かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

ぼくのはたけ

2017-08-24 09:52:23 | わがうちなるつれづれの記

退院後、期限が迫った特定疾患(難病)の医療費受給のための申請に、

妻に運転してもらって、三重県保健センターに行ってきました。

毎年9月更新です。

熱暑で歩くのが息切れしてきつかったです。

この申請をしている人は三重県で2000人は居るそうです。

社会から手厚く援助してもらっているんです。

 

帰りに隣にある食品のスパーに寄りました。

涼しい所を歩いてみようと、店内に入りましたが、冷え切っていて、

いたたまれなくて、妻より先に車に帰ろうと歩いていると、葉生姜が

目にとまりました。今の時期の大好物です。

「食べたいなあ」と思いながら、妻のところに戻る気力がなく、車の

ところに行くと、なんとバッタリ40年来友人、佐々木佳子さんと出っく

わしました。

「もう歩いてもいいの」からはじまって、葉生姜のことを話したら、

「なーに、それならわたしの畑にあるわよ。あとで、届けてやる」という

ことでした。

その日の午後、葉生姜がわが家に届きました。

おまけにサツマイモまで。今の時期はこれから秋に向けて肥っていくのです

が、先人はまだ細いサツマイモを掘って、お盆のお供えにしていました。

葉生姜もサツマイモも、とびきり美味しかったです。有難いです。

 

実は、今年5月はじめスナップエンドウがいっぱい出来たといって、

前触れもなくもってきてくれたことがありました。

甘くて美味しかったです。

そのあと、絹さやも届きました。

6月はじめ、食事のお誘いを受けて、鈴鹿の国府町にある佐々木宅を

妻と一緒に訪ねました。

畑が1反弱あって、いろいろな野菜が育っていました。

佳子さんにその一つひとつを案内してもらいました。

そのとき、ふと「これはぼくの畑なんだ」と湧いてきました。

実際は佳子さんんがつくっているんだけど、それを「佳子さんの畑」と

分けてしまったら、佳子さんの喜びを受け取っていないような、何か

申し訳ないような気持ちがしてきたからでしょうか。

分かりません。それが、自然な感じだったかもしれません。

 

 

2回目の入院中もいろいろな人から、差し入れがありました。

妻はほぼ毎日、顔を見せに通ってくれました。

それができるのは、親しさでつながる仲間がいるんだなあ、と

思いました。

 

退院後、自宅で療養暮らしです。

妻も、ほとんどつっき切りで食事や家事をしてくれています。

食事は減塩食で、いろいろ工夫してくれてます。

収入は国保の年金と特定疾患の医療費助成だけです。

それにしては、毎日旬の野菜は届くし、暮らしの心配はないし、

人とのお付き合いも遠慮や気兼ねがありません。

訪ねてきた市川さんと話しているとき、このとき、ふと、「自分が

こんなに何の心配もなく暮せているのも、コミュニテイの人たちが

いるからだよね」口をついてでました。

見えないものが見えたという、新ためての感慨がありました。


そのあとで、「自分はそれに満足してるんかな」という自問が

起きました。

どうも、それはそれとしても、それだけじゃないものがあると

でてきました。

人がここにこうして居る、ぼくがここにこうして居る、という

のは、社会のさまざまな活動に寄って支えられ、植物や動物など

生きものによって、また太陽や空気、水の恵みで成り立って

いるんじゃないでしょうか?

人の成り立ちは、人がどう思うか思わないかにかかわり無く、

そういう関連のなかで、どこまでも「こうだ」といえない関連の

なかで、生かされているいるのじゃないでしょうか?

そんなこと、本を読んだり、ネットで調べたら当たり前のようだけど、

自分がこういうことでお世話になり、心をかけてもらって嬉しいという

気持ちが起きたとき、それで「よかった」で終わらせているんじゃ

ないかという問いがでてきました。


ふだん、「自分だけよければいい」というような考え方で暮して

いるとはおもっていませんでしたが、その拠って立つもとの

心の状態がそこに立っていたかどうかと自問すると、曖昧だなと

思いました。

台風が自分の地域は避けて通ると知ると、ほっとするような。

考えとしては「自分だけがよければいい」とは思っていなくとも、

ほっとするこころの状態には意識していなくとも、それとは違う

ところにいたんだなあと気がつかされました。

頭で分かっていたつもりでも、実際はどんな世界に自分が生きて

いたのか振り返っています。


自分の満足の基準をどこに置いているか問うてみたら、自分や

自分の周囲の人たちだけでなく、日本地域の人たちにも、世界

各地の人たちとともに、安心して満足に暮したい願いがあることに

気づきます。

いま、とってつけた願いというより、自分のみを願って暮した時期も

あったにしても、ほんとうの本当はみんなとともに、そいういう

暮らしがしたかったんじゃないかに、つきあたります。


「世界中のみんなで幸せになろう」


世界中のみんなが幸せになる世界から、現状をみていきたいと

思います。

自分や周囲のみの満足で「よかった」と完結させてしまっては、

知的にその世界を実現さすことがが遅れるのではないでしょうか。

いま、いちばんやりたいことかもしれません。


養生暮らしはしばらくか、あるいはずっとつづくかも。

それならそれで、その状態に適った暮らしを探っていく、話が

出来る人たちと見出しながらすすみたいです。

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿