けせらせら、な日々

ふぃくしょん、ときどき真実

止まらずに

2012-04-23 16:51:04 | Weblog
足元に濁流があっても
架かる橋があるのなら
とにかく渡ってみようよ。

考えすぎて足を止めていたら
いつまでもあちらに渡れない。

揺れたっていいじゃない。
それで自分の気持がぐらついたって
ここで止まっているよりもいいじゃない。

とにかく先に行こう。
ここを渡ろう。

そっち側の風景は
そっちに行かないと見えないから。

さあ息を整えて、自分に呪文をかけて
だいじょうぶだいじょうぶ
なんとかなるなんとかなる。

自分を信じて。
自信を持って。



            ※静岡県伊東市 松川湖
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顔を上げて

2012-01-31 17:19:28 | Weblog

ほんの少し顔を上げてみれば 冬晴れの空が広がっているのに
大きく息を吸い込めば 冷たく澄んだ空気が胸を満たすのに
ぼんやりと前を見ているだけのわたしの顔は
きっと無表情で疲れた中年女そのものだろう。

上を向くのも嫌なほど身体が重くて
深呼吸もできないほど気持ちも重い。

晴ればれとした気持ちで空を見上げて
心からの解放感を得るのは いつなのだろう。
肩に乗ったオモリや脚に絡みつくカセを取り去って
軽々と自分の行きたい場所に行けるのはいつだろう。


もっともっと広い気持ちで 深い器で
いろんなモノを受け入れることが出来ればいいのだけれど
どうも私のそれは小さくて浅いものだったらしい。
誰かから投げつけられた愚痴や怨嗟や憤怒は
どんどんあふれて私の足元に溜まっていく。

蹴散らそうとする力さえ今の私にはない。
ただ その場に立っているだけだ。




           <<静岡県熱海>>
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2011-11-28 21:10:09 | Weblog
こんなにも穏やかで光に満ちた海が
あの日
たくさんの人を、平和な日々を、
昨日と同じ今日を、奪った。

変わらないと信じていたものが
大丈夫なのだと思い込んでいたものが
足元から崩れていく脆さを
人は忘れてはいけないのだと

今日の優しい海が
わたしに教える。



            ※神奈川・真鶴海岸

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さかりば

2011-09-20 11:43:53 | Weblog


風が吹き抜けず
よどんだ空気が動かない路地裏

積み上げられた雑多なもの
あやしげな「旅館」の文字
ものはあふれているのに、人は居ない
それでも花が飾ってあった。


新宿歌舞伎町
盛り場の昼は寂しい

夜もやっぱり寂しいけれど。





   <※新宿歌舞伎町>



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せなかあわせ

2011-04-28 20:21:59 | Weblog
向き合ってなくても
なにも言わなくても
あたたかいと思うことがある。

あなたと、そっとせなかをあわせると
ほら、こんなにあたたかい。



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Dialogue

2011-01-02 14:44:30 | Weblog

自分の言いたかったこと

心の隅にしまわれていて
言葉にならなかったこと

そんなことが
一冊の本になっていました。


竜太くんからの
素敵な贈り物です。


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花の寺にて

2010-10-13 13:05:14 | Weblog
たった一本だけ、白い曼珠沙華
竹林の途切れたところに咲いていました。


この林の先に眠っている人は
愛しい妻と娘と、たくさんの友人たちを
そこで見守っているのでしょうね。


黙って見守ることは時に難しいけれど
すべてが懐かしい想い出に変わるまで
ちょっと離れて、少しだけ笑って
そこに居るのでしょうね。



時を忘れずに咲く彼岸花。
忘れることはなくても、時は過ぎるよと
教えてくれるようです。




            ※世田谷区 大蔵
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いつも そこに

2010-09-20 16:29:45 | Weblog
物言わぬ彼の目にうつる日々の暮らしは
時に弾けるように笑い、時に顔を覆って泣き
戸惑ったり震えたり唄を歌ったり
そんなふうに流れていったのかな。

爭いがおきればその間に立ちはだかり
膝に顔を埋めればその顔を覗き込み
そんなふうに人の気持ちに寄り添っていたのかな。

彼の目のその先に広がっていた空間で
人が生まれ人が生き、新しい仔が来て育ち
また新しい生命が生まれて育ち
そのなかで交わされるいろんな声を
彼は黙って聞いていたのだろう。


彼がこの世界の舞台からおりた日
別れることのつらさを思い知らされた人たちが
たくさん泣いたよ。
いつかフィナーレの幕が引かれることは知っていても
やっぱり悲しくて悲しくて。


彼の愛した子どもが 天に昇る彼を取り戻そうと
せいいっぱいその手を伸ばして
戻ってきて、と叫んだのを 彼はきっと見たよね。


戻ることは出来ないけれど
彼はきっとずっと、そこにいて
あの慈愛のこもった優しい目で 見ているよね。

彼を知るすべての人たちがそれを信じて
そして心からのお礼を言うよ。

ありがとう、本当にありがとう。
今までずっと、そしてこれからもずっと
本当に本当に、ありがとう。









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ランニングハイ

2010-08-20 18:08:43 | Weblog
走り始めてすぐ足が痛くなった
肩が重くなって腰がふらふらした。

自分の呼吸が耳元で聞こえて
それはゼイゼイとうるさくて不快だ。
手のひらに汗がにじんでアタマが痛い。

「あの時はホントに腹が立った」
「なんであんなにいい加減かなあ」
「今度ハッキリ言ってやろうかな」
「あんな仕事断ればよかったのに」

ああ、自分の心の声がうるさい。
めんどくさいな、どうでもいい。

それよりも喉が乾いた ミズ飲みたい。

「どうしようかなあ」
「どうでもいい」
「ショックだったなあ」
「どうでもいい」
「・・・・でも、なあ」

「なんとかなるよ」
「どうってことないよ」
「なるようになるよ」


汗がしたたり落ちて化粧も落ちる。
アタマのなかが空っぽになって
なんだかすべてがどうでもよくなる。

足を交互に出す、地面を蹴る、前に進む。
結局のところ それしかないじゃん。
息を吸い込む、吐き出す、時々咳き込む。

ただそれの繰り返し。

けっこうめんどうな人生っていうのも
こんな感じじゃん?
考えすぎたら アタマを空っぽにしてみる。


そしたら少し 先に進める。



     <※京都 保津川>

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また同じところに

2010-05-08 20:59:34 | Weblog
人は、なにかに迷うと
どれが正しい道なのか、どう歩けばいいのか考えあぐねて
たくさんの角を曲がってしまったり、来た道を戻ってみたり
しまいにはもう歩くことさえ出来なくなって
立ちすくんだりするものかもしれません。


自分の気持ちは自分だけのものであって
それは自分以外の人には決して当てはまらない。
たとえそれが自分の生み出したものであっても子であっても
信頼し愛しあった人であったとしても。

何かを受け入れるというのは、たぶんとても難しいことで
自分はその器を持っていないのではないか、と
気がつけば自分自身を雁字搦めにしてしまう。

人の胸の裡はそんなに広くないからね。
少しずついろんなものを減らしたり削ったり消化してしまったりして
いつも同じだけのスペースを空けておかなきゃならないのかもしれない。

そうして空いた部分を余裕というのかもしれません。
そして余裕がなかったら、誰のことも受け入れることが出来ないのかもしれません。


それでも、それでも
たまには誰かに気持ちをぶつけたり吐き出したり
物言わぬ聖なる木や水に力をもらったり
そうしてまた気持ちを入れ替えることが必要なのかもしれません。

それを逃避というなら、それでもいいかもしれません。


ただ、その場から逃げたとしても
きっと人は同じ場所に戻ってくるものです。
まったく同じ場所に戻っても、はっきりとした答えを得てなくても
それでもその場所に戻ってくるものです。

それは逃避ではなくて、心の許容量をふやすための小さな回り道。
いずれ人は土に帰る。
どんなに着飾り美しい言葉を探しても、人は生を終えるものです。
大いなる人生のコンダクターは、誰にも正しい役目を与え
生き続けていくための壮大な音を奏でよと命じます。


目の前のことを見すぎてしまったら先が見えなくなる。
それぞれの生き方は自然のままに
無理に抗うことなく
ただ目をそらさぬように、しっかりと前を見て肩の力を抜いて
風に揺られながらもしっかりと立つ樹のように。



緑の重なる木々を見ながら
そう思い願う5月です。







         ※静岡県掛川市







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