災害支援ボランティア 宮北会(みやきたかい)

東日本大震災後、岩手県宮古市・山田町で被災者との「顔の見える」交流活動を続けています

被災地・岩手県山田町 第29回目の現地交流報告-追補(7/6)

2017-07-06 19:54:48 | 報告

「変わらずに傍にいる、傍にいようとする想いを」

  71日(土)から3日(月)まで、災害被災者支援ボランティア団体の宮北会が震災直後の201149日から支援活動を継続展開している山田町に行ってきました。

  現地では仮設住宅から公共の復興住宅への移動転換期となっています。不自由な仮設から安定した住宅への移動なので、これで問題が解決したような印象を与えますが、そうではありません。仮設でやっと助け合う共同体意識が、ここでまた解体され、新しい場所に行くわけで、被災者はここでまた苦しみます。特に一人暮らしの高齢者などは不安になります。移動できない・移動を躊躇する被災者も出てきます。復興住宅に入居すると家賃が掛かってきます。仮設では経費は個人負担ですが家賃はありませんでした。経済的に苦しい方が出てくるわけです。さらに病気などを持っていると医療施設が遠くなったりすると、これも負担になってくる。こうした問題が今、それぞれの被災者の心を悩ませています。

  私達がこの問題を解決することは出来ないが、その苦しい思いを伝えることは出来  る。それと、孤立化への不安に対して、「変わらずに傍にいますよ!」というメッセージを伝えることは出来るのです。

  今回は、そういうメッセージを伝えるための活動でした。

  震災の年の秋から継続している「私たちは忘れない」というチャリティーコンサートをさいたま市宮原地区有志により行っていますが、その中心メンバーの楽団「Sit 46」というバンドのメンバーら10人で演奏と交流をしました。

  生楽器の演奏の迫力と、被災者の方も良く知っている曲を皆で歌ったりしながらの、楽しい交流で、バンドリーダーが作った山田町の曲「故郷・山田町 もうそこに」を披露したり、お返しに「山田町旅情」という歌の返礼があったりして涙溢れる場面がありました。本当に心の通い合う交流が出来ました。

  しかし、それにしても現在進行中の巨大な防潮堤の壁は、あの美しい海を遮断する壁であり、町から海が見えない、道路を車で動いているとただ壁が延々とつながるという、あの圧迫感はすごいもので、そこからは未来への「希望」というものが湧かず、むしろ怒りと絶望と虚無感のようなものが生み出される思いでした。

車から見た宮古市内 道路脇の防潮堤(2017.7撮影:Sit46 清水様)

宮古市田老漁港の定点写真

上・・・震災6年4ヶ月後(2017.7撮影:Sit46 清水様)

下・・・震災5ヶ月後(2011.8撮影) 

  今回の第29回目の訪問で、会場に大漁旗を掲げて迎えてくれた山田町北浜の皆さんに、心から感謝いたします。

江藤善章

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東日本大震災
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