かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

どこからはじまるか

2017-05-25 10:02:55 | わがうちなるつれづれの記

夏の気配をひしひしと感じます。

夏が過ごしやすいのかどうか、いまのぼくにはわかりません。

3月に退院して、毎週1回月曜日午後、心臓リハビリに通っています。

三重大学病院まで行きます。妻や息子の譲が送ってくれます。

リハビリ室に入って、先ず血圧と体重を自分で測ります。

そのあと、何人かのリハビリ参加者の人たちと、理学療養士の青年に

あわせて、すわって体操をします。

それから、胸に心電図の末端をつけてもらいます。

それから、自転車漕ぎ、エルゴメーターって言うらしいですが、これを

20~25分漕ぎます。

人によって、漕ぐときの負荷のかけ方がちがうようです。

ぼくは、3月からはじめてんですが、いまだに5ワットです。

ほんとは、漕いでいるときの心拍を見ながら、心臓に負担にならない、

有酸素運動になるところを見出して、リハビリしていくようです。

ぼくの場合は、除細動器を植え込んであり、脈拍も70と、ペーシングで

固定してあります。心臓に負担かどうかは、エルゴメーターの視線が

届くところに、「楽である」「やや楽である」「ややきつい」「きつい」

などのランク表があり、それでだいたい自分の感じ方で、測っています。

隣に80歳近いおじいちゃんが漕いでいます。聞いたら、ワット数は25~

35ということでした。

なるほど、ぼくはずいぶん底の方からはじめているんだなあと、実感し

ました。

理学療法士見習いの青年に聞いたら、100ワットで1時間漕いだときが

ありましたと答えてくれました。

その青年が眩しかったです。

 

日ごろの暮らしでは、週に3回ぐらい、20分、鼻歌が出るような感じで

歩いてみて、と言われてきました。

今は、毎日鼻歌が出てくるような気持ちでないけど、景色を見たり、

子ども達が遊んでいるのを眺めながら、歩いています。

20分はあっという間です。でも、それぐらい経つと、息切れが激しく

なります。

あるとき、休むつもりで喫茶店に入って、アイスコーヒーを飲んで、

それが美味しかったこと。

じゅうぶんに、休んで、帰りますと、1時間ほどの散歩になります。

リハビリ担当の女医さんに、「行動範囲がひろがったんですよ」と報告

したら、帰り際、「息が切れたら、そのていどで辞めておいたほうが

安心です。心臓に負担をかけて、悪化させてしまうときもあります

からね」

神妙に聞かせてもらいました。

どこかで、いまの現状認めたくないという、無意識の力がはたらいて

いるかのようです。

 

定期診察で、1ヶ月で1回ほど、三重大病院循環器内科の土肥医師の

ところに通っています。

診察の前には、血液検査をします。

時に、レントゲンや心電図検査もします。最近は、血液検査だけです。

土肥医師はまず「どうですか?」と聞いてくれます。

「ふだんの暮らしで立ちくらみや息切れが頻繁に起こりますね」とぼく。

「そうですね、いまちょっと脱水状態になりかかっていますね」

「・・・はあ、脱水状態?なんで、そう言えるんでしょうか?」

「BNPの値は、いままでより下がっているんですが、尿酸窒素や

クレアチニンの値が上がってきてるんですね」と土肥医師。

この辺のカラダのメカニズムはネットなどで時々見ていますが、そう

言われると、「そうですか」となるしかない。

水分をカラダに保持して、肺や心臓に負担をかけないように、食事では

塩分1日6グラム、水も一日1リットル目安で、暮してきました。

毎朝体重を測り、ぼくとしては、退院時60.05キロを目安に調整して

きたつもりでしたが、土肥医師がいうのは、「夏になって、汗もかくし、

体重は62キロ目安でやってみたらどうですか」

「そりゃ、ぜんぜん楽になります」とぼく。

「そうなんです、体重500グラムの差でも、いろいろな現れが起きるん

ですね」と土肥医師。

いやはや、よく分からない。

塩分制限、水分制限、適度な運動、適度な水の補給。水分バランス。

心臓と肺と腎臓の相互バランス。

 

<覚書>

BNP・・・心室に負荷がかかると分泌されるホルモン。基準値18.4。

     今回の検査では、347。入院時は、2000になっていたと。

尿酸窒素・・タンパク質を使い終わったときの老廃物は、腎臓でろ過され

     る。 脱水症状のとき、この値が高くなるとか。基準9~20。今

     回47・7。

クレアチニン・・筋肉運動のエネルギー源になるアミノ酸の一種。

        代謝の際、出来た老廃物、腎臓から排出される。基準

        0.64~  1.07。今回 2.21。

 

入院時の症状は、心室頻脈の不整脈が止まらず、それを止めなければ命に

かかわるものでした。

不整脈が止まらない中で、生死のあいだに身を置きながら、不安はぬぐえ

なかったものの、なんとか生きていこうとしていました。

これは、理屈じゃないようです。

病院食は、心臓食で誂えてあり、薄味で、調理の工夫はしてあるけど、

同じような味で、薬の副作用もあってか、食事中に吐き気が起こりました。

これには参りました。

食事時間が近づくと、それなりの覚悟をもって、食事にむかいます。

はじめは、全部食べていましたが、どうしもだめなものは残しました。

食べ終わると、一仕事終えたという安堵感と心地よさがありました。

不整脈を止める手術が成功するまでは、体力を保っていなくてはと

思っていたのです。

 

土肥医師に聞いても、循環内科の不整脈専門の医師に聞いても、

理学療法士に聞いても、同じ答えが返ってきます。

ぼく「退院後、いままでふつうに歩けていたのが、20分も歩くと

息が切れて、休まなくちゃならなくなっています。これって、

リハビリをやっていれば、少しは改善するんですかね」

医師の人たち「それは、人によって分かりませんね。ただ、宮地さんの

場合、心室の不整脈が、3月から起きていないことをまず是とすること

じゃないですかね」

 

それが、すんなりハラに治まっているとは思えない。

散歩でも、気がつかないうちに早足になったり、息切れが少しぐらいなら

20分以上歩いたりしている。

ときに、ちらっと、「宮地さん、居てくれるだけでいいんだけど」とか

耳に聞こえてくるときがあります。

人というものは、本来どんなものか?

歩きながら、考えるときがあります。

病院で、乳母車でぐっすり寝ている赤ちゃんに出会いました。

ほんとに、芯から眠っていました。

何か、こころに迫ってくるものがあるんですね。

そこに、そうしていることが、神々しい。

 

入院中は卑しかったです。

「ああ、あれ食べたい、これ食べたい」

妻が、ぼくが口から突いて出た、物を真に受けて、お昼ご飯のとき、こっそ

持ち込み、食べさせてくれました。とんかつの端くれ、シュウマイ、ワン

タン、カレーパン・・・

ちょっとつまむ感じで、どれも、あまり美味しくなかったです。

病院食に舞い込んだ異物のように、馴染まなかったです。

食事が進むように、海苔や佃煮をそっと持ち込んでいましたが、

看護師さんに見つかって、注意されました。

テレビでも、食べ歩き番組、はては「きょうの料理」を見て、唾を

飲む楽しみに浸かっていました。

海鮮丼を南から北まで食べ歩く番組には、こころを奪われて見ました。

「酒場放浪記」は欠かさず見ました。もつ鍋やそのほかの酒のアテ料理。

旨そうに食べているのを見るのが、楽しみでもありました。

見ているだけですから、味も感触も凡て想像ですが、見ないではいられ

ませんでした。

 

そうなんですよね。

お医者さんのほうからみれば、命にかかわる不整脈をとめるのにどうすれば

いいか、助命に傾注してくれているのに、当人はこんなことに血道をあげて

いる。そのときは、あんまり思いませんでしたが、いまはとっても深刻でも

あり、滑稽でもあったなあと思いだされます。

 

ずいぶん不安な夜を過ごしました。

いまでも、ときにそういうものに見舞われるときがあります。

そこにいる、とか、そこに存在している、そこはどんなところ

なんだろう?


そんなことおもっていたら、詩人・故山之口獏がふと思い起こされ

ました。

獏さんは、若い頃、極貧だったらしいです。

「襤褸は寝ている」という詩を書いています。 

  「襤褸は寝ている夜の底/空いっぱいの浮世の花/大きな米粒ばかり

   白い花」で詩を結んでいる。

 「夜の底」という比喩が3回もでてきていました。


「座蒲団」という詩もあります。

  土の上には床がある

  床の上には畳がある

  畳の上にあるのが座蒲団でその上に楽があるという

  楽の上にはなんにもないであろうか

  どうぞおしきなさいとすすめられて

  楽に坐ったさびしさよ

  土の世界をはるかにみおろすように

  住み馴れぬ世界のさびしさよ


ああ、なんとなくぼくの心の奥に響くものがあります。


最後に、「そうやなあ、そうやなあ」と獏さんに思わず共鳴して

しまった一編があります。

 


        たぬき             山之口獏

   てんぷらの揚滓それが

   たぬきそばのたぬきに化け

   たぬきうどんの

   たぬきに化けたとしても

   たぬきは馬鹿にできないのだ

   たぬきそばたぬきのおかげで

   てんぷらそばの味にかよい

   たぬきうどんはたぬきのおかげで

   てんぷらうどんの味にかよい

   たぬきのその値がたぬきのおかげで

   てんぷらよりも安上がりなのだ

   ところがとぼけたそば屋じゃないか

   たぬきはお生憎さま

   やってないんですなのに

   てんぷらでしたらございますなのだ

   すぐそこの青い暖簾を素通りして

   もう一つ先の

   白い暖簾をくぐるのだ


大学生のころ、大学新聞を印刷する前の追い込みで、印刷所で

仲間と食べたたぬきうどんライスが忘れられない。

”てんかす”が出しに溶け込んで、どろどろになったところが、

うまかった!

後天的なものかと思うけど、例えば、鮭の皮とか、鳥の皮とか、

秋刀魚の内臓とか、納豆のネバネバにおこげご飯、3人の兄弟で、競って

食べました。

生きることと、美味しく食べたいは、ぼくのばあい、美味しく

食べたいに軍配が上がるかな。それも、自身の貧しく、ひもじい

時代の、何ともコトバに出来ない旨さ、その背景にある人びとととの

郷愁の味。それが身に滲みた、滓みたいなものへの親しみ。


幾たびも湧いてくる問い。どこからはじまるのか。

いま、ここにいるところから? ここ、から?

             

        (おしまい)

         


 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

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