遠い約束

磯上好隆な多方向通路

カチン族の首かご

2012-01-14 17:52:05 | 森川義信

この本は。昭和33年に出版された本だが、

現代詩に興味を持った人にとっては有名な一冊だ。

戦後詩の幕開けとも思われる鮎川信夫の詩篇「死んだ男」の

Mと言われる詩人森川義信の

ビルマ現地での戦病死についてわずかに言及されているからだ。

 

 

森川がの命を奪った病は、メッカロンと呼ばれた風土病だった

ということがこの本からわかった。

著者妹尾がここで森川のことに触れているのは、

熱病で混濁した意識の中、森川は

「ジャングルはいい。おまえはここに残れ。おまえが残るなら俺も残る。」

とうわ言を言ったからだろう。

それは、不思議に、著者のその後を予言したかのような言葉だったからだ。

 

 

著者はカチン族というビルマ奥地の食人族と交流し、力を借り、

日本軍は奥地へと進軍に成功する。

その後、現地に一人残った著者は一等兵の身分のまま

しばしの現地の王にまつりあげられた。

 

 

全く奇想天外な話に思えるが、

英国、中国、インド、日本、ビルマ、とカチン族のような少数民族が

利用し利用され合う状況にあっては、

日本軍の勢力を利用してビルマからの独立を目論む種族があったとしても

何の不思議もなかったのだろう。

そして、戦況は変わり、本隊復帰の命が下り、王国は崩壊する。

調べればビルマ戦線の全体像はもっと多くのことがわかるだろうが、

この本は渦中に巻き込まれた経験から書かれているので

よくその雰囲気を伝えている。

 

 

日本軍は一時ビルマを制圧し、やがて反転攻勢に遭い、多くの戦死者を出した。

 著者が生きてかの王国を脱出し、その後のビルマ戦線を生き延び、

なおこの本を書き残したと言うことは奇跡的だと思う。

 

著者が冷静、客観的に自身の経験と当時の状況を把握していたことは

とても不思議に思える。

なぜ、今までちゃんと読まなかったのか。

Mの死の姿を確認するだけでは、あまりにもったいない一冊だ。

また、Mがどのような戦争の中にあったのか。

つまり、どのような時代を生き、

死んだのかを考える機会にもなるだろう。

その状況は

今も根本的には変わっていない、のかもしれない。

 

 

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ひさびさ

2011-12-11 21:23:47 | 妄言
ラジオからジョンレノンのクリスマスソングが聴こえてきた。
歌だけではわからないが、動画付きのものを観ると
「メリーメリークリスマス」という歌詞とはうらはらに、
戦いに巻き込まれた人々の泣き叫び、恐れの映像が次々流れる。
楽しいクリスマスを過ごせる人は、この小さな球の上の何パーセントだろう。
そのことが思い出された。
人類の歴史は人を恐怖と絶望に陥れ続けた。
戦争はなくなってくれればありがたいが、
人類はがそうした痛苦を抜けられない運命であると
歴史は語っている。
勇気と臆病とどちらが運命を変える力を持つのか。
判断できない。

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久々の皆既月食。
テレビでは月の欠けた映像が流れていたが、
ご当地は太平洋側にもかかわらず、雲がかかり、
細かな雨まで降って月が出ている位置もわからなかった。
夜中3時前小用で起きると、西向きの窓から明るい光が差し込んで
床面にカーテンのレース柄を作っていた。
月を覗くとその光の鮮やかさに感動した。

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工場を出る。
空は青い光でいっぱいだった。

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つぎはぎ仏教入門

2011-11-20 07:01:15 | 読書
「つぎはぎ仏教入門」(呉智明著)を読了。
数か月前に買ったが、友人に見せたのが運のツキ。
「オモシロイ」と評判になり、友人間を巡回した。
途中まで読み、自分でも所有せんと、
名古屋まで買い行きとんぼ返りして読了した人もあった。
私は、この頃仕事に忙殺され、ちょっとづつ読み進み
こんなに遅い読了とあいなった。

著者は特定の宗教を信奉しないが、
仏教初め、儒教、道教、キリスト教、その他多くの宗教に
広範で深い知識と見識を持っておられる。
一読すればそれはわかる。
しかも明快な論旨で検証し、
ジョウシキに曇ったわれわれの目を啓いてくれる。

仏教はブッダの教えのはずだが、
実際は、何がブッダの教えだかわからないほど変容した。
そこらへんを克明に読み解き、他の宗教とも比較しながら、
さまざまな問題点を浮き彫りにしている。
その変容は、ある意味一般大衆を救うという
ニーズにかなったものであったろうと私は思うが
そのために、別の姿に変容してしまった。

個人的には本書末で触れている我執の問題が気にかかった。
自分も、社会もこの問題と無縁でないとおもうからだ。
安楽な生活にひたると、
己を虚しくして何かに打ち込むことが難しい。
困窮の時代は、そうしなければ生きていけず、
そうすることが当たり前だった。
幸せという不幸。
ブログなんてものをちょこちょこ書いているのも
我執という病の一症状のように思う。

久しくごぶさたしてきた友人の訃報。
さらりと綴られた末期の日々のやすらかな様子に
思わず落涙した。
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2011-11-10 21:50:44 | 妄言
この一番忙しい時に、一番止めたくない機械が壊れた。
きびしい〜。

最近借りて読んだ面白いマンガの中に
「壊れた機械は必ず直るから」と言って
機械を壊した女の子をなぐさめる言葉があった。

そうさ。機械は理屈でできているから
理屈どおりに考えれば必ず直る!はず。

しかし、直るのを祈るような気持ちで願うというのも
理屈の機械とは矛盾する。

そして、理屈がわかるまでに
時間がかかってしまうという問題は
祈りなしではいられない理由である。

冷静になったり、
焦って逆上したり、
むむむ。
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コガタスズメバチ?

2011-11-01 21:21:23 | 身辺雑記
昨日、今日とベランダに小型の蜂が数匹表れた。
アシナガバチより小さい。近づくと威嚇するように羽音をさせて飛んでくる。
攻撃性が強いようで危険だ。

離れた場所から巣を作りそうな場所を覗いているが、みつからない。
日差しの強い時間に現れ、日が傾くと、見当たらなくなる。
ミキはアシナガに二回刺されているので、
今度刺されると非常にキケン。
アナフラシーショック

巣を作る場所を探しているのか、
たまたま通りがかりか、
それともわからない場所に巣があるのか。

明日はどうなるだろうか。

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ドーハの喜劇

2011-10-28 20:22:28 | 妄言
ドーハの悲劇から18年。
10月28日はドーハの悲劇のあった日だそうだ。
しかし、この言葉大げさである。
本当の悲劇は、何度思い出しても悲劇だが、
ドーハの悲劇は、そんなこともあったなあ、という程度のことだ。
サッカーはワンチャンスで全てが変わるスポーツということを教えられたのは
私にとっては、この試合が最初かもしれない。
逆に言えば、そんなことが当たり前のスポーツだから、
そろそろ、悲劇という言葉をやめないか?
ドーハの喜劇と言った方が正しい。
ミキにそのことを話したら、
ドーハの悲劇を悲劇だと思っていることが喜劇だと言われた。
なるほど、この言葉いただいときましょ。

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だーかーらー

2011-10-25 21:00:15 | 身辺雑記
仕事中、不意に頭に浮かんだ。

だーかーらー
毎日おもしろい イェエ ♪
毎日おもしろい イェエ ♪
・・・・・・・・・・・

はちみつキンカンのど飴のCMだ。
なんだか楽しい。
なんでかわからないけれど楽しい。

http://www.nobel.co.jp/cm.php

絵も好きになって
ケータイの待ち受け画面にしてしまった。


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近況雑記

2011-10-15 09:31:58 | 妄言
朝早く近所まで自転車で走った。
あちこちの家にキンモクセイの花があり、良い香りを
胸一杯吸った。
花が咲いているから気が付くが、
今の季節以外はその存在を忘れてしまっている
と、気がついた。

新しい道沿いに走る。
酒造会社が2社。その昔は、この道沿いに水路が海までつづき、
酒、瓦、みりん、みそ、たまりなど、海運で運んでいた。
今は、道沿いの空き地で荷降ろしを待つ大型トラックが
朝の静けさの中、運転席に黒っぽいカーテンを下ろし、仮眠を取っていた。
ふと、遠くから来た船が岸につながれてあるような
夜中到着した船が、そのようにしてひっそりと待機していたことが
あったような妄想がひろがった。

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NHK朝の「ビジネス展望」で先日、内橋克人さんの紹介した
「ショックドクトリン」(上)(下)を入手した。
自然災害や戦争という社会的なショック状態を利用し
どのようにして利益を上げ、どのように有利な社会構造の建て替えをするか
歴史的な事実を克明に調べ上げ、その手法を紹介した本。
遅読のくせに、分厚い本がけっこう好きだ。
しばらくじっくりと付き合いたい。
アマゾンで見たら、品切れで、入荷日不明とでていたので、
近所の本屋さんにお願いしたら、数日で手に入った。
なるべく近所の本屋さんを利用しようと思うが、
アマゾンは購入履歴にもとづいた情報を流してくれる
というメリットはある。

@@@@@@@@@@@@@@

この頃、飲み過ぎマークが顔に出るようになった。
もう2カ月前になるか?ビールをたらふく飲んでごきげんで帰り、
翌朝起きたら左のこめかみあたりに、すりむき傷ができていた。
すりむいた記憶はない。じきにカサブタができてはがれ
うっすらくろずみになって残った。
ところが、後日、やはりごきげんで飲んで帰った翌朝、
同じところに同じキズができている。
どうやら、まくらに擦れてできたものらしい。
以来、飲み過ぎを気を付けているが、さほど飲まなくても、
今度は右の顎、次は右のほほに軽いモノが・・・・・
顔の傷は目立つので恥ずかしい。
今原因として考えているのは、水分の排出が悪く、
ビールで増えた水分で肌がぶよぶよになり、そこに老化も手伝い
すりむけやすい状態になった
ということかと思っている。

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新しい体重計をミキが導入した。
乗るだけで、私とミキを識別し、体重、体脂肪、筋肉量、その他いくつも
数字が出てきて最後に体年齢が出る。
最後の体年齢でヨイショが入り、私の場合、毎回37歳とでる。
近頃、体の衰えが目立つ今日この頃、
飲み過ぎマークや自転車転倒やら、37歳という数字を見ても喜びはない。

実は精神年齢だったりして・・・・・
この歳でいまだに未熟の実感はある。
来月は53だ。

@@@@@@@@@@@@

朝5時過ぎに工場にはいる。
しばしば暗いうちに起きだして仕事場に向かった父の姿を
思い出す。
休みでも時間外でも、自分が動かなければ利益が出ない。
自営だもの。

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稲刈り、映画など

2011-09-25 15:45:21 | 身辺雑記
土曜日稲刈り。
急遽やることになり、参加人数少なく
一条刈りの稲刈り機に振り回されながら、
ナントカカントカ済ませる。
前進とバックを間違えて自分も一緒に用水に落ちそうになり、
冷や汗たらり。

仕事の後の雑談で、お世話になっている農家さんに聞いた話が面白かった。
正確な言葉は忘れたが、稲の品種も実は少しづつ変化している。
他の品種の花粉の影響や突然変異など。
ということは、コシヒカリ、ササニシキ、アキタコマチなどのお米も
常に同じものではないということだろう。
急に変化するわけではないから、違いに気付かないだけだ。

帰宅後くたびれて30分ぐらい昼寝した。
おまけに、今日になって、微妙に太ももが筋肉痛。

@@@@@

新しい映画は全然観ていないが、
テレビやビデオで以前観たものをまた観る機会が多かった。
「パーフェクトワールド」
チャビン・コスナーは好きじゃないが、この映画は泣かせる。
恵まれない境遇から犯罪者となるが、その心根には素敵なものがある。
世界の片隅にはほとんどの人が知る術のない宝が隠されているのだろうか。

「アメリ」
そんな風に生きていいんだ、と、ホッとする映画。
売れない小説家の「失敗こそ人生」という言葉にもうなずける。
失敗しながら生き続ける、自分の暮らしもまさに。

「ドライビング ミス デイジー」
英語に不案内ゆえ、初めこのタイトルの意味が取れなかった。
犬の散歩のことを「ウォーキング ア ドッグ」というので、
デイジー夫人を車に乗せた運転を意味するのだろうが、
端的な訳語が思い浮かばない。
誇り高きミス デイジーと、黒人の使用人ホークとの間に生まれる立場を越えた
心のつながりを描いた映画。
キスさえない恋愛の形とも思える。
さわやかな後味。

「マリアの悲劇」
非常におもしろかったが、ヘビーで辛い、絶望的映画。
救いはラストに。これが救いになるのか?

「グラン・トリノ」
実は終わりの方を見ただけで、ミキから大方の筋を聞いた。
他民族国家のアメリカで、差別的なからかいの言葉を交換しながら暮らすという
部分にすごく興味ひかれ、全編観たいと思っている。
もっとも、近所の酒場のトークはこれに近いが。

「赤目四十八滝心中」
面白く観たが、さて、後味悪く、隘路に落ちた文化を感じる。
観念的で感覚的で非現実の古い畑に咲いた仇花。




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芥川「雛」など

2011-09-11 15:50:48 | 読書
芥川龍之介が関東大震災の被災経験から書いた文があると聞き、
全集の六巻にいくつかの短い文をみつけた。
「吉原の貼り紙」の事「懐かしのケンタッキー」の事(共に大震雑記にある)と
「鸚鵡と一緒に逃げた老人」の事(鸚鵡というタイトル)が印象的だった。

「吉原の貼り紙」とは「濱町河岸の舟の中に居ります。櫻川三孝。」
哀れにも風流。被災した幇間が、被災してもなお洒脱気を示す。
心意気のようなものを感じる、と書いている。
「懐かしのケンタッキー」はお堀端を歩く芥川が、
不意に聴いた、水中で歌う少年の歌声に感銘を受けた事。
お堀の少年はただ酔狂に泳いでいたわけではない。
この文のテーマから察するに鳥、魚などの捕獲のため水中にあったらしい。
当時、日比谷公園の池の鶴と家鴨が被災民に食べられたという事件があった。
生きるために何でも食べるのは、生物としての欲求だが、
その最中にも、人は別の物も求めている。芥川は以下の様に書いた。

「芸術は生活の過剰だそうだ。成る程そうも思われぬこともない。
しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。
僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。
更に又巧にその過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ。
生活に過剰あらしめるとは生活を豊富にすることである。
僕は丸の内の焼け跡を通った。けれども僕の目に触れたのは
猛火も亦焼き難い何ものかだった。」

ヒトは生活の過剰(=文化=魂)なしには生きられない。
それどころか、時には生活の過剰が生物的欲求をぎりぎりの地点でも
裏切ることがあるということは歴史が示している。

「鸚鵡」は、被災した老人が孫娘と二人で避難中にはぐれ、
籠の鸚鵡と被災地を捜し回り、くたびれ果てる姿に
リアルと哀感を醸し出していて、気になる断章だった。

他の作品をみていたら、他に「雛」という小品もみつけた。
読んでみると、長年、鴎外の作品と勘違いしていたものだった。


「雛」の筋書きを追うだけならスラスラ読めるが、
細部になるわからない言葉がたくさんある。
雛人形の説明の、瓔珞(ようらく)、塩瀬の石帯などわからなかった。
ランプ以前の無尽灯。
母親の病の治療に蛭を15銭で買いに行く、という言葉もある。
蛭は15銭で何匹、どこへ買いに行ったのだろう。
煉瓦通り、会津が原などの地名もわからなかった。
文化の違い、時代の違いを感じつつ、いろいろ調べてみた。

煉瓦通りはおそらく銀座界隈のことらしい。
会津が原はみつからない。その代り、現東京駅丸の内側は
三菱が原と呼ばれたところだとわかった。
岩崎弥太郎が陸軍の演習地を買い取り、後に煉瓦造りのビル街を作った。
別名、一丁倫敦とも呼ばれた。
ひょっとすると、三菱が買う前は会津が原とよばれていたのでは・・・?
それを証明する資料はみつかっていない。
17歳の娘を人力車で案内するのに、一丁倫敦から煉瓦通りへと走るのは
最適のコースと思われる。とすると、この家族の住んでいた土蔵は
日本橋近辺にあったのではないかと推測された。

こんなところにこだわっていては、
遅読の癖がますますひどくなるが、まあ、それもいいだろう。

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