かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

先祖を訪ねる旅(2)

2016-10-28 10:27:20 | 家族あれやこれや


17日の夕方、因島に渡りました。

<夜7時ごろ、因島・重井にある民宿に着き、1泊する>

暗くなっていました。

食事は鯛の造りやその鯛の頭の甘辛煮や海のものの料理がならび4人が

全部たいらげたときは、お腹がはちきれるばかりになっていました。


密度の濃い1日でした。

食後の一休みをしながら、瀬戸内海の歴史にくわしい作家森本繁氏の

「村上水軍のすべて」という本を読み返しました。

そのなかに「村上水軍武将列伝」と言う章があります。

村上水軍は中世期、南北朝の争いのなかで、南朝に加担した村上義弘

のもとで、瀬戸内海での勢力基盤をつくりました。

それが三つに分かれ、因島、来島、能島と三島村上水軍が形つくられて

いきました。

鳴滝山の熊野神社で見た案内文からすると、戦死した城主宮地恒躬の

嫡男大炊介明光はそのうちの因島村上水軍を頼ったことになります。

始めは鳴滝城の奪還を図ったのでしょうが、森本氏の書によると、

「後に(因島)中の庄の大江城に移り、ここが宮地氏の本拠となりました」

とあります。


中の庄には村上氏の菩提寺「金蓮寺」があり、文安6年(1449)宮地明光

とその子息宮地資弘が主君村上吉資のため薬師堂を建立したり、金蓮寺

の屋根を葺き替えたりしたと言われています。

また中の庄八幡宮も重修しています。

森本氏はそのころの宮地氏について「経済的に富裕な武将で、因島中の庄

の実権を握っていたにちがいありません」と言っています。

 


なぜそのような経済力が発揮できたのか。森本氏は資料などからこう考察

しています。

「この宮地氏は吉和鳴滝城主であった頃、木梨杉原氏の船奉行をつとめ、

備後内陸部の鷲尾山城(尾道市木ノ庄木梨)に本拠を置く杉原氏の外港吉和

で海運に従事していましたので、海事にくわしく、因島村上氏の下でも兵站輸送

関係の仕事を担当していたと思われます。

(中略)そればかりでなく「戊子入明記」という書物によりますと、享徳三年

(1454)に明国へ渡航した船として「備後国院(因)島熊野丸、六百石」があげられて

いますから、宮地氏は備中入道吉豊の亡きあと、その嫡子備中守吉資を助けて、

対明貿易にも従事していたことがわかります。」

 

「なるほどね」となにか新しい発見でもしたような気持ちでした。

宿の主人が「この場所からしまなみ海道を越えて反対側に行くと、中の庄と

いうところがあるけど、そこは宮地という家がいっぱいあるね」ということでした。


<18日朝、因島中ノ庄>

わが妻小浪はこのような旅先では、日々のくらしではあまりぼくには見せない

積極性を発揮します。

その朝6時すぎ、がばっと起き上がり、「朝日、見に行かない」とぽつんと言って、

ぼくが「いやあ」とかなんとか考えているうちに、あれよという間に宿を飛び出して

小浪はデジカメに朝日が昇るときの様子を撮ってきて、「それ、見てみな」と満足気

でした。

8時前に宿を出て、すぐ中の庄に着きました。

朝市が開かれていたので、そこに顔を出してみました。


お店のテントに宮地という名前がついていたり、テーブルに並べられているケーキ

や野菜にも宮地と生産者の名前が見えました。

そうなると、俄然親しみの感情がわいてくるものです。

   

<八幡神社(別名隠島神社)を訪ねました>

朝市をやっている広場の北側が山になっていて、坂を上っていくと金蓮寺や

村上水軍城博物館があり、その反対側、南のほうに山並みが連なっていて、

その一番手前の山の中腹に八幡神社らしきものが見えました。

行ってみると、神社の長い石段が急勾配についています。

えらいことだと思いながら、上がりきったところ、また次の石段が同じぐらいの

長さで待っていました。「はあはあ」とぼくは息をついていますが、太郎や桃子は

石段の左右に並んでいる、神社に寄進した人の石柱の名前に宮地が多いことや

「あっ、宮地の隣に松浦もある」

「あっ、ここにも」

「信二くん(桃子の夫君、松浦姓)とは、なにか縁があったのよね」と騒いでいました。

境内は手入れが行き届いて、荒れたようすがどこにもなく、清楚な静けさにつつまれて

いました。

急斜面に神殿がいくつも建てられていて、それを繋ぐ回廊もあり、独立した神殿の

周囲は庭園のような佇まいでありました。

人影には行き会えませんでしたが、多くの人たちがこの神社には手をかけていることが

想像されました。本殿前の鳥居から、遙か向かい側の山に村上水軍城博物館が

見えました。しばし中の庄というところの空気を吸いながら往事に思いを馳せました。




 < 金蓮寺と村上水軍城博物館>

金蓮寺は山の中腹に斜面を背にして本堂があり、周囲は段をなして墓が立ち並び、

境内を扇形に見下ろしている風情になっていました。

村上氏一族の墓があるというので、本堂左にある坂道をのぼりました。

ちょっと行くと、その左側の一角が村上氏一族の墓で、「どの墓石が誰のものかは

分らなくなっている」と案内が書いてありました。

太郎が「ここに宮地の名前の墓がある!」「あっ、上の段にもあるわ」と新発見の

声をあげていました。

村上氏と宮地氏のつながりは、深かったのかもしれません。


博物館は山の頂上にありました。

水軍の城としては、そこからはどこにも海が見えません。

そのはずです。そこは博物館であって、往古の水軍城は因島の南端の岬に

あるとか。

太郎は水軍の兵士が往古着用していた観光客用の鎧兜に身をかため、

桃子らがわいわい言いながらその写真を撮っていました。

博物館には村上氏と金蓮寺と宮地氏の関係をうかがわせる文が刻まれた

瓦などが展示されていました。

金蓮寺の山門の右に尾道市因島史料館もありました。

ここでは因島の人々が瀬戸内海海運を通じて暮らしてきた足跡をたどって

います。

パンフレットをもらって、よく読んでみると、「展示史料概要」という欄に

こんなことが書かれてありました。

「・・港町として発展した尾道を中心に、芸予諸島は、中世・近世の帆船時代、

潮待ち、風待ちの港として、多くのの商船で賑わい、浦々は交易で栄え、

警護の武士集団として村上水軍が活躍した。

関が原の戦後、村上氏は毛利氏に従って防長に移り、交易などこれまでの

生業は否定され、家老職にあった宮地家を中心に、島に残った家臣団の

多くは、海運・造船・水産業・製塩・農業などに従事した。・・・」

解説としては、因島は帆船など造船の基地でもあり、江戸の経済を支えた

北前船や菱垣廻船などでその時代の海運に貢献したとありました。
 

また中の庄から輩出した世界的な人物として、天文学者の宮地政司、

動物学者の宮地伝三郎が紹介されていました。

宮地伝三郎はサルの研究をされた方とぼくも知っていて、まったく知己でも

ないのに懐かしいと言う気持ちが出てきました。

(だから、どうとかいうことはないのですが)

 

 

< この後村上水軍城跡を訪ね、因島公園の頂上から瀬戸内海を眺望しました>

先祖宮地を訪ねる旅は、今回は金蓮寺で終わりました。

旅から帰ってきて、史料などみていたら、中ノ庄で宮地氏が本拠としていた

「大江城跡」というのが、どうも「八幡神社」のとなりあたりにあったようです。

朝市のとき、“宮地おばさん”に聞いたとき「さあてね、あまりきいたことない

ねえ」という反応だったので、深追いしなかったのですが、その道の人の間

では「ここ」とはっきりしているようでした。

村上水軍というのはどんな集団だったかという問いでしらべはじめたら、

またどんどん興味がわいてきそうです。

今回も宮地の先祖をたどるとしたら、村上水軍のことを調べなければ分らない

ことでした。でも今は、この辺で踏みとどまったほうがよさそうです。

今回の旅では、因島公園の頂上からすばらしい瀬戸内海とそこにつらなる

島々の景観に見とれてきました。

この観光のあと、三島村上水軍の一つ「能島村上水軍跡」にも行ってきました。

うず潮体験という観光船で水軍城のあった島をめぐってきました。

水軍の拠点があった島の周りには、島の配置によるのでしょうか、ものすごい

勢いの潮の流れができていて、それがぶつかりあい、渦をつくっていきます。

帆船時代、この潮の流れを熟知したものでなければ、その付近は航行できない

というのは、十分に肯けました。

太郎は潮に翻弄される船の縁にしがみついていました。

桃子と小浪は存外平気らしく、桃子は太郎の緊張した顔をパチパチ撮るし、

小浪はこれでもかとばかり、うず潮のようすを撮影していました。

水しぶきを浴びながら、海とか島とか船を暮らしの基盤にしてきた人たちが

いたんだなあと、思いはじめています。

学校とかでは、奈良時代、平安、鎌倉、室町など、陸地それも京都を中心にして

歴史を習ってきましたが、この辺も今回の旅では「どうだったんかな」という感想

ですが、これはこれからの宿題にして、この辺でいったん区切りにしたいと思います。


        (つづく)

 

 

 

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