樹齢70年を超える桜の古木が立ち並ぶ赤坂台医療センターの上付近。今見事に満開となり、カメラを向けたり、ゆっくり眺めながら散策する人がいます。ここに、結核療養所があったことは知られているが大正末期に大阪にあったハンセン病療養所「外島保養院」の移転問題が持ち上がり苛烈な反対運動の結果立ち消えになったことを知る人は少ないのではないだろうか?当時結核の方が死亡率も高かったが、死亡率の低いハンセン病療養所は受け入れられなかったのだ。それが差別ということであろう。
これは結核療養所時代の名残の土管の一部
これは結核療養所時代の名残の土管の一部