雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

『妙』の字に救われる ・ 今昔物語 ( 12 - 28 )

2017-04-18 08:29:08 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          『妙』の字に救われる ・ 今昔物語 ( 12 - 28 )

今は昔、
肥後の国に一人の書生(ショショウ・下級の事務官)がいた。朝暮に国庁の館に行き、公務を勤めて長年経ったが、ある時、急用が出来て、早朝に家を出て役所に行くのに、従者も連れず、ただ一人で馬に乗って行った。
書生の家から役所までの距離は十余町ほどなので、いつもはすぐに行く着くのに、この日は行くほどに遠くなり、どうしても行き着けず、道に迷ってしまい、どことも知れぬ広い野に出てしまった。
こうして、一日中歩き回っているうちに日が暮れてしまった。宿る所とてなく、一面の野原である。

そこで、歎き悲しみながら、何とか人里に出たいと願っていると、小高い丘の上に出て、そこから立派な造りの家の屋根の端がわずかに見えた。
「人里の近くに来たのだ」と思うと、嬉しくなり急いでその家に近付いてみると、人の気配がない。家の周りを廻って、「こちらにどなたかいらっしゃいませんか。出てきてください。この里は何という里ですか」と声をかけた。すると、家の中から女の声がして、「そうおっしゃるのはどなたでしょうか。どうぞ、お入りください」と応答があった。
書生はこの声を聞くと、とても怖ろしい気がした。しかし、書生は、「私は道に迷った者です。急ぐ用がありますので、入ることが出来ません。ただ道だけ教えてください」と答えた。女は、「それでは、しばらくそこで待っていてください。わたしが出て行って、道をお教えしましょう」と言って、女が出てくる気配がしたが、とても怖ろしく感じられて、馬を取って返して逃げ出そうとする足音を聞いて、女が「やや、しばらく待て」と言って出て来た姿を見てみると、背丈は家の軒まであり、眼は光り輝いている。

「思った通りだ。私は鬼の家に来てしまったのだ」と思って、馬に鞭を打って逃げようとすると、女が「お前は、なぜ逃げようとするのか。速やかにそこに止まれ」と言う声が聞こえてくるのが、怖ろしいなどと言うのも愚かである。
肝は砕け気を失いそうになりながら見てみると、身の丈が一丈(3mほど)ばかりある者が、目、口から火を吹いて稲光のようであり、大口を開けて手を打ち鳴らして追ってくる。その姿を見ると、気を失って馬から落ちてしまいそうになるのを、切[ 欠字あり。未詳。 ]打って逃げながら、「観音様、お助け下さい。私の今日の命をお救い下さい」とお祈りして、逃げる[ 欠字あり。「うちに、乗っていた馬が」と言った言葉があったらしい。]うちに、突然乗っていた馬が倒れた。書生は放り出されて馬の前に落ちた。

「もう捕まえられて喰われてしまう」と思った時、そこに墓穴があったので、夢中で走り込んだ。
鬼はその場所までやって来て、「どこに行ったのだ。ここにいた奴は」と言っている。鬼がやって来たのが聞こえてきたが、鬼は書生を捕まえる前に、まず馬に喰いついた。
書生はその様子を聞きながら、「馬を喰い終われば、我が身を喰らおうとするに違いない。だが、この穴に入っていることに気付かないかもしれない」と思って、ひたすら、「観音様、お助け下さい」と祈ること限りなかった。

すると、この鬼は、馬を喰い終わると、この穴の近くに寄ってきて、「これは、今日の私の食べ物に当てている者です。それをなぜ召し取って、私に与えてくださらないのですか。このような非道なことをいつもなさいます。私はとても悲しいです」と言った。
この声を聞いて、「うまく隠れることが出来たと思っていた穴を、奴は知っているのだ」と書生が思った時、穴の内から声がして、「これはわしの今日の食べ物に当てているのだ。だからお前に与えるわけにいかない。お前にはさっき喰った馬で十分であろう」と言っている。書生はこれを聞いて、「どうなっても私の命は助からないのだ。さっきの鬼が限りなく怖ろしいと思っていたが、この穴の内にはそれ以上に怖ろしい鬼がいて、私を喰ってしまおうとしているのだ」と思うと、悲しいこと限りなかった。
「私は観音様にお祈りしたが、今、命が終わろうしている。これも、前世からの報いなのだ」と思った。

その間も、外の鬼は何度も丁寧に願っても、内の声は承知しないので、外の鬼は歎きながら返って行った様子なので、「今にも私を引き寄せて喰うのだ」と思っていると、この穴の内の声は、「お前は今日鬼の為の食物になるはずだったが、お前が熱心に観音を念じ奉ったので、この災難を免れることが出来たのだ。お前はこれより後、心を尽くして仏を念じ奉り、法華経を信奉して読誦し奉るがよい。そもそも、このように言うわしが誰であるかは、お前は知っているか否や」と言った。書生は、知らないと答えた。
すると声は、「わしは鬼ではないのだ。この穴は、昔、ここに聖人がおり、この西の峰の上に卒塔婆(ソトバ)を立てて、法華経をお納めした。その後、多くの年が過ぎ、卒塔婆も経も皆朽ち失せてしまった。ただ、最初の『妙』の一字だけが残って今に留まっている。その『妙』の一字というのは、かく申すわしである。わしはこの所にあって、先ほどの鬼に喰らわれようとする人を九百九十九人助けてきた。今、お前を加えて千人になった。お前は速やかにここを出て、家に帰るがよい。そして、今後ともくれぐれも仏を念じ奉り、法華経を信奉し読誦申し上げるがよい」と仰せになり、端正な童子一人を添えて、家に送り帰した。

書生は、涙を流して礼拝し、童子に付き添われて家に帰ることが出来た。
童子は、家の門まで送ってきて、書生に教えて言った。「そなたは、もっぱら心をこめて、法華経を信奉し読誦し奉るべし」と。そして、搔き消すように姿が見えなくなった。その後、書生は泣く泣く礼拝し、真夜中の頃に家に帰り着いたのである。
父母妻子にこの事をつぶさに語った。父母妻子はこれを聞いて、喜び感激すること限りなかった。
その後書生は、熱心に法華経を信奉し読誦し奉り、ますます観音を恭敬し奉った。

これを以て思うに、『妙』の一字でさえ朽ち残って人をお救いになることは、かくの如しである。いわんや、真心を込めて教えの通りに法華経を書写することによる功徳の大きさを思いやるべし。
現世の利益(リヤク)でさえこのようなのだから、後生(ゴショゥ・未来世)の苦しみが救われることは疑いのないことである、
となむ語り伝へたるとや。

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