自死遺族とうきょう自助グループ みずべの集い
大切な人を自死で亡くされた方へ。
私たちは自死遺族だけで、わかちあいの会を運営しています。
 



「江戸初期、キリシタン弾圧下の長崎。
棄教したとされる師を追って日本にたどり着いた宣教師。
激しい弾圧で消えていく命を目のあたりにし、信念が揺らぐ。
なぜ弱き我らが苦しむのか。」と初公開前の新聞広告で紹介された映画「沈黙」。
遠藤周作の原作を構想から完成までに28年の歳月を注いでスコセッシ監督が映画化した作品の公開を私は首を長くして待っていた。
ある新聞では
「なぜ神は沈黙しているのか。宣教師は激しい葛藤の末、信仰とは表面的な言動ではなく、ただ一人一人の心の中に根ざすものであることを悟る。その時にかれが選ぶ決断に静かな感動がある」「人間の弱さを象徴するキチジローを演じた窪塚の存在も際立っている」と紹介されていた。

封切り直後に観た感想は一言でいうなら深い余韻と揺れる感情。
拷問に苦しむ隠れキリシタンの姿に耐えきれず、ついに転びバテレンとなる神父の内面をモノローグ(独白)で深く掘り下げた「沈黙」は、隠れキリシタンが重要な背景になっている。弾圧の度に何度も簡単に信仰を捨てる(ころぶ)キチジローを好演したのは窪塚洋介。重要な役目を演じた彼は、高層階からの転落事故にもかかわらず奇蹟的に命が助かった幸運の人との印象が私には強い。窪塚さんは今こんなにも元気で彼にしか出来ない演技をし、彼ならではの世界を作っている。一方、息子のMは助かることはなかった。あの日の一瞬の決断と行動で命は消えた。この違いは何なんだろう。それなりに落ち着いてきている気持ちが微妙に揺れる。窪塚さんの幸運が羨ましい。
生きていて欲しかったとの思いはなくなりはしない。
けれど、私には想像もつかないほどの苦悩から今は解放されたのだ。
親ならば彼を愛しているのならば、痛みを伴っても受け止めるしかないのではと、自分に言い聞かせ、揺れる心をなだめる。
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