雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

死体を背負う ・ 今昔物語 ( 2 - 12 )

2018-03-23 12:55:38 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          死体を背負う ・ 今昔物語 ( 2 12 )

今は昔、
天竺の王舎城の中にある長者が住んでいた。家大きくして豊かで、財宝は限りなかった。一人の男の子をもうけた。その子は、姿形が優れていて世間に並ぶ者がいなかった。その子は生まれた時より、一つの指から光を放ち、十里先を照らした。
父母はそれを見て、歓喜すること限りなかった。そういうことから、この子の名前を灯指(トウシ)と付けた。

すると、阿闍世王(アジャセオウ・マガダ国の王)がこの事を聞いて、勅命によって「稚児を連れて参れ」と命じた。
そこで長者は、その子を抱いて王宮の門前に参上した。その時、その子の指の光が王宮を照らした。その光によって、王宮内のすべての物が、金色に輝いた。
王はこれに驚き、「これは何の光なのか。もしかすると、仏(釈迦)が門前に参られているのではないか」と仰せられて、従者に門前まで行かせて確かめさせると、従者はその様子を確認して戻ってきて、「この光は、我が王がお召しになった稚児が参っていて、その手の指から発せられている光です」と申し上げた。
王はそれを聞いて、宮中に召し入れて、自ら稚児の手を取って不思議に思われた。そこで、稚児を留めて、夜になると稚児を象に乗せて先に立たせて、庭園に入ってご覧になると、稚児は指より光を放ち、暗い夜の庭が照らされて昼のようであった。
王はその様子に感激し、多くの財宝を与えて家に送り届けた。 

灯指は次第に成長していったが、父母が亡くなってしまった。その後、しだいに家が没落して、財物も盗賊に盗まれてしまった。蔵の中は空になり、使用人たちは去っていき、妻子にも見捨てられてしまった。親族とは皆絶交状態となってしまった。
かつては親しかった人も今では敵(カタキ)のようになり、頼みとする所はなくなってしまい、身を寄せる所もない。着る物はなく裸同然であった。その為、巷(チマタ)に行き、食べ物をめぐんでもらい命を繋いでいた。
灯指は、「私はどういうわけで、今このような貧乏の極みとなり、このような苦しみにあっているのか。私は、もう身を棄てようと思うが、自分でこの身を引き裂くとが出来ない」と思った。

そこで、思い悩んだ末に墓場の辺りに行き、死体処理を手伝っていたが、突然狂ったように死体を背負ったまま王宮の門から入ろうとしたが、門の守衛に咎められて、打ちすえられて入ることが出来なかった。身体じゅう傷だらけにされてしまった。声を限りに泣き叫んだ。
傷つけられた身体で死体を担いで家に帰り、嘆き悲しんでいると、突然、この死体が自然に変化して黄金となった。そして、しばらくすると、死体が壊れて、頭・手足となった。さらに、瞬く間に、金(コガネ)の頭・手足が地面に満ち溢れ、蔵の中に積み上がること昔繁栄していた頃以上になった。
当然、豊かな事は昔に勝った。すると、妻子や使用人などは皆帰ってきて、親友たちも以前のように戻ってきた。
灯指が歓喜すること限りなかった。

阿闍世王はこの噂を聞いて、金の頭・手足を取り上げようとしたが、王が奪い取ると、みな死人の頭・手足になった。慌ててそれを捨てると、また、金の頭・手足となった。
灯指は、「王がこの金を得ようと思っている」と知ると、金の頭・手足を持参して王に奉った。また、数々の珍宝を多くの人に施して、世を厭い、仏の御許に参って、出家して阿羅漢果を得ることになったが、この黄金の屍(シカバネ)の宝は、常に灯指の身に付き従って消え去ることはなかった。
仏の弟子である比丘(ビク・僧)が、これを見て仏に尋ねた。「灯指比丘は、どういう因縁(ここでは、「前世のいわれ」といった意味)があって指の光があるのですか。また、いかなる因縁があって究極の貧乏となり、また、いかなる因縁があって屍が金(コガネ)となってその身に付き従っているのですか」と。

仏は比丘に答えて、「灯指は、昔、波羅奈国(ハラナコク・古代インドの大国の一つ)において、長者の子として生まれた。外で遊び、夜遅くなって家に帰り門をたたいたが、守衛はおらず返答がなかった。しばらくして、父母がやって来て門を開けた。灯指は開けるのが遅いと母をののしったのである。それゆえ、母をののしった罪により、地獄に堕ちて苦を受けること計り知れないほどの長い時間であった。地獄の罪を終えることが出来て、いま、人中(ジンチュウ・人間界)に生まれ変わることが出来たが、まだ罪の残りがあって貧窮の苦しみを受けたのである。また、過去にさかのぼること九十一劫(コウ・劫は時間の単位で、無限に近い長さ)の時、毘婆尸仏(ビバシブツ・過去七仏{釈迦とそれ以前にこの世に出現した六仏の総称}の第一仏。)が涅槃にお入りになられた後、大長者であった灯指が、ある泥像(デイゾウ・粘土製の仏像)を見ると、指が一本欠けていた。そこで、この指を修理して願をかけて、『私はこの功徳によって、人天(ニンデン・人間界と天上界)に富貴を得たい。また、仏にお会いして、出家して阿羅漢果を得たい』と願ったのである。仏の指を修理した功徳によって、今、指より光を放ち、屍の宝を得たのである」とお説きになった。

これを以て思うに、戯れであっても父母をののしってはならない。計り知れないほどの罪を得るからである。また、戯れであっても、仏像の姿形が損じたり欠けていたりしているのを見れば、必ず、土で以てでも、木で以ってでも、修理し奉るべし。計り知れないご利益(リヤク)を得ることはかくの如しである、
となむ語り伝へたるとや。

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