遠い約束

磯上好隆な多方向通路

算数のお話

2012-03-30 20:57:58 | 妄言

日頃あたりまえと思っていることが、その意味をわからずに

使っていることが、たくさんある。

先日友人から聞いた話もそうした話のひとつだった。

 

「ミカン3個とリンゴ5個。全部で何個?」

3+5=8

答えは8個だけれど、頭のいい子はむしろ

ミカンとリンゴという「違うものを足す」ということに混乱する。

そこで

「ミカン3個リンゴ5個。どちらかを一個づつ配ると何人の人に配れますか?」

という質問に変えると答えられる。

ここでは、異質の物同士に共通する個数という抽象概念を、

個数=人と置き換えることで理解する。人ではなくお皿や箱でもいい。

日常ではそんな論理的な手続きを、飛び越して処理してしまうから、

いざ子供にちゃんと説明しようと思うとできない。

大人同士ならいいが、小学校の先生は

まっさらな頭の子供に理解させなければならないので、

本人が理解していないといけないのだが・・・

文系の人が多いためか、ちゃんと教えられない人が多いと、

友人は嘆いていた。

次に教えるのが難しい例として分数の掛け算割り算の話が出た。

 

分数の掛け算割り算は(一応)文系出身の私も(一応)できるが、

分数を掛ける、分数で割るというのはどういうことか、

子供にわかるように説明せよ言われると、ちょっと困る。

友人との話はそこらへんで途切れ、どうやって分数の掛け算割り算を教えるか

そのことは聞き逃した。

帰宅後、そのことを考えてみた。

以下、間違っているかもしれないから、そのつもりで

疑って読んでください。

 

まず、整数の簡単な計算から考えてみると

6×2=12は

「6の一個一個を2倍にして全部足すと12」。

具体的な例文を考えてみると、

「アサガオの種を6粒蒔きました。全部芽が出て二葉が開きました。葉の枚数は今何枚?」

 

6÷2=3は

「6の一つ一つを半分にして全部足すと3」。

具体的な例文は

「男3人女3人計6人で合コンしたら全員うまくいった。カップルの数は何組?」

小学生向きの例文ではないかもしれない。

 

では

6×1/2=3

6÷1/2=12

はどうなるか。

 

6×1/2=3

「6人でリンゴを半分づつ食べるとリンゴは3個必要」

と考えてはどうだろうか。あるいは、

「磯上さんはいつも酒をグラスで6杯飲んでご機嫌になっていましたが、

お店の方針が変わり、グラスに半分づつしかお酒をついでくれなくなりました。

6杯分のお金しか持っていなかったので、さびしい気分で帰りました。

磯上さんの飲んだお酒は以前のグラス何杯分でしょう。」

これも小学生向きの例文とはいえないか。

 

6÷1/2=12は、

「6個のリンゴを半分に切ると12個になる」

あるいは

「6個のリンゴを半分づつ食べると12人食べられる」

あるいは

「上記の磯上さんがグラス半分のお酒でもいつもと同じだけ酔っぱらうためには

何杯飲んだらいいでしょう。」

この頃はそんなに飲まなくてもすぐ酔ってしまうのです。情けなや。

 

掛け算は、ひとつひとつに掛けた数の和で、

割り算は、ひとつひとつの中に入っている数の和だ。

そこまで行くと、整数でも分数でも意味がわかりやすくなるのではないだろうか。

6×1/2=1/2+1/2+1/2+1/2+1/2+1/2=6/2=3

6÷1/2=2+2+2+2+2+2=12

(1の中に1/2は2個入っているから)

そうか、分母の数だけ分子が入っていることを書いたものが分数なんだから、

だから分数の割り算はひっくり返して掛ければいいのだったか。

 

いろいろ、お勉強になりました。

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子犬

2012-03-09 15:48:16 | 身辺雑記

赤ん坊や幼児と遊んでいると、

その反応の仕方はしばしば玉三郎の反応を連想させられる。

わが子を犬と同列に見られたらたら気分が悪いだろうから、ひそかに思っている。

物の本によれば、犬の知能はヒトの3歳児レベルだそうだ。

だから、共通性を感じるのは決しておかしなことではないのかもしれない。

 

でも、単に知能レベルの問題だけでない。

求めるモノの質が似ているからでもある。

それは「ボクをかわいがって」とか「一緒にいたい」とか、

愛してほしいというサインを犬にも幼児にも感じ、

その表現方法が似ている。

玉三郎は言葉を話せないが、もし話せたら、

もっとかわいがって、とか一緒にいてよ

とか言うだろう。

 

それで、この心は、でも子供や犬だけか?

大人のさびしい気持ちって、

分別の下に閉じ込めている犬や子供が

さびしがっているのではないかな。

 

部屋に戻り、一人で待っていた玉ははしゃぎ回り、遊びに持ち込もうとする。

いくら、新聞が読みたくても、本を開いていても、

ボールをくわえ、尻尾をふっている姿を見ては、ひとしきり遊んでやらざるをえない。

ひとしきりあそんでやると、座っている私のももの上に体を載せておとなしくしくする。

ミキも私も昼間はあまり部屋に戻らないから、

どんなにこの時間を楽しみにしていたのかを思うと、胸が痛い。

 

そんなさびしさを

全く味わう事のない人はいないだろうけれど、

どんな境遇に生まれても

心の子犬にはできるだけやさしくしてあげたい。

 

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