18 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 う~~ん? (yummy) 2007-03-01 21:50:03 はじめまして。家にあった週刊新潮をパラパラめくり何気なく読んだ『人間自身-189-』でしたが、あまりの読後感の悪さに『池田晶子って誰だっけ?』と思わずググってしまいました。(毛皮のジャンパーの下りでベルバラの池田理代子を連想してしまいました)「え?あの『14歳からの哲学』の人なの?」って軽くショックを受けモヤモヤした気持ちを抱えたままこのブログにたどり着いたのですが、このブログの記事を読んでも、私とは全く観点が違っているようで・・・「14歳からの哲学」を読んだ時もチラッとかんじましたが、今回の「人間自身」を読んで、この池田晶子という人は喩えの表し方のセンスが無い人だと確信しました。言葉遊びで当たり前の事をもっともらしく語るのも良いでしょうが、人として一番大事な何かが欠落している者が何を語ろうとも、それは薄っぺらなものでしかないなと思うのですが、ファンの方のブログに突然やってきてこんな事を書くのはマナーに反してるのかしら?いくらファンであっても、いや、ファンであるからこそ、あの文章に書かれた内容を読んで前段の池田晶子の哲学講談のみへのコメントだけで良いんだろうか?って私は疑問に思いますけどね。 返信する Unknown (mame) 2007-03-02 18:13:35 亡くなられたそうです。ご冥福をお祈りします。 返信する Unknown (k) 2007-03-03 02:57:28 亡くなられたのは本当のようですね。悔しいけど仕方ないのですね。 返信する Unknown (井村辰二郎) 2007-03-03 08:56:17 ご冥福をお祈り申し上げます。 返信する Unknown (B) 2007-03-03 09:59:45 ご冥福をお祈りいたします。 返信する Unknown (H.O.) 2007-03-03 11:11:48 管理人様はじめまして。池田晶子さんの言葉を愛する者として、ブログを楽しみに拝見させていただいていました。今朝、新聞で池田さんに訃報に接して、心が凍り付いてしまったようです。そして、プラトンの言葉が心に浮かんできました。「哲学をするということは、肉体を避け、自分自身に集中すること。この練習こそが正しく哲学するというここと。それは、真実に平然と死ぬことを練習することに他ならない。」きっと、池田さんも、最後の最後まで、この言葉が頭ら離れなかったのではないでしょうか。いや、きっと、ソクラテスのように、悲しむ周りの人たちを、嗜め諭していたことでしょう。池田晶子さんの言葉に出会えたことは、私の人生の中でも、とても大きなことでした。その言葉たちは、新しい古典として、残っていくことでしょう。私たちは、古典が、歴史が、生まれる時間を共有したのかもしれません。管理人さん、これからも、お互い、深く深く、考え続けていきましょうね。 返信する Unknown (Unknown) 2007-03-03 19:55:29 読売新聞によれば、3月8日発売分の「人間自身」が最終回のようです。 返信する Unknown (rainywoods) 2007-03-03 20:18:02 はじめまして ありがたいHPです。先生の訃報は今朝知りました。皆さんとともに ご冥福をお祈りします。でも、わたしのご冥福なんて どうでもいいからこれをきっかけに あなたも自分でもっと考えたらとか おっしゃりそうです。がん についての考察も多かったですね。「さよならソクラテス」ではソクラテスにこんなことを言わせていた。人は必ず死ぬね。がんであろうとなかろうと。だったら がんと死とは 関係がないね。ご自分の訃報記事、「がんのため亡くなって」にはだからー ちがうんだってばさー とおおいに 苦笑されているかも。 どの御著者でしたか 愛犬と一緒にうつっている写真がありましたね。どの本だったかなー。また 永遠のロゴスのなかで おめにかかりたい。 返信する Unknown (Unknown) 2007-03-03 20:48:31 rainywoods様愛犬と一緒に写っている写真は、「魂を考える」だったと思います。これまでずっと、「週刊誌で池田晶子さんの連載を読む人生」を送ってきましたので、自分の人生設計まで狂わされた感じですが、まさに「これをきっかけにあなたも自分でもっと考えたら」というところでしょうか。H.O様私も新聞で池田さんに訃報に接して、心が凍り付いてしまいました。しかし、自分の考えている問題が、池田さんの「死」→腎臓がんという「死に方」→新聞に書いてある「生前の業績」という風に、たった数分間の間に移り変わっているのに気付いて、自分でも驚きました。そして、今では1人の過去の偉大な哲学者として捉えている自分がいます。これも池田哲学によって鍛えられた成果でしょうか。 返信する Unknown (Pfui!) 2007-03-03 21:19:43 参った...ちょっと言葉になりません 返信する 死に方上手 (Unknown) 2007-03-03 22:15:36 池田さんと陸田真志氏の「死と生きる」を題材にしてブロクを書いている者です。私も参りました。今日1日、上の空でした。自分のブログはしっかりと書いていますが(泣笑)。読者に心の準備をさせず、公表も1週間延ばしたところなど、究極の死に方上手だと思います。最後の最後にしてやられました。池田さんは常々、「この池田某の言葉ではない」とおっしゃっていましたね。それがなんと「伊藤某」だったというのも驚きです。最後の「臭ンチッ屁」というところでしょうか(失礼)。池田さんのサイン会には3回行ったことがありますが、最後は今年の1月20日、亡くなる1ヶ月前でした。前の2回の時は、鋭い眼光でまさに「哲学の巫女」といった雰囲気でしたが、1月の時は非常ににこやかで、お話もできました。今にして思えば、若い読者に囲まれて、「我らの永久革命」の安泰を感じたのでしょう。miyurinpetrus様、このブログはずっと続けて下さい。池田さんも小林秀雄や埴谷雄高と同じ地位に立ったわけですから・・・ 返信する 悲しいです (ごま) 2007-03-04 00:13:27 池田さんの訃報をしって 私は たちすくんで しまいました。あと てっきり 独身だと 思っておりましたが ご主人が いらしたのですね~ びっくり池田さん なくなって すごく ショックです。世の中に まともな方が 一人いなくなってしまい非常に 残念です。 返信する ご冥福をお祈りいたします (飴) 2007-03-04 21:32:17 突然の訃報にただ呆然とするばかりです。先週の週刊新潮に人間自身が載っておらず、目次を見て休載か~と軽い気持ちで流していたのですが、まさかこんな事になっているとは思ってもみませんでした。「『死に方』は死ではない」の言葉に感銘を受けていた私でしたが、まさかその言葉がこんな早くに池田さんの身に降りかかるとは…なんだかまとまりません。残念としか言いようがありません。 返信する 真に 死に方上手。 (にし) 2007-03-04 21:52:33 一読者の範囲で、訃報記事の内容でしかわかりませんが、池田さんの言葉そのものの生き方、死に方に敬服です。私たちにロゴスと考えるべきことを残し、ご本人、いまごろ何処にいらっしゃるのやら…。そういえば、何かのご著書で「そろそろ月に帰りたい」なんてことおっしゃってましたね(笑) 返信する Unknown (Unknown) 2007-03-13 08:47:30 yummy氏のコメントは、論拠がなにもないので、わかりませんね。なんだかさびしい気持ちになります。 返信する とても、悲惨で、ショックです (ノラ) 2007-04-26 00:12:32 池田晶子氏が亡くなっていた事を4/25の深夜に知りました。4/26号の新潮に載っていて、すごく驚いて、最近の新潮をひっくり返しながら、人間自身を探したら、3/15号に最終回が載っていた。最近、忙しくて新潮をゆっくり読む時間がなくて、全く気づかなかった。かなり、ショックで、眠れなくなり、睡眠不足で、今日は、早く眠ろうと思っていたけれど、このブログを見つけました。池田氏の連載は、何年ぐらいだったのでしょうか?それまで、全然、哲学者という方々に関心がなかったので、知らない人でしたが、「人間自身」から池田氏の不思議な魅力に引き込まれてきました。氏の死生観というのか、考え方に逆らいながらも妙に納得したりしていました。これからは、もっと、池田氏の著作に触れていこうと思っています。氏のご冥福をお祈りしたいと思います。 返信する ありがとうございました (angelcats) 2007-05-03 15:41:32 亡くなったことを知った日はもう何の言葉もありませんでした。ぼくは物書きの端くれですが、池田晶子さんの著書はほとんど持っていて、ことに触れ読み返すことで、自分の作品をよりよいものに変えて行けたのです。残念でなりません。いまどこにいらっしゃるのでしょうか? 返信する 残念です (suzukimitsuru) 2007-06-11 22:51:58 遅ればせながら、今日、書店で亡くなられた事を知りました。もう、あの歯切れの良い文章を読めないのが寂しいです。それと共に「これからは、こう言う事を、これからは自分で考えないといけないんだなあ」と、ずっしり荷物を背負った重みを感じています。今は、肉体や脳と言うしがらみから離れて、どんな事を考えているのでしょうか?やっぱり、今までと変わらないんだろうなぁ。 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡
家にあった週刊新潮をパラパラめくり何気なく読んだ『人間自身-189-』でしたが、
あまりの読後感の悪さに『池田晶子って誰だっけ?』と
思わずググってしまいました。
(毛皮のジャンパーの下りでベルバラの池田理代子を連想してしまいました)
「え?あの『14歳からの哲学』の人なの?」って軽くショックを受けモヤモヤした気持ちを抱えたまま
このブログにたどり着いたのですが、
このブログの記事を読んでも、私とは全く観点が違っているようで・・・
「14歳からの哲学」を読んだ時もチラッとかんじましたが、
今回の「人間自身」を読んで、
この池田晶子という人は喩えの表し方のセンスが無い人だと確信しました。
言葉遊びで当たり前の事をもっともらしく語るのも良いでしょうが、
人として一番大事な何かが欠落している者が何を語ろうとも、
それは薄っぺらなものでしかないなと思うのですが、
ファンの方のブログに突然やってきて
こんな事を書くのはマナーに反してるのかしら?
いくらファンであっても、
いや、ファンであるからこそ、
あの文章に書かれた内容を読んで
前段の池田晶子の哲学講談のみへのコメントだけで良いんだろうか?って私は疑問に思いますけどね。
ご冥福をお祈りします。
悔しいけど仕方ないのですね。
はじめまして。
池田晶子さんの言葉を愛する者として、ブログを楽しみに拝見させていただいていました。
今朝、新聞で池田さんに訃報に接して、心が凍り付いてしまったようです。
そして、プラトンの言葉が心に浮かんできました。
「哲学をするということは、肉体を避け、自分自身に集中すること。この練習こそが正しく哲学するというここと。それは、真実に平然と死ぬことを練習することに他ならない。」
きっと、池田さんも、最後の最後まで、この言葉が頭ら離れなかったのではないでしょうか。
いや、きっと、ソクラテスのように、悲しむ周りの人たちを、嗜め諭していたことでしょう。
池田晶子さんの言葉に出会えたことは、私の人生の中でも、とても大きなことでした。
その言葉たちは、新しい古典として、残っていくことでしょう。
私たちは、古典が、歴史が、生まれる時間を共有したのかもしれません。
管理人さん、これからも、お互い、深く深く、考え続けていきましょうね。
先生の訃報は今朝知りました。
皆さんとともに ご冥福をお祈りします。
でも、
わたしのご冥福なんて どうでもいいから
これをきっかけに あなたも自分でもっと考えたら
とか おっしゃりそうです。
がん についての考察も多かったですね。
「さよならソクラテス」では
ソクラテスにこんなことを言わせていた。
人は必ず死ぬね。がんであろうとなかろうと。
だったら がんと死とは 関係がないね。
ご自分の訃報記事、「がんのため亡くなって」には
だからー ちがうんだってばさー と
おおいに 苦笑されているかも。
どの御著者でしたか 愛犬と一緒にうつっている写真がありましたね。どの本だったかなー。
また 永遠のロゴスのなかで おめにかかりたい。
愛犬と一緒に写っている写真は、「魂を考える」だったと思います。これまでずっと、「週刊誌で池田晶子さんの連載を読む人生」を送ってきましたので、自分の人生設計まで狂わされた感じですが、まさに「これをきっかけにあなたも自分でもっと考えたら」というところでしょうか。
H.O様
私も新聞で池田さんに訃報に接して、心が凍り付いてしまいました。しかし、自分の考えている問題が、池田さんの「死」→腎臓がんという「死に方」→新聞に書いてある「生前の業績」という風に、たった数分間の間に移り変わっているのに気付いて、自分でも驚きました。そして、今では1人の過去の偉大な哲学者として捉えている自分がいます。これも池田哲学によって鍛えられた成果でしょうか。
ちょっと言葉になりません