みやけん日記

宮澤賢治4コマまんが

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谷の りすけ

2015年10月01日 | 童話


初期の短編童話に「谷」という作品がある。
ほとんど気にしていなかったこの作品に注目したのは
ある人が、ここに出てくる「理助」という人物が好きだと言ったからだ。

なんだか意地悪、でもどこか憎めない。
私が感じることができなかったユーモアと人間愛を
その人は教えてくれたのだった。

このマンガを描いたのは、4コマを始めてわりとすぐのころだが
どういうわけかアップしそびれていた。

そしてこれを披露する前に
その人はこの9月のある日突然、
銀河鉄道に乗って、旅立ってしまった。

賢治のこと、音楽のこと、もっといっぱい教えて欲しかった。

でもきっとあっちでは楽しく
賢治やウッディ・ガスリーやピート・シガーなんかと会って
お喋りしているんだろうな。

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平和の祈り

2015年09月28日 | 昭和20年


引き続き、宮澤清六『兄のトランク』から。
「焼け残った教材絵図について」という文章より。

「終戦五日前のその日の正午頃、釜石からの米軍艦載機が何機かで花巻に爆弾を落とし、機上からの機銃掃射で沢山の死者が出た。それはグラマン艦載機で、花巻の附近にあった後藤野という小さな飛行場を攻撃した帰途に、花巻を爆撃したのであった。
たしかにその中の一機は、私共のすぐ上まで降りて来て、飛行士が機上で手をたたきながらはしゃいで機銃掃射をして、低空を大へんなスピードで飛んで行ったのを私は見たのだ。」

清六さんの文章の行間には
いろんな思いが詰まっているのだと思う。


賢治が「戦争」に対しどのように考えていたかは
生前に出版した童話集『注文の多い料理店』の「烏の北斗七星」という作品の
このフレーズに集約されていると思う。

そして(農民芸術概論綱要)のこの一行にも。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

平和のためには、そのための「戦争」なんてあり得ないのである。
戦争をしたがるのは、人間の皮をかぶった悪魔である。

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防空壕

2015年09月25日 | 昭和20年


さて、清六さんが命がけで賢治の遺稿を護った防空壕。

昭和20年5月から花巻の宮澤家に疎開していた高村光太郎に
防空壕を作ることを勧められてのことだったと、
清六さんの孫の宮澤和樹さんは講演会で話している。

清六さんの書いた『兄のトランク』(ちくま文庫)収録の
「花巻から山小屋までの高村先生」には、千代田氏に勧められたとある。

いずれにせよ、「焼けないものと安心していた」宮澤家の人々に
防空壕を勧めたひとがあり、
結果、賢治の作品は護られた。

感謝あるのみ。
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土蔵

2015年09月10日 | 昭和20年


賢治の作品や資料は、土蔵にもしまわれていた。
立派な土蔵である。
清六さんもきっと、空襲にやられずにすんだと安心したことだろう。
ところが、である。
三日目の朝、黒い煙がでているのを見つけた。
土蔵のそばに積まれた木炭の、底の方に鼠の穴があり、
外部が冷えるとともに外の空気を吸い込んで少しずつ燃え広がっていたらしい。

手押しポンプで水をかけ消火したというが
かくして名作『春と修羅』の原稿は、
こんがり薫製色になっているのである。
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5日間

2015年08月30日 | 昭和20年


敗戦から70年。
アップしなきゃと思いながら、今日になってしまった。
暑い夏もいつの間にか終わりつつある。

昭和20年8月
二つの原爆が投下されても、
ポツダム宣言を受け入れるまでぐずぐずしていた当時の権力者ら。
かなり早い時点でこの戦争は負けだと気づきながら誰も止められなかった。

たくさんの尊い命が失われた。
二度と戦争をしてはならない。
そんなあたりまえのことが
揺らいでいる。
過去のできごとだと思っていた映像や記録が
まるで未来の預言のように迫ってくる。

今日は全国で一斉に「戦争法案」抗議行動が行われる。

賢治の弟・清六さんは、
空襲の最中、防空壕に賢治の遺稿を運び込み
火が入ってくるのを防いで、味噌を隙間に塗り込んだり、
醤油をふりかけて消し止めたりして
まさに命がけで護ったのだという。

賢治ファンとしては
他のたくさんの遺稿や資料が
敗戦日のたった5日前に失われてしまったことは
まことにまことに残念である。

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