かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

「人形の家」

2017-06-20 16:44:45 | わがうちなるつれづれの記

迂闊なもので、自分が以前に言ったことは忘れていて、相手の人から

「こんなこと言っていたよ」と聞いて、そこを思い出そうというときが

あります。

 

昨年、音信が途切れていた友人から手紙が届きました。女の人です。

「以前、わたしに人形の話をしてくれたの覚えていますか」と書いてありました。。

「人形はただ坐っているだけで『こうなったらいいなあ』『ああなったらいいなあ』

と願っているだけで、周りの人が願ったものを用意してくれる」

そういえば、そんな話をしていたかもしれません。

 友人はその後、いろいろ困難なこともありましたが、自身の生き方を

しっかり見つめているようです。

手紙の最後に、こうありました。

「人形のように、わたしが願っていたら、そしてそれがやったら良い事で

あったら、そうなって行くと思っています。何か自分の力でないものに

動かされている気がしています。人として「真理」に添って生きていこう

としたら、その流れはわたしを見放さない気がしています」

いまは。60歳を越え、独り身で暮している友人に脱帽です。

 

そのとき読んだ本が今だったら、どんなふうに読めるだろうか、

図書館に行って借りてきて、読んでみました。。

 

児童向けの「人形の家」は、イギリスのルーマー・ゴッデンさんの作品です。

イプセンの「人形の家」は、人形みたいにあつかわれた人間の物語ですが、

ゴッデンさんのは、人間のようなこころをもった人形の話なんです。

主人公は、トチーというオランダ人形です。

木で作られた小さなオランダ人形です。

もう、100年、大おばあさんの代から、子どもたちに遊んでもらってきています。

人形の家族はプランタガネット家で、いろいろな人形の寄せ集めで、

おとうさん・おかあさん・トチー・幼児・犬で暮しています。

いまはデーン家の娘エミリーとシャーロット姉妹が、人形たちをじぶんの

家族のように大切に世話をしています。

 

この物語の作者ゴッデンさんは、作品のなかでこう書いています。

「トチーはそのように願うことしかできないのです」

「人形は何も話すことはできません。でもしばしば人形の願いは口に

出していうのと同じくらい強いのです」

「みなさんは人形の願いを感じことはありませんか?」

 こんど読んでみて、ここの、一節には、一瞬、ドキッとしました。

自分からみている世界がガラリと一変する感じがありました。

 

ゴッデンの「人形の家」では、プランタガネットさん一家が、こころをもっ

人間のようにいろいろな願いを話し合うあうのです。

その願いをエミリーとシャーロット姉妹が人形たちの気持ちが伝わったかの

ように、その願いが叶うように考え、動いたりするのです。

人形たちと姉妹との微妙なこころの交流が面白いです。

エミリーが、綺麗でうつくしいが、気位が高いマーチベーンを人形の家の

主人にして、プランタガネット一家は台所に追いやることが起こりました。

シャーロットはそうしたくなかったのです。

トチーは、そんな危機にたいして、「願わなくてはいけないわ」とみんなに

声かけます。

トチーはいいます。

「でも、わたしはエミリーを知ってるわ。あの子は道理もじゅうぶん

わかっているのよ。・・・いつかエミリーも間違いに気がつくでしょうから」

人形の家で事件が起こり、エミリーは「これまでのプラガネット一家の暮ら

しがいいわ」と気がつきました。

マーチベーンは、彼女にとって居心地のよい博物館に贈られました。

ものがたりは、読みすすむと、それぞれの人形が、マーチベーンもふくめて

「ひと」と「もの」切っても切れない深いつながりが見えてきます。

関心のある方は岩少年少女文庫で読むことができます。

 

「人形の願いを感じたことがありますか」・・・・

わが身辺を見渡してみると、机上の棚には、木製のかたつむりやインデアン

の酋長が子どもたち太鼓を叩いている土の人形があります。

孫の晴空が旅のお土産で、爺と婆にとかってきてくれた真鍮製の時計と

蓄音機があります。

そのものたちが何を願ってそこにいるのだろうと想像すると、「それって、

どんなことおもったり、おしゃべりしているのだろう?」と楽しくなります。

東側の窓の棚には、妻がお気に入りの人形たちやおもちゃがあります。

木製のバイクは、子どもたちが触ったりしてガタがきています。

木製の機関車は2歳の孫がきゃっきゃっと遊びます。

耳の欠けた猫はインドネシアから渡来しました。ぼくのお気に入りです。

 

 

まどみちおさんの詩が思い出されました。

     

     「ものたちと」

  いつだってひとは ものたちといる

  あたりまえのかおで

  

  おなじあたりまえのかおで ものたちも

  そうしているのだと しんじて

 

  はだかでひとり ふろにいるときでさえ

  タオル クシ カガミ セッケンといる

 

  どころか そのふろばそのものが もので

  そのふろばをもつ すまいもむろん もの

  

  ものたちから みはなされることだけは

  ありえないのだ この世では

 

  たとえすべてのひとから みはなされた

  ひとがいても そのひとに

 

  こころやさしい ぬのきれが一まい

  よりそっていないとは しんじにくい

 

もしかして、じぶんが願いつづけていることって、じぶんがそう願って

いるんだと疑わなかったけれど、どうだろう、もしかしてぼくの身辺の

「もの」たちはもちろん、地球が成り立ち、生きものを生かしている

すべての関連から願われていることがあり、それらのうちのいくつかを

受けとめて、それこそそれらによって、生かされいるんではないで

しょうか。

 

ときに、「これが見納めになるかも」とよぎるときがあります。

そんなとき、通りがかりの樹木や花に、関心がいくんですね。

道ですれ違う人にも、なにか近しい気持ちが湧いてきます。

これから、じぶんになにが出来るかわかりませんが、地球の上の暮す

すべての人たちの願いをわがこととして、受け取りながら、暮していき

たいです。

まだまだ、いろいろな誘惑に負けて、気がついたら外れていたなんてこと

あるかも。そんなときは、声かけてほしいです。

 

手紙をくれた友人に感謝したいです。

 

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ほんだ雅子)
2017-06-25 22:45:21
宮地さんわかりました
その記事ごとに開いてから
写真を楽しんで

次の記事に進んで そこで写真を大きくして
行くといいのですね
Unknown (本多雅子)
2017-06-25 22:54:12
チラシがどれも なんだか優しい感じ
いいなぁー
Unknown (本多雅子)
2017-06-25 22:54:40
チラシがどれも なんだか優しい感じ
いいなぁー

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