しみが少しずつやわらいで、やがて悲しみを抱えながらも穏やかな時間が訪れることを祈っています。

 
 
 
菜の花さんへ (しずく)
2017-10-16 12:23:17
菜の花さん

コメント有り難うございます。菜の花さんの[心の風景]の素敵な写真拝見
させていただいています。どの写真も素敵でまさに菜の花さんの心の風景ですね。

7月のあの日から突然生き地獄へ放り込まれ、生きる希望も未来もすべて閉ざされ、これからの自分はどうすればよいのか何も分からなくなってしまいました。ネットで同じ立場の方逹のブログを見たり、本を読んだり、必死に今の自分はこれからどうすべきなのかを模索しています。

そんな中でこちらにたどり着きました。皆さん重荷を背負われ苦しみながらも生き抜いていらっしゃる、苦しんでいるのは自分一人ではないのだと思いました。

息子は命と向き合う仕事をしておりました、日々、人の生死を目の当たりにして心を病んでいってしまったのかとも思います。悩んでいる様子が見えたので、私は仕事より何よりあなたの幸せが一番大事、辛くて無理なら仕事辞めるとか休む事も考えて、と必死に伝えていました。でも、届きませんでした。小さい頃から憧れていた仕事に就き、それを簡単に手放すことなどできないことも分かっていましたが、息子がこうならないために出来たことがあったんじゃないのかと、いつも思います。無念です。

息子が悩みながらも、必死で生き抜いたこと、絶対に無駄にしたくない。
尊い尊いあの子の命があの日までそこにあったこと、これからどう繋げたらいいのか、私は何をすべきなのかを考え抜いています。

まだ日が浅く苦しみ溺れそうになるのをこのブログの書き込みをさせていただくことで何とかやり過ごしています。
 
 
 
穏やかな日々 (M)
2017-10-16 15:04:17
本当にいつかはそんな穏やかな日々が訪れるものなのでしょうか。1年7ヶ月ですが、そんな兆しもなく日々弱っている気がしています。先が見えず辛い日々です。一生懸命気を紛らわせようとするのですが、うまくいきません。
 
 
 
しずくさんへ (菜の花)
2017-10-16 20:14:56
しずくさんへ

息子さんは、命の現場で働いておられたのですね。緊張を強いられる職場で、責任を果たすべく精いっぱい頑張っておられたのですね。ご本人の、そしてしずくさんの無念の思いをお察しします。

私も、あの日から「私がこう言っていれば・・・こうしていたら・・・」と後悔と自責に苦しみました。「もう取り返しがつかない」という現実の恐ろしさに、心が押しつぶされそうでした。息子が亡くなって1か月後、わらにもすがる思いで、この自由帳にたどり着きました。この激しい感情を周囲に打ち明けることができず、このブログやわかち合いで出会った遺族の方々とのつながりが、唯一の支えでした。

息子が生きて戻らない限り、私の悲しみが消えることはないのですが、一日一日をなんとか積み重ねる間に、悲しみと寂しさと共存する暮らしに少しずつ慣れてきたのかもしれません。世界の色が変わって見えるような、いつも悲しみを通して外を見ているような感覚があります。

思いもよらない喪失を背負って、これからの人生をどう生きたらいいのか、どうしたら生きていけるのか・・・私もずっと手探りしています。

辛くてたまらない時は、爆発しそうな混乱した気持ちを文字にすることで、少しほっとすることがあります。またいつでもお話を聞かせてくださいね。

そして、菜の花のつたない写真を見てくださって、ありがとうございます。ここ数年は、写真が自分の最強の気晴らしになりました。

しずくさん、どうぞくれぐれもご自愛ください。

 
 
 
Mさんへ (菜の花)
2017-10-16 23:47:02
Mさん、こんばんは。

私が言いたかったのは、穏やかな日々というより、穏やかな時間ですね。私自身も、心穏やかな日々を過ごしているわけではなく、今後もどうなるかわかりません。まだ、私も先は見えないのです。

最初の数年間の激流に押し流されそうな恐怖は、8年目の今は薄らぎましたが、悲しみは常に背中に貼りついています。だからこそ、心穏やかに過ごせる時間があれば、それをしみじみと有難く感じています。

一日に2、3分でも、きれいな夕焼けや青空の白い雲をながめたり、秋風に揺れるコスモスに出会ったり・・・本当にささやかな瞬間に慰められています。私が感じる「穏やかな時間」というのは、そんな日常のひとときです。

当初は、そんな自然からの贈り物に気づく余裕もありませんでしたから、見上げた空を「きれい」と感じられるようになったことは、私なりの小さな変化なのです。

数年間は、ずっと悲嘆の泥沼をぐるぐる這いまわっているという焦りや虚しさがありました。「堂々巡りしているようでも、実は、自分でも気づかないほど少しずつ変化し続けている」と気づいたのは、つい最近のことです。

学校生活、受験、就職、結婚、出産、子育てなど、今までの人生の大なり小なりの挫折や葛藤の経験で培ったレジリエンス(回復力)は、いつかきっと、その人を泥沼から引き揚げてくれます。どうか、ご自分に備わっているレジリエンスを信じてください。

ある程度の歳月を要するのは、やむを得ないことです。どこを探し回っても、この苦しみに即効薬はありません。でも、日々を積み重ねていけば、時薬はきっとMさんを助けてくれます。無理に頑張りすぎて逆に気力を消耗しないように、焦らずにゆっくりと、くれぐれもお大事になさってくださいね。

 
 
 
菜の花さま (M)
2017-10-17 14:20:24
返信ありがとうございます。
私は去年頑張り過ぎたのか最近の方が家にひきこもっています。
焦るとだめとはこういう事なのかなと思ったり。自分の感情のコントロールができず困っています。
生きるのが困難になりました。
もう1人の息子の成長を素直に喜べなくなってしまい、でも、この子のためになんとか生きなきゃ、と地を這う思いで日々過ごしています。
 
 
 
菜の花さんへ (しずく)
2017-10-19 23:56:48
こんばんは。

菜の花さん優しい言葉本当に有り難うございました。

こんなに衝撃的な出来事、経験した人にしか分かるわけないと、心を固く閉ざしてしまっているのですが、分かって下さる方がこのブログにはいて下さることでホットすることができます。

私も、あの日から悲しみを通して世界を見ている感じです。
今まで築いてきた人間関係もこれまでにようにはいかないと思っています。自然に時間の経過と共に戻るのならばそれでよいのかもしれませんが、今は無理な気がしています。友人逹にどんな声かけをされても、なぜか心にすっと入って来ないのです。どうせわからなでしょう、とひねくれてしまった私がいます。

仕事に少しずつ復帰し始めたのですが、亡き子のいない時間を自分が少しずつ進めていく事が、なんともやりきれず虚しく辛いです。息子との時間が当たり前にあると思っていたあの頃、自分がどんなに幸せだったのか今になって痛感しています。

この痛みを抱えた人生に少しずつでも慣れていけるものなのか、手探りし
しながら、先を歩いていらっしゃる菜の花さんたちのように少しずつ息継ぎの仕方を覚え、後をついていかせて頂きたいと思います。

また辛いときには書き込ませて頂きたいです。よろしくお願いします。
 
 
 
跡を追ってはいけない (M)
2017-10-22 21:56:39
長男を失って1年7ヶ月、青天の霹靂で幸せな絶頂から奈落の底に引き摺り下ろされました。同じ人間の人生とは思えないほどの変わりぶりでした。それでも苦しみながら2年近く生きている。跡を追わずにくいとまってる。夫が踏ん張ってくれているから、次男が成長してくれているから。ここで私がしっかりしなきゃうちは崩壊してしまう。それだけは避けなければ。私次第。鬱にやられてしまわないように。人生のハードルを下げて人にどう思われてもいいと開き直り、自分のためでなく家族のために生きる。
 
 
 
寂しいです (こうすけ)
2017-10-23 19:09:18
本日、妻の葬儀が終わりました。
前日の大嵐が嘘みたいに葬儀後は青空が広がっていました。

前向きな気持ちになろうとしてはいますが、どうしても寂しさが沸き上がってきます。

そもそも前向きな気持ちになんてなれるわけが無い気がします。

今まで、なんとも思ってなかった生活は実は最高に幸せなものでした。
もうあの日は戻って来ないです。

妻にとても会いたいです。
私はいつも妻に甘えていたのだと、妻が亡くなって気が付きました。
また妻に甘えたいです。どうしようもなく寂しいです。

 
 
 
こうすけさまへ。 (リク)
2017-10-24 12:20:38
台風の後、まるで用意してくれたような青空でした。
忘れられない空かも知れません。

御葬儀お疲れ様でした。
周りに気を使い、気も張って、今ぽっかり奥様の心に触れてられるのでしょうか。

彼女に置いて行かれた気持ちと彼女を置いて来てしまった気持ちで寂しく苦しいですね。

悲しんで苦しいのはそれだけ一途に今も愛しているからでしょう。

苦しいって、甘えたいって泣いたと言えるのは勇気だと思います。

必ずしも前向きになる必要もないし、今は能力的にも無理ですよね。
どうか彼女と自分の気持ちに大切に寄り添ってあげてください。
 
 
 
フォトエッセイに癒されて (ノクターン)
2017-10-25 01:36:05
菜の花さん、スタッフ様
この冬、あの子がいなくなってしまってからこちらのブログにたどり着き、色々な方々の文章を何度も何度も読み返し一人分かち合いをしています。
悲しいよりも苦しい。
なんで、なんでと泣き叫ぶ。
あり得ないことが起こったのだから、
またあり得ないことが起こるならば、私にあの子を返して、
何度名前を呼んだら返してくれるのですか。
何度呼んでもあの子から返事は来ない。
だから
「明けない夜は無い」という言葉は私に取ってはとてもつらい言葉でした。
菜の花さんにも投げやりに語ったことがありましたね。
今回のフォトエッセイの明けない夜でも色んな夜があるとの言葉は
とても深く私の心に響いてきました。

毎日が暗闇の夜だった私
こちらのブログに出会ってからは嵐の夜、月夜の夜、静かな夜、安らぎの夜
たくさんの夜があると教えてくれました。
私の明けない夜もあの子とともに色んな夜を過ごしてみよう。

いつも素敵なフォトエッセイありがとうございます。
 
 
 
ありがとうございます (菜の花)
2017-10-26 00:25:18
ノクターンさん、こんばんは。

ご自身がお辛い日々を過ごされているのに、温かいコメントを寄せてくださって、私のほうこそ、ぬくもりを頂きました。ありがとうございます。

私の息子も冬に旅立ちました。あの冬、突如、暗闇に投げ込まれ、息子を何とか引き戻そうと必死で手を差し伸べました。「私の命と引き換えに息子を返してください!」と必死で頼みましたが、天も神仏も沈黙したまま。

絶望のあまり、「こんな人生いらない!」と何度叫んだことでしょう。

衝撃、混乱、絶望・・・そのなかで、苦しい夜の道を歩いているのは自分ひとりではないことを知り、皆さんの存在に支えられてきました。

日々を重ねるうちに、暗い夜に目が慣れてきたのか、少しずつ周囲が見渡せるようになり、小さな安らぎやぬくもりの種を見つけては、自己流ですが大切に育てるようになりました。

自分はなぜ生きているのか、自分はどう生きていけばいいのか・・・今も日々、手探りです。むなしさと寂しさに、人生を投げ出したくなる時もあります。

それでも、我が子が私に遺した2つ目の人生ですから、きっと亡き子はいつも私の傍らにいて、私を応援し、時には導いてくれるはず-そんな思いが頭をかすめることもあります。行きつ戻りつの日々を過ごしています。

ノクターンさんの行く手が暗闇で立ちすくむ夜も、どうか足元を照らす月の光がありますように、お祈りしています。どうぞくれぐれもお大事にお過ごしくださいね。

 
 
 
 (みお)
2017-10-29 01:27:31
今年の9/23に弟がナイフで頸部を刺し、自殺企図しました。幸い一命をとりとめ、1週間の入院ののち退院できました。仕事や恋愛、家族のことで悩んでいました。
私が20歳、年子で早生まれの弟が18歳の時、両親が離婚しました。10年近く不仲で喧嘩が絶えず、救急車や警察のお世話になることもあったため、正直ほっとしました。私は大学進学とともに逃げるように家を出て、弟は高校を出てすぐ就職しました。母はすぐに再婚したため、弟は父と暮らしていました。就職後しばらくして一人暮らしをしていましたが、最近また父と祖父母の家に戻って暮らしていました。
入院翌日に弟からの電話があって、自殺企図を知りました。東京の精神科で看護師をして5年になり、ある程度耐性はあるのですが、身内のことはやはり別物で、驚きと申し訳なさと安堵で泣いてしまいました。翌日仕事を休んでお見舞いに行くと、禁飲食を言い渡された弟は、もうやらん。食べたい。ちゃんと戻るから。と約束してくれました。8月に東京に遊びに来てくれた時、スカイツリーと東京タワーの梯子なんてした時、痩せたとは思っていたけれど、今思うと思いつめていたんだなと、気づけなかったことを申し訳なく思いました。父は病院まで連れて行ってくれたから知っているようでしたが、母はまだ知らないようでした。きっと母は父を責めるから、そうすると俺がつらいから言わないで、と弟は言いました。自分が一番つらいのに、周りのことばかり気にする優しい弟です。元気になって一緒にごはんと呑みに行くことを約束し、病院をあとにしました。
それから毎日、連絡をとりました。14日に弟の住む静岡で会う約束もしました。自殺企図は医療費全額自己負担、精神疾患があるとローンが組めない、保険に入れない、薬をずっと飲まないといけない、副作用がつらい…インターネットの正しいとは限らない情報に弟は揺れていました。今は今のことだけ考えて、先のことはゆっくり一緒に。私にできることは何か考えながら、たくさん話しました。ひとりじゃないって伝えたかった。
13日に東京に行ってもいいかと連絡が来ました。職場の歓迎会があったのと、今の弟が一人で遠出することに不安があり、明日会いに行くから静岡で会おうと伝えました。弟は了承し、14日に会いに行きました。車で駅まで迎えに来てくれて、一緒に昼食をとりました。弟も私も好きなさわやかというお店で、もりもり食べていました。ランチのドリンクがついていて、退院祝いに乾杯しました。ご馳走するつもりでしたが、心配掛けたからと弟がおごってくれました。風邪をひいた母のお見舞いに行って、祖父母の顔を見に行きました。心配をかけまいと気丈に振る舞い、最後まで自殺企図の話はしませんでした。またね、と握手をし、駅まで送ってくれました。

18日から連絡がとれなくなり、23日に弟が亡くなったと連絡がありました。その間も毎日連絡を入れ、不安に思い、20日に母に伝え、安否確認をお願いした矢先でした。父の連絡先を知らず、父が弟の携帯電話から連絡をくれました。声が似ていて、弟の悪い冗談かと思いました。公園の並木で縊首だったそうです。18日が命日で、その後台風も来ており、23日に見つかった弟は半腐乱状態と死体検案書にありました。17日に繰り返しそうになった、どうでもよくなって受診できなかった、とSOSを弟はあんなに出してくれたのに。無力さを痛感しました。
この辺りの詳細はまだ書ききれないのですが…夜勤直前で交替のお願いできず、仕事に向かいました。過量服薬後に飛び降りようとした自傷の恐れがある方が、警察官経由の23条通報で入院されました。生きていてよかったと思いつつ、なぜ弟は見つけてもらえなかったんだろうと、気持ちが整理できませんでした。

弟のために初めて喪服を買い、25日にお通夜、26日に告別式を終えました。久しぶりに父や祖父母に会いました。こんなことがなければ一生会わなかったかもしれません。それでも、こんな形じゃなくて、できるなら弟の結婚式とかで会いたかったと、やるせなく思いました。
弟のきれいな寝顔も、頬の冷たさも、骨の白さも軽さも小ささも、忘れられません。27日に弟の車を引き取り、亡くなった場所と状況を確認しましたが、まだ夢のようです。少しでも休まなきゃと横になり、目を覚ますたびに現実味を思い知り、消えたくなります。
精神科で看護師なんかしているのに、大切な弟はひとり、救えませんでした。救うなんて、おこがましいですが、もっと早く母に相談したり、父の連絡先を探したり、もっと言えば、私があの家から逃げ出さなければ、嫌われてもいいから、無理矢理入院させていたら…後悔は尽きません。
親友が、家族と患者さんは違う。当事者だから、客観的に見られなくて当たり前。主観でぐちゃぐちゃになるくらい、どうしようもなく家族だった。と言ってくれました。少しだけ救われる思いでしたが、月曜からの勤務が、今はとてもこわいです。もちろん気持ちの整理はできず、同じような境遇の方と接することが恐ろしい。私なんかが関わってよいのだろうかと…。
元々11月からの精神科内の異動を言い渡されており、これから環境が変わる所です。それでも、やはりこわい。前に進まなきゃと思いつつ、私も同じ道を歩みそうでこわいです。
ひとりにするのが申し訳なくて、弟が亡くなった場所と状況をすぐに確認に行ったのは、そこで死ぬためでした。しかし、葬儀での両親、祖父母、200名近くの人が涙している姿をみて、弟が愛されていることを再確認し、こんな思いをまた両親にさせてはいけないと思いとどまりました。
仕事を休ませて頂き、連絡がとれず心配してくださる方がいることも知りました。誰にも心配や迷惑を掛けずに死ぬことはできない。そんなことを思いながら、ずっとは無理で、両親より長生きするなんて言ってしまったけれど、せめて四十九日までは、と思っています。納骨して御墓参りできるまでは。弟はそんなことしても喜ばない、と言ってくれる方もいますが、私は弟に会いたくてしかたありません。生きなきゃ、死にたい、とぐるぐるしています。ひとりじゃない、と言い聞かせても、アパートにひとりで、会いたくても会えない人ばかり。弟も、人の中にいるあたたかさを知ったからこそ、ふっと孤独を感じてしまったのだろうかとぼんやり思います。
弟の亡くなった場所は、小さな頃一緒に遊んだところで、木は高く、登れるような足場はありませんでした。昔から、異様に運動神経のよかった弟を恨めしく思ってしまいました。登らなければ、枝が折れたら…クルマには椎名林檎のギプスがかかっていました。さみしい歌でした。
弟の戒名は慈光将雲信士と言うそうです。まだ25歳です。慈光はあまりに若くして亡くなった方に菩薩のご加護があるように、雲は形を変えることから悟りを意味すると教えてくださいました。空を見上げ、雲を見るたび弟を思います。今は、何をしていても弟のことばかりですが。会いたくてたまりません。今日もまた寝て、覚めて思い知るのが、こわいです。
 
 
 
みお様へ。 (リク)
2017-10-29 16:06:54
はじめまして。
みずべの集い、スタッフのリクと申します。6年半前にパートナーを縊死で亡くしました。

ご投稿の緻密さに今のあなたの心から溢れるほどの「思い」の多さと、それを整理しなければ、との「意志」が現れて胸が詰まりました。

今まで何度か弟さんを救う機会があったはずなのに、それが出来なかった。
手を差し伸べてはいたけれど何故もっと長く伸ばさかったのかと後悔されているのですね。
精神科の知識もあるだけに、より責任も感じておられるのかも知れません。

直接のショックとアイデンティティーの揺らぎと弟さんに会いたい一心とで、あなたも後を追おうとされたのですね。

会いたいですよね。
何よりも会って声を聞きたい、顔を見たい、手に触れたい。

私も誉められたことではないのでしょうが何度も試してしまいました。寂しがりやの彼女のそばへ行ってやりたかった。
でも結局かないませんでした。
とても莫大なエネルギーが必要なことで、こんな困難なことをあの人はやり遂げたのか、このハードルを越えるほどの苦しみの中にいたのかと思い知りました。
そしてその大きな苦しみに耐えていた彼女の強さも今は誇りに思います。

「主観でぐちゃぐちゃになる位どうしても家族だった」とご友人に言われて気付かれておられるように、客観性も求められる職場で、この混乱に対処することに不安も感じてられるのですね。
少しだけ時間と新たな気づきが必要なのかも知れませんね。
可能な限り体と心を休めることは出来ませんか?

弟さんの戒名の「雲」は悟りを表すものと教えていただいたのですね。
「雲」は同時に必ず姿を変えていく諸行無常の例えにも良く使われます。どんな喜びも「悲しみ」もそのままの状態ではあり得ない。必ず変化していくもの。ずっと見続けていれば形が変わっていくのが分かります。やがて流れ去り、その後に清らかな月が現れます。
それを悟りと言います。
200人もの参列者のあった弟さんはきっと清らかな心の芯をお持ちだったのでしょうね。

後悔、不安、恐れ、愛すること、怒り、弟さんがどんな方だったか、ご自身の現状、整理の為、ただ吐き出す為、どんなことでもかまいません。また御投稿ください。生々しい描写でなければ何でも、誰にも話せないことでもここなら安全に語っていただけます。
待っております。
 
 
 
みお様 (まる)
2017-10-29 20:40:30
みおさん
みおさんのコメントに2年前の自分が重なり、コメントをしました。私も弟を亡くしました。本当に苦しいですよね、つらいですよね。会いたいですよね、助けてあげられなくて悔しいですよね。あの時電話をすればよかった、会いに行けばよかった、もっと、もっと、もっと・・・今でも後悔ばかりです。仕事は手につかず、夜は眠れず、朝から晩まで自死遺族の方のブログをむさぼるようにみたり、自死に関する本を読みあさり、それでも気持ちがおさまることはありませんでした。本当に苦しくて苦しくて、どうしたらいいか分からなかい毎日でした。みおさんのコメントを読ませていただいて、みおさんは弟さんにやさしく寄り添ってあげていられたと思います。弟さんはどんなにか、うれしかったと思います。それなのに本当に悲しいですね。今は心が休まることはないと思いますが、少しだけでも体を休めたり、タイトルに書かれている、雲を眺めたり、みおさんの心が少しでも休まることを願っています。
 
 
 
リク様 (みお)
2017-11-03 02:46:24
リク様、コメントありがとうございます。すぐにお返事できずすみません。
私のまとまらない文章からさまざまな思いを汲み取ってくださり、自分はこんな気持ちでいたのかと感じられました。

一度職場に行ったものの、自殺した婚約者の後追い未遂の方が入院されており、その後、異動の挨拶(その日は弟がいなくなってから初の出勤日でしたが、私の最後の出勤日でした)を求められたのですが、もう心がバラバラになったような思いで、まとまらないまま何かを話し、スタッフが散るとともにトイレに駆け込んでしまいました。
患者さんが自分たちとだぶり、また、自分がこのタイミングで集団から切り離されることに孤独と不安を感じました。弟が行動化したのが転職直後だったというのもあり、いろいろと自分の中で重なってしまったのだと思います。

トイレの中で泣いてしまい、心配した上司や同僚が話を聴いてくれました。しかし、もうどうしたらよいかわからず、とても業務ができる状態ではありませんでした。簡単な薬のセットや電話対応しかできず、とても患者さんの対応はできませんでした。眠れず、食事も満足にとれず、弟のところへ行きたいという思いが滲み出ていたのだと思います。そのまま医師の診察を勧められ、睡眠薬と安定剤の頓服を処方されました。
ありがたいことなのに、どうして弟はあんなに苦しんだのに、私にはすぐに救いの手が差し伸べられてしまうのだろうと、自分の恵まれた状況がかえって許せませんでした。同僚が食事に誘ってくれ、食事を摂るもののすぐに下痢と嘔気。吐くことはできませんでしたが、食事をとっていいのかと罪悪感…。弟はそんなことをいう子ではないのに…。家に帰って手を合わせ、床に就きました。結局、薬は飲めませんでした。それでも、職場に行き、人と話してエネルギーを使ったためか、幾分休むことができました。明け方、突然足の方から部屋のクローゼットへと吸い込まれる感覚がしました。必死に何か掴もうとし、思わず弟の名前を叫んでいました。すると、体の上に何か乗ったような金縛りのような状態となり、吸い込まれずにすみました。今思うと夢なのですが、とてもリアルでした。吸い込まれたら、死ねたのだろうかと、ぼんやり思いました。でも、私はそれが怖く、必死でした。弟はもっと恐ろしい思いをしただろうにと思いつつ、あの重みは弟が助けてくれたのだろうか、と都合よく思いました。
朝、母から電話があり、白装束の人に連れていかれそうになったところ、母の腕を掴んで行かぬようにと止めてくれた人がいたという夢の話を聞きました。似た者親子ですが、弟が助けようとしてくれたのではないかと思ったそうです。

仕事は、5日までお休みを頂けました。6日からは新しい職場に異動します。不安しかありませんが、人と会い、話し、少しずつ食事と睡眠がとれるようになってきました。夜になると自責の念は止まりませんが、笑える時間や、弟に手紙を書きながら幸せな時間を思い出すことも、できるようになってきました。そのすべてに、まだ罪悪感を抱いてしまうのですが、少しずつ、前に進めているのではないかと思います。つらいけれど、この痛みはきっと生きているからこそ。気持ちはゆらゆら、地に足がつく感覚が思い出せませんが、まだここにいていいのかな、と少し思えるようになりました。
 
 
 
まる様 (みお)
2017-11-03 03:16:38
まる様、コメントありがとうございます。すぐにお返事できず、申し訳ありません。
まる様の経験をお話頂いたのですが、自分自身の思いとあまりに重なり、まるで自分の経験のようでした。弟にもっとできることがあったのに、気づけたはずなのに…そんな思いは止みません。

これからの法事のために、家族のライングループを作ってほしいと、母に言われました。父、母を招待し、少し迷って弟を招待しました。父が弟の携帯電話を持っており、弟を参加にし、既読もつけてくれました。自己満足でしかないのですが、なんだかほっとしました。
弟がいなくなった時、父は私のところへ弟が行ったと思っていたそうです。入院でもして、だから連絡がとれないのだと。私は、実家でなんとかやっていると思っていました。母は、弟が自殺未遂をしたことも知りませんでした。
もし、このライングループがもっと早くあれば。離婚した後、離れ離れに暮らした後も、ちゃんと家族の絆があれば…。弟が繋いでくれたこの繋がりを大切にしたいのに、私には忘れられない記憶があります。
両親が口論となり、父が母を何度も殴りました。母の左耳は鼓膜が破れ聞こえなくなり、右耳も人混みではよく聞こえなくなってしまいました。頭を棒で殴り、階段の下まで伝うほどの血が流れました。救急車を呼んで病院に行く際、父はそんなやつ捨てろと、救急隊の方に言いました。1人で付き添い、病院で縫合を終え、吐き気に苦しむ母と帰宅すると、階段には固まりかけた血がそのままになっており、父は眠っていました。
泣きじゃくる母に夜中に起こされ、産まなきゃよかった、あいつ(父親)に似た顔も仕草もむかつく、子供は要らないからひとりにさせて、と言われました。離婚してすぐ、母は再婚しました。
大人になり、2人はそれほどまでにつらかったのだろう、と自分に言い聞かせてきました。それぞれの人生だから、仕方ないと。弟の葬儀で、離れて住んでいた2人と会い、弟の前だから、と言い聞かせ、なるべく良い娘を演じましたが、涙しながらも幸せな思い出ばかりを語る2人に、違和感が拭えませんでした。いやな娘です。
弟と殴り合いの喧嘩をしたこともありました。怪我をさせたことも。反抗期で口を聞いてくれなかったこともあります。それでも、仲直りをし、成人する頃には、とても仲の良い姉弟でした。私たちが暮らしていた家はもう売却されてしまいましたが、弟は姉の帰る場所がなくなる、とそこにしばらく残ろうとしてくれました。そして、なくなってしまった後は、そのことを詫びていました。

家族で仲良くしたい。でも、もうそこに弟はいてくれない。タイムマシンがあればいいのに。どうして、あんなに優しい弟ではなく、私が生きているのだろう。そんなこと考えてもどうにもならないのに、そんなことばかり、考えてしまいます。
少しずつ晴れた空は広がっていくのに、曇り空に縋りたくなってしまいます。

私も自死遺族のブログを読んだり、分かち合いの会への参加を考えたり、人に話したり、空を見上げて、日々を過ごしています。仕事はまだ行けていません。まる様は、どのようにして2年余を過ごされたのでしょう。何か癒しを得られるものはあったのでしょうか。私にはまだ、これからがよく見えません。またお話を聴かせて頂けるとありがたいです。長々と乱文すみません。
 
 
 
みお様 (まる)
2017-11-04 10:37:23
みおさんのメッセージは本当に自分のことようです。私も弟ではなく、私がいなくなった方が良かったのにと思っていました。死というものがとても身近にも感じました。でも思うだけで、実行はできませんでした。それほどまでに弟は追い詰められていたのかと思うと、今でも、本当にせつなくなります。私も仕事をしており、仕事ができる気持ちではなかったので、やめてしまいたかったのですが、生活のためには仕事はやめられず、這うようにして出勤していました。カレンダーを一日一日塗りつぶしていくような日々でした。今日が終わった、やっと木曜日・・・一日一日が本当に長く長く感じました。弟が亡くなって、夜は眠られず、眠っても悪い夢にうなされて、疲れていても全然休まることはなく、仕事にはいかなければ行けないし、とどんどん追い詰められて、とにかく眠るだけでもと思い、近くの病院に行って、もし理由を聞かれたらと不安もあり、思い切って精神科のクリニックを受診してお薬をもらいました。医師に死にたいと思いますか?と聞かれて、気持ちを見透かされてドキッとした思い出があります。うつのお薬と不安を抑えるお薬をもらいました。現在も通院をしていますが、今は眠れない時に飲んでみてもいいし、飲まなくてもいいし程度のお薬だけまでに落ち着いて?いるようです。弟が亡くなって、しばらくしてから、話をした友人に、少し仕事を休んでも良かったのかもしれないねと言われて、頑張らなくちゃ!弟に申し訳ない!という気持ちでいっぱいだったあの頃は、休むということは思いつきませんでしたが、今になって思うとそういう選択があっても良かったのかなと思います。みおさんが仕事を今休まれていることは、必要なことなのではないかなぁと思っています。ただ、うまく言えないのですが、お薬を飲んでも、何かをしても悲しみが消えることはありませんでした。ただただ、もがき苦しみながら時間が経って、針の山を素足で上っているような、鋭い痛みが、今は少し和らいでいるかなぁという程度です。あの日を境に、前のようには決して戻れないんだなぁとつくづく感じているところです。こちらの会を運営してくださっている皆さんが、ブログ等で、亡くなったその人を愛しているから悲しい、愛しいと書いて悲しいとも読むんだよ、悲しみもまたわたしのものとよく書かれている言葉にずいぶん助けられました。悲しいのも苦しいのも、悔しいのもすべて、亡くなった方のことを愛していたからなのだと思います。そう思うと自分を責めることばかりではないのかもしれないと少しだけ思えるようになってきています。みおさんに、これをするとよかったよと何かいいことをご提案することはできませんが、こんな人もいるんだと思っていただければ、幸いです。どうぞ無理をされないでくださいね。
 
 
 
思い十字架 (ももんが)
2017-11-15 11:41:08
こちらの集いをつい最近知った者です。
私は今から15年以上前に両親のどちらかを自死で亡くしました。
その時に初めて”絶望する”ということがどんなことなのか理解できました。
人生に絶望するということはどれだけ恐ろしいことか。
それ以来 生きていても心の底から楽しいと思えることができなくなりました。生きることがこんなにもしんどいのかと常に思っています。
自分は何のために生まれてきたのか? 生まれてきたくなかったと思うこともしばしばあります。
なぜ助けてあげることができなかったのか? もっとどこかに救いの手を求めてもよかったのではないのか? 八方塞がりだったのではないか?など考えることもありますが、これも宿命だったのではないのかと思っています。
今まで誰にも話せず、話さずきましたが、人に聞かれるたびに嘘をつかざるをえなかった自分が本当に苦しく、他人が本当に鬱陶しく感じられることが多かったです。基本的に他人は信用できなくなりました。
でもかといって、自分を信用できるかと聞かれれば、それも自信がありません。
なぜ真面目に必死に生きていた人が自らの命を絶たなければならなかったのか、今でも悔やまれます。
最近は年のせいか、生きていたくない、いつあの世にいっても悔いはない、早くあの世に行けたらどれだけ楽だろうかと考えることが多くなりました。
生き地獄を経験した身としては、人の人生は産まれながらにして決まっているのか?と思わざるを得ません。
なんだかとりとめのない文章ですみません。
 
 
 
タイトルミスです。 (ももんが)
2017-11-15 11:42:02
上の書き込みですが、ミスです。すみません。

重い十字架です。
 
 
 
ももんが様へ。 (リク)
2017-11-16 20:34:18
はじめまして。
みずべの集いのスタッフをさせていただいている リクと申します。
私も妻を7年前に自死で亡くし当時16だった娘がおります。
ですから ももんが様の呻きが勝手ながら娘の声のように聞こえました。

ご両親様はきっと一所懸命、力の限り貴方を慈しみ育まれたのでしょうね。
だからこそこんなに不条理に苦しんでこられたのでしょう。

誰にも本当のことを話せず、嘘をつかねばならない場面にも一人で耐え
他人も自分も受け入れられず
信じられず石のような絶望を胸に抱えてここまで歩いてこられたのですね。
15年。よく耐えてこられました。
これだけでも、ご両親にも世界にも誇ってよいことではないでしょうか?

とりとめのない言葉をここに、もっと書き込んでみてください。
ももんが様が生きるもの死せるもの様々な繋がりに、ひとつずつ気がついていけることを私は心から願います。
 
 
 
生きているだけ (M)
2017-11-21 12:38:55
毎日最低限の家事をして、薬を飲んですぐベッドに潜り込んでしまいます。こんなことではだめだなと思いつつなすすべがなく困ります。
みなさんはどう過ごされていますか。
 
 
 
秋の空 (かか)
2017-11-22 19:23:32
2014年8月に25歳の次男が旅立ちました。全く理由がわからない。でもはっきりした理由がなくても死にたくなるんだと、座間の事件でしりました。私もこの一年気分の上がり下がりが激しいし、下がっている時間が長くなっているような気がします。秋の夕焼けをみるとすごくおちつきます。
 
 
 
秋の空 (かか)
2017-11-22 19:24:14
2014年8月に25歳の次男が旅立ちました。全く理由がわからない。でもはっきりした理由がなくても死にたくなるんだと、座間の事件でしりました。私もこの一年気分の上がり下がりが激しいし、下がっている時間が長くなっているような気がします。秋の夕焼けをみるとすごくおちつきます。
 
 
 
秋の空 (かか)
2017-11-22 19:24:14
2014年8月に25歳の次男が旅立ちました。全く理由がわからない。でもはっきりした理由がなくても死にたくなるんだと、座間の事件でしりました。私もこの一年気分の上がり下がりが激しいし、下がっている時間が長くなっているような気がします。秋の夕焼けをみるとすごくおちつきます。
 
 
 
リクさまへ、 (ももんが)
2017-11-23 11:34:09
リクさま

 ご丁寧で暖かなメッセージをありがとうございます。

奥様を亡くされたとのこと、さぞかし大変な日々をお過ごしだったと思います。こればかりは経験した者にしかわからない辛さ、苦しみだと思います。

リクさま、ひとつ伺いたいのですが、お嬢様も成長され、夫もいる平凡で幸せな家庭であったと思われるのですが、奥様はなぜ自らの命を絶ってしまわれたのでしょうか? こんなことを伺って本当に申し訳ないのですが、我が家の親の場合はさまざまな要因、問題を抱えておりました。また別の機会にリクさまにお話できればと思いますが。

もし差し支えなければ、教えていただけるとありがたいです。でも こればかりはかなりプライベートな部分であり、誰にも話したくないかもしれませんので、その場合はどうかこの書き込みは無視してくださって構いません。

ふと思ったのですが、いつかここにいる何人かでどこかでゆっくりと会って、お食事やお茶でもしながら語り合えるといいですね。

 
 
 
お願い (ノクターン)
2017-11-23 21:06:44
経験した遺族にとって苦しみ、悲しみはわかりあえるこの場所で
具体的な質問は自分に突き付けられているようで
目にした時にとてもとても苦しくなりました。

コこちらに来て、辛い日々を過ごしていらっしゃる様子を、一生懸命書き込んでくださる方々と一人分かち合いをしていました。
乗り切れない悲しみ、苦しみですがわかってくれる人がいる。

やり過ごし方や心を揺るがす地雷を踏んでしまった経験も私には大切な自由帳の場所。
凄く落ち込んだことも、投げやりに生活したり、ただ、ただ息をしている私の様に過ごす方もみんな、みんな一緒に抱きあいたいと思いながら読んでいましたが、
個人的にプライベートな質問をされると
自分に突き付けられているようで悲しみが深くなります。

お願いだから察して欲しい。
 
 
 
私の書き込みを削除お願いします。 (ももんが)
2017-11-23 23:07:53
なんだか私の書き込みで傷つけてしまった方がいらしたようなので、
大変申し訳ありませんが、すべて削除お願いします。

本当に申し訳ございませんでした。
前回の書き込みと今回の書き込みの両方共削除お願いします。
リクさん ご迷惑をおかけいたしました。すみませんでした。
 
 
 
ももんが様。ノクターン様へ。 (リク)
2017-11-24 15:07:49
ノクターン様。
未だ傷も癒えず又感受性の高い方なのだと御察しいたします。ですから私のこの後に続く投稿、お気に障られる投稿はどうか流して御目に止められないことをお願い申し上げます。

ももんが様。
私見ではありますがここでは生々しい描写を避け、思いやる気持ちさえあれば、なるべく心の内をさらけ出せる場所であって欲しいと考えています。
ですから、ももんが様の質問は妥当ですし疑問は自然なことです。
また私自身も大事な人のことを語れることは私にとっての恵みでもあるのです。

以下。ももんが様の質問「何故愛する子も連れ合いもあり、それなりに満たされてもいた彼女が死を選んだのか?」にお答えさせてください。

学生時代に知り合った彼女とは19年間共に暮らしました。ノロケではないですがとても感性が豊かで生き生きとして聡明でもあったので口喧嘩ひとつしたことがありませんでした。価値観や使う言葉の概念が等しいこともあってお互い24時間そばにいたい語り合いたいと思い、今もそれは変わらないです。

ところが娘が5歳の時、最初の鬱病が発症しました。以来12年大きな波小さな波に揉まれながら何度も未遂を重ねました。
原因は子育てや周囲との軋轢、自由業である私の高低さの激しい経済状況、又彼女の父親との確執等、何れかひとつとは断定できないものです。生まれ持った虚無感(これも僕と同質です)も関係したかも知れません。

けれど彼女はとても頑張りました。
頑張って頑張って…その最後の一日があの日だったと思っています。
ずっと側で見て来ましたから、あんな辛い思いに耐えていた彼女の頑張りは僕の「誇り」です。

最後の数ヶ月は少し好転していました。背伸びした娘の進学も決まり、寮に入って手を離れた空隙もありました。僕の心身の不調もありました。自身の病や老いへの怖れもありました。僕も鬱病は好転の際が一番危ないと知っていたのに気の弛みもありました。
無数の要因遠因が考えられ何度も何度も仮定-IFについても考えてしまいました。
ももんが様もそれは同じではありませんか?
何十回も何百回も…
答えは出ません。あえて言えば鬱という病にころされたとしか言い様はないかも知れません。それでも何度も考えてあげていいと思っています。
大事に丁寧に扱っています。
激しくその度に胸が抉られることも今は少なくなってきました。
思いつくままに綴ってしまいましたがもっと何か聞きたいことや、ももんが様は何を考えてきて今何を感じているのかお返事がいただけたら嬉しいです。

最後にももんが様の「皆でお茶や食事をしながら語り合えたら」というご提案。
実はここ東京の「みずべの集い」では月に一度「わかち合いの会」で正にその出会う場を作っています。
もし御都合と気力がおありでしたら、ふらっとお立ち寄りください。
又もしも、ももんが様が遠方でしたら全国に「わかち合いの会」がございますから足を向けられることを是非お薦めいたします。
 
 
 
追記 (リク)
2017-11-24 15:12:14
いい忘れました。
ももんが様の先のご投稿は削除する必要もないものと考えます。
 
 
 
リクさま ありがとうございます。 (ももんが)
2017-11-25 16:25:07
リクさま

 この度はご迷惑をお掛けしましたことお詫びいたします。

あまり人には話したくはないであろう内容をお話いただき感謝しております。それと同時に、再び疑問が沸き起こっております。

そんなにも仲睦まじいご夫婦であり、かわいいお子さんもいらした、側から見たら実に平和で幸せなご家庭であったであろうと思います。

ご夫婦の会話もきちんとできていて、長年連れ添っていたご夫婦、でも最後には奥様は旅立ってしまわれた、、なんだか納得がいきません。

確かに、要因は複合的にあるのかもしれませんね。我が家の親もそうでした。理由はいくつもあり、もう複雑すぎてどうにもならないような状態でした。助けてあげられなかったことが本当に無念でなりません。なぜ必死に生きていた人が最後あのような形で旅立たなければいけなかったのか?理解に苦しみます。

夫婦仲が良くても、お子さんがいらしても、それでもどうにもならなかった、、本当に無念でいらしたと思います。

我が家のケースは本当に大変な状態でした。また別の機会にゆっくりとお話したいと思いますが。

年間30,000人ぐらいの人が自らの命を絶っています。この数字は異常としか言いようがありません。

最近思うのですが、孤独こそが本当の幸せなのではないか?ということです。

私には心底信頼できる人もいなければ、信用できる人もいません。
誰一人として信用できません。

でも孤独に慣れてしまうと、孤独こそが真の幸せなのではないかと最近思うようになりました。

なんだかわけのわからないことを書いてしまいましたが、都内での集まりにも参加できたらいいなと思っています。

本当に残された家族、身内は苦しみます。生きている限り解放されることはありません。

また別の日にいろいろと書かせていただければと思います。

取り急ぎお礼を申し上げたいと思います。

まだまだお子様も若く、これからの人生があります。
どうかリクさまもこれからの人生がより良いものになりますように、
そして気持ちの軽くなる日が来ますように祈っております。

 
 
 
月は隈なきをのみ見るものかは… (リク)
2017-12-06 21:23:38
十八日の月を見ながら帰途に寄ったスーパーには正月の食材が並んでいました。通りの雑貨屋にはX'masの飾り。
年末年始に街は浮わついて華やいで…
意地でも何事もないように過ごそう!という気持ちと何かやってみようかな?という気持ちで心が引っ張られて その隙間に落ちていくようです。

明日はまた妻の誕生日。
吉祥寺でバースデーデートをしてから7年も経ってしまいました。
夕陽に濡れた公園の露店で買った猫のペンダントとスワロフスキーのピアス。
「こんなのでいいの?」
「ここで、これで祝って欲しいの♪」
一月余り後、よく晴れた冬の日のと
ても強い北風にさらわれるように彼女がいなくなった時、着けていたのがそのペンダントとピアスでした。
普段きつい派手な顔立ちを気にして化粧気のない彼女がとても念入りに健気にメークをしていて見つけた時に僕はとても美しく感じました。
一番幸福だった頃の満月のような光でなくても十分だったのに。生きていた時とは全く形が違ってしまったけど今も彼女は美しい。

ひとりで6回目のお祝いはどうしよう?
これまで通り好きだった花とスイーツを買って帰ってきたら
ギターで二人のお気に入りの歌を何時間も歌おう。
 
 
 
お子さんを亡くされた方へ (M)
2017-12-07 17:51:58
仕事ができないのでずっと家に引きこもっています。秋頃までは趣味の教室に通ったり多少無理すれば外出できたのですが、今はゴミ出しもやっと。買物も行かれません。自分がこの先どうなってしまうのか、とても不安です。悲しみとはまた別の怖さと孤独に襲われています。
病院には通って薬も飲んでいるのですが、それがいけないという説もありますよね。なんとかしたい気持ちはあり、行動もしてきたのですが、ここに来てまた身動きとれなくなってしまいました。
子供さんを亡くされた方、どうやって悲しみと向き合っておられるか教えて頂けませんか。
 
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