読んで、観て、呑む。 ~押川閑古堂日乗~

宮崎の外商専業書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

『外来種は本当に悪者か?』 人間の一方的な都合と理屈による自然観の変革を迫る刺激的な一冊

2016-11-20 08:21:24 | 本のお噂

『外来種は本当に悪者か? 新しい野生 THE NEW WILD』
フレッド・ピアス著、藤井留美訳、岸由二解説、草思社、2016年


本を読むことの楽しみの一つは、これまで自分が抱いていた思い込みや、信じて疑わなかった「当たり前」「常識」が揺さぶられ、新しい視野とものの見方が拡がっていくことではないか、と思います。
今回取り上げる『外来種は本当に悪者か?』は、最近読んだものの中でもっとも、わたしの抱いていた思い込みや「常識」を揺さぶってくれたスグレモノの一冊であります。

「外来種」というコトバはたいてい、あまり良い文脈で用いられることがありません。外から侵入してきて、平穏に暮らしている在来の動植物を脅かし、ひいてはその生態系をも破壊してしまう、おそるべき「エイリアン」的な存在・・・。「外来種」とされる動植物にはおおかた、そんなマイナスのレッテルが貼られ、忌むべき存在として駆除の対象になったりしています。
イギリスの環境ジャーナリストである著者、フレッド・ピアス氏による本書は、とかく「善玉・悪玉」という単純な二元論で捉えられがちな外来種と在来種の関係性を再考し、実は外来種が自然の復元力に大いに寄与しているのだ、ということを、世界各地の実例を多数挙げながら解き明かしていきます。

まず最初に紹介されるのは、ブラジルとアフリカのちょうど真ん中に位置する、南大西洋の火山島、アセンション島です。ここにそびえるグリーン山に生い茂る植物はすべて在来種ではなく、島にやってきた人間たちによって持ち込まれたものだといいます。そこには南アフリカやブラジル、中国、ニュージーランド、ヨーロッパなど、世界中から持ち込まれた植物に交じって、なんと日本のサクラも茂っているのだとか。
チャールズ・ダーウィンがビーグル号で立ち寄った1836年当時は「丸裸の醜悪な姿」だったアセンション島の林は、この200年間に持ち込まれた「外来種のよせあつめ」による「人工の生態系」だったのです。にもかかわらず、ここでは偶然この地で出会ったにすぎなかった植物や昆虫、ほかの生き物が密接な関係を築き、多様性の豊かな生態系が完全に機能しているというのです。そういった場所では、「外来種」や「在来種」といった人間による区別など、何の意味もなしません。
動植物の相互作用は、長い進化の歴史を経て初めて成立する、という「共進化」の考え方を覆すアセンション島の存在は、いきなりわたしに大いなる驚きを与えてくれました。

このあと本書では、世界各地で起こった外来種の爆発的な増加の事例を多数挙げながら、その背景にあるものを探っていきます。
1980年代から90年代にかけて、東アフリカのヴィクトリア湖で大繁殖した、水草のホテイアオイと淡水魚のナイルパーチ。貨物船のバラスト水に紛れ込んでアメリカからやってきて、黒海で大繁殖したクラゲの一種。いずれも原因は、水質汚染による環境の悪化により外来種が勢いづいただけで、外来種が環境を変えたというわけではない、といいます(ちなみに船のバラスト水は、外来種が世界中に広がる最大の要因だとか)。

日本からアメリカに持ち込まれ、南部で大繁殖している植物のクズ。当初は園芸用植物として人気でしたが、成長が早く荒れた土地にも根付く特性から、家畜飼料や旱魃対策として栽培が奨励されました。しかし、家畜が飼育場で肥育されるようになり、葉を食べられることがなくなったクズは増えていく一方となり、厄介者扱いされるに至りました。
ここでも、大繁殖の原因はクズそれ自体にあるのではなく、人間の側の都合の変化でした。しかも、生態系への影響については「風聞ばかりが広がっていて、数量的なデータがほとんど」ないという状態なのだとか。「クズは悪者という決めつけが集団ヒステリーを生みだし、客観的な調査でその真偽を確かめる必要を誰も感じていなかった」と。

決めつけによる風聞を広めるのは、良いニュースより悪いニュースを取り上げたがるメディアや、原理主義的な環境保護論者だけではありません。客観的なデータやエビデンスに基づいているはずの科学界にも、感情論が先行した「外来種悪玉論」がはびこっているということを、本書は具体例を挙げながら指摘していきます。
ひとつの場所でともに進化してきた動植物の緊密な連合体、という生態系の定義のもと、「よそ者は害悪」と主張する「侵入生物学者」たち。その「挑発的な文体、戦争用語のたとえ、外国嫌悪の感情をあおる表現」から見えてくる偏見や、局地的なデータを地球全体にまで広げてしまうような詭弁には、正直唖然とさせられました。さらには、侵入生物学者による根拠薄弱でずさんなデータを、国連で環境問題に取り組む機関までが取り入れたり広めたりしているというのですから、もう何をか言わんやです。
「二流ジャーナリズムは『事実かどうかよりおもしろさを優先』とうそぶくことがある。科学界もそれにならっているとしたら、残念というよりほかない」というピアス氏の指摘に、ただただ頷かざるを得ません。

わたしたちの多くがありがたいものとして称揚する “手つかずの自然”。それも実は神話でしかないということを、本書は指摘します。
一見、何百年前からまったく変わっていないかに思われるアマゾン川の熱帯雨林には、つい500年前までは「新世界で最も高度に発達した先住文化のひとつ」とまで言われるような都市文明が存在していました。また、野生動物の楽園といえるアフリカの草原は、アジアからやってきた牛疫ウイルスにより牧畜民の飼っていた牛が死に、それがもとで人口も減ったことにより牧草地がなくなっていった結果、生み出されたものでした。
ピアス氏はこう述べます。少々長くなりますが、引用させていただきます。

「いまは地質年代でいうと『人新世』、つまり人類が地球環境に著しい影響を及ぼしている時代だ。私たちはこの現実を受け入れるべきだが、気落ちする必要はない。『手つかずの自然』はもはや存在しないけれど、自然はそれだけ回復力があり、したたかにやっているということなのだ。(中略)自然にとって、人間の存在はかならずしも悪とはかぎらない。どこかの森が枯れはてても、別のどこかで新たな森が育っている。作物や家畜の交配は遺伝的多様性に貢献してきたし、世界各地に新しい動植物を持ちこんだことで地域の生物多様性を高め、ときには進化の引き金にもなった。人間の影響が長期にわたり、範囲も広かったことがわかるにつれて、自然の底しれぬ回復力も強調されるのだ」

人間によって傷つけられたり、変容を余儀なくされた荒廃地でも発揮される自然の回復力と、それにより生み出された新しい生態系。ピアス氏はそれを「ニュー・ワイルド」と呼び、本書の最後でその可能性を論じていきます。
史上最悪の原発事故により広大な面積が無人となった、ウクライナのチェルノブイリ。強い放射線の影響が今も続き、一見すると生命とは無縁の場所となってしまったかに思えるこの地も、事故前より生物の数も種類も豊富となっている「野生生物の宝庫」となっているといいます。また、テキサス工科大学の研究チームが立入禁止区域のハタネズミの遺伝子を解析した結果は、遺伝子変異は通常の範囲内であり「大量の放射線が突然変異を引きおこすという主張を『裏づけることはできなかった』」とも。
もちろん、原発事故はもう二度と繰り返してはならないのは言うまでもないことなのですが、放射線と自然・生命との関係についても、偏見や感情論、イデオロギーを抜きにした調査と研究から冷静に見ていく必要があるのではないか、とわたしは感じました。

自然とはまったく変化しないのではなく、変遷と偶発性とダイナミズムを持った存在である、というピアス氏は、老齢林をはじめとする歴史ある自然=オールド・ワイルドは「人間の介入にますます頼らないと存続できなくなる」「博物館の展示物であり、タイムカプセルであり、実験室でしか成り立たない自然」だと言います。さらに希少動物の保護については「あくまで人間の欲求を満たすためであって、自然が求めているわけではないのだ。自然はもう別の方向に動き出している」と言い切ります。
そして以下のように、これからの環境保護に必要とされる考え方を訴えます。

「自然は受け身でかよわいものというロマンティックな幻想を、私たちはそろそろ捨てなくてはならない。むしろ自然はダイナミックで、やる気満々なのだ。それを認めれば、自然保護への取りくみも変わってくるし、むしろこれまでの方法が逆効果だと気づくだろう。(中略)自然の再生を後押しするのであれば、変化を抑えこもうとするのではなく、むしろ助長しなくてはならない」

旧来型の環境保護のあり方を徹底して問い直す『外来種は本当に悪者か?』。ときおり辛口の物言いを交えつつ展開されるピアス氏の主張は、読む人(とりわけ、旧来型の環境保護のあり方が「正しい」と信じ切っているような向き)によっては、反発を覚えるかもしれません(わたしも、希少動物の保護についてのくだりには、正直「何もそこまで言わんでも・・・」と思ったりしました)。
ですが、単純な「善玉・悪玉」の二元論に乗っかった外来種や在来種という区別や、“かよわい自然” といった自然観が、結局は人間中心の都合や理屈を反映した、一方的な思い込みであることは、認めざるを得ないように思いました(“地球にやさしい” という物言いなどは、その最たるものでしょう)。そして、そんな思い込みに立脚した環境保護のあり方には限界がある、ということも。
そして、自然は傷つけられたり変容を余儀なくされたとしても、変化を繰り返しながら再生し、復活していく、たくましくてしたたかな存在であることを示した例証の数々は、読んでいて嬉しくなるような希望を感じました。
そもそも、アフリカで誕生して地球の各地へと旅を続け、各地の気候風土に適応しながら広まっていったわたしたち人類も、れっきとした「外来種」の一つ。だからこそ、現在のような繁栄を謳歌することができたことを考えれば、他の外来種を目の敵にするのは人間の身勝手、というものでしょう。わたしたちは理性と知恵をもって、“仲間” でもあるこれら外来種との共存共栄の道を模索していく必要があるのではないか、そう思いました。

自然と人間との共存のあり方を考える上で、有益な刺激を与えてくれた本でした。多くの方に読まれることを願いたい一冊であります。
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