大分の土地家屋調査士ブログ

「土地家屋調査士の業務と制度」を中心に、それに広い意味で関連する様々なことについて一人の人間として思うところを書きます。

「グランドデザイン」・・続き

2017-02-06 18:50:41 | 日記
以前に書いた「土地家屋調査士制度 グランドデザイン(案)」についての続き、です。

「グランドデザイン」では、「土地家屋調査士の強み」「弱み」がどこにあり、外部環境の有利面と不利面がどこにあるのか、という「分析」がなされたことになっています。
その分析手法が適当なのか、また実際に行っている「分析」がその名に値するものなのか、等々の問題はありますが、何か物事を考えるときに「主体的(内部的)要因」と「客観的(外部的)要因」とを分析しなければいけない、ということは、「敵を知り己を知れば」の孫子の兵法にもあるように、ごくごく当たり前のことで、そのような検討をすることの意味は大きいと言えるでしょう。だからこそ、そのような分析をきちんとする必要がある、ということであるわけで、「そこのところがちょっと・・」という話になってしまうわけですが・・・。

「グランドデザイン」では、「強み」の第一として「土地家屋調査士は国家資格者としての地位を持つ」ということが挙げられています。これを「第一」として挙げざるを得ないところに私は「強み」よりも「弱み」を見てしまいますが・・・。

この「国家資格者としての地位を持つ」ということを「強み」としてとらえると、「その地位を保つようにしよう」というのが「方針」になります。
そして、その「方針」をもっとも直接に具体化しようとすれば、「国家資格者としての地位」を直接に与えてくれる「国家」、直接的に言えば所管官庁たる法務省に切って捨てられないようにしよう、という方針になります。所管官庁との「よい関係」を保つために、言うことをよく聞き、スピーディに対応できるようにしよう、ということになるわけです。
また、これだけで足りないと思えば、別の「力」を借りるようにしよう、ということになります「政治力」で行政機関をけん制して、その庇護を絶やさないようにしよう、というの方針です。
これは現に行われていることですし、そのこと自体を否定するつもりはありません。生きていくのに息をして飯を食うように、行うべきことだとは言えるでしょう。だから、これらのことが、どこまでうまくできているのか?・・・ということが問われるわけであり、現状を見ていると「それだけしか問われない」ということにさえなっています。私はそこにさみしさを感じるのですが・・・。

一昔前の時代であれば、これだけやっていれば十分、とも言えたのかとも思います。「護送船団方式」は、土地家屋調査士の社会でも無縁ではなかったからです。もちろん本質的には以下に述べるように「これだけ」ではいけないのですが、時代のゆとりがそのようなものであることを許容していた、ということなのでしょう。

しかし、今は、もっと本質的なことが問われるようになっています。「国家資格者としての地位」を持っていることが強みなのだとしたら、なぜ土地家屋調査士という「国家資格者」が必要なのか?社会はどのような必要性を持っているのか?現にある土地家屋調査士はその必要性に答えられているのか?・・・ということを自ら問わなければいけないのです。ここをきちんと分析をすることが必要なのであり、それは「強み」や「弱み」を考えることにもなる、というのが本来の姿なのだと思います。

話を戻しましょう。「強み」についてです。
「グランドデザイン」では、「国家資格者としての地位を持つ」ことを「強み」としてあげて、その内容を「不動産表示登記制度を独占業務とすることのできる環境にある」と表現しています。
この表現の仕方にも違和感がありますがそれはさておき、「「不動産(表示)登記制度」が問題だ、というのは確かであり、むしろポイントはこちらにある、と考えるべきでしょう。「土地家屋調査士の強み」は、「不動産登記に関しての業務独占にある」ということです。
不動産取引に当たっては、「登記」を抜きにして考えることはできない、ということが現実としてあります。だから、分筆だとか表題登記だとかの不動産登記を行おうとするときには土地家屋調査士に依頼せざるを得なくなっているわけですし、不動産取引を考える人(顧客)が、それに関わる業務を他者に依頼しようとするときには、登記までを含めて行うことができる土地家屋調査士に依頼しようとする強い力が働くことになります。
これが、土地家屋調査士の「強み」です。ですから、この「強み」は、かなりの部分を「不動産登記制度」に依っている、ということになります。「土地家屋調査士の強み」は「不動産登記制度」に関する検討と離れてできるはずがないのです。

「不動産登記制度が土地家屋調査士の強み」と言う時、二つの方向があります。ひとつは、わが国の不動産登記制度が国民の信頼を得ている、という「強み」です。そしてもう一つは逆方向ですが、不動産登記制度が現代の実態にそぐわない旧態依然の「よく訳の分からない世界」として見られ、土地家屋調査士にはその世界と現実世界とをつなぐ役割を期待される、というややゆがんだ「強み」です。
前者は、社会的な現実に根差した「強み」ですが、後者は「古い制度」の持つ形骸化した「強み」です。だから、「強み」としてあるもののうち「後者」的なものからは脱却して、前者的なものを伸ばしていく、ということが中長期的な方針になるべきなのだと思います。

前者については、不動産取引を行うにあたっては「好むと好まざるとにかかわらず避けて通ることができない」という消極的な面もあるでしょうが、おおむね、これまでの日本の社会経済活動をその基礎の部分で支えてきた制度としての有効性として、国民の信頼を得ている、ということとして言えるでしょう。そして、土地家屋調査士も、その一翼を担ってきた、と言え、それが土地家屋調査士の「強み」にもなっている、と言えるのだと思います。
その上で、しかしそのような信頼がいつまでも維持できるのか、と言うと、問題があります。後者の面があり、それが今日の社会情勢の中で許容限度を超えるほどの問題をも生じさせてきており、中途半端な弥縫策では済まなくなってきている、という状況があります。
最近社会問題化している「相続未了」「所有者不明土地」の問題は、そのような事態を端的に示す問題だと言えるのでしょう。土地家屋調査士の業務領域の問題として言えば、そのような環境の中で、これまでどおり「筆界確認」をすることができるのか?という問題でもあります。

このような状況に対して、土地家屋調査士は、実務の最前線の現場に立つものとして、実際にぶち当たった問題を早期に指摘して、「改善・進歩」へ向けた提案をしていくことが求められています。「不動産登記制度は行政のもので、私たちはその下で言われた通りに動くだけ」というのではなく、自分たち自身の主体的な問題として考えていく必要があるわけです。

この点について、「グランドデザイン」はどうも無関心であるように感じてしまいます。それは、「想定される将来」として「登記制度が地籍情報管理制度に飲み込まれ」ることを「想定」しているところからきているのか、と思えます。
「登記制度」自体には将来はなく、「地籍情報管理制度」の中に「将来」を見る、という発想です。このように考えれば、「登記制度」自体の個々の問題点をあげつらってちまちま「改善」するよりも、「地籍情報管理制度」の全体構想の中に未来を見た方がいいだろう、ということになっている、という構造です。「グランドデザイン」の内容が、現実の問題と切り結ばない空疎なものに感じられてしまうのは、このようなところに原因があるのかと思います

このような考え方が正しいとは私には思えません。また、このような考え方が土地家屋調査士の世界の中で(日調連の中で)主流的な考え方(と言うより、「支配的な風潮」と言った方がいいのかもしれません)であるわけではないように思えます。その意味で「グランドデザイン」について、あれこれ検討することの意味もあまりないように思えはするのですが、それでもなおこだわるのは、このような「グランドデザイン」での考え方と、主流的な考え方(支配的な風潮)との間には、大きな違いがありつつ、直近の問題に関しては似通った結論になっているように思えるからです。
それは、不動産登記制度が直面する問題に対して積極的・主導的立場に立つ必要はない」ということです。「支配的風潮」は目の前の利益を優先して「国家資格者としての地位」を守ることに汲々とする、というところから、「グランドデザイン」は「地籍情報管理制度」を展望すると言う一見「高邁」な見地から、当面の方針としては同じところ(「何もしない」)に落ち着いてしまう、という「奇妙な一致」をもたらしてしまっているわけです。

その意味で「グランドデザイン(案)」は、はしなくも「グランドデザインは描けない」という現状を示してしまった、と言えるのでしょう。・・・しかし、それでいいのか?・・・真剣に考えていかなければいけないのだと思います。





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