哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

この人に訊け!(週刊ポスト2005年10月7日号)

2014-06-09 02:30:00 | 時事
今回の書評対象は、大峯顕著『宗教の授業』であった。実はこの書評をきっかけにして、あの『君自身に還れ 知と信を巡る対話』という、大峯氏と池田晶子さんの対談本が企画されたそうだ。そして初版の『君自身に還れ』が出版されたとき、池田晶子さんのあとがきの日付は、2007年3月になっていたが、その前月に池田晶子さんは亡くなった(後の版では2007年2月に訂正されていたように思う)。

対談本が企画されるだけあって、この書評は対象の本を全面的に肯定した内容になっている。端的に言えば、“宗教に走る”という形でいかがわしく思われるような「信じる」宗教ではなく、根源に哲学的反省を持つような「気がつく」宗教に変わってゆく、というような言い方をしている。以下に書評の文章を少し引用してみよう。


「おそらく、従来の宗教がとってきた、超越的なものを「信じる」という意識の形態が、もう無理なのだ。人はそんなものを「信じられない」。人生とは自分が生まれて死ぬまでの一定期間のことであり、自分とは自分以外の何ものでもないと思い込んでいるからだ。しかし、ふと気がついていれば、自分が生まれ、自分が死ぬというこのこと自体は、自分の意志を超えている。すなわち「超越的」事態なのである。それならば、超越的なものは、「内在する」。神仏を外に求める必要などない。神仏は、自分の内に、自分を超えて、あるいは自分そのものとして、今まさに存在している。」


そうすると「気がつく」宗教とは、哲学と同じ次元となっていくことになる。ここでいう哲学も、アカデミズムとは異なる、池田さんが本当の意味で言う哲学のことである。

このあたりの話はむしろ上で紹介した『君自身に還れ』を読めば、より面白く、そして深く知ることができると思う。この本は事実上、池田晶子さんの遺作と言っていいだろうし。