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慢性疲労の最大の原因は「お疲れさんの肝臓」にあり

2014年07月09日 | お疲れさん状態の肝臓

慢性疲労の最大の原因は「お疲れさんの肝臓」にあり

 慢性的なひどい疲労感があるにもかかわらず、病院でいろいろ検査してもらっても格別に異常は認められず、“そんなはずはない。こんなにひどい疲労感があるのだから、どこか悪いに決まっている。”と医師に訴えれば、苦し紛れに“自律神経失調症、心身症、不定愁訴症候群、慢性疲労症候群”などの病名で処理されて、何とも的外れな薬を処方され、一向に症状が好転しないという事例が数多くあるようです。
 慢性疲労の原因は多々あるようですが、多くの場合は「鈍重肝臓」である、とおっしゃる医師がいらっしゃいます。2008年にお亡くなりになった甲田光雄氏です。
 その辺りのことを、甲田氏の著「あなたの少食が世界を救う」(春秋社)、「断食療法 50年で見えてきたもの」(同)から、以下に要約して引用しましょう。

 「鈍重肝臓」という誠に厄介な病気があります。これは筆者が名付けたもので現代医学書には載っていません。しかし、この患者さんは非常に多いのです。おそらく日本で何百万、いや何千万という大多数の人々がこの病気に罹っていると見て間違いないでしょう。
 ただ、大半の方はその程度が軽いために深刻に考えられていないだけです。しかし、程度が軽くても、生涯にわたっていろいろと悪い影響を及ぼし、ときには運命を狂わせてしまうことにもなりますから、決して甘くみてはなりません。
 いったい鈍重肝臓とはどのような病気なのかを説明しましょう。
 筆者はこれまで長年にわたって何万人というたくさんの人々に断食療法を行ってきました。患者さんは、現代医学の治療を長年受けたが治らず、鍼や灸、漢方なども試みたがだめで、途方に暮れた挙句、断食療法に一途の望みをかけて当院へやってこられるのです。そうした人々のなかで、次のような症状を強く訴えられる方々が数多いです。
 とにかく疲れやすくて、根気が全然ない。肩や首がこって、仕事に熱中できなくて、すぐ嫌になってしまう。書物を読んでも、頭に入らないし、すぐ忘れてしまう。名前や電話番号も、パッと出て来ず、記憶力には全く自信がない。そのために仕事がはかどらず、いつもイライラして当り散らすことが多くなった。そして、何事にも悲観的になって、取り越し苦労ばかりする。そのうち手足が冷えるようになり、寒がりになる。同時に暑さにも弱くなる。
 そのくせ食事となると人一倍たくさん食べ、その後は決まったように軽いうたた寝をしないとやってゆけない。腹部膨満感があり、便は思うように出てくれず、スッキリ感がない。
 こうした様々な苦しい症状が半年も1年も、人によっては何年も続いているのですから、本人にしてみれば大問題です。
 
しかし、こうした方々は、外見はどっしりした立派な体格の人が多く、どこが悪いのかと思われるような少し赤ら顔で、うっかりしていると、その人の苦しい症状の実態を感じ取ることが難しいくらいです。(要約引用ここまで)

 これが鈍重肝臓という病気の典型的な症状のようです。人によっては、症状の軽重がありましょうし、一部の症状しか出ない方もありましょう。逆に、ここには例示されていませんが、何かのアレルギーが出るようになったり、風邪を引きやすくなり、かつ、治りにくくなるということもあるようです。
 なお、甲田氏は「日本の、何千万という大多数の人々」と、かなりオーバーな表現をされておられますが、どうやらこれは当たっていそうです。と申しますのは、先にこのブログに投稿した記事「 脂肪肝は万病の元、フォアグラ状態が続いていいわけがない 」の中で、事例を挙げて、“一般的にはこれらの諸症状は生活が不自由になるまでのことはなく、長い年月をかけて徐々に肝臓のお疲れさん状態が進んでいくだけですから、自覚症状としては気が付かないだけのことで、年のせいだと勘違いしてしまう、ということになるのです。”と書きましたように、肝臓が弱ってのこととは誰しも思いもしないからです。「肝臓は沈黙の臓器」と言われるゆえんです。
 さて、この鈍重肝臓の原因は何か、もうお気付きでしょう。
 毎日の食事が胃腸の処理能力を超えているだけならまだしも、消化吸収された栄養やそれに紛れ込んだ有害物を一手に処理させられる肝臓が疲弊しているからです。これが最大の原因になります。しかし、それだけが原因ではなさそうです。引き続き、甲田氏の同著から鈍重肝臓の原因について要約引用しましょう。

 鈍重肝臓になる原因について、筆者の私見としては、次のとおり考えております。
 それはつまり、“文化生活”にどっぷり漬かって、動物としての本来の自然な生活習慣から逸脱した人たちが罹る「宿病」と申し上げてもよいでしょう。具体的には暖衣(厚着、暖房)、飽食(過食・美食)、安佚(引用者の注:安逸[
あんいつ]=気楽)(運動不足)、有害食品(食品添加物・農薬など)、環境汚染(大気や水などの汚染)、および精神的なストレス等が相互的に作用して「鈍重肝臓」という病状を現すことになると言えましょうか。
 人間と言うものは、精神的にも肉体的にも、とにかく楽をしたい、おいしいものを腹いっぱい食べたいといった本能が骨の髄まで染み込んでおりますから、いったんそのような環境に馴れてしまうと、なかなかそこから抜け出すことができなくなってしまうものです。
 そこで、天は、人間が本来持っていたはずの自然の法則からはずれて文化生活に浸っている人たちに、鈍重肝臓という「病気」を与えて忠告してくれているのです。
 したがって、私たちは、それを謙虚に受けとめて反省し、これ以上に本来の姿から逸脱しないようにいろいろと工夫し、また、それを実行に移してゆくことです。これが、人類の健康増進という大きな問題を解決するために肝要な方策と言わねばなりません。(要約引用ここまで)

 ところで、甲田氏が、この「病気」を「鈍重肝臓」と名付けられた理由を次のとおり書かれておられます。とても、興味深いですから、引き続き要約引用します。

 鈍重肝臓というものは、普通の食事を摂っているときに検査しても、異常が表にでてこないで正常値を示します。ですから、どこのお医者さんでも肝臓病を否定されます。
 この鈍重肝臓を治癒させるには、断食療法が一番です。こうした患者さんに入院してもらい7日間程度の断食を行うと、強い脱力感が現れ、起きるのもやっという状態になります。その状態のときに肝機能検査を行うと、GOTやGPTの値がとんでもない値に上昇しています。その数値を見れば、どのお医者さんも、これは「肝炎」と言われるに違いありません。(要約引用ここまで)

 つまり、鈍重肝臓とは“隠れ肝炎”とでも言えましょう。
 多くの肝細胞が炎症を起こしているにもかかわらず、血液検査をしても肝機能の指標となるGOTやGPTの値が正常値を示し続けるというものです。
 GOTやGPTは、肝細胞の中にある酵素の一種で、肝細胞の破壊が多ければ多いほど高い数値を示しますから、肝細胞の破壊がどの程度行われているかの指標になり、現在知られている肝炎は、これによって診断されていますので、鈍重肝臓=“隠れ肝炎”は見逃されてしまうのです。
 それが、断食をすることによって、GOTやGPTが異常に高い値を示すのはなぜか。甲田氏は実学を重んずる姿勢を取っておられますから、その辺りの医学的解説は少ないのですが、他の学者の論説と織り交ぜると、次のように言えると思われます。

 消化吸収された栄養やそれに紛れ込んだ有害物(問題なのは各種のウイルス)は、腸から門脈を通っていったん肝臓に入ります。肝臓に入るということは、肝細胞に入るということになり、各種ウイルスは肝細胞に取り込まれてしまいます。そのウイルスを吐き出す力は肝細胞にはなさそうで、ウイルスが肝細胞の中は居心地がいいと感ずれば寄生を始めます。各種肝炎はほとんどがそうしたもので、アルコール性肝炎でさえ、まだ知られていないウイルスが原因だという学者もいらっしゃいます。ウイルスが肝細胞へ単に寄生している状態であれば、大増殖して血液中に踊り出すことはなくて、そのウイルスの発見は極めて難しいと言えるでしょう。
 さて、
飽食の毎日が連続すれば、免疫機能とて低下していると考えられます。それが、断食によって全ての免疫機能が高まるわけではないでしょうが、一部の免疫機能が高まることが想像されます。特に、マクロファージ(貪食細胞)は、飽食時には活動を低下させ、飢餓時には活動を活発化させると考えてよいでしょう。
 これに関連する
最近の研究成果として、ウイルス感染した肝細胞は、クッパー細胞(マクロファージの一種)が感知して活性酸素(一酸化窒素など)を放出し、肝細胞を破壊してウイルスを殺すことが明らかになっています。
 となれば、断食によってクッパー細胞の活動が盛んになり(これを免疫機能の高まりというのですが)、ウイルスに寄生された肝細胞の破壊が進み、肝細胞中の酵素が流れ出して血液に入り、GOTやGPTが異常に高い値を示すということになります。

 以上のことで、検査数値の変化の説明はできましょう。
 でも、ウイルス感染は、ごく一部の肝細胞に起きているのではなく、ほぼ全部の肝細胞が感染していると考えざるを得ません。そうであるからこそ、鈍重肝臓の場合は、肝細胞全体の働きが低下し、様々な苦しい症状が出てきていると思われるのです。
 また、クッパー細胞による肝細胞の破壊も、せいぜい普段の何十倍かで止まり、肝細胞の1%にもなりませんから、新しく作られた無傷の肝細胞だけで肝臓の全機能を賄えるなんてことも有り得ないです。
 しかし、断食すると鈍重肝臓の方が見違えるように元気になるというのですから、不思議なものです。ここら辺りのことは全く分からないのですが、ウイルスの日和見感染ということにでもなるのではないでしょうか。ヘルペスがよく知られていますが、ウイルスに感染していても普段はおとなしくして何の自覚症状も出ないのですが、何かの拍子で免疫力が低下すると、ウイルスが暴れて体に異常を生じさせるというものです。

 さて、この鈍重肝臓を完治させるには、その原因からして、これまでどっぷりと浸かっていた文化生活を全て捨て去るしかないわけですが、それは到底不可能なことです。
 甲田氏は、重度の鈍重肝臓の患者さんには入院していただいて、適切な寒冷刺激や運動療法を取り入れるとともに玄米菜食や生菜食の少食に体を慣らし、その後に1週間程度の断食(場合によってはその繰り返し)でもって、治癒させてみえました。
 
しかし、この療法(特に長期断食)を自分勝手にやっては命取りになる危険性が大であり、適切な指導者の下で取り組むよう、甲田氏は口を酸っぱくして注意しておられます。

 長期間入院して断食するのは、一般には困難です。これに代わる何か良い方法はないか、といことになりますが、甲田氏は「鈍重肝臓を克服する方法」として、次のように述べておられますので、それを以下に要約引用しましょう。

 最も力を入れて取り組まねばならないのが、食生活の改善でしょう。腹七分の少食主義を守ることです。そして、少食になればなるほと質が問題になってきますから、自然な食品を選んだり、余さず丸ごと食べる(米なら玄米、魚は頭から尻尾まで、大根は葉っぱも)という努力が必要です。
 ところで、鈍重肝臓になるような人は大食家が多く、若い時は毎日腹いっぱい食べても何ともないという丈夫な肝臓の持ち主でもあったのですから、こうした大食家が長年の飽食を改めて少食にすることは、余程の固い決意が必要になります。
 しかしながら、人間の食欲煩悩がいかに凄まじいものであるのか、思い知らされます。固い決意をしたものの、少食生活が続けられるのは、皆さんたいてい3、4か月が限度で、パンやせんべいのつまみ食いが始まり、ついには大きな反動が出て、一気に過食へと突っ走ります。元の木阿弥、いや、悲劇的な結末を迎えることも多いのです。
 従って、少食への道は、中長期見通しを立てて一歩一歩進むのが無難です。幾つかの方法がありますが、段階的に進める一例を示しましょう。
  ①夜食を止める
  ②間食・つまみ食いを止める
  ③夕食を減らす
  ④朝食を減らす
  ⑤朝食を抜く
  ⑥昼食を少なくする
 1段階ずつ確実に習慣化させてステップアップするという方法です。ここで難しいのは③です。腹七、八分にするのは、なかなかできないものです。腹九分を習慣化するだけでもいいですから努力していただきたいです。
 ⑤については強い反発を感ずる人が多いでしょうが、実学的にも理論的にも「朝食抜き」に軍配が上がります。(引用者の注:これについては過去記事「 朝食有害論の歴史歴推移… 」で紹介済み)(要約引用ここまで)

 甲田氏は、これらの方法を取ったとしても、少食を習慣化するのはかなり難しいとおっしゃいます。それを達成するには、何よりも「食べ物に対する心の持ち方」が重要とのことです。引き続き要約引用します。

 食べ物を単なる栄養として捉える人間独尊の考え方をこのまま続けていいものでしょうか。食われるものの身になって考え、なるべく殺生しないで生きていくという、愛と慈悲の心を持つことが必要なのではないでしょうか。
 「すべてのいのちとの共生」を前提とした生き方が問われている時代です。
 私たちは、毎日いただく食べ物、肉や魚、米や野菜などなど、これらすべてのいろいろな動植物を無慈悲に殺生し、天からいただいた「いのち」の数々を単なる栄養物として捉え、飽食しています。
 このように「いのち」を粗末にしている無慈悲な行為を天は許すはずがありません。様々な生活習慣病を引き起こし、苦しめられるのです。
 それは「いのち」を粗末にしてきた人間に対する天の警告であります。
 これに気づけば、なるべく動植物の「いのち」を殺生しないでやっていく食生活を本気で考える、つまり少食の道へ進んでいけることになりましょう。
 天は少食という「いのち」に対する愛と慈悲を実行する者にのみ、すこやかに老いるという幸せを与え給うということになりましょう。(要約引用ここまで)

 いかがでしょうか。この動植物の「いのち」を敬う心が何よりも重要のように小生には思われます。甲田氏の著書は7冊持っているものの、その中からは見つかりませんでしたが、次の言葉を心を込めて毎食時に発しなければならないでしょう。
 「いただきます。ごちそうさまでした。」
 この言葉は、数多くの動植物たちの「いのち」をいただき、いただいた、人と同じ生き物である動植物たちへの感謝の言葉以外の何物でもないのですから。
 ヒトも動物であり、生き物であり、ヒトはヒト以外の生き物と同列にあって、彼らと共生させていただいているのです。間違っても、“ヒトはヒト以外の生き物の一段上にあり、彼らを自由に殺し、支配してよい”という“人間独尊の考え方”はキッパリと捨てなければなりません。そうしないことには、少食の実行はやはり不可能と言えましょう。

関連記事:2011.04.06 「 肝臓病の元凶は飽食暖衣…


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