遠い約束

磯上好隆な多方向通路

ドーハの喜劇

2011-10-28 20:22:28 | 妄言
ドーハの悲劇から18年。
10月28日はドーハの悲劇のあった日だそうだ。
しかし、この言葉大げさである。
本当の悲劇は、何度思い出しても悲劇だが、
ドーハの悲劇は、そんなこともあったなあ、という程度のことだ。
サッカーはワンチャンスで全てが変わるスポーツということを教えられたのは
私にとっては、この試合が最初かもしれない。
逆に言えば、そんなことが当たり前のスポーツだから、
そろそろ、悲劇という言葉をやめないか?
ドーハの喜劇と言った方が正しい。
ミキにそのことを話したら、
ドーハの悲劇を悲劇だと思っていることが喜劇だと言われた。
なるほど、この言葉いただいときましょ。

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だーかーらー

2011-10-25 21:00:15 | 身辺雑記
仕事中、不意に頭に浮かんだ。

だーかーらー
毎日おもしろい イェエ ♪
毎日おもしろい イェエ ♪
・・・・・・・・・・・

はちみつキンカンのど飴のCMだ。
なんだか楽しい。
なんでかわからないけれど楽しい。

http://www.nobel.co.jp/cm.php

絵も好きになって
ケータイの待ち受け画面にしてしまった。


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近況雑記

2011-10-15 09:31:58 | 妄言
朝早く近所まで自転車で走った。
あちこちの家にキンモクセイの花があり、良い香りを
胸一杯吸った。
花が咲いているから気が付くが、
今の季節以外はその存在を忘れてしまっている
と、気がついた。

新しい道沿いに走る。
酒造会社が2社。その昔は、この道沿いに水路が海までつづき、
酒、瓦、みりん、みそ、たまりなど、海運で運んでいた。
今は、道沿いの空き地で荷降ろしを待つ大型トラックが
朝の静けさの中、運転席に黒っぽいカーテンを下ろし、仮眠を取っていた。
ふと、遠くから来た船が岸につながれてあるような
夜中到着した船が、そのようにしてひっそりと待機していたことが
あったような妄想がひろがった。

@@@@@@@@@@@@@@@@@

NHK朝の「ビジネス展望」で先日、内橋克人さんの紹介した
「ショックドクトリン」(上)(下)を入手した。
自然災害や戦争という社会的なショック状態を利用し
どのようにして利益を上げ、どのように有利な社会構造の建て替えをするか
歴史的な事実を克明に調べ上げ、その手法を紹介した本。
遅読のくせに、分厚い本がけっこう好きだ。
しばらくじっくりと付き合いたい。
アマゾンで見たら、品切れで、入荷日不明とでていたので、
近所の本屋さんにお願いしたら、数日で手に入った。
なるべく近所の本屋さんを利用しようと思うが、
アマゾンは購入履歴にもとづいた情報を流してくれる
というメリットはある。

@@@@@@@@@@@@@@

この頃、飲み過ぎマークが顔に出るようになった。
もう2カ月前になるか?ビールをたらふく飲んでごきげんで帰り、
翌朝起きたら左のこめかみあたりに、すりむき傷ができていた。
すりむいた記憶はない。じきにカサブタができてはがれ
うっすらくろずみになって残った。
ところが、後日、やはりごきげんで飲んで帰った翌朝、
同じところに同じキズができている。
どうやら、まくらに擦れてできたものらしい。
以来、飲み過ぎを気を付けているが、さほど飲まなくても、
今度は右の顎、次は右のほほに軽いモノが・・・・・
顔の傷は目立つので恥ずかしい。
今原因として考えているのは、水分の排出が悪く、
ビールで増えた水分で肌がぶよぶよになり、そこに老化も手伝い
すりむけやすい状態になった
ということかと思っている。

@@@@@@@@@@@@@

新しい体重計をミキが導入した。
乗るだけで、私とミキを識別し、体重、体脂肪、筋肉量、その他いくつも
数字が出てきて最後に体年齢が出る。
最後の体年齢でヨイショが入り、私の場合、毎回37歳とでる。
近頃、体の衰えが目立つ今日この頃、
飲み過ぎマークや自転車転倒やら、37歳という数字を見ても喜びはない。

実は精神年齢だったりして・・・・・
この歳でいまだに未熟の実感はある。
来月は53だ。

@@@@@@@@@@@@

朝5時過ぎに工場にはいる。
しばしば暗いうちに起きだして仕事場に向かった父の姿を
思い出す。
休みでも時間外でも、自分が動かなければ利益が出ない。
自営だもの。

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稲刈り、映画など

2011-09-25 15:45:21 | 身辺雑記
土曜日稲刈り。
急遽やることになり、参加人数少なく
一条刈りの稲刈り機に振り回されながら、
ナントカカントカ済ませる。
前進とバックを間違えて自分も一緒に用水に落ちそうになり、
冷や汗たらり。

仕事の後の雑談で、お世話になっている農家さんに聞いた話が面白かった。
正確な言葉は忘れたが、稲の品種も実は少しづつ変化している。
他の品種の花粉の影響や突然変異など。
ということは、コシヒカリ、ササニシキ、アキタコマチなどのお米も
常に同じものではないということだろう。
急に変化するわけではないから、違いに気付かないだけだ。

帰宅後くたびれて30分ぐらい昼寝した。
おまけに、今日になって、微妙に太ももが筋肉痛。

@@@@@

新しい映画は全然観ていないが、
テレビやビデオで以前観たものをまた観る機会が多かった。
「パーフェクトワールド」
チャビン・コスナーは好きじゃないが、この映画は泣かせる。
恵まれない境遇から犯罪者となるが、その心根には素敵なものがある。
世界の片隅にはほとんどの人が知る術のない宝が隠されているのだろうか。

「アメリ」
そんな風に生きていいんだ、と、ホッとする映画。
売れない小説家の「失敗こそ人生」という言葉にもうなずける。
失敗しながら生き続ける、自分の暮らしもまさに。

「ドライビング ミス デイジー」
英語に不案内ゆえ、初めこのタイトルの意味が取れなかった。
犬の散歩のことを「ウォーキング ア ドッグ」というので、
デイジー夫人を車に乗せた運転を意味するのだろうが、
端的な訳語が思い浮かばない。
誇り高きミス デイジーと、黒人の使用人ホークとの間に生まれる立場を越えた
心のつながりを描いた映画。
キスさえない恋愛の形とも思える。
さわやかな後味。

「マリアの悲劇」
非常におもしろかったが、ヘビーで辛い、絶望的映画。
救いはラストに。これが救いになるのか?

「グラン・トリノ」
実は終わりの方を見ただけで、ミキから大方の筋を聞いた。
他民族国家のアメリカで、差別的なからかいの言葉を交換しながら暮らすという
部分にすごく興味ひかれ、全編観たいと思っている。
もっとも、近所の酒場のトークはこれに近いが。

「赤目四十八滝心中」
面白く観たが、さて、後味悪く、隘路に落ちた文化を感じる。
観念的で感覚的で非現実の古い畑に咲いた仇花。




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芥川「雛」など

2011-09-11 15:50:48 | 読書
芥川龍之介が関東大震災の被災経験から書いた文があると聞き、
全集の六巻にいくつかの短い文をみつけた。
「吉原の貼り紙」の事「懐かしのケンタッキー」の事(共に大震雑記にある)と
「鸚鵡と一緒に逃げた老人」の事(鸚鵡というタイトル)が印象的だった。

「吉原の貼り紙」とは「濱町河岸の舟の中に居ります。櫻川三孝。」
哀れにも風流。被災した幇間が、被災してもなお洒脱気を示す。
心意気のようなものを感じる、と書いている。
「懐かしのケンタッキー」はお堀端を歩く芥川が、
不意に聴いた、水中で歌う少年の歌声に感銘を受けた事。
お堀の少年はただ酔狂に泳いでいたわけではない。
この文のテーマから察するに鳥、魚などの捕獲のため水中にあったらしい。
当時、日比谷公園の池の鶴と家鴨が被災民に食べられたという事件があった。
生きるために何でも食べるのは、生物としての欲求だが、
その最中にも、人は別の物も求めている。芥川は以下の様に書いた。

「芸術は生活の過剰だそうだ。成る程そうも思われぬこともない。
しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。
僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。
更に又巧にその過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ。
生活に過剰あらしめるとは生活を豊富にすることである。
僕は丸の内の焼け跡を通った。けれども僕の目に触れたのは
猛火も亦焼き難い何ものかだった。」

ヒトは生活の過剰(=文化=魂)なしには生きられない。
それどころか、時には生活の過剰が生物的欲求をぎりぎりの地点でも
裏切ることがあるということは歴史が示している。

「鸚鵡」は、被災した老人が孫娘と二人で避難中にはぐれ、
籠の鸚鵡と被災地を捜し回り、くたびれ果てる姿に
リアルと哀感を醸し出していて、気になる断章だった。

他の作品をみていたら、他に「雛」という小品もみつけた。
読んでみると、長年、鴎外の作品と勘違いしていたものだった。


「雛」の筋書きを追うだけならスラスラ読めるが、
細部になるわからない言葉がたくさんある。
雛人形の説明の、瓔珞(ようらく)、塩瀬の石帯などわからなかった。
ランプ以前の無尽灯。
母親の病の治療に蛭を15銭で買いに行く、という言葉もある。
蛭は15銭で何匹、どこへ買いに行ったのだろう。
煉瓦通り、会津が原などの地名もわからなかった。
文化の違い、時代の違いを感じつつ、いろいろ調べてみた。

煉瓦通りはおそらく銀座界隈のことらしい。
会津が原はみつからない。その代り、現東京駅丸の内側は
三菱が原と呼ばれたところだとわかった。
岩崎弥太郎が陸軍の演習地を買い取り、後に煉瓦造りのビル街を作った。
別名、一丁倫敦とも呼ばれた。
ひょっとすると、三菱が買う前は会津が原とよばれていたのでは・・・?
それを証明する資料はみつかっていない。
17歳の娘を人力車で案内するのに、一丁倫敦から煉瓦通りへと走るのは
最適のコースと思われる。とすると、この家族の住んでいた土蔵は
日本橋近辺にあったのではないかと推測された。

こんなところにこだわっていては、
遅読の癖がますますひどくなるが、まあ、それもいいだろう。

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ローズ!ローズ!

2011-08-22 20:33:51 | 身辺雑記
鉢植えで小さな四季咲きのバラを育てているが、なかなか難しい。
新しい葉や枝は出てくるが、枯れていく枝もあり、
枯れ枝を処理すると、日毎に小さくなってしまうものもある。
とほほ!
夏の初めは、毛虫にすっかり葉を食べられた。
殺虫剤をかけるのをためらっているうちに
毛虫は成虫になったのか、姿を見なくなり
すると、丸坊主だった葉がどんどん出て、少しづつ
小さな花を咲かせるようになった。
以前も書いたことがあるが、
小さな花は豪華さないが、その形は、きれいなバラそのもの。
しばし見惚れる。
日頃のささやかな苦労がちょっと報われる一瞬。
他所の人がみれば、ちんけなバラにしか見えまい。
おそらく、この美しさは私だけに感じられるのものだと思う(苦笑)。

星の王子様に、バラの話が出てくる。
星に一輪咲く花のために
王子は様々気を配り、世話をする。
だから、バラは王子にとって特別な存在なのだが、
それゆえ、そのバラと仲良くできないことが
王子にはとてもつらい。
実は、そのことに打ちひしがれて、王子は
星をでてきたのだった。

狐はそのことで王子を悩ませることはないが、
わがままなバラは、王子を悩ませる。
その悩みこそ愛なのだろう。
そして愛はつらいものなのだ。

でも、なぜ、バラを愛し、セイタカアワダチソウを愛さないのか。
クローバーや、ナズナや、その他私の摘んだ草々。
愛はどこまで偏愛以上でありえるんだろうか。
誰かに押しつける類のものではない。
人知れずそのかたちに咲くだけ。

先々月だったか、近所の花屋さんのアニバーサリーイベントで
ジャズコンサートが開催された。
花屋さんらしく、曲目はバラにちなんだ曲目が並んだ。

その一曲目はTHE ROSE。
優しいメロディーなのに、後で調べてみると歌詞がつらかった。
我が家のCD、平井堅のKEN‘S BARの歌詞カードから
意味を取ってみる。

(以下歌詞)
愛は弱い葦を溺れさせる激流
愛は魂を引きはがし血まみれにするカミソリ
愛は永遠に満たされることのない飢餓
それでも、愛は花だとわたしは言いたい
まだ 種子だけれど

(中略)

どんなに夜が長くても
どんなに道は果てしなくても
愛はあなたに幸せをもたらし
あなたを強くする唯一のもの
あなたは冬の冷たい雪の底で
太陽の恵みに春の到来を待つ
バラの種の一粒なんだから
(歌詞終了)

意訳してみた。誤訳もあるだろうが、
略してあるところも
概ねそんなつらい意味だった。
最後の言葉は感動的な気もするが、殉教者の心だ。
実は多くの種が芽吹くことなく氷の下に眠り続けると
私は思う。だから、つらい。

ところで、リルケは指にバラのとげが刺さって死んだというのは
本当の話だろうか。
私は年中刺さっているが、
今のところ死にそうにない。


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たわごと

2011-08-06 21:36:30 | 妄言
自分にとって大切なものが何なのか、
気をつけないと間違ってしまう。
地理的な国土の帰属を争そう争点はわかりやすいが、
人の精神的帰属を支える精神的領土はわかりにくい。
それは自分とは何かという問いのわかりにくさと同じだ。
国土の帰属を争う理由は、領海問題や海底資源の権利だったりするが、
要は経済問題だ。無論重要な問題だが、
同じ経済的、効利的理由から
伝統や精神的なアイデンティティを放棄してしまうことが
日常茶飯で起きているように思う。
結果われわれはいわゆる豊さとは逆の場所へと
少しづつ遷移しているような気がする


金は天下の回りものだ。
他所にばかり回っているような気がするが。
物の価格は安いに越したことはないが、
さて、安いモノを買ってその後、自分が払ったお金が
どこへ回っているのか。
天下の回りものという言葉のごとく
回って自分や自分の町に帰ってくる可能性があるのかどうか
それを考えた方がいい。
とは思うのだが、
さて、果てしなく他所へ、海外へと
お金の道ができている現代
都合良く環流するお金の道を見出すのは至難の業だ。
そんな考えの人たちとコミュニティーでも作らなければ無理だろう。


頭のいい人を信用してはいけない。
頭のいい人は上手な嘘も付けるから
注意が必要だ。
電気屋さんを信用したのも
理屈を信用したのではなく
何となくみんなも信用しているからという理由だった。
一人の人を騙すのはむずかしいが、
たくさんの人を騙すのは簡単だ
とは、古代ギリシャの政治家だったか。

毎日花に水を遣っている。
朝顔は一日二回やらないと
半日で葉がしおれてくる。
世話は行き届かないけれど、
花たちの様子を毎日瞬間的に見ているだけだけれど
これはなかなかいいもんだ。
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雑感

2011-07-30 22:12:52 | 妄言
風呂に入っても、じっくり温まることが苦手だ。
だから、湯上がりでも比較的すぐに衣類が着れる。
それに対し、なじみの店の主人はしばらくバスタオルを巻いてうろうろしていないと
服が着れないそうだ。
それは親譲りの体質らしい。
主人のお父さんは、銭湯から自転車に乗り、パンツ姿で帰る習慣だったそうだ。
真冬、人がコートの襟を立てて歩いているその向こうを、
パンツ姿の父が自転車をこいでいく姿は、
今もわすれられないそうだ。
昔の人は、裸に対するハードルが低かったということもあるだろう。
夏の夕方、ステテコ姿のおじさんをよく見かけたものだった。

今年の夏は、涼しいと思う。
7月の初め、ものすごく暑い時期があったが、
この頃の日が落ちてからの涼しさはどうしたことだろう。
上空にある寒気の居座りが、そうしたことをもたらしし、
集中豪雨も生んでいるらしい。
警戒が呼びかけられた台風6号がたいしたことなく過ぎ、
しかも、秋の台風のように迷走したのも、
太平洋高気圧が弱まったことが原因なのだろうが、
この時期としては異例のことではないか?
これで暑いと、ほれみたことかと
原発の必要性が喧伝されかねないから、
これでいいのかも。
これは、妄想の部類かもしれないが、
原発事故によりまき散らされた放射線が気候に影響する
ということもあるのだろうかどうなのか。
お盆前のこの時期、こんなに涼しいということは
ここ数年なかったと思う。
だれか、このことをわかるように説明してもらえないだろうか。

父の一周忌の法要の折、親戚のおじさんが、
「人生はあみだくじのようなもの」言った。
「一本棒を入れると全然違ったところへ行ってしまう。」
という意味だ。
その棒は、誰かが入れることもあれば、自分で引くこともある。
このおじさんは、昔父から一緒に事業をやらないかと誘われ、
結局、その話は流れたが、さて、その話に乗っていたら、
今どうなっていただろうか、と言った。

言い得て妙だ。
父は、自分で線を引いて戦地へ赴き、
その後、生き残り様々な線を自分で入れ、他からも入れられ、
そうしてそのように生きた。
順調に進みそうに見えても、一本線が入ることで事態は変化する。
ままならないものだ。
でも、右往左往することなく、なすべきことを為せ。
それしかないんだな。

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無責任の体系

2011-07-09 14:13:08 | 妄言
日経夕刊「戦後日本のカリスマ思想家」(竹内洋)という小さな連載記事が始まった。
2011/7/7

第一回は「丸山真男」。
記事は、丸山が東京裁判の記録を読み解いてとりだした「無責任の体系」という言葉に注目している。
敗戦後戦前日本の指導者は責任を問われたとき、
「権限外」「時の勢い」などの言葉で「なすすべがなかった」とその責任を回避した。
丸山は日本のシステムに「無責任の体系」という
エトス(態度)が埋め込まれているとした。(「軍国支配者の精神形態」1949年)

記事の筆者竹内洋がこの言葉に注目したのは、
近頃の原発問題の「想定外」という言葉にも同じものを感じたからだ。
丸山は「これは昔々ある國に起こったお伽話ではない」とこの文を結んだが、
ここで指摘する「無責任の体系」は戦後66年が過ぎた今も、
日本のシステムに埋め込まれたままだったということを示している。

竹内が指摘するように
「この問題は原発事故関係者にとどまらず、今の日本の組織にひろく蔓延している」だろう。
それは、他人と争うことを嫌い、寛容で穏やかに暮らそうとするニッポン人の長所と
実は裏腹に存在する問題点だから、簡単に無くならないのではないか。


それゆえ、自分は果たして、己の発言、行動に責任を取っているか。
そこまでの覚悟を持って生きているかと問いかけられたと思う。

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雨音みたいな

2011-07-03 09:00:10 | 妄言
水鉢に、細かな穴の如露で水をかけると、涼やかな音がした。
こんな音がすることは知っていたけれど
こんなにいい音だったってことは、すっかり忘れていた。
いつかどこかで聴いたような雨の音。

父が子供の頃、貧しい農家の副業で家の中にお蚕さんの部屋があり
桑の葉を摘んできて与えるのは子供の仕事だった
お蚕さんが一斉に葉を食べ始めると雨のような音がしたと父から聞いた。

実は、織機が稼動している音も遠くで聞くと、雨が降る音に似ている。
繊維産業の底辺というところが共通している。

20年位前、銀座の雑貨屋で雨の音のする棒を買った。
傾けると、棒の中に入って物(砂のような物)が流れ、
雨のような音がするもの。
かすかに傾けると、雨が降り始め
傾きをおおきくするうちに雨も激しくなる。
この音もいい。
何の棒かわからないが、一説には、この棒はサボテンの一種で、
外に出ている棘を内側へ押しこみ、中に入れた砂が棘に当たり音を出す
という仕組みだとか。
そんな音のような気がする。

忙しがってばかりいると、文字通り
心(りっしんべん)が亡くなりそう。
物音に耳澄まし、色や形に気が付き、いい香りを味わいたい。

音と言えば、この頃、駅に到着したときの音が昔に比べ良い音になったように思う。
この音の開発をしている人(人名は忘れたが)が、言うには
鐘の音を参考にしている、というような話をラジオでしていた。
お寺や教会の鐘の音は、同時に複数の音が響き合いできているのだとか。
そんな心地よく、なおかつ聞き取り易い音を合成するらしい。
知らせ警告する音から、味わう音へ。
参考にされた鐘の音は昔生み出されたものだ。

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