かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

背筋がシャンとしたこと

2017-11-19 10:02:42 | サイエンズ研究所のある暮らし

木曜サロン

腹が立つのは、思い込みやキメツケがあるからだ、と深く思い込んでいる。
思い込みやキメツケがあったら必ず腹が立つだろうか?

岩田さんが以前、スクールブログで「怒りは個人の問題、って思っていない?」と問いかけていた。
ハッとした。「怒りが発生する原因として、その人が置かれている立場を、他の人が犯しているばっかりに、その人は怒りたくなくても、嫌がって、怒っていることがある」
本来の人間、社会、健康正常な姿が明らかになれば、社会に怒りは発生しない」
背筋がシャンとした。除細動器の電気ショックみたいだけど、それとは違って、明るい気持ちに包まれた。

思い込みやキメツケを外すのは、怒りを無くすためというより、そこからゼロになって、本来の人間や社会を知ることから、はじまる。素直とか検討しているのはそこからか。そこが、見えたら不健康な状態が明るい陽の光に照らされて、自然消滅するのだろう。
ほんとうは、何をしたいのか?

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受けとめてくれる人たち

2017-11-15 11:14:40 | 理想の暮らしを語る会

 もう、四日も経った。

11日の午後、理想の暮らしを語る会主催の公開講座

「介護は新しい文化を創造する」が開かれた。

会場は鈴鹿カルチャーステーションのカフェコーナー。

今回は、パネラーとして、妻と一緒に参加した。介護受ける人、ぼく。

介護する人、妻。

そのほか、疾患を抱えたパネラー3人や介護経験がある女性一人

がみんなから見えるところに並んだ。

参加されていた方は20人くらいだったか。

進行役の森原遼子さんや、事務局の中井さんから、「老いても、

ボケても、安心して楽しく暮らせる地域社会を実現したい」と挨

拶があった。

 

パネラーは進行の人から質問があり、それに答えたらいいと思って

いた。

「じゃ、宮地さんから語ってもらいます」と振られた。

どぎまぎして、病歴のことや今の暮らしについて話した。

どのくらい話したらいいのかも聞かず、しゃべっているうち

「この話、いつ終わるのだろう」と心配になった。

終わってみたら、30分も話していた。

 

ほっとして、気持ちが楽になった。

パネラーの人の話をゆっくり聞けた。

市川憲一さんが、大腸がんの切除する手術をしている。

再発しないよう抗がん剤を飲んでいたが、体調がおかしくなり、

病院に行って、ようやくの思いで「抗がん剤はやめます」と

医師に伝えたら「ああそうですか」とあっさり承諾。

今は、職場の人などに相談しながらストレスの無い暮らしをして

いるとのこと。

 

金治智計さんは、15年前、腎臓結核というので、腎臓を一つ

摘出している。8年前から、腎臓が悪化して、人工透析が

始まった。

一人暮らし。生活保護など申請したが、難しかった。

今は血管に血が回らない合併症がおこり、心臓や足の血管を

広げる手術をしに、足を引きずりながら名古屋大病院に一人で

行っている。

月、水、金、一日6時間の透析。

聞いていると、イタイタしい。

ところが、金治さん、「病気になって、付き合っていくのが楽しい」

という。

「いろいろ起こるけど、その瞬間瞬間ゼロにもどれる。

たえず、自分に戻れる。病気も悪くない」

うーん、そんな気持ちで暮らしているのか。響いてきた。

彼とは、今サイエンズ研究所のサロンに一緒に参加している。

サロンが一番の楽しみだと聞いた。

 

野尻四郎さんは、70歳。ぼくと同年。

17年前、腎臓ガンと診断され、鈴鹿中央病院で切除手術をした。

10年後にガンは肺に転移して、それを切除。

こんどは首の後ろに瘤。はじめは、軽くとったらいいという診断

だったけど、ガンと言うことが分かり、頚椎の放射線治療をして

いるという。

抗がん治療が顎の骨を砕いてしまうおそれがあり、今三重大病院

にも通いはじめた。

身体は、ガンの百貨店。食事も特別流動食。一日、横になって

いるときもある。

幸い、痛みはない、不思議といえば不思議。病院も自分で運転して

いく。身体は痩せこけている。

それがである。

飄々として、暮らしている。明るい気持ちが大きいという。

「明るいと免疫細胞が活発に働いてくれるのかな」

彼が、そんなに明るく暮らせているのは、何があるのだろう?

 

脳性マヒの介護の仕事の経験があり、夫のガンの看取りをしてきた、

今井亜子さん。その人の気持ちになる、身体の介助だけでなく、

心のケアが大切だと話してくれました。

 

こんな病歴の話、あんまり聞きたいとは思わないんじゃないかと、

勝手に思っていました。

ところが、参加してくれた方は、ジッと聞いてくれていました。

どんな受けとめかたをしてくれたんだろう?

 

あとで、聞いてくれた人の感想を聞きました。

すこし意外でした。

何かとっても深く受け取ってくれたみたいです。

 

 ーー講演会の中身の深さを改めて感じています。自分の言葉で

  素直に語れる、それが人のココロにしみるのでしょうか。

 

 

 ーー今日私はある物語を受けとった。それはいつか私もたどるで

 あろう人生の先を今たどる人から、そのたどってきた道のりの

 物語だった。

 その贈り物を受けとって、私のなかにはじわじわーっと

 広がるなにかがある。

 甘えられること。

 つながりのなかで生きること。

 それが細胞まで活性していると感じること。

 自分と病気を分けて考えること。

 合うということ。

 する側とされる側ではなくその人の身体の一部になるということ。

 などなど、どれをとってもまだまだ感じることが多い。

 飛ぶことと
 身をまかせることが
 ひとつになって
 自由に空を舞う鳥のように
 また大空も
 自分の身体のように
 鳥とひとつになり舞う

 そんな地域を作っていきたいと思う。

 

 --講座は介護に主を置いたものでなく、むしろ、闘病でなく、

  友病みたいな感じでしたね。

  病を通して、人と人の繋がりを感じて、その中で豊かに生きて

  いけるんだってことが、もっと本当に悩んでる人に知らせたいな

  あって思いました。

 

 --パネラーの一人が「病気も意外とわるいものではないなあ。

 どんな自分になっても自分でありつづける。何かが出来なく

 なっても、それで自分の価値がかわることはない」と。

 その人の淡々とした話しぶりや表情から感じる彼の心の世界を

 感ぜずにはおれませんでした

 

 

実際のぼくを見てみると、不整脈がいつ起こるかの心配とか、

息切れや立ちくらみにめげるようなときも。

身体が不如意になって、杖をついて歩くのが楽だと知ったり、

明るい気持ちで過ごしているかといえば、あんまり自信は

ありません。

病気と明るく、軽く暮らしている仲間とそばにおれることに

感謝です。

そこから、「介護は新しい文化を創造する」という大テーマに

向かい合いたいと思いました。

疾患を抱えている人の話をこんなにじっくり聞き、受け取って

くれる人たちにも感謝です。

 

 

 

 

 

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非暴力直接行動

2017-11-02 20:55:47 | アズワンネットワークのある暮らし

ベトナム戦争のまっただなか、1960年代米軍を脱走した

元米兵クレイグ・アンダーソンさん(70歳)が、沖縄辺野古の

キャンプシュワブ前で座り込む参加者を激励したという

ニュースがありました。

ああ、同年代だと身近になりました。

辺野古でマイクを握ったアンダーソンさんは、冒頭

「みなさんの非暴力の行動を支持しています」とあいさつ

があったという。

アンダーソンさんの言葉の底に、どんな生き方があったん

だろう?

 

つい最近、友人から「鶴見俊輔さんの仕事⑤-なぜ非暴力直接

行動に踏み出したのか」(小泉英政・川上賢一・黒川創 編集

グループSURE)という小冊子が贈ってもらいました。

小泉さんと川上さんほか8人の人たちと、1967年11月12日夕方、

ベトナム戦争に協力するため訪米する佐藤首相に「行ってほしく

ない」と意思表示するため、羽田空港の道路に座り込んだ

(手をつないで寝そべった?)。

すぐ排除され、警察に連れていかれた。

 

そのあと、横須賀に寄港していた「イントレピッド号」から

4人の米兵が脱走した。いろいろな市民にかくまわれて、最後

は日本から無事離れることができた。

 

「人を殺したくない、殺されたくない」

それを、身をもって、表す。そのころは、その一心だった。

 

贈ってくれた「小冊子」では、「非暴力直接行動」とは

どういうことだったのかが、語られている。

身に迫ってきました。

 

以来、「戦争」や「対立」「争い」は無くなっていない。

沖縄辺野古に「新基地をつくってほしくない」という市民の

気持ちは、たえず大きな力で押しつぶされている。

 

キャンプシュワブ前では、座り込みがつづいている。

警察に引き抜かれても、どかされても、また座り込む。

見ていると、ほとんど身体での抵抗はしていない。

それが、つづいている源はどんなものなんだろう。

ときに、対立感情や怒りや勝ち負け感など、いろんな

気持ちが起きているだろうな、と想像できるにしても。

 

 優勢な力には、絶えず負けつづける。

一人ひとりの座り込みは、一人ひとりの願いが込められ

いる。

「人を殺したり、殺されたくない」

今とこれからに、大きな礎をつくっている。

押しつぶそうとしても、押しつぶしようもないこと。

一人ひとりの心底の願いに耳を澄ましたい。


 沖縄の基地は、すべて日本本土に移したい。

沖縄には、あまりにも負担をかけすぎている。

そういう社会は、先ず沖縄からおしまいにしたい。

 

 

 

 

 

 

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公開シンポジューム覚書き

2017-11-01 18:34:17 | 理想の暮らしを語る会

理想の暮らしを語る会や地域包括ケアの勉強会など最近、養生の

ため出席出来ないでいる。

11月11日に「介護が新しい文化を創造する」という公開シンポジューム

をやるので、パネラーの一人になるよねと聞かれて、引き受けた。

10月末に打ち合わせをしたいので、メモでいいから、いま思って

いることを寄せてほしいということだった。

 

とても明るくて、楽しげにも感じるチラシがいつの間にかできた。

 

あらためて、タイトルを何回も読み直して、「介護があたらしい

文化を創造する」なんて、畏れおおいテーマだと思った。

「新しい」といったら「古いもの」から転換という意味があるよな。

「文化」といったら、社会の人びとの暮らし方を根底から変えていく

と言う意味合いもふくまれるかな。

 

「介護」といっても、辞書をみて、こうだといってみてもはじまらない

とも思う。

自分が体調を崩してみて、始めて「医療」「看護」「介護」を体験して

僕はこんな風に今、受け取っているけど、どうか聞いてみたくもある。

それを、シンポジュームの前に覚書きとして、公開しておこうかな。

前置きが長くなっちゃいました。

 

医療・看護・介護をうける側から、思ったこと。

昨年12月から3月までと、そのあと7月はじめから8月はじめまで、

2回の入院を経験を中心に。

 

〇自分の疾患の実際を“素直に”受け入れられているかどうか。

・54歳(2001年ごろ)息がつけなくて、山登りが出来なかった。

 その後、熱と咳きが止まらず、病院に行ったら、拡張型心筋症を

 元疾患とする心不全を診断されて、治療がはじまった。

 投薬治療と塩分控えめの暮らしを伝えられた。

・2013年11月、夜寝ようとしたとき息ができなくなり、意識がなくなった。

 隣に寝ていた妻の心臓マッサージや近隣の人、救急車などで、病院に

 運ばれ、治療をうけ、一命をとり止めた。

 「心室頻脈」が原因だった。

 それがキッカケで、ペースメーカーと除細動器(AED)を心臓の上に

 植え込んだ。

 意識の上では、その状態を受けいれていたものの、振り返ると、心の底で

「まだ普通に暮らせるはず」という潜在意識があったようだし、「こんな

 ことがあっても」という気負いもあった。

 自分の現状を甘くみていた。


 ・昨年は体調が良くない日がつづき、部屋で休んでいるときが増えた。

  昨年12月に息が苦しくなり、入院した。

  不整脈の回路を焼き切るアブレーションという心臓手術を4回

  やった。

  3月退院。予後は「心室頻脈」は起こらないことはないが、

  減塩・水分調整・適度の運動をして養生することになった。

  週一回の心臓リハビリに大学病院に通った。

  

 ・普段の暮らしに慣れたころ、7月初め、再び心室頻脈が

  起こり、除細動器で止まらなくなって、5回目のアブレーション手術。

  8月退院。「だからと言って、もう起こらないとはいえない。

  心不全状態にならないように、暮すしかない」という診断だった。

 

 ・2回目の入院以後、「これはホントに、回復する望みはなく、心臓の

  実際を受け入れて、それに合わせて、生きられるだけいきる

  しかない」とやっと受け入れられた感じがする。

  疾患を受け入れたくない心理。

  ときに、「こんなはずはない」という気持ちがよぎる。

  「そんなに長くはないな」みたいな気持ちも出てくる。

  寂しさみたいなものも出てくる。

  そんなときは、とくに押さえ込まなくてもいいなと思っている。

  まずはそのまま、受け入れる。

  “素直になる”ってどんなことか、見ている。

 

〇自分が人の支えを必要になったことを受け入れる。

・妻にはずっと世話になっている。2013年の心肺停止のとき、妻の

 とっさの心臓マッサージがなかったら、どうなっていたか。

 感謝・感謝だけど、じぶんの中に、「人に迷惑かけたくないとか」

「人に頼って暮すのは、じぶんの気持ちが許さない」そんなものが

 あった。

・妻がコミュニテイの仕事をしていると、ぼくの世話のため、そっちを

 おろそかにしてほしくない、みたいなもの。

 それから、「人に何何をしてほしい」とか「大の大人が甘えるなんて」と

 いうもの。

 

・コミュニテイで、「甘える」ということを検討したことがある。

 人は産まれたときから、すべてに「甘えて」育ってきた。

「人に求める」「人に応じる」というのは、人間のもともとの性質

 じゃないか。

 入院して、何回目かの手術のあと、看護婦さんはいつでも来れる

 ようにしてくれているけど、なにか傍に妻がいてほしいという

 気持ちが大きくなってきた。

「来て欲しい」という気持ちを伝えるだけでいい。

 来るこないは、妻が決めたらいい、と思うけど、たったその一言を

 ラインに書き込むのをためらった。迷った。

 「えーい」とラインで送った。そのあと、妻ほ来てくれたと思う。

 病床には、短歌の本がいつもまくらもとにあった。

 上手い下手は度外視。気持ちを書いた。

     

   来て欲しい その一言が言えなくて そこがそこそこライン打つ

 

「そこがそこそこ」というのは、そのしっかり縛っているものから、

 本心を開いてみたら、と促していた。

 


・これは、どういうことになるかな。

 自分が支えが必要になったことの受け入れということと、「支え」は

 身体だけでなく、「ただそばにいてほしい」そういう気持ちもある、

 そんな気持ちも開放することかな。

 

あと、いろいろな思いが出てくる。


〇病気が好きになる。その臓器が隣人のように親しくなる。

 

〇介護する、介護されるの隙間を超えて。

 

〇何もしなくてもよい世界。
 本当は何をしたいのかに向き合う世界。

・本当は何をしたいのか?

 岩田さんが、ブログで「自分のなかの怒りや対立感情が

 なくなればいい」ぐらいにしか思っていないか。

 怒りには周囲環境から理不尽な仕打ちがあって、怒りたくなくても、

 怒らざるえないときがある。本当に怒りを無くしたいと思っているか、

 そうだとすれば社会全体から怒りや対立感情を無くしていくのが

 目的じゃないか、と問いかけてくれたと受け取った。

 背筋がシャンとした。

 自分の疾患の症状に気をとられて、本当にしたいこと、願っていること

 に焦点があたっているか、その実現は何か活動をするという以前に

 自分のなかの怒りや対立感情などがどのようなものかの解明から

 はじまるんじゃないか。

 目的は、社会全体から、実際なくなっていく一歩として。

 



シンポジュームまでは、まだ時間がある。

会のメンバーがいろいろ話し合ってくれている。

この「介護は新しい文化を創造する」というテーマは、どんな

ものか、しばらく見ていきたい。

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嵐の一夜

2017-10-23 11:05:42 | 家族あれやこれや

台風21号が東海地方に接近している。

何日か前から雨が降り続いている。

22日夕方、娘がやってきた。

「ああ、もうあのセゾン小林、あぶない」

アパートの南側の水路が連日の雨で増水して、あふれて、

前庭が浸水したら、床上浸水はまぬがれない。

「今回、そんなことになりそうなの」というわけだ。

娘のアパートとわがマンションは、目と鼻の先だけど、

アパートは水路に面していて、前庭には芝生をはって、

いってはなんだけど、ボロアパートにしては優雅に

暮らしている。ときに、そこでBBQしたり、お月見したり。

 

「ああ、今晩はこっちで寝たらいいわよ。布団ならいろいろ

出したらあるから」と妻。心強い。

「じゃあ、晩ごはんは食べて、その後来るわ」と娘。

「オーケー」

ベットで休んでいたぼくに聞こえてきた。

 

わが家の夕食は、豚のしゃぶしゃぶ。タレに注意すれば、

減塩しやすいメニュー。

鍋物はいい。なんか、ほっこりする。

そとは、雨が相当降っているらしいが、部屋の中は静かなもの。

 

8時を過ぎたら、衆院選の開票のニュースがテレビではじまった。

台風情報も間に挟まる。

娘ら8時過ぎても来ないので、妻がラインした。

「そうよ、風友がレストランのバイトに行っていて、迎えに

行って来たところなの。今から行くわ」ということだった。

また、何でこんなとき、バイトに行くかね。

分からんでもない。

子どものころでも、台風が近づいているなんて、ラジオで

聞いていると、怖さと、それと同じくらい好奇心というか

ワクワク感があったのを思い出す。

そんなときって、ジッとしてられないような気持ちになるんだよな。

風友がどんな気持ちだったかは分からないけど。

 

9時近く、娘一家がやって来た。

さっそく、寝場所づくりがはじまった。

ダイニングキッチンのテーブルを端に寄せて、床にマットを

敷き、あちことから集めた敷布団をしきつめた。

けっこう、広い。こんなふうに使えるんだ。

孫の風友と晴空は、修学旅行の寝る前をほうふつとさせる

はしゃぎたいけど、じっとしていたいけど、でもやっぱり

はしゃいでしまう。ケラケラ笑いながら、ママに絡んだり、

姉と弟でじゃれていた。

 

居間はそのままにしたので、テレビで開票のニュースも

それぞれやってきたり、出て行ったり、「そこ、座りたい」とか

言いながら、見ていた。

「晴空は、政治のことは分からないと思うけど、戦争するのはいやだ、

というのよね」と娘。

「怖いんだって」

 

ぼくは、10時過ぎまで、すこし頑張って起きていたが、ベットに

退室。

そのうち、それぞれ床に就いていったようだ。

 

だんだん風も出て、嵐になっているようだ。

マンションの部屋のなかには、そういう音は聞こえてこない。

耳を澄ませていると、わずかにその様子が想像できた。

娘や孫たちとの一夜。

かけがえのない一夜かも。

 

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